浸食




事の始まりに気が付いたのは、漁師たちだった。

漕いでいる船の進みが遅い。異様に重い。こないだまで捕れていた魚が捕れない。

気象が乱れているわけではないのに、その変化はじわじわと。そして確実に起こっていた。

何が原因かわからないまま数日が過ぎ、ある日。海岸に打ち上げられた『ソレ』を発見した。

最初はよく出来た置き物か何かだと思った。しかしそれが無数に打ち上げられると話は変わってくる。

 

『ソレ』は魚だった。

ただ、その魚は。石だった。

 

物凄いリアルな石の魚。

それが海岸にびっしりと打ち上げられていたのだ。

 

そしてその異変を後押しするように、石の海藻や、貝なんかも打ち上げられていく。

海岸はみるみるうちに石の彫像によって埋め尽くされていく。

そして、その彫像を運ぶ海自体も。徐々にではあるけれど、砂に覆い尽くされていっているように思えた。

砂。石。せり上がってくるソレ。

 

低い所から、高い所に。徐々に徐々に浸食していく。

 

そしてその現象は、人間にも牙を向き始めた。

 

海岸から陸地へ。そして内地へと。低い所から少しずつ高い所へ。

坂をゆっくりと登り、下る時は一気に押し寄せる。

最初は漁師街の奇行に過ぎなかった現象だったが、そのうち。内地にまで迫った現象に世界中がパニックに陥った。

少しでも。少しでも高い所へ。

少しでも内地へと。人々は逃げ惑う。

逃げ遅れた人間が徐々に、徐々に石になっていく。

足から頭へと。ゆっくりと登ってくる石化。

石化しつつある自分の家族や、恋人、友人を荷車に載せて運ぶ人々を新たな悪夢が襲う。

現象は、石化した人からも発症するのだ。

まだ石化現象が起こってない高台、内地まで石化した人を連れて避難すれば。石化した人の足元から、それが発症して一気に広まる。

それに気付いてからは石化し始めた者は置いて行くしかなかった。

見捨てるしかなかった。

それでも中には見捨てられない人も出てくる。自分が石化し始めていることを言い出せない人も出てくる。

そうなってくると、人は相手を信用出来なくなってくる。疑心暗鬼が猜疑心を産み、そして悪意が生まれる。

 

こうして、新たな危機に世界はギスギスと音を立てて崩壊しようとしていた。

 

 

 

低地から高地へと移行していく異変。それに一番有効的な移動手段は空中を飛ぶことだ。

ポップはアバンからの指令を受けて、世界で起こっている異変の正体を探るべく連日トベルーラで世界中を飛び回っていた。

各国の王達は、それぞれ内地の高台へと避難をしているが、そこへ国民がなだれ込んでくるため、その対応で自由には動けない状態だった。

本当ならば、アバン自らの目で異変の調査、確認がしたいだろうに。国王であるアバンに、流石にそれは叶わずその命をポップに託した。

それを理解している分、ポップも気合が入る。本来ならオーバーワークだが、それでも連日飛び続ける。

 

そして。その結果。

妙な建物が建っていることを突き止めた。

それは海からにょっきりと。天を貫く様に生えている建物で。一見機械のようにも見えるけれど、近づけばゴウン、ゴウンという低い地鳴りのような音を響かせて、そして表面はぬらりと光り、何処か生き物の鼓動、生々しさを感じさせた。

それが世界に三本。その三本を結んだ中心点が、最初に異変を察した場所だった。

 

これが原因に違いないと、慌ててポップはアバンの元へと帰る。

そして緊急の作戦会議が開かれることになった。

 

場所は内地で、まだ国家としての被害が然程出ていないカール。

用意された会場に、アバンの使徒、クロコダイン、ヒムといったモンスター達、会議の主催者であるカール王アバン、フローラ。

そして、竜の騎士であるバランとラーハルト。

 

「皆さん揃いましたね」

面々の顔を眺めてから、アバンが口を開く。それぞれ緊張した面持ちでアバンを見返す使徒達。

「それでは…」

アバンが会議の開始を宣言しようとした瞬間。その声が上がった。

 

「済まないが。私達が此処に呼ばれた理由が解らないのだが?」

 

