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(二)
最初、猫が鳴いてるのかと思った。
街中では猫が鳴くのも珍しくはないけれど、こんな森の中。
ダイは不思議に思って、声の方向へと向かう。そして、それが猫じゃなくてレオナの声だと気付いた。
裏の勝手口。
小さな家庭菜園のある裏庭から直接キッチンに入ることが出来る、そのドアを開けて。
「レオナ、来てんの?」と中に声をかけたら。
「ダメよ!ダイ君、入ってきちゃ!私はにぃにぃと大事な用事があるんだから」と物凄い剣幕で追い帰された。
目の前で、バタンと。大きな音を立てて閉じられる扉。
その扉を隔てた向こうから。
「いい?私の用事が済むまで入ってきちゃダメだからね!」
「ええ?なんでさーー」
「なんでも糞もないの。ダメな物はダメ。用件が終わったらにぃにぃが入っていいよって言うから」
「入っていいですよ、ディーノ様」
「何言ってんの?ダメよ!」
「お前はディーノ様をこの寒空の下、表に出したままにしろと言うのか!」
「大丈夫よ、子供は風の子なんだから!」
「そんな屁理屈、まかり通るか!」
なんだか、良く解らないけれど。扉の向こうは楽しそうだ。
まぁそれでも、レオナが入ってきて欲しくない、と思ってることは解ったから。
「じゃあ、もうちょっと遊んでくるから。終わったら言ってくれる?」
「ええ、じゃあね。ダイ君」
ほんの少しだけ、扉を開いて。
そこからラーハルトの碧の瞳が覗く。
「申し訳ありません、ディーノ様…寒かったら小娘追い出しますけど」
「いいよ、大丈夫。俺、もうちょっと遊んでくるね」
「ほら、にぃにぃ!早くして」
後ろからレオナの急かす声。
それに反応するようにラーハルトの眉間に皺が刻まれる。
「それじゃあ、ディーノ様。出来る限り早く済ませますので」
そう言って、済まなそうに。
そして扉は閉められた。
最初は別になんとも思ってなかったのだけど。
レオナも何か用事があるんだろうなぁ、と。
ラーハルトも大変だなぁ、くらいに思ってたのだけど。
流石に連日。
これが五日目ともなると。正直、独りで家の周りの探索を続けるのも飽きてくるし。
それに、否応なく。気にもなる。
だけどそれに関しては、レオナは決して教えてくれない。
「ダイ君には関係ないわ!」
まさにけんもほろろに断られて。ぴしゃりと閉じられる扉。
自分の家の筈なのに、帰ることもままならない。
レオナがいる間、ぴったりと閉じられた扉ははっきりと拒絶を示してて。
§§§§§§§§§§§§§§
「はぁ?姫さんが遊んでくれない?」
だからあまりに手持無沙汰で退屈だったので、ポップの所に顔を出すことにした。
ポップが遊びに来ることはよくあるけど、こっちから遊びに行くには珍しかったから。訪ねて行った時は少し驚いた顔をした。
それがちょっと。悪戯が成功したみたいで楽しい。
「ちょっと待っててな」と言い残して、忙しそうになんだかよく解らない紙の束や本を机の端に寄せてスペースを作ると、そこに淹れてきたお茶を置いて。
そして向き直って、「で、どうしたよ?」と。話を聞くモード。
最初は他の話をしていたのだけど、そのうち。レオナの話になった。
「けど、姫さん連日お前んとこ、遊びに行ってるじゃねぇか」
ポップは宮殿を出入りする機会も多い。此処最近、いつもはおやつの時間くらいしか来ないレオナが、ここ連日はおやつの時間+二時間くらいはこっちに来てることを知っている。
だから当然。
「姫さん、何やってんの?」という話になる。
「それが教えてくれないんだよね。ラーハルトに用事があるって言って、二人で家に閉じこもっちゃって。
俺、その間家の中入れて貰えないんだーーー」
言ってるうちに、だんだん更に面白くなくなってきた。
喋っていて、今の状況を客観的に見たからかもしれないが。
話すうちに自然と頬が膨れてくる。
面白くない、と。その表情は如実に真実を語っていて、その素直な態度に悪いと思ってながらもつい、ポップは笑いそうになる。
「はぁ?姫さんラーハルトと二人で籠ってんの?なんで」
「だから教えてくれないんだってば。『ダイ君には秘密よ』って言って」
「へぇーーーー………」
「…なんだよう」
ダイはふ、と。ポップがにやにや笑っていることに気付いて。
「まぁまぁまぁまぁ、気にすんな、気にすんな」
むくれた顔を見せるダイの肩を、乱暴な程の勢いで叩いて。ポップは更ににんまりと笑う。
