それでも尚、手を伸ばすのは

 

 ジャスティス学園生徒会室。

 その更に奥に存在している生徒会長室。

 その部屋に通じている扉には、筆ペンだろうか、達筆な字で『立入禁止』と貼ってあった。 

 その扉を開くと、趣味の良い調度品で纏められた応接間のような部屋に出る。

一介の生徒会長の部屋と言うよりは、どこかの一流会社の社長の部屋のようだ。

 その部屋には来客用と思わしき3人掛けのソファが鎮座している。

部屋の雰囲気を損ねることなく、また重厚に見せることに貢献している其処に。今。

長い四肢を持て余すように横たえて、その男は眠っていた。

 

そう、眠っているのだろう。

 

その所為で、普段から色の白い肌は更に白く見え、下の血管さえ浮いて見えるようだった。

白を通り越して、青白く、そしてそれがまた、芸術性があまりにも高い、整い過ぎた容姿をしているため、一種悪趣味な人形のようにも見えた。

 呼吸のために上下する胸が、人形でないことを証明する唯一の手がかりだ。

そして、またこの死人のような顔色をした男が確かに生きているという唯一の証明。

 

 「忌野」

 

 名を呼ぶと形のいい眉の間に、微かに皺が寄る。

 

「いーまーわーのー」

 

もう一度名前を呼ぶと、瞼がぴくりと動いた。

 そしてゆっくりと気怠そうに瞼が持ち上がり、その隙から金色の瞳が覗いた。

 金色の瞳が何度か瞬きをする。そしてやっと焦点が合ったのか、忌野は刻んでいた眉間の皺を一層深く刻んだ。

 そして寝起きで掠れた声で、「風間?」と俺の名前を呼んだ。

 「ああ」

 その問いに頷いてやると、ますます忌野の眉間の皺は深くなる。

 限界まで深く刻んで、険悪なまでに不機嫌な顔をした忌野は億劫そうに髪を掻き上げながら上体を緩慢な動作で起こした。

 何時もの、一寸の隙もない機敏な動作からは想像も出来ないほどのゆっくりとした動作に、多分例に漏れず血圧が低いのだろう、それ故のダルさを見出せる。

 小さく欠伸を噛み殺して、苛立ちを微塵も隠さない口調で。

 「・・・・表に立入禁止と書いてなかったか?」

 「書いてあった」

 「・・・・風間。字が読めるのに意味が解らなかったか、意味は解ったが無視したか、どっちだ?」

 「意味は解ったが無視した」

 忌野は側に置いていた刀に手を伸ばす。

 「・・・・そんな頭は要らないだろう?落としてしまえ」

 相変わらずこの手のことに関して、忌野は冗談か本気か全く解らない。

 冗談だと鷹をくくって首を跳ねられるのも、有りな気がした。

 「俺はお前に会いに来たんだ。立入禁止といったって、俺が何か邪魔するワケじゃなし。別に入っても詮ないことだと思ったんだ。

 実際、寝てるだけだったろう?」

 「・・・・これで誰か来客してたらどうするんだ?家の仕事関係の人間なら、立ち入った段階で命を取られてもおかしくないことだぞ?」

 「そう言った場合、お前もっと警戒するだろ?」

 忌野は不機嫌そうな面で、きつく俺を睨み据える。

 「もし私が女でも連れ込んでたらどうする?」

 「は?」 

 忌野が濡れ場。

 想像出来るようで、全く出来ない。

 しかし言い出すということは、そうゆう事もあるのかも知れない。

 この容姿を鑑みれば、どれだけ異性に人気があるかは想像が容易い。

 言われてみれば、有り得ないとは言えない話だ。

 だが、あまりにも想像には難しい。

 だからつい、問い返してしまった。

 「・・・・それは・・・・そんなことがあるのか?」 

 

「ない」

 

