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「気にいらねぇ」
その言葉に相槌を打ってくれる人物は見当たらない。
「気にいらねぇ、気にいらねぇ、気にいらねぇ」
しかしそれでいて、独り言というには大きい声で。
「気にいらねぇ!」
ガルダンディは怒鳴るように言い放って、じろり、と視線を眼下に移動させた。
眼下には、同僚であるボラホーンの姿。
飛竜であるルードの背中に寝転びながら悪態をついていたのだけれど、一向に同意の声が上がらないので痺れを切らしたようだ。
「お前はいいのかよ?」
ボラホーンは面倒くさそうにガルを見上げて、「バラン様が決めたことだろう?文句は言えんよ」と。
「別にバラン様に文句があるわけじゃねぇよ!」
ボラの言葉に焦ったように。
主に逆らうつもりはない。
あの人の恐ろしさは、骨身に染みて理解している。
「これとそれは、関係ないだろう?」
「しかしバラン様がお決めになったことだ」
もういい加減にしろ、と。窘めるような響きを込めて。
それがますます、ガルを逆撫でしたようで。
ムッとした表情を隠すわけでもなく、一度、ルードの背中を軽く蹴って高度を上げると。
さっきよりも幾分また険しさの増した声音で
「気にいらねぇ!!」と。
怒鳴った。
だんだんと小さくなっていく飛竜のシルエットを見送りながら、ボラホーンは短気な同僚をまるで手のかかる子供を見るような眼で眺めていた。
しかし、ああは言ったものの。ガルダンディの気持ちが解らないわけではない。
溜息をついて。
これから起こるであろう、ゴタゴタを想定して。
どうしても重くなる気持ちをなんとか切り換えようと。
ボラホーンは考えることを放棄した。
§§§§§§§§§§§§§§§
「気に入らない」
バランの執務室。
部屋の真ん中に備え付けられたソファに座りながら、ラーハルトはさっきからそればかり零している。
それを眺めながら、バランはどうしても。
拗ねて膨れた頬や、尖らす唇の幼さに笑いを零してしまいそうになって。
それを必死で堪えていた。
「聞いてます?」
「聞きたくなくても聞こえるさ」
その返答に、ますますラーハルトは不機嫌になる。
反動をつけてソファから立ち上がると、そのままつかつかと歩み寄り。
バランの書きかけの書類を奪い取ってしまう。
「こら」
「こら、じゃないですよ」
その書類はラーハルトの竜騎衆入隊の書類だった。
そこには、ラーハルトを陸戦騎に任命する旨が書かれている。
それを斜め読みして。
「はっ」と嘲笑するように吐き捨てる。
「返しなさい」
拗ねた表情のまま。
それでも素直に書類を返すと、そのまま執務机に腰掛けて。足をぶらぶらと。
「何がそんなに気に入らないんだ?
お前が私の元で働きたい、と言ったんだろう?」
「そうですよ。だけど…」
ぷぅ、と膨れた頬からはそれ以降の言葉は漏れない。
暫く次の言葉を待ってみたバランだったが、喋る気配がないので取り返した書類へと再び視線を戻した。
そんなバランを眺めながら、ラーハルトは今朝のことを思い出していた。
バランに拾われて、8年。
今年で18になる自分。
何かしらのご恩を返したいとは常々思っていて。
役に立ちたい、と。
側にいたいと思うようになったのは必然だった。
だからそれを伝えて。
最初はいい顔をしなかったものの、そこはただ只管。腕を上げて納得してもらった。
ただ我武者羅に。ただ強く。強く。
そしてとうとう。
自分の下で働いてもいいと許可が下りた。
その時はまだ、竜騎衆なんて存在知らなかった。
ただ自分は、この人の側で。少しでもいいから恩返しがしたかっただけ。
ほんの少しでもいいから役に立ちたかっただけ。
話がだんだん具体的になってきて。
この人の下で働くということがどうゆうことか、現実味を帯びていく中でやっと竜騎衆という組織を知った。
「竜騎衆として働いてもらおう」と言われた時も、それに異を唱えはしなかった。
唱える必要がなかったし、この人に仕えるということ=竜騎衆なのならば、それはそうゆうことになるのだろう、と思っていた。
そして今日。
初めての出勤。
同僚との初めての顔合わせ。
思い出せば、自然と溜息が洩れる。
本当に。
この人は、本当に何もわかってない。
飄々と。
何も感じてないように書類に筆を走らせている、自分が忠誠を誓った養父の横顔を眺めながら。
ラーハルトは誰にも拾われることのない溜息を、盛大に落とした。
§§§§§§§§§§§§§§§
ドラゴンライダーは誰でもなれる訳ではない。
そもそもドラゴンは容易には自分の身体に人を乗せるようなことはない。
信頼を重ねる、またはドラゴンよりも強くなる。
その積み重ねが大事なのだ。
