mother’s day
魔界には花がない。
あるのかもしれないが、地上にあるような、害なく美しいだけの愛でる花はない。
いや、それもあるのかもしれないが、自分は魔界にきてからお目にかかったことがない。
子供の行動範囲などたかが知れている上に、居住区を中心に半径八キロ四方に外敵潜入防止用の結界が養父によって張られ、それは魔法呪文なくては外出出来ない壁でもあった。
自分の世界は、魔界の小さな家と、その周囲八キロということだ。
その世界で、花を見かけたことはない。
地上で生活していた時も、花を手に入れるのは容易とは言い難かったけれど。
母が、花を好きな人だったので。
よく深夜に人目を忍んで森に行っては、摘んで帰った。
危険とはいえ、なんとか手に入れることの叶う環境だったのだが。
流石にここでは。
それすら、叶わない。
考えて。
白い紙を赤く塗ることにした。
勉強用に与えられた物を、そんな風に使うのは正直、どうかとも思ったけれど。
赤く塗った紙を、適当な大きさに切り、楊枝を使ってヒダを作った。
それを何枚も作って、くっつける。
そのうち、それはなんとか花に見えるようになってきた。
手慣れてくれば、作業は捗る。次第に花は、より花らしくなってきて。
……まあまあ…かな
自己満足。
§§§§§§§§§§§
「バラン様」
帰って来た養父は、疲れてるのか不機嫌そうで。
未だに慣れない、ぎこちない関係の中で、俺は少しでもその関係がマシになるように、いつも通り笑顔を。
「なんだ?子供はさっさと寝なさい」
構う気はないようで。話は終わった、というように立ち去ろうとするから。
歩幅が違うので、自然と小走りでその背中を追いかけながら。
「明後日、母の日なんです」
「母の日?」
足を止めることなく、そのまま自室へ。そして面倒臭そうにマントを外して、こっちに放り投げた。
洗っておけ、ということらしい。
それをシワにならないように畳みながら、取り付くしまを与えようとしないこの人になんとか用件を伝えようと。
「だから、俺…作ったんです。お花」
「…花?」
「はい。母の日にはカーネーション。渡すんです」
「…で?」
続いて、上着を投げられる。
拾いながら、気付かれないように溜息を零す。
この人は子供が嫌いなのだ、と思う。
それか他人が嫌いなのか。
付き合いはまだ短いが、それでも自分が歓迎されていないことは解る。
それは、自分にとって馴染みの感覚だったから。
しかしそれでも。
伝えなくてはならない。
「俺…奥様の分も作ったんです」
俺の言葉に。
やっと。
こっちを見た。
物凄く怪訝な顔だけども。
「妻の?」
ここで怯んではならない。
それはこの短い期間で学んだこと。
怯んで黙れば、そこで終了するのだ。
「はい。奥様の分も」
だって母の日なのだ。
「………何故?」
視線には拒絶の色。
お前の母親ではない、と。そんなことわかってるし、自分の母親は『母』だけだ。
望んでもない。
だけど。
「ディーノ様が見つかるまで…お祝いしないのは奥様…寂しいでしょう?