きっぱりはっきりと否定して、忌野は俺を一瞥する。

 そして自分が言い出したことに係わらず、不機嫌に「そんなことあるワケなかろう」と言い捨てる。

ないなら言うな、と思いつつもソレは口にしない。

言った所できっとどうにもなりはしない。

 「・・・・外には誰もいなかったのか?」

 忌野は不機嫌なまま問いかけてくる。

 「いや、他の生徒会の役員がいたが?」

 「・・・・入室を咎められなかったのか?」

 「多分、あまりに堂々と躊躇いなく入室したから、俺との面会のために立入禁止にしたのだろう、くらいに思ったんじゃないか?」

 「・・・・お前暫く学園自体に立入禁止にする」

 「なんで?」

 「なんでじゃないだろう?全く。阿呆か? 阿呆だったな!」

 勝手に自己完結して、忌野はほどいていた髪を結い直し始めた。

 括り慣れている所為か、そんな時間を要することなく何時もの形に結い上げると、忌野は俺の方をしっかりと見据えた。

 「・・・・で、何用だ?」

 「いや、別に」

 忌野の思考が手に取るように解る程、その表情は険悪に変わっていく。

 「別に?別にだと?特に用もない癖に、私の貴重な睡眠を邪魔したのか?」

 言われて、はた、と気がついた。

 普段は隙など微塵も見せない男だ。

その忌野が、無防備とも取れる状態で眠っていたのだ。

余程疲れていたか、本当に今のこの時間しか休む暇はなかったのかもしれない。

その事実に、今更ながら後悔と自責の念が。

 「・・・・悪かった・・・・」

 「謝るくらいなら、最初から入ってくるな」

 「すまない。久々に会いたくなった、それだけなんだ」

 俺が認めた、友人の顔を久々に見たくなった。それだけだった。

 確かに指摘されるまでもなく、思慮に欠けた行動だったことは認めるが。

 そこに悪意はなく、ただ。本当にそれだけ。

 いや、ソレだけだったからと言って、許される訳ではないが。

 もごもごと言い繕う俺を眺め。

 忌野は沈黙。

 怒りの表情から、呆れたような表情に移り変わり、とうとう溜め息をついた。

 「相変わらず馬鹿阿呆のようだな」

 そう言って、今日初めての微かな笑みを浮かべて見せる。

 いつも厳しい顔をしている所為か、忌野は笑うと途端に雰囲気を和ませる。

 「今度からは気をつけろ」

 「ああ、今度からこうゆう時に来ても起こさない」

 「・・・・その前に立入禁止と書いてある場合、入らないでくれ」

 半眼で睨まれて、俺は肩を竦めた。

 多分、また同じ事をしてしまいそうだったから返事は避ける。

  

  忌野はまだまだダルそうな身体を引き摺りながら立ち上がると「何か飲むか?お客人」と嫌味を零す。

 「別にいい。ていうか俺が何か淹れる。お前は座ってろ」

 「実際はどうであれ、客は客だ。大人しく持て成されろ」

 命令形に命令形で返され、俺は圧倒的不利な立場から、忌野の言葉に甘えることにした。

今まで忌野が眠っていたソファに腰かけて、茶の準備をしてくれる後ろ姿を目で追う。

 給仕、などという姿は縁遠い気がしたが、意外にも慣れた手つきでさっさと準備を済ますと、俺の前に茶を運んでくる。

 「意外だな。家事業が出来るとは思わなかった」

 「私には出来ぬことなどないよ」

 さらり、と凄いことをさも当然と言ってのける。しかしこの男が言うのなら、それもあながち誇張ではない気がする。

 本当に、何も出来ないことなどナイような気にさせてくれる。

 それが、忌野雹という男だ。

 「お前の自信は見ていて気持ちがいいな」

 告げると、忌野は言われた言葉の意味が解らなかったのか、ただきょとんとこっちを無防備に見返した。

こうゆう表情を見ると、年下なのだ、と実感できる。普段はどっちが年上だか解らない場面もしばしばだ。

 「・・・・よく意図が掴めぬが・・・・まあ褒めたんだろうな。礼を言うべきか?」

 忌野は小首を傾げながら、癖になっているのだろう、眉間に軽く皺を寄せて呟いた。

 

