近寄らないで

 

ぼんやりと意識は覚醒。

何時だか確かめようと私はいつもと同じように、頭上に手を伸ばす。

そこには目覚まし時計が置いてあるから。何時もの癖。

だけど、今朝は。

 

「4時すぎだよ」

 

と。男の声が。

 

血の気が引いて、飛び起きる。

まだ白濁としていた意識は瞬間的に覚醒して。

私のベッドを半分占領している魔族と、目があった。

 

ぱくぱくと、声を発することが出来ないで、ただ口だけが馬鹿みたいに開閉を繰り返す。

 

 

「な…なんで…」

 

やっとそれだけ言うことに成功したが、上体を起こした男が裸だったこともあり、再び言葉を無くしてしまう。

男は一回大きな欠伸をして、しなやかに伸びをする。

それは何処か野生動物のようで、美しい動きだったのだけど。

 

再び、目が合う。

欠伸をした後だったから、その瞳はほんの少し潤んでいて。

その鮮やかな碧が、とろけるように光ってた。

 

 

昨日。

昨日どうしたんだっけ??

確か呑みに行って…

この男が他の女と話してることにイライラしてつい呑み過ぎて…

それから…

それから…

 

途中から記憶はない。

全くと言っていいほど。

 

しかしこの状況は…

 

 

ぎし、というベッドの軋む音に。

 

「ち、近寄らないで!!!」

 

私はシーツを胸に掻き抱いて。

大して広くもないベッドの上を後退する。

しかしそれを追うように男が。

 

間近で、顔を覗きこまれて。

口元に、何時もの嫌味で皮肉げな笑みが。

 

 

「この調子なら大丈夫そうだな」

 

そう言って、離れる。

私は硬直したまま動けずに、混乱する思考回路は何もかも置いてきぼり。

 

 

 

男はベッドを下りて(下は履いていて安心した…安心?)勝手に家をうろうろしてる。

 

戻ってきた時には、手にグラスを持ってて。

 

「ほら、水」

 

差し出されたそれを見やりながら、未だに私の身体は硬直が解けてない。

視線だけで、グラスと男を交互に眺めて。

そしてやっと、自分が酷く喉が渇いている自覚を。

 

可笑しくなる程に、おずおずとその差し出された水を受け取って。

私はビクビクと口に運ぶ。

よく冷えた水が喉を通る感覚は、とても気持ち良かった。

 

 

そして、一口飲んだら、随分と思考はクリアに。

 

「…何したの?」

 

声は出来るだけ、恨めしくならないように。

グラスを持ってない方の手は、シーツを握りしめて白くなってる。

答えは聞きたくない。

だけど聞かなきゃならない。

乙女にとっては死活問題だ。(こうゆう言い方はあんまり好きじゃないけど)

 

しかしこっちの不安を余所に、男は面倒臭そうに言葉を。

 

 

「あのなぁ。お前が酔い潰れたから家まで運んでやったんだよ、こっちは。

 玄関に放置して帰るつもりだったが、最後の最後で、吐いてくれて。

 俺の服はどろどろだし。変に寝ながら吐いたら、気管に詰まって窒息するしだな。

 仕方がねぇから、起きるまで付き合ってやったんだろうが。

 とりあえず、勝手に洗濯機は借りたからな。文句は言わせんぞ?」

 

 

………………

 

青ざめていた顔が、だんだん赤くなる。

なんという醜態!

一番見られたくないところを見られた!!!

 

 

「だっ…だからって!なんでベッドの中にいんのよ!」

 

恥ずかしさのあまり、声は涙混じりに。

 

「俺は体温維持出来ねぇんだよ。知ってんだろうが?

