すぐソコにあるハズの答え


(一)


「あのさ…」

 

俺が口を開いた瞬間、横で呑んでいたラーハルトは露骨なまでにイヤそうな顔をする。

 

「…そんな顔をしなくてもいいと思うが…」

 

当然の苦情を訴えれば。
兄ちゃんは鼻でせせら笑ってから

「何度も何度も同じことを聞かされればこんな対応になっても文句は言えん」と。

ぴしゃり、と苦情を跳ねのけた。

 

「同じことなんて言ってないだろう?」

 

「言葉はな。
 だけど内容は一緒だろう?結局言いたいことが一緒なら、それは同じことだ」

 

言われて。
少し考えるが。

 

それでも結局、納得がいかなかった。

 

「俺はまだ何も言ってないだろう?」

 

言う前に、同じことばかり言うと遮られたのだ。
流石に喋る前に『同じこと』と決めつけられるのは、面白くない。

 

だがラーハルトには聞く気はさらさらないらしい。
完全にこっちを無視して、酒のお代りを注文する。

 

「言わなくたって解る。というより、ここ暫くお前から違う話題を振られた覚えがない」

 

そうだっただろうか?
いや、そんなことはない。

 

「そもそもお前と酒飲むのは楽しいもんじゃない。
 お前、説教臭いし。辛気臭いし。つまらんし」

 

酷い言いようだった。

 

「なら、なんで呑んでるんだ?」

「暇だから」

 

にべもない。

流石に面と向かって言われれば、気落ちする。

 

ラーハルトはいつも通りの、嫌味な笑みを顔に張り付けて。
運ばれてきた新しい酒を一口煽ってから。

 

くしゃり、と俺の髪を。
撫でると言うよりかは、ぐちゃぐちゃに。

 

「感謝しろ」

 

…したくもない。

 

感情が顔に出たのだろう。

ラーハルトは今度こそ楽しそうに、エイミが言う『猫の顔』で笑った。

 

 

§§§§§§§§§§§§§

 

 

回避しようと思えば可能だった筈の未来。

そう、あのまま。

ダイを探しに出たまま戻らなければ。

見つかった報を受けた後、そのまま旅を続行していれば。

姫の要望に応えず、パプ二カに残ることを良しとしなければ。

 

そして、何よりも。

 

彼女の想いを受け止めなかったら。

 

「嫌なんだったら、別れてしまえばいい」

 

呆れたように。
ラーハルトはこっちを見ることもなく呟く。

 

そして俺にはそれに応える言葉がない。

 

彼女を手放す。

それは想像しただけで、まるで闇に呑まれてしまうかのような錯覚を覚える程の絶望。

 

あの日。

彼女の気持ちを受け止めてしまった日。

 

あれはまさしく、俺の生きてきた日々の中で最も罪深く、そして最も素晴らしい日だ。

 

そしてあの日から、今日まで。
彼女は俺の隣にいて。

 

俺は彼女を失うことなど、出来なくなっている。

 

弟弟子が彼女に思いを告げた時。
あの時、確かに俺は彼女が隣にいない未来を受け入れたはずなのに。

口にすれば、あの減らず口で可愛くない文句を言うだろうが、それでも『自慢』の弟ならば、きっと彼女を幸せに出来るだろうと。

それは酷く鈍い痛みを伴ったが、それでも。
俺は手放しに、その現実を受け入れた。

それで良い、と思ったのだ。

 

だが、結局。

彼女は俺の隣にいることを選び。

一度は受け入れた、『彼女が隣にいない未来』はもう二度と受け入れられないものになった。

 

もう、二度と。
俺は彼女を失うことは出来ない。

 

「なら、結婚すればいいじゃねぇか」

 

心底、鬱陶しそうにラーハルトは吐き捨てた。

 

俺は吐き捨てられた言葉を受け止めて、溜息を落とす。

 

 

そうなのだ。

『結婚』

 

ただ、付き合うのと、結婚するのは訳が違う。

 