 茶を出すと、忌野は何時もの定位置だろう生徒会長用の椅子に腰かけて、ソファで眠っていたため凝り固まった身体を右手で揉み解し始める。

 そして幾分か解れた所で、同じように解れた口調で言葉に笑みを含みながら「全く、お前の非常識具合には呆れるな」と。

 お前に言われたくはないと思ったが、口にはしない。

 付き合いも一年を越すと、いい加減 地雷の場所が解るようになってくる。とは言っても、場所は解っていても踏んでしまうことも屡なのだが。

 そのことを思って、ふと。思考が至った。

 俺は忌野を気に入っているのだが、忌野はそうではないのかもしれない。

 他の人間が忌野を怒らせている姿は、そういえば余り見たことがない。

 それを思うと、俺は忌野にとって余っ程癪に触る人間なのかもしれなかった。

そう思うと残念でならなかったが、相手を認めることと、相手に認められることはまた別の話だ。

 

 「忌野、お前俺のこと嫌いか?」

 「・・・・・・いきなりだな・・・・どうした?」

 「否・・・・考えてみるとお前の気分を害させる事が多い気がしてな」

 「・・・・・・」

 

 忌野は治まっていた眉間の皺を再び刻んで、また黙り込んでしまった。

 

しまった。地雷を踏んだかもしれない。

 

俺はその端正な面を眺めながら、少し後悔した。

 忌野は言葉数の多い男ではない。口に出す少ない語数で、多くの意味を伝えようとする。

 そしてソレを他人にも当てはめる。

 他人の言葉にも、その裏にある多くの意味を読み取ろうとするのだ。

 だから不用意に言った言葉が、酷く傷つけてしまうこともある。

 ソレを避けるためには、それをフォローする多くの言葉を使うしかないが、俺もまた言葉数の少ない人間だ。

だから、結局誤解されたまま、傷つけたまま、気分を害させたままのこともある。

 自分が相手のことをどうでもいいと思っていたのなら、それも気にはならないが。 

 俺はこの男と友人になりたいと願っていて、少しでも安らいで欲しいと願っていた。

 だから、自分のその至らなさには正直。辟易してしまうのだが。

 それでもどうにも。自分の不器用さは、そこまでに至ってくれない。

 こればっかりは数限りない失敗と精進、そして努力を重ねるしかった。

 

 忌野が有したのは、決して短くない沈黙。

そしてやっと、ぼそりと言葉を零した。

 「・・・・別にお前のことを嫌ってはいない」

 「本当か?」

 意外だったので、つい聞き返してしまった。

 「別にこんなことで嘘を吐く必要はないだろう?お前に気を使わなければならない立場ではない」

 忌野は不愉快そうに吐き捨てると、茶を口に運ぶ。

 だが、その言葉に。

 不愉快そうな忌野の表情とは裏腹に、つい笑みが零れてしまう。

 締りのない表情を浮かべたまま、俺は「・・・・いや、嫌われてると思ってた・・・・素直に嬉しい」と心中を吐露する。

 「嫌われてると思っていたのに、こんな風に会いに来てたのか?」

 「俺はお前のことを気に入ってるからな」

 「・・・・嫌ってる奴に訪ねてこられたら迷惑だ、とか考えないのか?」

 「考えるが・・・・嫌がられるのがイヤで会うのを避けてたら、ずっと嫌われたままだろう?それはもっとイヤだ」

 忌野は苦笑して、肩を竦めた。

 「成る程な、お前らしい考え方だ」

 「そうか?普通だろう?」

 「・・・・それが普通なのか?」

 「・・・・多分」

 自分が特殊だと思ったことはない。だから、それは普通の考えなのだろう。

しかし忌野には理解できなかったようだ。

 眉間に皺を入れたまま、固まってしまった。

 視線は何処とも解らない所を漂っている。

こうなってしまった忌野は自分の思考の中で押し問答を繰り返している。だから何を話しかけても、無駄な時間だ。

 だから、その間に忌野が入れてくれた茶を飲むことにする。

 