決して大きな声ではないが、よく通る低い声。一言発言をすれば、その場の空気を一瞬で変えてしまう様な威圧感。

発言主は竜の騎士、バランだ。

「何故、とは…?」

「そのままの意味だ。此処に呼ばれる理由が解らない」

バランはハッキリと澱みなく言いきる。

「何を言っている?バラン。今起きていることは人間とか魔族とか全く関係なく地上に生きるモノ総ての危機だろう?」

見兼ねて口を出したのはクロコダインだ。

だがそれに失笑を返して、バランは小さく首を横に振る。

「地上のことが私に関係があると?」

「貴方だって地上が総て石と化したら困るんじゃないですか?」

クロコダインの言葉を引き継ぐようにアバンが続けるけれど。それに関してもバランは失笑を返す。

「別に地上にいなければならないわけではない。住みにくいと思えば移動するだけのことだ」

「けどダイ君が…」

「ディーノはディーノの好きにすればいい。我が子だからと言って、毎回毎回親が尻を拭ってやる必要はないだろう?」

やろうとする事を止めはしないさ、と。バランはそれだけ言って瞳を閉じた。

そして優雅にも思える仕種で、出されたお茶に口をつける。

「…っしかし…」

流石に。何が待っているか解らない現状だ。少しでも戦力は欲しい。

そしてそれが竜の騎士の戦闘力となれば、願いこそすれ、失いたくはない。

「万が一、ダイ君に何かあったらどうします?」

アバンの言葉に、バランは少しだけ眉間に皺を寄せる。

「だから協力をしろと?その言い様はまるで人質でも取っているかのようだな。カール王」

ぴしゃりと。言い放つ言葉に、流石にアバンも口を閉じる。

「それに、だ。私には息子が二人いるのだよ。

 前回は下の子の為にひと肌脱いだが、流石に毎回毎回下の子の為に上の子をないがしろには出来まい?私は二度もこの子を裏切ることは出来ん」

そう言って、背凭れに体重を預ける。

その後ろには、ラーハルトが立っていた。(勿論椅子は人数分用意されているのだが、決して座ろうとはしなかった為バランの背後に立つ形で会議に参加していた)

ラーハルトは言われた言葉に一瞬きょとんとして。「…え?」と。

そして辺りを見渡す様に、きょろきょろと。

「私はこの子に人とは関わらないで生きて行ける人生を約束した。

 しかし先の大戦でその約束は反古になった。だがそれでも、だからと言って破り続けて良いわけではあるまい?

 前回は下の子の顔を立てた。なら今回は上の子を護るべきだろう?」

言いきって。そして立ちあがる。

コレ以上話すことは何もない、と。それだけ言い捨てて。

「ラー、帰るぞ」

背後に呼びかけて、くるりと背を向ける。

ラーハルトは困った様に首を傾げて、そして視線をダイへと投げかけた。

 

ダイはラーハルトの視線を受け止めながら。

この義兄について考える。

『人間が嫌いだ』と。それを隠すことなく、それでも自分が人間が好きだから、ずっと自分の側に。『人間』の側にいた義兄。

一緒にいれば人間の良さもきっと解ってくれる、と。

好きになってくれるんじゃないか、と思っていた。

だけど。ずっとイヤなことを無理強いしてきたのかもしれない。それは今まで考えないようにしてきたことだった。

自分の主観を押しつけて、ラーハルトの意思を無視してきた。

自分の主張が通ることに甘えて、ずっと。

先の大戦だって。ラーハルトはバランの意思があったから、手助けしてくれたのだ。

アレがなかったら、助けてくれることはなかっただろう。だって、ラーハルトは魔王軍の側だったのだ。

ヒュンケルやクロコダインとは違う。自分の意思でこっち側についてくれたわけじゃない。

バランが命令したからこそ、こっちについてくれたのだ。

そう思えば。

 