そして、その人の悪い笑みのまま。
ダイの耳元で「どうする?姫さん浮気してたら」と悪魔の囁きを。
しかし、その悪魔の囁きも純粋を魂の色とした勇者の前では意味を成さない。
「浮気って何?」
コントの様に、ずこっとこける身体を支え直して、ポップは些か毒気の抜かれた顔で。
「……えっとだな……ラーハルトのことが好きになっちまってたらどうする?」
「ええっ?!」
思った以上に大きな声が出て、ダイは思わず口を手で塞いだ。
そして、周りを伺う様に視線を彷徨わせて。
ポップの方をおずおずと。
「……そんなことあると思う?」
「まぁ言いたかねぇけどさー。ラーハルトはお前より身長も高いし。年上だし。
女ってのは年上に弱いもんなんだよ。頼りになるっていうかさーーー
まぁ、言いたくねぇけど顔だってイケメンだしさ…
ま、身長あって顔あって、だったら惹かれちまっても仕方ねぇんじゃねぇの?
だからマアムだって俺よかアイツを選んだわけだしぃ」
最後のは若干愚痴混じりだったが。
それでもポップの思惑通りに、ダイは不安を煽られて。
「…そうなのかな…?」と。
考えれば、考える程つじつまが合ってくる気がしてくる。
レオナは連日『ラーハルト』の作るお菓子を目当てにやってくる。
自分に会いにくるわけじゃない。そう思うと、いつも見ていたあの笑顔も、自分にではなくてラーハルトに向けていたもののような気がしてきて。
だんだん。だんだん。だんだん…
「そうだよね…ヒュンケルの方がポップよりカッコいいもんね」
「おい!」
デルムリン島という、野生の王国で育ったダイの価値観は、人間よりも動物に近い。
そして動物の雄の良し悪しはやはり、腕っ節の強さだったり身体の大きさだったりするところが多い。
中には外見が派手だったりするのもあるけれど、それも含めて。
「ポップは確かにいい奴だしカッコイイと思うけど、やっぱりヒュンケルの方がカッコイイよ?」
いきなり、からかってた相手から手酷いしっぺ返しを食らって面食らってるポップにさらなる追い打ちをかけて。
ダイははぁ、と小さく溜息をついた。
今、ポップに対して思った評価はほぼまんま、自分にも当てはまる。
確かに腕っ節だけで言ったら、ラーハルトよりも上なのかもしれないが、それでも。
竜の騎士という一種反則な、そして裏技のような方法で父親の力を手に入れてパワーアップしたダイとしては。それを声高に(誰に遠慮する必要もないのだけれど)俺が一番強い!とは言いにくい。
「やっぱり…そうゆうもんなのかな?」
反撃に遭って、やり返そうかとしていたポップは。ダイのその一言に一瞬、冷静になる。
見れば、心ここにあらずと言った風情で。ぼんやりと。
「おいおいおいおい、どうしたよ?何?弱気なのか~?」
さっきまで不安を煽っていたのに、180度鮮やかな方向転換を決めて。ポップは今度は慰めに入る。
「うん…弱気って言うよりもさ…そりゃそうだよなぁって…」
ダイの言葉は、ポップには痛いほど良く解る。
何度となく、自分と長兄を比べてきたのだ。
『男』としての完成度という点に於いて、(自分が成長過程であるということを考慮しても)それでも悔しいと思ってしまう。
体躯、身長、筋肉、知識。総てが。
少しでも『勝負』したくて、筋トレをしてみたり、体力をつける為に走り込んでみたりしたが。
如何せん、戦士と魔法使いでは基礎体力の段階で勝負にならない。
勿論、人間性や総合ポイントではそれなりに良い勝負まで近づいたんじゃないか、と思うけれど。いや、思いたいけれど。
それでも、本当に何度も何度も。
それこそ、長兄が視界に入る度に、自分と比べて。惨めな気分になったものだった。
そんな気持ちになる必要なんかないのに。
勝てない部分で勝負を挑む必要なんかないのに。
それでも、やはり『男』としての部分を意識してしまうのは。
やはりこれは、本能的なものなのだろう。
「まぁさー、あの手の人種はいけすかないもんと相場が決まってんだよ」
ヒュンケルもラーハルトも。なんだかんだ言って、欠点がないトコロがムカつきに拍車をかける。
性格はお世辞にも良いとは言えないけれど、かと言って嫌な奴かと言われれば良い奴だったりして。
顔がよくてタッパがあって、強くて、自信に満ちてて。それで頭も悪くない。
なんだそれ。神様、不公平すぎじゃねぇか。とぼやきたくなる。
いや、何度もぼやいて、きっと神様も耳にタコが出来てるだろう。
思い返すと、更にムカついてきた。
姫さんも姫さんだ。なんだよ?結局顔か?男は顔なのか?