 

 「私はお前を気に入っているよ」

 忌野の言葉は、かなり長い沈黙の後にぽつりと。

 そして、一拍置いてから。躊躇う様に次の言葉を紡ぐ。

 

 「だが、もしお前が私のことを嫌っていたのだとしたら、きっと私はお前と会いはしないだろう」

 「何故?」

 「嫌われているから」

 彷徨っていた視線を、俺に合わせる。忌野は見ているこっちが目を逸らしたくなるほど、相手を見据える癖がある。

欧米人にはよくある仕種だが、日本人には珍しい特色だ。

 「だが、避けていたらずっと嫌われたままかもしれないだろう?」

 「だがソレ以上嫌いにはならないだろう?」

 視線は次第に険しくなり、睨んでいるかのようだ。

 忌野の考え方も一理あるとは思う。俺には納得できないが。

 「ソレ以上嫌われるのがイヤだから避ける、というのは逃げだろう?

 嫌われるなら、嫌われるだけの要因がある。

 その人間を知らない所で傷つけていたり、裏切ったりな。

 避ける、ということは謝罪の機会を逃す、ということだ。

 償わない、ということだろう?」

 「会うことで傷を抉るようなことになれば?会うだけで相手を不快にすると解っている場合は?

 会わなければ、相手には幸せな日常があって、私のことなどもう忘れ去りたい過去だったとしたら?

 そんな相手に顔を見せるか?」

 「俺は見せる」

 そんな状況ならば、尚更見せる。

 忌野は俺を一瞬凝視してから、静かに瞳を閉じた。

 そして溜め息とも、言葉ともつかない音を零して自嘲気味に笑った。

 

「・・・・ああ・・・・お前はそうするんだろうな・・・・」

 「忌野・・・・」

 力なく項垂れて、椅子に深く腰かける。

 その様子からは、先程の出来ないことはないと言い切った時の自信など、微塵も伺えない。まるで別人のようだ。

 沈黙は繰り返す度に、その重さを増していくように思えた。

 俺はソファから立ち上がって、項垂れている忌野の側に移動した。

 「大丈夫か?」

 「・・・・何が?」

 項垂れたまま、こっちも見ようともせずに忌野は口の中で呟いたようなくぐもった声で返事をする。

 項垂れたままなので埒が空かず、人として目を見て話をしたい性分の俺としては、結局蹲み込んで忌野の顔を見上げるような形になった。

 さっきまでアレ程俺を見据えていたはずなのに、忌野は俺の視線を避けるように視線を彷徨わせる。

 「忌野」

 名を呼ぶと、叱られた子供のようにそろそろと視線をやっと俺に合わせる。

 「俺はお前を気に入ってるよ」

 「・・・・知ってる・・・・」

 解ってる、とは言わない。

忌野と知り合って大分経つが、その間に解ったことがある。

それは、忌野は自分自身を酷く嫌悪しているということ。

普段、あれだけ自信を誇示出来るというのに、それは不思議な気がした。

 