ドラゴン自体も、比較的おとなしく、従順な種類を選ぶ必要がある。
種族によっては、人を乗せること=恥と捉える種族もあるのでそこは十二分に配慮をしなければならない。
そして、建設されたのがドラゴンライダー養成施設で。
ここはドラゴンライダーになる教習と、傷ついたり病気になった竜の保護、そして竜騎衆の本部を兼ねている。
その日。
竜の騎士であるバラン様から重大な話がある、という通達がきて朝から空気がざわめいていた。
宿舎のドラゴン達も、その空気を感じているのか落ち着きがない。
ガルダンディはルードの身体を洗ってやりながら、そんな鼻息の荒いドラゴン達をどこか可笑しそうに眺めていた。
「もしかしたら出兵ですかね?」と竜の世話をしている男が不安げに呟くのを。
「そしたら面白いことになるなぁ」と笑って受け流して。
ガルはそれを期待するように、さんざめいている外を眺めた。
前の瞑竜王との大戦では自分はまだ空戦騎には選ばれてなかったから、参戦とはいってもこれと言った活躍は出来なかった。
だが空戦騎に選ばれた今。どれだけの敵を屠ることが出来るか。それは想像するだけで楽しいことだった。
「なんだよ?出兵だったら怖いのか?」
からかうように言えば、男は顔を赤くして。
「お前もいつかは空戦騎目指してんだろう?びびってどうすんだよ」
「びびってなんかないですよ!」
いつかは自分も空戦騎に!と向上心を抱きながら、自分を慕うこの男を好ましく思っているガルは、必死で否定するそんな微笑ましい態度に笑みを零した。
「まぁ、俺が出兵して死んだら。チャンスが巡ってくんだから。喜べよ」
「今、ガルダンディ様に何かあったとしても、俺なんかが選ばれるわけないですよ。
だから、もっともっと俺が強くなるまで。その場所は守っておいていただかないと」
可愛いことを言う。
ガルはぐしゃぐしゃと男の頭を撫でてやって、それから自分の照れを隠すように、ルードの身体についた泡を流すついでに男にも盛大に水をぶっかけた。
「冷たっ!」
悲鳴にも似た抗議に、笑い声が重なる。
そして同じように冷たさに抗議するような、ルードの低い嘶きが続いた。
§§§§§§§§§§§§§§§
これだけの数のドラゴンライダーが集まる光景と言うのは壮観だな、とガルダンディは眼下に広がる光景を眺めながら、ぶるりと身震いする。
集合場所に赴くと、先に来ていたボラホーンに「ぎりぎりだぞ」と窘められた。
「まだ来てねぇからいいじゃねぇか」と軽口を零して。
しかしそんな軽口を、重い咳が遮る。
振り返れば、先の大戦唯一の生き残りである陸戦騎のゴルドが険しい顔で立っていた。
「おおっと、大将」
慌てて取り繕うように視線を反らせて。
口笛なんかも吹いてみる。
ゴルドはやれやれと言わんばかりに肩を竦めて、同意を求める様にボラホーンを見遣った。
視線のあったボラホーンは、苦笑しながら頷いてみせる。
「しっかしさぁ。
もし出兵なんてことになったら。大将、どうすんだい?」
空気が和んだことを感知して、ガルはやや不躾な程にじろじろとゴルドを上から下まで眺めた。
先の大戦。
生き残りはしたが、流石に無傷での帰還は叶わなかった。
顔には大きな傷が。
そしてその傷は肩まで達して、神経を傷つけていた。
その後遺症で、ゴルドの効き手である右手の小指と薬指は痺れが残っていて上手く動かない。
「そんな腕じゃあ、武器だって扱いにくいだろう?」
「お前みたいな若造に心配される俺じゃないさ。
いざとなれば、肉の壁となってお守りすればいいだけの話だしな。
それに若手もちゃんと育っている。
俺が引退しても、穴はあかんさ」
その言葉に。
自分達と同じように修行を積んできた数人の候補者の顔を思い浮かべて。
ガルは「違いねぇや」と言葉を引き継いだ。
「それなら、とっとと大将も引退して指導の場に行ったらどうだい?前線は老体にはキツイだろ?」
「まだ俺はそんな年じゃないぞ」
ぎろりと睨まれれば、まだまだそこに漂う歴戦の戦士の風格。
ガルダンディは冗談交じりに「おお、怖」と言いながら、ボラホーンの後ろに隠れた。
そんな風に軽口をたたき合っていると。
予定の時間より十分程押した辺りで、バランが姿を現した。
その風格と、纏う空気に一瞬で辺りが静まり返る。
ピンと張り詰めるような緊張が漲る。
バランは集まった面々を一瞥する。
そこには何の感情も読み取ることは出来ない。
ただ、その瞳に隠すことの出来ない絶対的な『強さ』の光が讃えられている。
そんな眼光に威圧されながら。
ボラホーンはふ、と。
バランの後ろにまだ幼さの残る魔族の少年が、ちょこちょことついているのを見付けた。
…なんだ?あいつは。
周りからは死角になっているのか、その男に気が付いているのはまだ自分だけのようだ。