代わり、じゃないですけど…少しでも…なんて言っていいか、わかんないんですけど…」
母のお墓に誰だかわからないけど花を手向けてくれたら嬉しい。
例えばそんな感じなのだ。
何故?とか聞かれても、そんな明確な理由などない。
ただ、きっと喜んでくれるだろうな、て。なんとなく。
そう。
母の分を作ろうとした時に、なんとなく。一緒に作ろう、と思っただけなのだ。
けど、だんだん。
無表情なこの人の顔を見てたら。
出過ぎた真似をしたような、そんな気分に。
他人が容易に入り込むべきじゃない所に踏み入ってしまったかも。
「…ごめんなさい。でしゃばりました」
うきうきしてた気持ちが、だんだん萎んできた。
投げられた全ての衣服を両腕に抱える。
部屋同様に染み付いた煙草の臭い。
居心地の悪い空気。
普段も決して居心地が良いわけではないけれど。それでも、それよか格段に悪い空気が。
我慢できずに背中を向けた。このまま退出して、洗い物を済ませてしまおう。
そう思った。
だが。
「…ありがとう」
背中に声が。
振り返ると、相変わらず無表情の顔。
「…きっと喜ぶと思う」
この人…本当にそう思ってるのかしら…
疑問を抱く程に、その表情からは感謝の意志は感じられず。
何処までも不器用なのだ、ということだけが。
とりあえず、自分の行動は迷惑ではなかったようだ。
それにほっとして。
「どういたしまして」
笑うことが出来た。
§§§§§§§§§§§
作った花束を養父に手渡すと、少し驚いたような顔をして。やっと表情らしい表情を見れた気がした。
「随分、沢山作ったんだな…」
「少しだと寂しいでしょう?ディーノ様からの分と…あと…俺からの分もありますから」
だから、母の分は少し少ない。けど母はきっと気にしないだろう。
養父はしばらく、手渡された花束を眺めていたけれど。
顔を上げて何か言おうとした。
何度か口がぱくぱくと。けれど結局、その口から言葉が出て来ることはなくて。
でもなんとなく、言おうとしたことがわかったので。俺は気にせず笑ってみせる。
少しでも喜んでくれたのなら良い。迷惑でなかったのなら。
それだけ伝えて。
母の分の花束。
本当はお墓に供えたいのだけど。魔界からは一人では出て行けないので仕方がない。
自分の部屋に母の似顔絵を飾って、そこに供えることにする。
流石に、お墓参りしたい、は我儘だろう。無理は言えない。
今回のことで、かなり踏み込んでしまっただろうから。
それにきっと。お墓参りに行かなかったとしても。
きっと母は怒りはしないだろう。きっと。きっと。
母の似顔絵は、あまり上手く書けなかったけれど。それでも出来るだけ思いは込めたから、きっと。
自分の部屋に宛がわれた机の上にそれを飾って、花束を前に手向ける。
なんとなく、それらしくなった。
眺めて、少しながら満足に浸っていると、躊躇いがちなノックの音が。
開ければ、そこには養父が立っていて。
この人が俺を訪ねてくることは滅多にないから、少し吃驚して。
「どうしたんですか?」
一瞬、養父は部屋の中を覗き見て。
机の上の、花束と絵を見た。
その瞬間の表情は、正直、よく解らない。
ただ、微かに。
眉間に皺が寄ったのだけ。
ほんの数秒。沈黙が下りる。
「ラーハルト…明日…墓参りに行くか」
ぽつり、と落とされた言葉に。
それは想像だにしてなかった提案で。ぽかん、と。
「行かないなら良い」
その一瞬の沈黙さえ我慢出来ないように。
養父は背中を向けるから。慌てて。
「奥様のですか?」と。
行った事はなかったけれど、海と花に囲まれた美しい場所だ、とこの前聞いた。
お亡くなりになった奥さまと、行方不明のお子様の話をするときだけ。この人は優しそうな顔になるから。
それは少なくとも、俺にとってもホッと出来る時間だった。
養父は立ち止まり、ほんの少し。こっちを振り返って。
「…と、お前の母親のだ」と。思ってもみなかった提案を。
机の上を一度見て、振り返り、頷く。
「行きます!ありがとうございます」
俺は嬉しくて。
もう一度、机へと振り返る。
決して上手くはない、母の笑顔がそこにある。
養父の方を振り返れば、もう背中を向けて歩き出している。
そして、一度も振り返ることなく自分の部屋に戻ってしまった。
その背中を眺めながら。
俺は、やはりまだどうしても慣れない感覚に戸惑いながら。
それでも。
ちょっとだけ。
笑いを浮かべることが出来た。
慣れないけども。少しずつ、少しずつ。
ほんの少しだけど互いの距離を埋めていくのかもしれない。
この人に慣れる日なんて、くるとは思えないけど。そんな日もくるのかもしれない。
『どう思う?』
心の中で母に問いかける。
母は記憶にあるままの優しい顔で。
『貴方を嫌いになる人なんていないわ。
貴方は『特別』なんだから。天使ちゃん』と。
変わることなく、笑った。
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