だが考えてみれば、それは腕っぷしが強い人間が喧嘩を嫌うのと同じような理屈なのかもしれない。

それが出来たからといって、それが出来る自分を好きなわけではない。

 他人を殴ることが何より嫌いな人間に、天才的な格闘技の才能があったところで、その才能は本人にとって疎ましいものだろう。

 きっとそうゆうことなのだ。

 出来ないことはないと自負するだけのスキルがあっても、ソレに伴う何らかの部分が忌野を嫌悪に陥れている。

 そして嫌悪している自分のことを、気に入っていると言われても、一体何処を気に入っているのか理解は出来ないのだろう。

知っていたとしても、納得は出来ない。

 知ってるということと、解っていることは違う。

 知識と理解は別物だ。

 だから俺は、いつか忌野に理解させてやりたいと思う。

 嫌いな部分もそうでない部分も、全て認められればいいのに。

 総て、ちゃんと受け入れることが出来ればいいのに。

  

 忌野は少しだけ、口元に笑みを含んだ。

 「お前は、私を人として扱うだろう?」

 言われた言葉が一瞬なんのことだか解らなかった。

 「お前だけはあの時、私と対等に話をしようとしたからな…」

 あの時?

 「真っ向から間違っていると決めつけず、話を聞いてから判断した」

 忌野は俺の右目の傷を、そっと指でなぞった。

 「・・・・お前は私を殴らぬだろう?」

 「忌野?」

 「だから、私はお前を気に入ってる」

 今度こそ、本当に笑みを浮かべて。

 綺麗な綺麗な笑みを浮かべて、忌野はただ静かに俺を見据えた。

  

  あの時とは、何時のことだろう?

だが、すぐに思い至る。

それはきっと、出会ったときのことだろう。

 だが、今度は忌野の言葉が理解できない。

 『人として扱う』? 当然だ。忌野は人以外の何物でもない。

 『話をする』? 当然だ。主義主張が解らなければ、責めることも認めることも出来ない。

 『殴らない』? 当然だろう?出会って早々拳を向けるなど、頭がおかしいじゃないか。

 

  そして、俺は絶句する。

 敢て言葉にするコレ等は、結局忌野にとって『当然』ではないのだ。

 人として扱われることも、話を聞いて貰えることも、暴力を奮われないことも、全てが当然ではない。

 逆に言えば、人として扱われず、話も聞いて貰えず、ただ暴力を奮われることが今までの日常だったと言うこと。

 尊厳を奪い取られ、思考を剥奪され、自由を略奪されるということ。

 それが、忌野にとっての『当然』。

 俺は静かに微笑む忌野を見返しながら、その苦労などしたこともないといった風情の、綺麗な笑顔に見入った。

 お前の『当然』は間違っていると言ってやりたいが、それが日常だった者に対してそんな言葉は茶番にすぎない。

 家庭内暴力が日常茶飯事の家の子供に、親は子供を慈しむものと言ったところで、その子にとっては事実ではない。

 そんな言葉は、テレビの中や御伽噺だ。

 

 そして、そんな環境で育った人間が嫌われていると解っている人間の元になど行くはずがナイのだ。

 一切許されてこなかった人間が、どうやって許しを請えると思うだろう?

 話をすることを許されなかった人間が、どうやって相手に意志を伝えるのだろう?

 暴力を奮われ続けていた人間が、自分を嫌っていると解っている人間の前に行くことは、即ち殴られに行くようなものだと認識するだろう。

 それは酷い悪循環だ。

 そして、それが忌野の自分嫌いに直結しているのだろう。

  

  誰よりも自分自身に厳しい男だ。

 人として扱われなかったのなら、その否を自分に見出そうとするだろう。

自分には、人として扱うだけの価値などないのだ、と認識するのだろう。

 話を聞いて貰えなければ、話をする価値もナイ人間だと。 

 殴られれば、自分が疎ましいのだ、と。

 そしてその全てを嫌悪する。

 自分自身の全てを嫌悪する。

 

それが、忌野雹という男だ。

 

 「忌野・・・・」

 「・・・・なんだ?」

 返事を返されるが次の言葉が出てこない。

 ただ俺は、この一見全てを持っているような、実は俺たちが持っているものの殆どを手にすることが叶わなかった男を、ただ見つめていた。

 空中を、忌野の金色の瞳と。

 俺の隻眼が交錯する。

 絡み合う視線は何も結ばず、結局霧散するだけ。

 

