04  切り落とすまでもなく

 

切り落とすまでもなく。

捨て置くまでもなく。

気に病むこともなく。

ただ、朽ちて行くことに患うこともなく。

 

それが僕たちの立場だ。

 

霧嶋九郎は、裏社会で定期的に開催される定例集会の度にそう思う。

座敷の、家の格で見えない壁を構成するこの狭い世界で。

自分達、『霧嶋』は何処までも矮小で、非力、小さな小さな家で。

それこそ、虫けらのように。殺されても、潰されても、心を痛める者も、気に病む者の存在しないような、そんな家。

いくらでも代わりが存在する。そんな代替え可能でお手軽な。

十把一絡げ。二束三文な。そんな存在。

 

そう考えれば。何もかもが馬鹿馬鹿しくなる。

 

この忍びの世界は、家、流派それぞれに上忍、中忍、下忍と階級が分かれ、そしてその家や流派の格それぞれに更に上忍の家、中忍の家、下忍の家と別れる。

表の社会で言えば、それぞれの会社に社長、部長、係長がいて、そしてその会社の規模がそれぞれ弱小企業、中小企業、大手企業と呼び表されるようなものだろうか。

呼び方は良いとして、まぁ表も裏も呼び方こそ違えど同じようなものと言える。

 

そして霧嶋は表で言えば、零細企業で孫請けの状態。

自覚すればするだけ、涙すら出る余裕もない。

 

「ゆりか」

 

自分の隣で、下唇を微かに噛み締める姉の名前を呼べば、自分と良く似た面を上げてこっちを見遣る。

その瞳に映るのは、諦観と絶望。

 

それが無性に気に障る。

諦めるのも、絶望に浸るのも簡単で。

そんなこと、空気を吸うのと同じくらい、やり方なんて意識することなく行うことが出来る。

だからこそ、気が付けばそこに浸ってしまうのだ。

だが、そこに浸って、それすら解らなくなってしまえば、それはもう。終りに他ならない。

絶望など、諦観など、してる暇はないのだ。

少しでも、少しでも上に這い上らなければ、僕たちは潰れてしまうのだから。

それこそ簡単に。

手放してしまえば、簡単に落ちる。

そして二度と這い上がることは出来ないのだ。

 

「諦めるな。絶対に這いあがれる」

 

ここ暫く、上忍五家が一家、忌野に混乱が続いている。

このまま混乱が長引けば、忌野は失墜するだろう、というのが大体の見解で。

過去、暗殺、攻撃主体で名を馳せた『忌野』も今や、過去の栄光にしがみ付いている、とさえ言われている。

後釜を狙うは、順位7位。匂之宮。

忌野と同じく戦闘、暗殺を主体とする家で、五家が頂点である鷹之宮の分家に当たる。

匂之宮が五家入りすれば、実質上、五家は鷹之宮本家を中心に、分家の護之宮、匂之宮の三本柱が列挙して、独裁が可能になる。

鷹之宮とすればこの機会を逃すわけにはいかず、周りの家はこの混乱に乗じて、どれだけ自分に利益を馳せるかを、争点として伺っていた。

上家である忌野失墜に貢献出来れば、己ずと家の格は上がる。

これは一世一代のチャンスと言える。

 

だから。

 

「諦めるな」

 

それだけを、呟いた。

それは姉に言い聞かすようで、また自分に言い聞かしているような、そんな声だった。

 

 

 

忌野。

この混乱時に於いて、臨時とはいえ頭首を張るのは自分とそう歳の変わらない男。忌野雹。

忌野では『忌野最強』と謳われているらしいが、そんな謳い文句。巷でも溢れている。

それこそ、百年に一人の逸材が毎年、雨後のタケノコのように毎年現れる時代だ。そんなもの、どれほどのものと言える?

自分達は命をかけているのだ。

そんな上家の上に胡坐をかいているような、そんな男に遅れは取らない。

戦闘集団の面影を残すのならば、護衛の腕は気をつけなければならないかもしれないが、それでもこの長引く混乱で戦闘技術も低迷してきていると聞く。

きっと付け入る隙はあるはずだ。

きっと。

きっと。

 

 

決意を固めていると、会場に和太鼓の音が響き渡った。

会場に入る時に鳴らされる太鼓の音の数は、その家の格を表している。

一鳴りから十鳴りで表されるソレを、誰もが無意識で数える。

六を数えた段階で、誰もが会話を辞め。七でどの家が入ってくるのかを見る為に移動する者が現れる。八で緊張にも似た空気が流れ、九で誰もが息を飲んだ。

十鳴りは、会を主催する五家がトップ鷹之宮なので、最初から会場にいる為に鳴らされることはない。

実際に鳴らされる太鼓の音は、九回が最高回数だ。そして今、それが鳴った。

 

九鳴りの家。

鷹之宮が分家、護之宮。

暗殺戦闘集団、忌野。

皇族筋の鎧塚。

神社仏閣、藤原の流れを汲む藤袴。

 

今現在、鎧塚は会場入りしている為、残るは後三家。

そして皆が見守る中、彼はこの場所に君臨した。

 

 

 

それが忌野雹との邂逅である。

 

まさに君臨と言う言葉に相応しく。

混乱で、低迷衰弱していると揶揄された忌野の噂を総て綺麗に払拭するかのように。

凛と、真っ直ぐに。

前だけを向いて、ただ神々しいまでに。

 

悔しいけれど、誰もがその瞬間、悟ったように思える。

彼が本物であると。

謳われた、言われ尽くした『最強』という言葉が事実であると。

 

「…アレが…忌野雹…」

 

あれを排除すれば、僕たちは此処から這い上がることが出来るかもしれない。

 

しかし、同時に。

僕は家のことなど、どうでも良くなっていた。

 

ただ、家の為ではなく。自分の為でもなく。

ただ、あの男を自分の足元に引きずりおろしたい、と。

 

自分が持っていない物を総て持っている男に対しての、嫉妬か憧憬か。

それとも気持ちが悪い程に整った容姿の男が持つ、他人に与える嗜虐的な破壊衝動故か。

 

なんにせよ。

 

「ゆりか…僕たちはあの男を引き摺り下ろすぞ」

 

告げて。

その為には、鷹之宮から任を受ける立場にいなければならない。

まずはそこからがスタートだ。

 

 

僕は彼の横顔を、脳裏にしっかりと焼きつけた。

 







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