「うん。そうだよね。これは俺達の問題だよ」

ダイは強く、一回。自分に言い聞かす様に頷いた。

何処かで、バランもラーハルトも当たり前の様に協力してくれるものだと思い込んでいた。甘えていた。

先の大戦でも、バランが協力を申し出てくれるまで、そんなことがあるはずないと思っていたのに。

なのに、何故か。バランもラーハルトも手を貸してくれるものだと。そう思い込んでいたのだ。

「ダイ…」

横のポップが。声に『本当にいいのかよ?』というニュアンスを込めて名前を呼ぶけれど。

それにもう一度、頷く。

「俺達、このメンバーで成し遂げてきたじゃないか。大丈夫だよ。

 それに父さんは一回言い出したら絶対に曲げたりしないよ。頑固だもん」

それは。本当に。痛いほど、知ってることだった。

「ディーノ様…」

立ち去ることに逡巡していたラーハルトが、義弟の笑顔に痛々しそうな表情を浮かべる。

「大丈夫。ラーハルトも無理しなくていいから」

そう言って。ダイはいつものようににっこりと笑った。

 

 

そこに。慌てた様子で従者が飛び込んでくる。

そしてなだれ込むように、後ろから三賢者が一人、アポロが。

「アポロ!」

今やパプ二カ騎士団長となったヒュンケルにとって、いつもは冷静沈着なこの同僚の慌て具合は異常で。驚いて駆け寄る。

アポロはヒュンケルを見て、そしてダイに視線を動かして。重々しく、口を開いた。

 

「…レオナ姫が……石化を始めた…」

 

 

 

 

 

四方を海に囲まれたパプ二カは、汚染が他の土地に比べて早かった。

気球を使っての、早急な国外脱出を提案されてきたレオナだったが、国民を見捨てることは出来ないと。高台の自分の別荘を国民に解放して、少しでも石化する国民を、それが例え時間稼ぎに過ぎなかろうとも、護ろうとしていた。

ギスギスして、争いが絶えなくなった国民の意思を少しでも前向きに明るくするために、積極的に気球で慰労訪問に出かけた。

そして事件はそんな慰労訪問先で起こった。

 

街の人間が憩いの場として愛した噴水。

恋人たちの待ち合わせや、願い事が叶うなどとも言われ、ちょっとした観光スポットにもなっていた。

少し高くなっている、そこに降り立って、レオナは辺りを見渡す。

いつも人が溢れていた筈のその場所は、殺風景な場所に変わってしまっていた。

くぐもった声があちらこちらで聞こえる。

それは身体が半分ないし、大部分が石化してしまって動くことがままならなくなった人間の発する声。

ここ最近、聞かない日はない。それでいて、一向に聞き慣れるということがない、声。

 

そんな声の中に、混じった音に。レオナは耳を澄ませた。

間違いない。それは泣き声。

大人ではない。子供の。赤ん坊の泣き声。

 

慌てて辺りを見回して。レオナはそれを発見する。

首まで石になった女が両手を高く、少しでも石化しないように高くあげて。

そしてその手には、おくるみに抱かれた赤ちゃんが。

母親なのだろう。我が子を護ろうと必死で。もう固まってしまった肩ではそれ以上あげることが出来ない腕で。

赤ん坊を上げ続けている。

石化はすぐに進むわけではない。それは何時間とかかるものだ。

そんな時間。この母親はずっと。それこそ筋肉がおかしくなっても仕方がないのに。

ずっと赤ん坊を上げ続けていたのだろう。

 

その女の腕が。

レオナと目が合った瞬間、緩むように。

引きつる様に。戦慄いた。

 

その行動に。

理由はない。

 

レオナは走っていた。

その女の元に走っていた。

 

周りの護衛が気が付くのは一瞬遅かった。

女の腕から赤ん坊が。

ずっと異常な状態で支えていた腕の可動部分が。石化したその部分が。

イヤな。みしりという音を立てて。

ぼろり、と崩れる。

 

重力に殉じて、放り出される赤ん坊に向かってレオナは駆けた。

赤ん坊越しに、女がじっとレオナを見ている。

その瞳からは、未だに石化してない涙がぼろぼろと流れていた。

 

赤ん坊が地面に叩きつけられる前に。

レオナは間に合った。滑り込むように、地面と赤ん坊の間に身体を割り込ませて。

 

「…間に合った…」

「ああ…レオナ様…」

 

レオナの吐息と。

女の声が重なった。

 