 

  

  沈黙は第三者によって破られた。

 躊躇いがちに響くノックの音。そしてその後に、聞き覚えのある声がする。

「雹様、お客様がお見えです」

・・・・何度か顔を合わせたことのある、生徒会役員の生徒の声だ。

 

忌野は俺の顔から視線を扉の方に、そして壁にかかっている時計の方へと移動させた。

 「すまない風間。仕事の時間だ」

 「ああ、みたいだな」

 俺が立ち上がるのと同時に忌野も立ち上がる。

 「慌ただしくてすまない。この埋め合わせは近いうちにしよう」

 「いや、忙しいのに俺が押しかけたんだ。気にするな」

 

 刀に手を伸ばし、腰に携え、忌野は鮮やかに笑って見せた。

 先程まで見せていたモノとは違う。

 

 いつもの、独裁者の笑みを。

 

 「じゃあな」

 「ああ、またな」

 扉を開くと、黒づくめのスーツを着た男たちが、忌野を護衛するように、いや実際護衛なのだろう、取り囲んだ。

 それは黒衣の死神が忌野を囲い、捉えてしまうような図に見えた。

 闇に囚われるように。

 

 

 「忌野」

 名を呼ぶと、振り返る。

 忌野の顔は、もう先程までの不安に魅入られた子供の顔でも、自信に満ちあふれた独裁者の顔でもない。

無表情に近い、人形のような仕事の顔。感情などそこに介入する隙のない、そんな頑なな顔。

忌野が『仕事』に向かう時はいつもこの顔だ。

それは一切の感情や、感傷が入り込む余地がないように、完全に武装した忌野の仕事の姿勢。

何ものも自分を揺るがすことがないように、頑ななまでに閉じた姿勢。

だからこそ、俺は、辛くなって。

どうしようもなく、辛くなって。

 

もう一度、さっきと同じ言葉を吐かせた。

 

 「またな」

 

 俺の言葉を受け止めて。

 一拍後。忌野は、何も言わずに背を向けて、背中越しに軽く手を振って歩き出した。

 鮮やかな朱塗りの制服から覗く、真っ白な手袋がその動きに残光を。

 

 俺は主のいなくなったこの部屋で、暫く瞼裏に焼きついた忌野の背中の幻影を追った。

 

 

 

 

 もし。助けるために手を伸ばした所で、プライドの高いあの男がその手を取るとは思えない。

万が一、手を取ってくれたとして、俺があの男を助けてやれる自信はない。

 無力で、歯痒くて、悔しくて。

 それでも、そんな矮小な自分を自覚しながらでも手を伸ばさずにはいられない。

 

それは結局自己満足なのだろう。

 

その結果、更に彼奴が深みに嵌ってしまうようなことになるとしても。

その結果、今より更に彼奴が傷付き閉ざすようなことになっても。

 

それでもきっと。

俺は手を伸ばしてしまうのだろう。

自分の無力を噛み締めながら。

 

 自然に力の籠る拳を握りしめ、俺は瞳を閉じた。

 

 

 

  理不尽な悪意は、何物をも取り込もうとするように渦巻いている。

 俺たちは、それを上手く飲み込むことが出来ずに足掻いている。

 飲み込むことが出来ないまま取り込まれ、非日常を日常の色に変え、忌野は生きている。

 

 納得なんて、出来るはずがない。

 諦めることなんて出来るはずがない。

 だけど、今現在。俺に出来ることは見つからない。

 だけど。

 だからこそ、俺はこの場所から動けない。

 動いてはいけない。

 

 飲み込んで、飲み込んで、飲み込んで。

 

 

俺の口から、呻くような声が漏れた。

 

 

 

 

 

 

  

 「--------------------------ああ・・・・・・」                                             

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 背景素材提供 BorderLine Syndorome