拳を握りしめて一人憤慨するポップを眺めながら、ダイはもう一度溜息を。
その溜息を拾って、ポップががしり、とダイの肩を掴んだ。
「ダイ。諦めんな。頑張れ。俺も協力するから!」
それこそ決戦前を彷彿させる強い目力に押されて、ダイはつい頷いてしまったが。
協力も何も…
戸惑いが素直に顔に出るけれど、それを汲み取るはずのポップは既に一人で勝手に盛り上がってしまっている。
「まぁ、そうと決まればまずは偵察だな★ってことで、ちょっくら行ってくらぁ!待ってろよ!」
言うが早いか、ポップはダイを残して部屋を飛び出していく。
折角遊びに来たのに、また取り残されたダイは暫くその背中を見送った後。
なんだかやり場のない気持ちを持て余して、八つ当たりするようにポップの淹れてきてくれた、もう既に冷めきってしまっているお茶を一気に飲んだ。
§§§§§§§§§§§§§
キッチンの窓が開いている。
そこから漏れる甘い匂い。
ひょい、と覗きこむとレオナが怒鳴られながらチョコレートを包丁で少しずつ削っている最中だった。
「もっと細かく削れ、不器用女」
「細かいじゃないの!それに溶けたら一緒でしょ??」
「一緒じゃねぇよ!チョコレートなめんな!それでどれだけ食感変わると思ってんだ、馬鹿」
はて。
ポップは首を傾げる。
勢い勇ましく飛んできたのはいいけれど、目の前の光景は想像していたものとは随分と違うものだった。
まぁポップもそこまで本気でレオナの心変わりを疑っていたわけではなかったのだけれど。
なんとなく。
自分と重ね合わせて熱くなってしまったのだった。
まぁとりあえず気を取り直し、濡れ場だったり最悪な状況ではなさそうなので。
キッチンに繋がる勝手口の扉をノックもせずに挨拶と同時に開いた。
「こんちはーーーーー」
瞬間。
聞いたこともないような甲高い悲鳴。
そして削ってたチョコレートの塊が、ポップ目がけて飛んでくる。
ぶつかる直前にチョコレートはラーハルトによって受け止められた。
「っ……てめぇ!上質のクーベルチュールだぞ?!何考えてんだ?投げんな!」
「うっ…わあああああ。吃驚したーーーーー」
「出て行って!出て行って出て行って出て行って!何勝手に入ってきてんのよ!誰の許可があって入ってきてんのよ?