 何か上着借りようかとも思ったが、適当なんなかったんだよ」

 

そうだ。この男は体温維持が出来ないのだった。

爬虫類の変温に近い体質で、普段から温度が下がらないように気をつけている。

 

だから。だから。

納得は出来るけど。

出来るけど。

 

 

出来るけど。

 

 

出来ない。

 

 

「後、お前も吐瀉物まみれだったから適当に着換えさせたからな」

 

さらりと告げられて。

自分の姿を見降ろせば、確かにパジャマだ。

 

 

「どっ…何処まで見たの??????!!!!!!」

「あのなぁ、女の裸なんか見慣れてんだよ。慌てんな」

 

そうゆう問題じゃない。

 

少なくとも下着は見られてるはず。

昨日着てた下着、どんなんだったっけ?

可愛いのだったらいいけど…

ああ!そんなんどうだっていいわ!(どうだってよくなんかないけど)

 

「慌てるわよ!!」

 

とうとう、限界を超えて涙が。

それには流石に男も吃驚したようで。

別に悲しいから、とかじゃなくて、恥ずかしいからでもなくて。

いいえ、恥ずかしいもあるけど、なんだか色んなものが限界を超えちゃったの。

頭の中は大分クリアになったけど、気持ちは混乱状態。

 

「本当、最低!!近寄らないで!!」

 

手元の枕を投げつけて、私はそのままシーツの中に潜り込む。

ああ、本当に最低。

最低。

 

もう、どんな顔して会ったらいいかわからない。

いつも通りなんて絶対に無理。

何処の馬鹿な女が片思い相手にゲロひっかけるのよ!

吐いてるところなんて、絶対に見られたくないシーンの最たるものじゃない。

それに下着だって。

どうせだったらもっと可愛いの身につけてるわ。

まだおろしてないサラの下着だってあったのに。

可愛くて買ったけど、着る機会がなくて置いてある下着だってあったわ。

…て、違うのよ。

違う、違う、違う。

 

 

涙が止まらなくなってきた。

シーツの中で、どうしようもなくなってしゃくりあげながら。

泣きたいわけじゃないの。

これ以上、貴方に醜態を晒すつもりなんてないの。

普段の私なら、こんなことで泣いたりしない。

簡単に泣くような女、涙を道具に使ってるみたいで好きじゃない。

それなのに。

それなのに。

 

 

 

ぽん、とシーツの上から。

そしてそのまま、そっと頭を撫でられる。

 

「大丈夫、大丈夫。んな、気にすることじゃねぇって。即行、忘れてやるから」

 

声は何処までも優しくて。

ほんの少し、シーツをずらして覗くと。

声と同じように優しい顔で笑ってる貴方と目があった。

 

 

「…ゴメンナサイ」

 

素直に。

私の口から言葉が出てきた。

 

それはいつもの貴方じゃなくて、今日の貴方がこんなにも優しい顔をしていた所為だろう。

 

貴方はその優しい顔のまま、笑顔を作って。

暫くずっと、頭を撫でていてくれた。

 

 

他人に頭を撫でられるなんて、いったいいつ以来だろう?

こんなに気持ちいいものだったんだ。

 

 

気持ちがどんどんふわふわしていって。

久々にあんな風に泣いて、疲れた所為もあるのだろうけど。

 

私は徐々に睡魔に。

 

 

 

 

 

 

気がついた時には、もうあいつの姿はなくて。

几帳面な字の置手紙が机の上に。

 

そこには、女が一人で酔い潰れるまで酒を飲まないこと、と

連れを宛てにして呑むんだったら、最初からそう言うこと、と

あと、食欲がない場合に備えてスープを作っておいた旨と

 

あと一言。

 

「元気出せ」と。

 

 

 

何度も、何度も、字を目で追って。

説教臭いったらありゃしないわ。

本当に。

 

まだ貴方の温もりが残ってるような気がして、私は自分の頭にそっと手を乗せる。

 

本当に。

最悪な日だったけど。

最低なことばかりだったけど。

それでもなんでかしら。

 

 

 

ちょっと…

幸せだわ…

 

 

私は再びシーツの中に潜り込んで。

ちょっとだけ。

 

 

込み上げる笑顔をそのままにした。

 

 

 

 



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