普段、誰も自分の側には置かないバランを考えると、その存在は異常である。
ボラホーンは、万が一、バランの命を狙った刺客だった場合を考慮して、いつでも飛び出せるように重心をずらした。
「全員、揃っているようだな」
バランの言葉に、皆が一斉に敬礼を返す。
そこには一糸乱れぬ統制のとれた軍隊の姿がある。
しかしそれを眺めるバランの瞳に感慨は浮かばない。
それが当然であるのだから、そこにはなんの感銘もない。
もう一度だけ、眼下の光景を一瞥した後。
バランはちらり、と背後を振り返り。
そこに立っている、少年を眺めた。
ボラホーンはその時、信じられないものを目撃した。
あのバランが笑ったのだ。
微かに。
それは本当に微かなものだったけれど、確かにそれは笑みだった。
長い間お仕えしてきたが、竜の騎士が笑ったところなど見たことがなかった。
その衝撃冷めやらない間に、次の爆弾が落とされた。
「新しい陸戦騎を任命する。
ラーハルトだ。
ゴルド、ご苦労だった。今後は後続の育成を頼む。体を休めろ。
これについて文句は受け付けない。
決定事項だ」
一息に。
そう一息にそれだけ言って。
ぽかん、としている間に、バランは用件は済んだ、と踵を返した。
ぽかん、としているのは少年も一緒で。
バランと、眼下の大勢を交互にきょろきょろと眺めて。
そのうち、我に返ったかのように一回ぺこり、とお辞儀をして。
遠くなるバランの背中を追うように駆けだした。
その後、広場は今までにない喧騒につつまれたことは言う間でもない。
ゴルドは、いきなり引退を叩きつけられて。
その上、自分の後継者として育ててきた人材を一切無視された形になり途方に暮れていた。
ガルダンディは、いきなり出てきた男に困惑が隠せなかった。
ゴルドの育てていた男たちならば、少なくとも一緒に修行もしてきた。
仲間だという意識もあるのだが。
全く知らない、急に現れた男を信用など出来ようもない。
それに、自分こそは次の陸戦騎だ、と期待してきた仲間のことを思えば、今回のことは横暴に過ぎる。
ボラホーンは、さっき見た少年が『陸戦騎』であることに危惧を抱いていた。
正直、頼りになるとも思えない。
しかし実質的に竜騎衆とは代々陸戦騎がリーダーを務めるのだ。
即ち、あの少年が自分達のリーダーと言うことになる。
言いたいことは山のようにある。
しかしバランは言い放った。
『文句は受け付けない』と。
これはもう決定事項なのだ。
そして、竜の騎士の命令に竜騎衆は背くことは出来ない。
§§§§§§§§§§§§§§§
ゴルドは納得出来ないでいた。
確かに、自分の引退は。それは吃驚はしたが、この体だ。
自分のことは自分が一番良く分かっている。
いつお払い箱にあってもおかしくはないと思っていた。
バランが言いださなかったら、自分から引退を願い出ようとも思っていた。
だから、別に自分のことはどうだって良かった。
だがしかし。
自分の後釜については。
今、教育をしている者達の誰が成ったとしても良い。
そのうちの誰かならば、きっと選考に漏れた者も納得するだろう。
諦めもつくだろう。
頑張ってくれ、と背中を押せるだろう。
だが、今回の人事は。
いきなり現れた男に横から掻っ攫われたのだ。
あの告知の後、我を取り戻して。
背後を振り返るのが恐ろしかった。
自分の教え子たちの、絶望に満ちた顔を見るのが怖かった。
教えられる全てを叩きこんできたつもりだった。
自分が教えられてきた、その『竜騎衆陸戦騎』としての全てを。
しかし今。
それは潰えようとしている。
バランは『文句は受け付けない』と言った。
だが、黙っているわけにはいかない。
こればかりは、口を挟まないではいれない。
それが例え、自分の立場を越権した行為であろうとも。
納得など、いくはずがないのだ。
何度となくノックしようと拳を持ち上げては、そのまま寸止めることを繰り返し。
否応なく荒くなる呼吸を整える。
長い歴史の中で、竜の騎士に直談判する竜騎衆など前代未聞のはずだ。
此処まで考えて、自分がもう既に竜騎衆でないことを思い出した。
自分は先程、解雇されたのだ。
ならば今、ここにいるのは竜騎衆、陸戦騎ゴルドではなく、ただのゴルドだ。
もし言を発したことで討ち取られようとも、それはそれで良い。
少しでも、無念の意思さえ伝えることが出来るのならば。
そこまで思い至って。
呼吸は自然に落ち着いてきた。
まるで、もう一枚。目に見えない扉があるように打ち据える前に宙に留まっていた拳は、ついにその部屋の扉へと辿り着いた。
ノックの音は。
その重厚な扉に似つかわしく、重々しく響いた。
§§§§§§§§§§§§§§§
拗ねても無駄だと諦めたのか、それとも飽きたのか。
ラーハルトはソファに寝転びながら、何度か寝がえりを打って。
上体だけ起こしてこっちを見てから