何?王家反逆罪適用して処刑するわよ!あんた!!」
それぞれがそれぞれ、叫びあって。
一時、阿鼻叫喚のような図が展開されたが。
みゃーみゃー鳴いて掴みかかろうとするレオナの襟首を掴んで、ラーがチョコレートと一緒に元の場所に戻す。
「温度が上がるだろうが。糞。とっとと削れ」
一言。そして有無を言わさず一瞥。
そして不機嫌なままにポップに振り返って
「てめぇも室温変わるだろうが。入るなら扉締めろ」
ひと睨み。
ポップは慌てて扉を後ろ手に締めて、そして恐る恐る振り返る。
「えっと…」
「出て行きなさいよ!」
「口動かしてねぇで手を動かせ」
正直。ちょっと出て行きたい気もした。
帰って、ダイにあんまり心配するようなことじゃないと伝えてやるべきだろう。
これはどう見ても…
そんな艶っぽいような状況には見えない。
なんと言っても、レオナがちょっぴり半泣きだったりする。
そんなレオナの一挙一動を見逃すまいと、殺気すら籠った厳しい視線で見ているのは歴戦の戦士で。
流石に。これに睨まれたままは酷いプレッシャーだろう。
その殺伐とした環境に全然マッチしていない、空気中に漂う甘い甘い匂いに。ポップはふ、と思い至って。
壁にかけられてるカレンダーに目をやった。
「何?姫さんチョコレート作ってんの?」
最近、仕事(というか、アバン先生から頼まれた調べ物)が忙しくてすっかり忘れてた。
来週には、バレンタインデーがあるじゃないか。
ということは、今泣きそうになりながら。ダイに内緒で作ろうとしているコレは。
なーんだ、と。
つい、顔がにやける。
「何笑ってんのよ!」
「いやいや、別に~~~~」
手を頭の後ろで組んで、にやにやと笑いながら。
レオナがこっちに来ようとするのはラーハルトが止めるので、これっぽっちも怖くはない。
だから更に助長して、煽ろうとするのを。
耳元を風が通り過ぎた様に感じた。
だが、耳のすぐ側で響いた音は風なんてそんな柔らかなものじゃなく、もっと硬質的で鈍い音。
おずおずと視線をそっちに動かせば、自分のすぐ横の壁に竹串が一本。まるでそこから生えているかのように、突き刺さっていた。
超高速で投げられたことは想像に容易い。
「煽んな。集中しねぇだろうが。ただでさえ注意力散漫なんだ、この小娘は」
がくがくと。痙攣したように頷いて。
どれだけのスピードで投げれば、何の変哲もない竹串が石の壁に刺さるのかを想像して。更に青くなる。
絶対、人間じゃねぇ(いや、人間じゃねぇんだけども)
冷静に突っ込みを入れる余裕があることに内心驚きながら、ポップは背中をダラダラと流れる嫌な汗に気付かないふりをする。
とりあえず話の矛先を変えようと、レオナの作業へと視線を移動させて。
「で、姫さんは今何をしてんの?」
「見て解るでしょ?チョコレート削ってんのよ!」
「いや…そりゃ見たら解るけど…チョコレートって削って溶かして固め直して完成?」
確かに。想像すればそれだけの行程でしかないのだ。
こんな殺気だって行うものではないような気がする。
しかしソレに異を唱える様にラーハルトが口を挟んだ。
「クーベルチュールは細かく削って湯せんにかけて30~40度に溶かす。
それを大理石の上に三分の二程ぶちまけて、練りながら28度くらいに冷ます。
固まりかけたら、削り落して 残ってる三分の一の方に戻して静かに混ぜてから、もう一度湯せんにかけて溶かす。
この時の適温は30度だから注意すること。
この状態でやっとチョコレートとして使える状態だ。
削って溶かしただけのは、ただのドロドロだ。解るか?『ただそれだけ』が重要なんだよ」
澱みなくスラスラと行程を説明して、ラーハルトは「ほら、手が止まってる!」とレオナを叱りつける。
「えっと…クーベルチュールってチョコレートとは違うのかい?」
「クーベルチュールは製菓用チョコレートを指す場合もあるが、本来は総カカオ固形分35%以上、カカオバター31%以上、無脂カカオ固形分2.5%以上、カカオバター以外の代用油脂を使用してない物を指す。
常識だろう?」
さらりと。
これまた澱みなく応える男に、その場にいた二人とも『常識じゃねぇよ』という視線を向けたが、向けられた本人は一向に気にする素振りを見せずに、手元に置いてある珈琲に口をつける。
「チョコレートの味の良し悪しは、ショコラティエの腕の良し悪しではっきり差が出る。
だが、多少なら材料の良さで誤魔化しも効くだろう?」
まぁ。大概の料理はそうゆうものだろう。
素材が良ければ、有る程度のカバーは出来る。
それこそ、塩コショウだけでも食べられるものだ。
「流石に一週間やそこらで小娘が優秀なショコラティエになれるはずはなし。こればっかりは仕方がないからな」
やれやれと首を振るが。
「えっと…姫さん…そんな本格的に…??」
バレンタインのチョコレートなんてものは。精々頑張っても前日夜遅くまで起きて頑張る程度のものだと思っていたのだが。
世の中の乙女たちはみんなこんなにも努力しているのだろうか?
「私だってこんなことになるなんて思ってなかったわよ!だって普通、お菓子作りってもっとなんか違うくない??」
「あのなぁ。ディーノ様にそんなわけの解らん物食わせられると思ってんのか?