そう。その場所は女の足元。

そこは。石化が始まる低地の場所。

 

瞬間。レオナは自分の身体の中から、聞いたこともない音が響くのを聴いた。

そろそろと立ち上がり、辺りを見渡す。

自分の方に駆け寄ってこようとしている従者たちが見えた。

 

「来ちゃ駄目!感染するわ!貴方達まで石になってしまう」

手を伸ばして、従者を制する。

「すぐにお城に戻って、三賢者たちにこのことを報告して。私を連れ帰ってはダメ。

 私を乗せて気球に乗れば、私より下にいる人は総て感染してしまうから」

的確に。今出来る指示を出して。

そしてレオナは手の中の赤ん坊を見る。

母親の足元すれすれで受け止めた、ということは。この子ももう感染してしまっている。

そっと、おくるみを剥がすと。足の指先が肌とは程遠い色になってきていた。

 

「…ごめんなさい…折角貴方が一生懸命護ってたのに…」

女はまだ辛うじて動く唇で、そんなレオナに言葉を紡ぐ。

「何を言ってるんですか。姫様が受け止めてくれなかったら、その子は地面に叩きつけられてたんですよ?

姫様が、この子を護ってくださったんです」

そう言って、泣きながら眼球だけでレオナが胸に抱いている赤ん坊を見ようとする。

首が石になってしまっている所為で、俯けないのだ、ということに気が付いて。レオナは女が見やすいであろう位置に赤ん坊を担ぎ上げて。

「大丈夫よ。きっとダイ君達がなんとかしてくれるから。そしたら、また直ぐにこの子を抱けるわ。

 それにね。国民を護るのは王の当然の務めなの。貴方もこの子も私の愛する国民、愛する家族よ。

 感謝なんかしていらないわ。それが当然なんだもの」

にっこりと。

少女は笑う。

 

その周辺で唸っていた石化しようとしている他の人間は。

その少女を見て、唸るのを辞めた。

そして、残った時間。自分達の愛するこの国王が、この呪いから解き放たれることだけをひたすら祈った。

 

 

 

 

アポロの報告に。ヒュンケルは静かに拳を握りしめる。その拳が、力を込められて白く白くなっていく。

そしてダイは、ただ茫然と。聞き入っていた。

「…レオナが…石に……」

すんなりとは受け入れられない現実。

駆けつけて、なんとかしてあげるから、とも言えない。

レオナの側に行けば、自分も感染してしまうから。

 

「…急がなくてはなりませんね…」

アバンの声が、低く響いた。

ヒュンケルの握り締めた拳を、そっとマアムが上から握る。

条件反射のように顔をあげて、マアムの顔を見て。そしてヒュンケルは緩々と拳から力を抜く。

ポップがダイの肩をそっと抱いた。

 

そして。

ラーハルトが溜息を零す。

 

「仕方がないですね。ディーノ様、力を貸しますよ」

弾かれるように、ダイは顔をあげる。

「…でも…」

「でも、じゃないでしょう?あとバラン様のことも任せて下さい」

「…父さんは…頑固だよ…絶対に協力してくれない…」

「大丈夫ですよ。バラン様はね。俺には超絶甘いんです」

にっこりと。そしてダイの頭を撫でて。

頬を両手で包んで、その瞳を覗きこむ。

「ディーノ様、ちゃんと前を向いてください。下を向いてたら、見えるものも見えなくなります」

正直。レオナが石になると聞かされて。絶望で泣きそうだった。

だけどそれをラーハルトは許さない。

じっと。じっと覗きこんで。

その瞳の奥に、微かに希望が滲み始めたのを確認して。そっと手を離した。

 

「おい、本当に説得出来んのかよ?」

ポップが疑わしげに声をかける。ラーハルトは肩越しに振り返って。

「バラン様が俺の頼みを断るなんて、あり得ないね」と、妖艶にも見える笑みを返した。

 

 

 

 

「バラン様」

さっさと帰る準備を整えて、ラーハルトが到着するのを待っていたバランは。ラーハルトの声に混じる音を聞き逃さなかった。

「…ラー。何も言うな」

溜息を吐きながら、振り返る。

ラーハルトは小首を傾げながら。じっとバランの瞳を見つめて。

そして「解りました。何も言いません」と呟いて。

ただ。じっと。

じっと。見つめる。

身長がバランの方が高い分。それは自然と上目使いになり。

 