付き合っているだけならば、彼女はやり直すことが出来るのだ。
俺を棄てて、違う、他の幸せにしてくれる男を選ぶことも出来るのだ。

 

だが結婚となると。

 

それは神に、これからの一生を俺と共に歩むと誓うことだ。

 

それは、俺の犯した罪を一緒に背負うと言うことだ。

 

彼女は大罪人である俺の妻だ、ということで石を投げられることもあるかもしれない。
俺達の間に出来た子もまた然りだろう。

 

俺の犯した罪は重い。

その罪を、彼女に背負わすことなんて出来ない。

 

「じゃあ、どっかの山奥にでも隠遁すればいいじゃねぇか。お前のことを世界中の誰もが知ってると思うな。
 思い上がりも甚だしい」

 

そんなことは思っていない。

それに、俺は隠遁する気もない。

 

俺は、自分の犯した罪から逃げるつもりはない。
これからの一生を、罪を償うことに使うと決めたのだから。

 

だが、俺の償いに彼女を巻き込みたくはない。
彼女には、ずっと笑っていて欲しいのだ。

幸せだ、と思っていて欲しい。

 

「それじゃあ、そう言えばいい。

 自分の人生に付き合わせるつもりはないから、お前は余所で幸せになれって。

 まぁ、遠回しな感もあるが、結局別れましょう、てことだよな?これ」

 

だから。

そうなのだけど、失うことも出来ないんだって。

 

 

 

言った瞬間、後頭部を叩かれた。

常人には見えないスピードで。

きっちりスナップを利かせて。

 

 

周りにいた人からは、俺がいきなり突っ伏したように見えただろう。

 

 

ガン。

 

酷く鈍い音を響かせて。

俺はカウンターに思い切り額をぶつけた。

 

 

「…何するんだ」

「何をする?
 お前、それを本気で言っているのか?

 連日連日、同じことを延々と繰り返した揚句、性懲りもなく今日も同じ話をして
 それでも根気強く聞いてやってる俺が、お前を叩くことが筋違いだとでも?」

 

痛む額と後頭部。

それぞれを擦りながら、俺はこれっぽっちも笑ってない目のラーハルトを見て。

 

「悪い…
 けど答えが出ないんだ。付き合ってくれよ」と正直に言ったのだが。

 

 

結局、もう一発叩かれた。

 

 

「付き合いきれんわ」

 

 

§§§§§§§§§§§§§

 

 

決していい加減な気持ちで付き合っているわけではない。
それは確かだ。

これから一生、彼女と生きていくことはとても甘美で。それはこの上なく幸せなことだ。

だが。

 

彼女は幸せになれるのだろうか。

俺と一緒にいて、彼女は幸せになれるのだろうか。

そして、俺は幸せになるべきではない男だ。

彼女を巻き込みたくはない。

 

「…なぁ…お前さ。自分に酔い過ぎじゃねぇの?」

 

呆れたような響きは諦観も混じって。

その諦観に、ちくり、と心根が刺激される。

 

諦める。

諦める。

諦める。

 

何度呟いたところで、答えが導かれるわけではない。

 

そして、いつかは必ず答えを出さなければならない話だ。

いつまでも、こんな風に。

答えを出さずにダラダラと生きていられない。

 

そう、彼女も来月で19になる。
流石に20になるまでには、きっちりと答えを。

明確な未来を示さなければならない。

 

一緒になるのも、ならないのも。

どっちにしろ、俺には選びようもない。

 

「…選びようがないって、お前…」

 

解ってる。

何も言うな。

 

「…さんざん愚痴っておいて何も言うな、かよ…お前本気で一回死んだらいい」

 

視線に殺気を滲ませて。

ぼそり、と言い落された言葉に、背筋が瞬間寒くなるが。

 

しかしそれも良いのかもしれない。

このまま、何処かで朽ち果ててしまえば。

 

 

呟いた瞬間。

今度は手ではなく、持っていたジョッキの底で痛打された。

 