「そういえば…今の陸戦騎の人から引き継ぎとかしなきゃなんないですよね?」と心配そうに。
「別にいらんよ。好きにすればいい」
「そうゆうわけにはいかないですよ!何一つわかんないのに!」
「解らなかったとして、失敗しても。お前の失敗くらい私がなんとかするさ」
「それじゃあ仕事になんないでしょう?」
再び、ぷぅと膨れて。
ラーハルトはぷい、とそっぽを向いた。
「そもそも、あんなんじゃ絶対に不評を買うに決まってるじゃないですか。
みんな不審がってますよ。
俺、職場の和を乱したかったわけじゃないんですけど」
ぶつくさと文句を言いながら、不機嫌そうに。
「お前の為にしたことだろう?何をそんなにむくれることがある?」
「バラン様は本当に、何もわかってないですよね」
話しても無駄だ、と。ラーハルトは肩を竦めて。
とりあえず手持無沙汰なので、手に届く範囲にある書類や、飲んだ後のコーヒーカップなどを片付けにかかる。
これでは家と同じじゃないか、と心の中で毒づきながら。
それでいて、それなりに付き合いも長くなったこの人に何を言っても無駄なことは今までの中で充分過ぎるほどに解っていたから。
会話が平行線になり、不機嫌になられる方が後々面倒くさい、と見切りをつけた。
バランは、と言えば。全く理解が出来ない。
そもそも、竜騎衆という組織すら理解出来ない。
本気を出せば、この組織すら自分ひとりで壊滅させることが出来る。
本来竜の騎士とは一人で闘うものだし、何かと共闘することなどない。
組織の元は、そんな竜の騎士の強さに憧れ、またドラゴンライダーという職種に就いた際にドラゴン信仰の一環として竜の騎士に感銘を受けた集団に過ぎない。
正直に言ってしまえば。
便利ではあるが、なくても困らないのだ。
竜の騎士にそういった『仲間』感情は存在しない。
唯一無二の生物である。
家族といった、生物にとって万物共有する血の繋がりすら、存在しないのだ。
だから、そこにどんな感情があるか、など構うことはない。
そこに考えが至らない。
考えるつもりもない。
そんなことを考えるようになったら、それこそ竜の騎士としての使命が全う出来なくなる。
それは支障を来す以外の何物でもない。
今から滅ぼす生き物に感情移入などしていたら、身がもたない。
地震や台風などの自然災害に感情がないのと同じ。
そこにあるのは、ただ圧倒的なまでのパワーだけ。
竜の騎士とは、そういった生き物である。
ただし。
バランは『特別』だった。
一人の女性と出会い、子を設け、家族を作った。
愛する人を失い、血を分けた子供は行方不明になったが、その過程でラーハルトを拾った。
そこにのみ、感情は発露される。
妻と子供。
本来、どこまでも孤独なはずの生物兵器が得た、奇跡のような『家族』。
正直。
世界が破壊されようが、魔界に蹂躙されようが、人間が絶滅しようが、竜が壊滅しようが、魔族が殲滅されようが。
そんなことはどうだって良かった。
ただ。生きていると信じているディーノと。
今、目の前にいるこの子さえ無事でいるのならば。
全て。どうだっていい。
この子たちが、幸せであるのならば。
こんな世界。どうだって。
「機嫌を直せ」
いい加減。むくれた顔も飽きてきた。
告げると、ほんの少し眉間にしわを寄せて。
「本当に困った人ですよね」と、大人びた口調で言いながら、ラーハルトは笑って見せた。
§§§§§§§§§§§§§§§
ノックした後、バランの執務室の扉から顔を覗かせたのは、本人ではなくあの少年で、ゴルドは鼻白んだ。
構えていた分、気が抜けそうになる。
竜人の自分から見れば、随分と小さい。
まだ成長途中なのだろう。顔にもまだ幼さが残っている。
少年は小首を傾げて「バラン様に御用ですか?」と。そして入室を促す様に、一歩下がってゴルドに場所を空けた。
部屋に通されて。
実用的で、華美た要素のない部屋で。何も遮るものがない状況で、バランと向き合う。
自然に、ごくり、と喉が鳴った。
今から自分は職務規定違反をするのだ。
竜の騎士に意見をするのだ、と思うと体が震えそうになった。
そんな自分の緊張を余所に、少年は不思議そうにこっちを見て。
「お茶、淹れましょうか?」と見当違いな発言をしてくる。
この緊迫に満ちた空気を読んでくれ!と叫びそうになるが、喉から漏れたのは声とも呼べないくぐもった「ぐぅ…」という音だけだった。
バランはゴルドを一瞥して、興味を失ったように書類へと視線を戻した。
こんな風に、竜騎衆の誰かが執務室に尋ねてくることなんて今までなかったはずなのに。ソレに対して、全く驚きも、訝ることもない。
まるで、見慣れた天気のように。一瞥。それだけだ。
その空気に呑まれて。
言葉は霧散してしまいそうになる、