碧色の瞳が。

じっと。じっと反らされることなく。

5秒、10秒と合わされる。

 

結果。それは30秒も保たなかった。

「ラー…お前はどうしてそうなんだ?」

「ディーノ様を放ってはおけません」

「お前は弟に甘すぎる」

「それは仕方ないです。だって俺はバラン様にも母にも甘やかされて生きてきたんです。

 甘やかす以外の接し方。知らないですもん」

そう言って。猫の様に笑う。

その笑みに、バランは大きな溜息を一つ。そしてその頭を乱暴な程にわしゃわしゃと撫でて。

「…ソレでお前はいいのか?」

「バラン様だってディーノ様が心配でしょう?バラン様のお心がそれで少しでも晴れるなら、俺にとってそれ程望ましいことはないですよ」

さらりと言って。そして何時も通りの、満面の笑顔を見せる。

この笑顔に滅法弱いことを自覚しているバランは、もう一度溜息をついて。

いつだって自分のことより、他人を優先しようとするこの長男を繁々と見詰める。

「上も下も困った子供達だ」

「面目ありません」

反省する気もないように。笑いながら言い放つラーの頭を、今度は幾分か優しく撫でて。

バランはその笑みに釣られるように、笑顔を見せた。

 

 

 

 

「上の子がどうしても手を貸してやれと言う。だから今回は特別だ」

会議室に戻ってきて、憮然と言い放って。さっきまで座っていた位置にバランは就いた。

ラーハルトが説得に出て行って、有した時間はせいぜい10分足らずのことで。

バランは頑固で絶対に自分を曲げないと思っていたダイや、他のバランをそれなりに良く知る者たちは茫然と。バランとラーハルトを見比べる。

ラーハルトは我関せずで、さっきと同じようにバランの背後に立ちながら無表情に瞳を閉じて。何事もなかったようにそこにいる。

バランをよく知らないマアムやヒムは「話の解る人じゃないか!」と笑顔で迎え入れていたが。

ヒュンケル、クロコダイン、ダイは微妙な顔を浮かべたまま。それでもこの状況で竜の騎士が戦力に加わることを拒む理由にはならないので、曖昧に頷くしか出来ない。

「…どうやったのかね?」

ポップが小声でダイに囁く。ダイは眉間に皺を寄せて、小さく首を横に振りながら「わかんないよ」と。自分には無理だろうな、と見当をつけて。諦めたように呟いた。

 

 

 

 

作戦の結果、三チームに分かれることとなった。

この場所から一番近い塔へ、アバン、ポップ、ヒムのチームが向かう。

これは真っ先に乗り込み、調査し、破壊。そして結果を他のチームへ報告することに長けた人選だ。

ポップはそれぞれの塔の場所をしっかりと覚えているので、その場所にルーラで向かうことが出来る。

アバンはリリルーラで仲間と合流することが可能。

そしてヒムはトベルーラが可能、且つもし万が一身体が破壊されるようなことがあってもポップとアバンがいれば回復魔法でなんとかなる。それこそコアさえ破壊されなければ、闘い続けることが可能な。魔法使いが扱える、ある意味最強の兵器だ。

 

そしてダイ、ヒュンケル、マアムの三人のチーム。

マアムが回復魔法を使えることと、彼女がいればヒュンケルが無茶をしないだろうというアバンの裏の想定。

そしてヒュンケル自身は、ダイを落ちつかせて導く長兄として。

ダイも長兄、長姉が側にいれば幾分落ちつきやすい。それがレオナの危機だったとしても。

 

そして最後がバラン、ラーハルト、クロコダインの三人のチーム。

このチームはバランが回復魔法を使うことが出来る。クロコダインは魔王軍時代の同僚で、お互いそれなりに認めている部分もあるので、すんなりと同意に達した。

 

 