お前たちが勝手に食べるなら何だって構わないがな。ディーノ様の身体の中に入ると解ってるもんを手抜き出来る訳なかろうが」
「いやいやいやいや、あいつは拾い食いしても大丈夫だと思うけど…」
正真正銘、野生児だったのだから。多少変な物を食べた所で壊れる腹ではない。
しかしそれに関してはラーハルトに譲る気も、譲らせる気もないようだ。
「それはキアリーが使えるから毒を盛っても平気と言っているのと同じだ」
激しく違う気もしたが。
この話題に関しては、絶対に己を譲ることはないだろうから、ポップもレオナも黙りこむ。
キッチンには、チョコレートを削るゴリゴリゆう音だけが低く響いた。
その音は少し、恨めしい音にも聞こえなくもない。
「えっと…で?ここ最近ずっと毎日これやってんの?」
「当たり前だ、テンパリングがそんな短時間で習得出来ると思ってんのか?」
「テンパリングって何?」
「あのなー…どんだけ無知なんだ、お前は」
深く溜息をつかれ。自称常識人のポップは甚く傷付く所だったが。
「クーベルチュールには多くのカカオバターが含まれてるが、そのカカオバターに含まれる脂肪の融点が微妙に違うわけだ。
だから、そのまま使っちまうとブルーム現象っていって表面が白い斑点みたいな染みが出てきちまって、口当たりはザラザラの最悪なものになる。
それを防ぐために必要なのがテンパリングで、一度温めることで、カカオバターを分解して、安定した細かい粒子に結晶させて、融点を揃えることを言う。
その結果、口当たりが滑らかなチョコレートになるわけだな。
ポイントは手早く、静かに、空気を混ぜないように、温度管理を完全にすること。理解したか?」
此処は本格的な調理学校かなんかなのだろうか??
全く不必要な本格的チョコレート知識を手に入れて、ポップはとりあえず「へぇ」と言うしか出来なかった。
まぁなんにせよ。ここ数日、レオナが籠ってテンパリングの修行に明け暮れていることは理解出来た。
「あのさ…お前…戦士なんだよな…?」
一応、確認しておく。
ラーハルトは不思議そうな顔をして、「今更何言ってんの?お前」と。自分の行動が疑問を抱かせているのだが、我知らず、関せず。
そこにレオナが「出来たーーーー!!」と大声で知らせる。
見れば、まな板の上に削られたチョコレートの山がこんもりと。
「じゃあとっとと湯せんにかけろ。行程解ってんだろうが」
ラーハルトは何処までも休ませるつもりはないらしい。
唇を尖らせながら、鍋に向かうレオナを追いたてて。「温度、きちんと見る!」と急きたてる。
なんだかよく解らないが、とりあえずダイが心配しなきゃならない事態は一切なく(いや、別の意味で心配しなきゃなんないかもしれないが)どっちかと言うと長居はしない方が良い状態みたいなので。
そっと退散することにする。
しかし扉を開けた瞬間に、襟元を掴まれて。
そこまで広くもないのに移動速度は半端がない半魔族のポテンシャルに舌を巻きながら、おずおずと伺えば。
「悪いが、黙ってやってくれ。ディーノ様はもとより、占い師やピンクにも」
「言ったら殺すから」
なんとも物騒な声も聞こえる。俺はとりあえず馬鹿の一つ覚えのように何度も頷いて、なんだかよく解らないけれど本格的はショコラティエ?育成講座を後にした。
家に戻ったけれど、そこにはダイの姿はなく。
汚い字で(しかも書類の裏に)置き手紙で先に帰る旨が。
ポップは親友が変に落ち込んでないことを願いながら、少しだけ。
今日学んだことが本当に常識だったらどうしよう、と頭を抱えた。
§§§§§§§§§§§§§
パプ二カの街を少し散策して、ダイは時間を潰すことにした。
人間のことは大好きだけど、やはりデルムリン島育ち。自然の中の方が落ちつく。
魔界に引っ込んだりするつもりはないけれど、それでもこんなに多い人ゴミの中に出るのは随分と久し振りで。
城下町はまるで毎日がお祭りのようだ、と思った。
近々バレンタインというイベントがあるらしい。
思い返せば、去年。レオナたちがチョコレートをくれた。
街中、至る所に飾りつけられた色様々な飾りが、否応にも楽しい気分にさせる。
だから街を歩いている間は、ささくれだっていた心情を意識しなくて済んだ。