最初の一言さえ出てしまえば、後は芋蔓式に出てきそうだったのだが。その最初の一言が。喉の奥に詰まってしまって出てこない。
ただそこにいるだけなのに。
それだけなのに、この空気圧。圧迫感。存在感はやはり異常だ。
落ち着いていた心臓は、再びバクバクと破裂しそうな程の鼓動を刻み、二度、三度と喉が。
呑みこめない唾液を無理矢理嚥下しようと、足掻いている。
その、どうしようもない空気を。
少年が破壊した。
バランの記入途中の書類をその横から掻っ攫い(勢いが強かった所為で、インクが零れて書類に染みを作った)
「人が来てるんですから、ちゃんと用件聞かなきゃダメですよ!」と。
その口調は、子供に言い聞かすかのように。
「…書類が台無しなんだが…?」
「台無しなんて大袈裟です。これくらい書き直せばいいでしょ?」
ひらひらと、目の前で書類を振って見せて。
その後少年はこっちに目配せを。
こっちはこっちで、その想定外のやり取りにただぽかんとしてしまって。少年の目配せの意味が全く理解できなかった。
そのうち、業を煮やした少年が。
「で、なんの用なんです?」と言ったから、やっと。
しかし今度は。
こっちがやっと話そうと口を開いた瞬間にバランが。
「ああ、ラー。これが前の陸戦騎だ。会いに行く手間が省けたな」と口を挟んだので。
再び、言葉は宙ぶらりん。
そして今度は少年が慌てたように、ぺこりと頭を下げて。
その綺麗なお辞儀に、ついこっちまで居住まいを正してしまう。(とはいっても、緊張でがちがちなので、これ以上ないくらいに居住まいは正されているのだけれど)
顔を上げた少年は、真っ直ぐにこっちを見て。
「御挨拶が遅れました。ラーハルトです。よろしくお願いします」と。
聞いてるほうが気持ち良くなる程、はきはきとした声で。
しかしまた。
それに何か応えるより前にバランが「はい、よく出来ました」と。
まるで小さな子供に言うかのように。
そして言われた当人も、その態度にまんざらではないようににっこりと笑顔を返す。
一体、なんなんだ??
混乱は更に助長。
ただ、阿呆のようにぽかん、と見遣るしか出来ない。
しかしそこに。
「で、何の用なんだ?結局」とバランの冷たい声が。
遂に来た。
遂にこの時が来てしまった。
入室して、既に大分経過しているが、未だに鼓動は落ち着く素振りを見せない。
脳も混乱したまま、放つべき言葉は何度も練習したはずなのに、真っ白なまま。
それでもなんとか。
視線を合わせてしまえば、ますます混乱することは解っていたので、出来る限り失礼にならない程度に視線を反らせて。
やっと。
「今回の人事のことなのですが…」と震えながらではあったが、言葉を紡ぐことに成功した。
しかし、続くはずの言葉は遮られる。
「そのことについては文句は受け付けない、と通達したはずだが?」
声に潜んだ冷たい色は、一瞬で部屋の温度を氷点下まで下げるだけの威力をもっている。
瞬間的に全身に粟立つ鳥肌。生き物として『絶対強者』に睨まれた本能的な恐怖に、全身が慄く。
最初の一言さえ出てしまえばなんとかなると思っていたのは、甘い考えだった。
喉が鳴る。
異様な程に、喉が渇いている。
「文句はあるに決まってるじゃないですか」
声は自分の横から。
なんとか視線をバランから外して、少年を見遣ることに成功した。
少年は、心の底から呆れ果てたような表情でバランを見据えていたが、こっちの視線に気がついたのか振り向いて、あろうことか「ねぇ?」と同意を求めてきた。
「唐突に、こんなワケのわからない糞餓鬼が横から出てきて職位を掻っ攫ったんですよ?
文句があるに決まってるじゃないですか。
今まで、次位の為に頑張ってきた方もいらっしゃっるんでしょう?
その人達からしたら、納得なんて出来るわけないじゃないですか。
それにこの方だって、長い間仕えてきてくださったんでしょう?
労いの言葉ひとつかけるのが筋ですよ。本当に」
言いたいことを。
全て。
少年が一気に捲し立てた。
いや、別に労いの言葉などはいらないのだけれど。
「えっと…ラーハルト君…」
「いいんです。黙っててください。
この人は、本当にちゃんと言わなきゃ分かんないんですから」
一体どうゆう関係なのか知らないが、蒼白もののシーンである。
即殺されてもおかしくないような。
そんな状況。
だが、当の本人は全くその状況を気にしてないように、言葉を続けようとする。
若さ故の怖いモノ知らずなのか、横で見ている身とすれば赤くなったり青くなったり。気が休まらない。
「バラン様は…」
「失礼しまっす!」
少年の声を遮って。
振り返れば、扉をくぐってガルダンディが。
そして、その後ろからなんとかガルを諌めようとしているボラホーンが続く。
「なんなんだ?今日はぞろぞろと…」
「あれ、大将。何で此処に?
