(二)
『密猟されたドラゴンが運び込まれた』
それはガルダンディが確かな筋から仕入れてきた情報。
その情報をもとに、ラーハルトは三日前からこの街に潜入している。
正直、竜騎衆の仕事ではないのだけれど、数日前のギルド(もとい、その周辺の街)の壊滅。
いや、灰燼に帰したと言う方が正しいか、の事後処理に追われて圧倒的に人出が足りていなかった。
だから、ラーハルト自ら潜入捜査を買ってでることになったのだ。
街の郊外では、運び込まれたであろうドラゴンが何処に囚われているのか、ガルダンディが調べている。
ラーハルトの仕事は、開催されるだろうオークションの情報を掴むこと。
また、それらを阻止すること。
歓楽街では当然の、入り組んだ路地。
天空には真っ赤な魔力球が、それこそ月のように禍々しく輝いている。
それを見上げながら、ラーハルトは目立たない程度に足早に進んでいた。
時間がなかった為に、この街の地図すら手に入れることは叶わなかった。
そもそも、地図など手に入ったところで、こんな歓楽街。あってもないようなものかもしれないが。
それでも全くの土地勘のない場所での潜入捜査は正直、やりにくかった。
ラーハルトは性格的に神経質なトコロがある為、普段なら事前準備は完璧にこなす。
だがそれが叶わなかったので。
苛立ちと、不安があった。
この街はドラゴン領から随分と離れている。
それもまた、不安を掻き立てる。
ガルダンディはそんなラーハルトのことを猫のようだ、と揶揄して笑ったが。
実際、自分のテリトリー外に出るとどうしても落ち着かないのは、どうしようもない。
そういった性質なのだろう、と諦めている。
ラーハルトはもう一度、空を仰いだ。
どうしても土地勘がない為に、自分の現在地が解らなくなる。方向感覚が狂ってしまう。
だから上空の魔力球の位置で、それを修正するのだが如何せん、さっきから上手くいかない。
もしかすると、あの魔力球は動いているのかもしれない。
ひとつ、舌打ちをして。
その赤い光の下、懐中時計を取り出して時刻を確認する。
あと、二時間もすれば今日が終る。
それを確認して、ラーハルトはもう一度。舌打ちをした。
前日に尾行していた男を一日見張って、オークション会場の大体の当たりを付けることは出来た。
後は詰めるだけだが、今日は一旦引き揚げて、ガルダンディと合流しなければならない。
なんといっても、もう、今日は二時間しかないのだから。
だから、街の郊外を目指しているのだけれど。
迷ってしまったらしい。
方向感覚や、帰巣本能は劣っている方ではないから。
これは単純にこの土地の磁場や、あの魔力球の持ってる何らかの影響が働いているのだろう。
そして、それに輪をかけて、この歓楽街特有のごちゃごちゃと入り組んだ路地や、それこそ時間と共に顔を変える街そのものに所以するのだろう。
午前中はあった屋台は消え、閉まっていた店は開く。
移動する屋台もあるだろうし、目印になるものは刻々と姿を変えていく。
仕方がない。
ラーハルトは見切りをつけて。
目の前に見えてきた、周りの建物より頭一個抜けたその建築物に向かってジャンプする。
周囲の壁を蹴って、反動をつけて一気に。
そして、その頂上で下を見渡して自分の現在位置を再確認して。
それを何度も。
さっきから繰り返している。
再度、時間を確認すれば。
先程よりも15分。タイムリミットは迫ってきていた。
急がなければならない。
自分の位置と、郊外までの距離。
それを目算して。
ラーハルトは登った時と同じように、ふわりと宙空に体を投げ出した。
§§§§§§§§§§§§
やばい。
ガルダンディは苛々とラーハルトとの待ち合わせ場所で、行ったり来たりを繰り返していた。
約束していた時間はもう過ぎてしまっている。
下手をしたか。
それとも、何か別なことか。
なんにせよ。
「おい、今何時だ?」
「22時半です」
今日が終るまで、あと一時間半。
それまでに合流していなかったら、上司様が出てくる。
ガルダンディは大仰な溜息をついて、空を仰いだ。
そこには血のように真っ赤な魔力球が、まるであの『竜の騎士』の眼光のように煌めいていた。
全くのお笑い草だが、ラーハルトには『門限』がある。
自分の無事を養父であるバランに報告する決まりがある。
それが、12時。
23時59分までに、定時連絡をバランに送らなければ。
あの上司はこの場所にやってくる。
今回、人出が足りなかった為仕方がないが、それでもあの上司はラーハルトを出兵させることに難色を示した。
だがそこを説き伏せて、借り出したのは誰でもないガルダンディで。
その上で、時間に間に合わなければ。
きっと怒られるだろう。
そりゃあもう、大人げない程に。
過保護に過ぎるのだ。
あれだって、もう十分に大人だし。
それより何より、自分達の中で最大の戦力を欲しているというのに。
だがそれでも、上司の心配も解らないでもなかった。
アレは特殊だから。
そして、また。
こんな馬鹿馬鹿しい門限を発令するだけの理由が過去に存在したから。
言うなれば、例えそれがどれだけ窮屈なことだったとしても。半分は自業自得と割り切らなければならない類のことだ。
だがそれに巻き込まれる側は溜まったもんじゃない。
「早く帰ってこいよぉ…」
呟いた声は、どうにも弱々しく。
魔界の重く深い空に吸い込まれていった。
§§§§§§§§§§§§
入り組んだ路地から、大通りに出た。
見覚えのある地形に、ラーハルトは反射的に安堵の息をついた。
ここからなら、なんとかなる。
はず。
街の雰囲気が変わってしまっている為に、自信満々とはいかないが。それでも。
自分が何処にいるかわからない、何処に向かっているのか解らないような、そんな不安からは解放された。
振り返り、自分が来たルートを思い返す。
大丈夫。
それは思い描くことが出来た。
それが出来なければ、折角突き止めた場所も全く意味を成さなくなってしまう。
さて。
もう一回、自分の場所を確認して、郊外までの距離を目算しておこうか。
ラーハルトは辺りに視線を彷徨わせて、登るのに丁度良い建物を探す。
そしてすぐに目当てのものを発見すると助走をつけて。
とん、と地面を蹴り。
体を上空へと。
だが、その瞬間。
その身体は、網によって絡め取られた。
崩れるバランス。
網を引っ張られることで、強かに地面に叩きつけられる半身。
一瞬、眼前に火花が散った。
「こら、傷がつくだろう」
「すみませ〜ん、姉御〜」
近づいてくる人影。
交わされる会話。
網は特殊な素材で出来ているのか、特殊な編み方をしているのか。
もがけばもがくほど体に絡みついて、自由を奪っていく。
人影は、そんなラーハルトの少し手前で立ち止まり。
ラーハルトは心底イヤそうな顔を浮かべて、それを見遣った。
くそ。
毒づいたその言葉は、どれに対して落としたものか。
そんなものは、呟いた本人にすら解らなかった。
背景素材提供 BorderLine Syndrome様