目に火花が散る程の衝撃を受けて、俺は再びカウンターに突っ伏すが、今回は額をぶつける前に腕で体を支えることに成功した。

 

本当に、さっきからガンガンガンガン、容赦なく殴りやがって。

 

睨んだら睨み返された。

 

「死にたいんだろう?打ち処が悪かったらそのまま死ねるわ。

 感謝しろや、糞餓鬼」

 

この男は、何処か気品を感じさせるような顔立ちをしているのに本当にどうしてこうも口が悪いのか。

 

溜息。

 

すると今度は小皿に載っているつまみのピーナッツを指で弾いて飛ばされた。
ピシ、と額に当たったピーナツは意外に痛い。

 

いい加減にしろ。

食べ物で遊ぶな。

 

「脳味噌に落花生でも咲かせりゃ、少しはマシな考えが出来るようになるんじゃね?

 で、ヒュンさん。

 今、カウンター端に座った女が好みなんで俺はもうお前に付き合ってやる気はなくなった。
 遊んでくるから、後は勝手に一人ごちてろや」

 

そう言って、手をひらひら振りながら立ち上がろうとするから。

腕を掴んで引きとめる。

 

俺は兄ちゃんのことは好きだが、如何せん、ここは許せない。

どうしてそんな無責任なことが出来る?

 

「…あのさ。お互い同意の上で遊ぶことの何処が『無責任』?

 それに今のお前に他人様に『無責任』とか言っちゃうこと出来るわけ?」

 

そう言われれば耳が痛い話ではあるが。

それでも。

 

しかし怯んだ隙に、掴んでいた腕をするりと解いてラーハルトは肩越しにいつも通りの笑みを浮かべて。

 

「結局、そんな話は俺に、じゃなくて本人とするんだな。そうすりゃ結論は出るだろうよ。

 ま、ごちそーさん」

 

言われて。

立ち上がったラーが金を置いていってないことに気付いた。

殴られて、奢らされた。

それには少し腹が立ったが。

 

不承不承で付き合わせたのだから仕方がないのかもしれない。
苦笑をひとつ。

 

しかし考えてみると、あの男もまた答えの出ない問題を抱えている。

それは今の主と、昔の主と、世界との折り合いの方法で。

結果、答えの出ない夜をただ悶々と。眠れないまま過ごすのだ。

幾分かやつれた肢体は普段は感じさせないが、確実に痛ましさを増してきている。

しかしそれでも、あの男が心情を吐露することは滅多にない。

 

それが少し、悔しかった。

 

考えてみれば、女の柔肌には不思議な力があって。
あの温もりと柔らかさは、どんな苦悩も癒す。

これは男なら誰でもそうだ、と思うが、きっと男でなくても。

何の心配も、悩みもなかった母の胎内に抱かれていた頃のことを思い出して。

母親から生まれた生き物ならば、その温もりに癒されるのかもしれない。

 

そして吐露出来ない痛みと、癒されない傷口からほんの少しの間だけでも目を背ける為に。

無意識にこんな風に、一晩の肌を求めるのならば。

 

俺はそこに挟む言葉を持たない。

 

目線で追いかけると、ラーハルトはカウンターの端まで移動して女に声をかけている。

相も変わらず、兄ちゃんの女の趣味は解りやすい。

小柄で、細くて、猫のよう。
長い手足と、過度の露出。
小さな頭に、アーモンド形の目。

 

もしかすると、母親がこんな感じだったのかもしれないな、などと詮索しながら

そうこうしているうちに、話が纏まったのか、店を出て行く。

何度も見ているが、鮮やかな手口。

一度もこっちを振り返ることのない背中を眺めて、俺はほんの少しだけ。笑った。

 

 

§§§§§§§§§§§§§§

 

 

あの後、ひとりで30分ほど呑んで。帰路に付いた。

 

そして家まであと少し、と言うところで。

俺はぎくり、と足を止めた。

 

自宅から、明かりが漏れている。
彼女が起きているらしい。

 