何も考えずに、可愛らしい色の風船や、チョコレートの試食を楽しんで。
気付けば、小一時間はふらふらしていたようだ。
いつもだったら、そろそろレオナが帰る時間。
最近は用事を済ませたレオナはさっさと帰ってしまうので、自分を呼びに来るのはラーハルトで。
せめて『バイバイ』くらい言いたいのに。
考えて。また。
イライラ。
ちくちく。
家の中から騒音がしないので、レオナは帰ったみたいだ。
扉をそっと開けて、中を確認すると。気配を察したのか、顔をあげたラーハルトと目が合った。
「お帰りなさい。ディーノ様」
「ただいま、ラーハルト。レオナはもう帰ったの?」
「はい、先程お帰りになりましたよ」
扉の前まで出迎えに近づいて来て、着ていた上着を受け取って。慣れた手つきで畳みながら、ダイの斜め後ろをついてくる。
最初、慣れないうちはこの動作ももの凄く違和感を感じて、何度も振り返ってしまったけれど。最近は慣れたので、振り返ることなくリビングまでの短い廊下を他愛もない話をして進む。
今日何があったか、とか。
パプ二カの城下町が賑やかだった話とか。
だけどすぐに話題も尽きて。
気になっていることが、つい口をついて。
「最近さ…ラーハルトはレオナと仲が良いよね」
「…は?」
今まで普通に返事を返していたラーハルトが一瞬戸惑ったような声を出す。
「なんか二人だけで遊んでるし…レオナ、楽しそうだよね」
そう言って。振り返ろうとした頭を。
背後から、わし、と。
そして握ったその手に力が込められる。
みしみしと、頭蓋の軋む音と。激痛。
「いたたたたたたたたたたたたたたたたたたたた、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!」
竜闘気を身体に張ってたならまだしも、全く予測してなかった所にかけられたアイアンクローは流石に痛かった。
涙目になって、解除を懇願する。
頭を握っている手首を返して、ラーハルトはダイの顔をこっちに向けさせると。
目が合ったのを確認して、にっこりと。何時ものように笑顔を浮かべる。
「ディーノ様。しょーーーーーもないこと言ってないで、早くうがい手洗いしましょーーーね」
「…はい」
頭をがっしりと掴まれているので、頷くことが出来ないから。とりあえず返事を返して。
かけられた時同様に、頭を掴んでいた力は唐突に外されて。
その後、わしゃわしゃと撫でられる。
「くだらない心配は必要ないですよ。大丈夫です。
気に病む必要なんて、一切ないですから。
それに、申し訳ないですがあんな小娘を相手にしているのかと勘繰られるのは正直、不愉快です…
俺、そこまで女に不自由してないですよ…」
はぁ、と溜息を大仰について。そしてそっと背中を押す。
「さ。うがい手洗い、うがい手洗い」
促されて。それに従いながら、ダイはそっと後ろのラーハルトを伺う。
ラーハルトはいつものように笑顔のまま。だけどそこに有無を言わせる隙は微塵もなく。
ラーハルトから真意を問いただすことは難しいことを知っているダイは、そのまま何も言うことなく洗面台へと向かう。
その背中にラーハルトの声が。
「ディーノ様。俺の苦労も、ディーノ様のもやもやもどうせ後二日ですから。
ここは男らしく、そんな小さなことに囚われてないで。どんと構えていて下さいな」
楽しそうなラーハルトの声が飛んでくる。
あと、二日。
二日後に何があるのか解らないけれど。
それをうだうだ考えた所で、答えなんて手に入らないことは解っているので何も考えないことにする。
手を洗う冷たい水が、冷たいながらも気持ち良くて。
なんだかもやもやしたものも薄れてくるような気がして。
それと同時にもう一つ。思い至って。
嗽手洗いを済ませて戻ると、ラーハルトは夕飯の支度にかかっていた。
その余計な動きの全くない、背中に向けて。
「レオナは『あんな小娘』って呼ばれるような子じゃないよー」
ラーハルトは驚いたように振り返り、少し考える顔をして。
小さく溜息。
「血は争えないですねーーー。女の趣味はいまいち」と。さらりと悪口を言って、作業に戻った。
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