あ、やっぱり大将も一言言わなきゃ気が済まなかったんだろ?」
「申し訳ありません、バラン様。止めたんですが…」
「お前達。俺はもう竜騎衆引退した身だから構わないが、お前たちは現役の竜騎衆だろう?その身で竜の騎士様に意見する、とはどうゆうことだ?!」
「え?それってズッケェ考えじゃねぇ?大将」
「騒がしい…」
「ああ、申し訳ありませんっ」
「騒がしいも糞もないっすよ。俺達、誰も納得してないですから。こんな、何処の誰とも解らんようなガキが陸戦騎張る、なんざ」
「…別にお前達に納得して貰おうとなど、思ってない」
「だから!何度言ったら解るんですか?!そうゆうわけにはいかないんですってば」
「何度言ったところで、だ。そもそも、何故こいつらに同意を得なければならない?」
一気に騒がしくなった。
ガルダンディはラーハルトに掴みかからんとしている。ゴルドはガルとボラの二人に怒鳴る。
ボラホーンは只管にバランとゴルドに謝り、バランはただ憮然と、全てを辟易したように眺めている。
ラーハルトは今やその頬をパンパンに膨らませて、盛大に拗ねて見せていた。
暫く、その喧騒が続いて。
案の定、耐えきれなくなったのは竜の騎士、その人で。
バン
───────────────────── ッ!!
机を強く叩いたその音に、一瞬で喧騒を吹き飛ばすだけの殺気を込めて。
ぎろり、と一瞥した眼光は、何処までも冷たく氷のように。
「煩い」
たった一言。
その一言に満漢の想いを込めて。
「そもそも、ラー。お前はなんの文句も無いはずだろう?お前が望んだことを叶えたのだから。
周りの不評がそんなにイヤか?そんなもの、気にする必要などない」
「…そうじゃないですよ…」
固まりきった部屋の中で、唯一ラーハルトだけが変わらない。
むくれた顔のまま、唇を尖らせて。
「確かに、俺を選んでくれたことに関しては、コレ以上ないくらいに光栄な話だし、勿論感謝だってしてますよ。
だけど、もし俺より優秀な人がいたのなら、やっぱりそっちを選ぶべきだって思います。
そうした方がバラン様が楽だったり、助かるわけですから。
劣ってる俺を選ぶのなら、お役にたちたいと思って志願した俺からしても本末転倒なんですよね」
「そうっすよ!こんな奴より、全然優秀な奴いっぱいいるんですから!」
ガルはそうそう、と力強く頷いてから、「お前、よくわかってんじゃねぇか」と、ラーの肩を叩こうとする。
が、それはひらり、と交わされて腕は空しく宙を掻く。
「てめぇなぁ!」
今まさに突っかかろうとするガルを手で制して、僭越ながら、と断りを入れた後でボラホーンも同意を示す。
ボラホーンは自分の腕に阻まれて、もごもごと足掻くガルは見ないことにする。構うとそれだけ面倒くさい。
「竜騎衆の中でも『陸戦騎』は我らがトップとなる存在。
例え、命令であってもバラン様の一存で納得出来るものではありません。
文句を言うな、と仰られるのであれば、その分、納得のいく説明をしていただけませんか」
「俺は絶対、お前の下なんかに就かねぇからな!」
なんとか、ボラの腕の中から脱出を図ることに成功したガルが、ラーハルトに指を突き付ける。
ラーハルトはそんなガルを一瞥して(こうゆう態度はイヤになるほど、バランに似ている)ヤレヤレと溜息をついた。
そしてガルを一切無視して、ラーハルトはバランに声をかける。
「ほら、だから言ったでしょう?」
言わんこっちゃない、とラーハルトは肩を竦めて。
「そんなに周りが気になるか?どうでもよかろう」
「違いますよ。周りがどう言おうと別にいいんです。
俺が悪く言われることに関しては。そんなん慣れっこですし。
幼年期から腐るほど言われてきましたし。
だけど、俺が気にしてるのは今回のこんな無茶な人事で貴方が…貴方が悪く言われること。
バラン様に対して不審感が広がることを危惧してるんです」
その言葉に。
喚いていたガルが黙った。
睥睨していたバランも、一瞬言葉を失ったようにラーを見て。
「貴方が悪く言われるようなことがあれば、耐えられない」
はっきりと。
真っ直ぐに。
バランはやっと合点がいった。
ラーの我儘を叶えてやるはずの行為で、何故こうも不機嫌になっているのか全く理解出来なかったのがやっと。
どこまでも、ただ真っ直ぐに自分だけを見ている純粋なまでの信頼は、時に重く、時に痛みすら伴うけれど。
それでもやはり、嬉しいものだった。
その瞳に穏やかな光を浮かべて、バランは「困ったものだな」とごちる。
普段のバランからは想像がつかない穏やかな声音に、竜騎衆の面々はただあんぐりと。
ボラホーンは、やはりあの時見た光景は見間違えではなかったと、思い知った。
「ラー、お前が気にする必要はない。
別に誰に何を言われようが私は構わないし、気にもしないのだから。
不信感を抱かれようが、付いていけないと見離されようが。そもそも最初から付いてきて欲しいと願ったわけではない。
竜の騎士は最初からただ独り、孤高であるものだし、別に今更失ったトコロで構うものではない。
…ただ、お前以外は」
紡がれた言葉は、竜騎衆にとって裏切り以外の何物でもない言葉。
今まで、命を賭して仕えてきた、また仕えるつもりだった者達にとってはあまりにも酷い言葉。
