逃れることなど叶わず


 

弟が狂喜乱舞した、忌野暗殺指令。
背中が凍るようなその指令は、裏など返さなくとも失敗した時にどうでも切り捨てられる己の立場と、断ることも出来ない己の立場、両の立場をただまざまざと自覚させるだけの。
変えようもない、残酷な現実だけを私に突きつける。

どう言ったところで、結局はやらなければならないのだ。

断って潰されるか、失敗して潰されるか。
それか、万が一成功して生き延びるか。

唯一の生き残れる形が、忌野暗殺成功という、まるで雲を掴むようなそんな話で。

 

私はどうしようもなくて、笑う弟を眺めながらただ。
人形だ、と揶揄される笑みを面に張りつける。

 

 

初めて彼を見たのは何時だっただろう?
弟が彼に心酔、固着し始めたのは何時からだっただろう?
その姿は裏社会五家が一家、忌野の若き次代頭首として。ただそこに燦然と。
一切の穢れもなく、崇高で至高。
人形のようだと、同じように揶揄されるその面は感情の起伏もなく。静かな湖面のように、細波ひとつ及ぶことなく。どこまでも。どこまでも。
私のモノと違って美しかった。
同い年に生まれたはずの私たちは、その生まれを隔たりとしてこうも。こうも違うのだ。

方や、顔すら上げることの叶わない、切り捨てられたところで文句ひとつ言うことの叶わない矮小な私。
方や、頂点に君臨し、全てを総べる者。

 

そこにある余りにも大きな差は、妬みや僻み、恨み事など抱くのも馬鹿馬鹿しくなるような。まるで違う世界の御伽噺のようだった。

 

私は目の前に繰り広げられている絢爛豪華な絵巻物の御伽噺に魅せられて、憧れを抱く普通の愚かな女。
そう、それだけだったはずなのに。

 

一体、いつ私達の運命はこんな風に交差することになったのかしら?

 

これは運命の交差、なんてものではないのかもしれない。
失敗して消される、数多くの刺客のうちの一人で、貴方にとっては日常茶飯事の、心など一片たりとも動かない事象なのかもしれない。
そんなどうでもいい命のひとつなのかもしれない。

しかしそれでも、私達にはこれは。
逃れることの出来ない運命なのだ。

どうしようもない。

 

「ねぇ、九郎…」

 

呼びかけ、手を伸ばせば。

弟は何も言わずに、私の伸ばされた手を取って。その指先にそっとキスを。

 

九郎もわかっている。

これが、私達の終わりになりかねないことを。

生き残れる確率が、極々僅かだということを。

 

その唇の暖かさを感じながら、私はそこに生命を見る。

生きている私達の、息吹を見る。

 

 

 

その極々僅かな確率に賭けて。
少なくとも弟が少しでも生き永らえる確率を上げるために。
私は全てを裏切り、切り捨てよう。
友人は元より、私自身ですら。裏切り、切り捨て、捨て駒になろう。

 

「きっと…上手くいくわ」

 

これがどれだけ、馬鹿馬鹿しいまでに希望的な言葉か理解していながら。

そして同じことを、充分理解している弟は。
私とよく似たその顔に、笑顔をうっすらと浮かべながら。

 

 

「当たり前だ」と。

 

 

 


私達はこうやって、お互いに。
そして自分自身に嘘をつく。

 

そうやってしか。そうでしか生きていけなかったの。
逃れようもない運命の中に放り込まれたこんな状況では。

 

きっと上手くいく。きっと…

そう、嘘をつき続けるしか…

 

 

 






背景素材提供 NEO HIMEISM