眠ったのを見計らって出てきたのだが。

なんら後ろめたいことはないけれど、それでも次の一歩はぎこちないまでに動揺していた。

 

彼女がひとつ屋根の下に転がりこんできて、暫く経つ。

だが勿論、寝室は別々だし、手を出してもいない。

結婚前のお嬢さんをキズものにするわけにはいかなかったし、それこそ結婚が破談になった場合…

 

ここまで考えて。

結局、逃げ道を作っている自分に辟易した。

 

俺が逃げ出した時に、彼女が負う傷が少しでも少ないように。

 

口に出してみれば、どれだけそれが綺麗事か痛感する。

 

しかしそれでも。

それは俺にとって紛れもない誠意であった。

 

恋人同士とは名ばかりの。

触れるだけの子供のようなキスと、まるで父親と幼い娘のようなスキンシップ。

手を繋ぎ、頭を撫でて、抱きしめる。

まるでままごとのようだ。

 

だがそれでも、俺にとってはかけがえのない時間。存在。

 

ひとつ屋根の下。
部屋を隔てているといっても、壁一枚向こうに愛して止まない女が無防備に眠っていると思えば切なくなる。

 

触れるだけのキスがもどかしく。

腕に抱いた身体が悩ましく。

繋いだ手を引きよせて。

 

戻れない道を走ってしまおう、と何度も思った。

 

だが出来なかった。

 

俺が突っ走って、傷を負うのは俺ではなく彼女。

戻れない場所で、泣くのは俺ではなく彼女なのだ。

 

親友はこんな俺を『馬鹿だ』と嘲るだろう。

俺も自分のことを『馬鹿だ』と思う。

 

だが、それでも。

何処までも馬鹿で愚鈍な程に,彼女を大事に思っているのだ、と。

それだけは、はっきりと言える。

 

そしてその愚鈍な程の想いが。

結局、俺から答えを奪うのだ。

 

再び、染み付いた諦観が湧きあがる。

何処までも彼女を大事に思っていながらも。

思っているからこそ彼女を自分の側に置いておいてはいけないというジレンマ。

 

そして俺は、自分が犯した罪の深さを身体が切り刻まれる程の痛みを伴って自覚する。

 

 

§§§§§§§§§§§§§§

 

 

 

「ただいま。起きてたのか?」

 

マアムはほっとした顔を浮かべて、笑う。

 

「お帰り。喉が渇いて起きたらいないんだもん。心配しちゃった」

 

「悪い…兄ちゃんと呑んでた」

 

何も後ろめたいことなどないのに。
何処となく、ぎこちなくなってしまうのは。

向かい合うことを避けようとしている心根の弱さの所為だろう。

 

向き合えば答えは出る。

だがその答えに耐えられる自信は、まだ。ない。

 

 

「ヒュンケル、最近悩みでもあるの?」

 

自分のことは何処までも鈍いのに。人のことになるとどうしてこうも鋭いのだろう?
俺は気取られない程度に息を詰めて、そしてゆるゆると首を横に振る。

 

「そんなことはない」

 

俺の答えに満足はしていない顔をして。

それでも「…ならいい」と気丈に笑顔を浮かべる。

 

「じゃあ、もう寝るね。もしまた出て行くなら今度は書き置きでもして行ってよね」

 

そう言って、彼女はポン、と俺の胸を軽く一回叩く。

触れられた個所が熱く、そのまま抱きしめたい衝動に駆られるがそれを必死に抑え込んで。

 

「ああ、おやすみ」と。

何処までも白々しい言葉を吐かせた。

 

 

彼女が自分の部屋に引き揚げた後。

そこはいつものリビングの筈なのに、酷く寒く感じて。

机の上には彼女が飲んだ後、そのままになっているカップが置き去りになっていた。

 

触れると、すっかり冷めきってしまっている。
硬質的で、冷たいカップを流しに運び。

注ぐ水で一度顔を洗ってから。

 

俺は彼女に聞こえないように、溜息を落とした。

 



 




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