だが、それがバランの正直な気持ちであることは確か。
唯一、『家族』と呼べる存在以外。
それ以外はどうでもいい、というのが。
重い沈黙。
流石にガルダンディも言葉を失ったまま、次の言葉を生みだすことが出来ないでいる。
目の前で、仕えている上司が『お前達などいらない』とはっきり言ったのだから。
言葉など、紡ぎようがない。
「はぁ」
小さな溜息。
ラーハルトは本当に困ったように一度天を仰いで、それからバランに近づくと。
パチン。
その頬を叩いた。
それは決して強い力ではなかったし、それこそ気の抜けるような音しかならない程度のものだったけれど。
それでも周りの者からすれば、これから天変地異が巻き起こってもおかしくないほどの暴挙だった。
叩かれたバランも、流石にぶたれるとは思っていなかったので、まさに呆然と。
全く予期してなかった行動だった為に、避けることも叶わずに。
「────────────────っな…」
やっと我に返って「何をする?」と問いただそうと口を開いたところで、ラーハルトは言葉を遮った。
「お言葉は、身に余る程に光栄ではありますが。 …バラン様、それは言っちゃダメです」
じっと。
ただ真っ直ぐに見据えられて。
「…それだけは言っちゃ駄目ですよ。
みんな、貴方の為に命を賭してまで仕えるつもりでいるんです。
その貴方が。
それだけの信頼を背負ってる貴方が、それをどうでもいいと言ったらダメです。
もし、俺がそんなこと言われたら。
きっと死にたくなるから」
叩いたラーの方が、遥かに辛そうに。
そんな顔をされたら、言おうとしていた文句も呑みこまざるを得ない。
竜の騎士に人の痛みを理解しろ、というのは俄然無理のある話なのだけど。
それでも、この表情を和らげてやりたくて。
バランはとりあえず、手っ取り早く手を伸ばして。
図体は大きくなったはずの、子供の頭を撫でる。
「…わかった。
お前がそう言うなら、考慮する」
どこまでも。
どこまでも、子供には甘いのだ。
自覚はしているが、直す気はない。
それが無駄だということは解っているから。手放しで、諦めている。
部屋には放りっぱなしになっている、現竜騎衆がただぽかん、と。
どうしていいのかわからないままに。
§§§§§§§§§§§§§§§
「で、要約すると、お前らはみんなラーが陸戦騎に就くことに反対なわけだな?」
「あったり前ですよ!」
我が意を得たり!とガル。それを戒める様に、ボラが咳払いをひとつ。
「反対な理由は?」
「そんなん…」
「だから、証明するチャンスをくださいよ」
ガルの言葉を遮って。今度はラーが。
「いきなり、知りも知らない奴が現れて陸戦騎、ていうから不満が出るんでしょう?
今、候補になってる奴と俺が戦って勝てば、文句は出ない筈です。
そうすれば、貴方が俺を選んだことの不信感もなくなる。名目は立つでしょう?
勿論、それで俺が負ければ今回の話はなかったことにすればいい。
他にも貴方のお役にたてることはきっとあるはずだから」
「はっ!それは面白いねぇ! お手並み拝見といきますか!」
放っておけば、今にも取っ組み合いが始まりそうなガルとラーを、バランとゴルドが抑える。
どっちに転んでも先が思い知らされる、とボラホーンは拾われることのない溜息を。
「しかし、確かにそれだったら他の者達も納得するでしょう」
ゴルドからすれば、自分が育ててきた者達に自信がある。
これで自分の弟子が勝ったなら、バランの気も変わるはずだ。
そして、万が一。弟子が負けた場合に関しても、流石に自分より相手が強かったのなら、諦めは付きやすいだろう。
一方的に、なんの説明もなく切られた今回に比べれば。そっちの方が遥かに納得がいく。
自分の方が劣っているのに、それでも諦めがつかないと言うような馬鹿には育ててきていない。
しかし。
その提案はバランが。
「却下だ」と。
その場にいた全員が「どうして??!」と。ついハモってしまう程に。
しかしそれに対してはっきりと。
「ラーが怪我をしたらどうする」と。
はっきりと。
その場が凍りつく理由を。
「…お前さぁ…戦士なんじゃねぇの?」
「戦士な筈なんだけど…」
流石に。当のラーも頭を抱えて。
ガルの問いに応える声は何処となく疲れが滲んでいた。
「怪我したら困るんなら戦士辞めろよ…」
もっともだ!
ラーはガルの突っ込みに頷くしか出来ない。
何処までも。何処までも、親馬鹿なのである。
「…じゃあ…一体何故、この子を陸戦騎に?」
ゴルドの声も随分と疲れの色が混じっていた。
正直、こんなにも長時間、竜の騎士と相対していることなどないので、その緊張もある。
そして、その緊張を上回る、発言だった。
「目の届くところにいれば安心だろう?」
「安心って…別に何もないですよ」
「こないだのことを忘れたか?」
ぎろり、と睨まれて、ラーは瞳を反らす。
なんだか解らないが、目を離した隙に何か大変なことがあったらしい。
「ばっか馬鹿しい!」
吐き捨てられたガルの言葉は、その場にいたバラン以外の全員の気持ちを代弁していただろう。
しかしバランには何も堪える言葉ではない。
何処までも素知らぬ顔で、冷めてしまった珈琲を口に運ぶ。
「じゃあなんですか?
俺達は目の離せないガキの下に就けってことっすか?」
「イヤなら辞めればいい」
「バラン様!だから何度注意したら解るんですか??!」
どうあっても平行線を辿る。
バランは文句を受け入れるつもりはないし、ラーを戦わすつもりもなかった。
そもそもそんなことをして見せなくても、今候補になっている者達より実力があることを知っている。
自分が知っている以上、他に見せつける必要などない、と思っている。
万が一、怪我をされるのもイヤだった。
例え、自分が回復魔法を扱えるとしても。すぐ治せると解っていても、子供が怪我をするのはあまり見たいものではない。
ラーは闘ってみたかった。
そもそも、自分がどれくらい強いのか解らなかった。
武術の手解きはバランに教えてもらったが、それ以外とは手を合わせたことがない。
世界最強の生物が相手では、自分の強さなど解らない。基準がずれている。
バランは強くなった、と言ってはくれるが、この人がどれだけ親馬鹿なのかも痛感している。
だから、何処か素直に受け止められない。
子供の行動を手放しで褒めちぎるのは、今は亡き母もそうゆう人種だったので慣れている。
そして、それが世間の評価と違うことも迫害されて生きてきた分、痛切に理解していることだった。
自分がどれだけの実力を持っているのか。
そして、自分はどれだけこの人のお役にたてるか。それを知りたいと思うのは当然なこと。自然なことだ。
しかしその欲求は目の前で、目を覆いたくなるほど鮮やかに却下されたわけだが。
ガルもゴルドもボラも納得は出来ない。
確かにラーの提案通り、ここで実力を見せられたのなら。そして、その実力が納得出来るだけのものだったのなら。
そこになんの文句もないのだ。
とやかくいったところで、ここは実力主義の魔界。
強いモノに従うことには抵抗はない。その分、弱いモノには決して屈することはない。
だからこそ、ここで証明さえ出来るのならば。口ではどれだけ文句を言っても納得するはずだったのだ。
それなのに。
流石にその理由で却下されれば、否応なくこの男の実力が妖しいモノに思えるのも道理な話で。
そしてとうとう。
根本的でもある質問を。
ボラホーンが。
「そもそも、この男とはどうゆう間柄なんですか?」と。
そして。
本日最大の爆弾が投下される。
「ああ。言ってなかったか。 息子だ」
その時の喧騒は、最初の竜騎衆陸戦騎襲名発表の時よりも大きなものだった。
§§§§§§§§§§§§§§§
翌日。
「気にいらねぇ」
ガルは一人ごちる。
「結局なんだ?ただの親の依怙贔屓じゃねぇか!」
「まぁ…あのお方も人も親、ということか…」
ボラホーンはというと、確かに納得してない部分はあったが、それでも多少は承諾出来た。
承諾、というよりかは諦めに近い。
ただ、それでもバランがラーハルトのことを溺愛しているのは解ったし、そこに関しては口を挟むことじゃないのだろう。
話を聞く限り、養子とのことだったがそれでも。
生物兵器として、その究極とも言える強さに惹かれていたが、今回のことでその人間性のようなものも感じられた。
それは強さだけではない上司の魅力だとも取れる。
「気〜に〜い〜ら〜ね〜え〜!!」
ガルダンディの叫びは魔界の鬱蒼とした空に消えていく。
その叫びを聞きながら、まだまだ騒がしそうだ、とボラホーンは溜息をついた。
ゴルドも一応落ち着きを取り戻した。
自分の弟子に説明するのは、やはり心が痛んだけれど。
そしてやはり案の定、反発はあったのだけれど。
しかし、目の前にラーハルトがいる。
あの後、引き継ぎと。そしてゴルドの槍術を習いたいと言うラーに教える約束をした。
確かにわだかまりがないわけではないけれど、それはこの子次第だ。
自分は前陸戦騎として、教えられるだけのものを教え込むだけ。
勿論、その過程でやはり他の者の方が相応しいと思えば、またバランに上告するつもりではあるが。
今は、この子の実力を見定める時だ。
話を聞けば、バランに師事していたと言う。ならば基礎は充分だ、ということだろう。
そして、ふと。
自分が少しわくわくしていることに気がついた。
少なくとも、竜騎衆である自分が竜の騎士と相対することはない。
それは誇りでもあるが、一戦士にとって、世界最強の生物と戦ってみたいという欲求はどうしても存在する。
しかし自分が竜騎衆であったばかりに封印してきた欲求。
それがこんな形で。確かに竜の騎士ではないけれど、それに師事したものと相対することによって擬似的にでもそれを体感できるような。
そんな高揚感。
ラーは目の前で、礼儀正しくお辞儀をして。
そして真っ直ぐ見据える様に、構えをとる。
ゴルドの口角が自然に上がって、笑みの形を作った。
(エピローグ)
就任暫くは燻っていたラーへの不信の火は。
ガルとの大喧嘩で鎮火されることになる。
その代償は、ドラゴンライダー養成施設の半壊という莫大なものだったけれど。
その喧嘩を目撃していた、多くの者たちは溜息交じりに
「竜の子は竜か…」と呟いた。
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