「それじゃあ、さっさと行って。ちゃっちゃと片付けてきますか」

ポップがおどけた様に笑みを見せて、力瘤を作って見せる。

「無理はしちゃ駄目よ?ちゃんと先生の言うことを聞いてね?」

マアムはそんなポップに、まるで母親のような注意をする。そんな様を眺めて微笑むヒュンケルと「大丈夫ですよ、ポップは」と笑いながら返すアバン。

「ま、俺もついてるしな」と声をかけるヒム。

「なんだよ?俺相変わらず頼りにされてねぇの!」

不貞腐れるポップにヒュンケルがやんわりと「頼りにしてるさ。だから無理はして欲しくないんだ」と。落ちついた声音で言うので。出鼻を挫かれた様にポップはそっぽを向いてしまう。

決して仲は悪くない。だがそれでも、未だにポップはヒュンケルが苦手だ。というより、素直になれない。

アバンに対して、ヒュンケルが素直になれないのと同じ『何か』なのだろう。

「では、行きましょう。皆さん、どうかご無事で」

パン、と空中で手を合わせて。

今までのおどけていた雰囲気を一掃するような声音で。

アバンは言い放つと、鮮やかな。見るモノを信頼させずにはいられない笑みを浮かべる。

そして弟子達に気付かれないように、視線を妻であるフローラに向けて。一度だけ頷く。

それに応えるように、フローラも気丈に頷いて返した。

 

 

「ヒュン」

背後から呼び止められて。

振り返り、ヒュンケルは親友の碧の視線を受け止める。

「ディーノ様に何かあったら、てめぇ承知しねぇからな」

本来なら、ダイ、バランと共に行きたいのだろう。だがそれはあまりにも戦力が偏る。それが解っているから、作戦会議中口を挟まなかったのだ。

その意思の籠った視線を受け止めて、ヒュンケルはその肩を軽く拳で叩く。

「解ってるさ。俺にとっても大事な弟だぞ?」

そして主の為ならいつだって総てを投げ出す親友に、一言。付け加える。

「お前も気をつけろ」

ラーハルトは鼻白んだような顔をして。その後、にやりと笑って見せる。

「貴様は何を忠告した所で死なんしな。まぁ大怪我を負って、ディーノ様の足を引っ張るのだけは止めろ」

何処までも容赦なく、ぴしゃりと言い放って。

そして先程ヒュンケルがしたように、肩を拳で軽く叩く。

ヒュンケルの氷を連想する、薄く蒼い瞳がふっと緩んで笑みを作った。

 

 

「ディーノ」

呼び止められて。我に返って振り返る。

「…父さん…」

そしてダイは慌てたように「ありがとう、協力してくれて」と頭を下げる。

「礼ならラーに言いなさい。お兄ちゃんはお前に甘過ぎる」

はぁ、と溜息をついて。そしてまだ、自分より随分と低い位置にある頭をそっと撫でる。

ダイは驚いて顔をあげて、そこにあるバランの双眸と目が合った。

厳しい中に、溢れるような優しさや愛情を見て。一瞬、喉が詰まるような感覚を覚えた。

「ディーノ」

「…はい…」

「お前は私の子なのだから。大丈夫。総て上手くいくさ。何も心配することはない」

それだけ。それだけだけれど、きっぱりと言い切って。

バランは口角をほんの少しだけ上げて、笑みを浮かべる。

ダイは今言われたことを噛み締めるように、何度か口の中で呟いて。そしてにっこりと笑顔を浮かべる。

 

「父さん、ラーハルトとクロコダイン。頼んだよ?」

そう言って駆けだす息子の背中を、苦笑しながら眺めて。

見えなくなった所で、バランはふいに視線を鋭くする。

父親から、戦場へと向かう戦鬼の顔へ。そして確認もせずに背後に声をかける。

「行くぞ、ラー」

背後から、現れた気配が「はっ」と。明確に了解の意を伝える。

そしてそのまま。決して振り返ることなく歩き出す。その姿は威風堂々。まさに王者の品格。

竜の騎士である。

 

 

 

 

アバン、ポップ、ヒムの三人は塔に近づいて。そして気が付いた。

塔の外周にぐるり、と螺旋状に階段が上へ上へと伸びていることに。

「…昇れますねぇ」

「そうっすね…」

途中、階段は途切れて。そして塔の内部へと続くようだ。

内部からまた反対側に抜けて、そこからまた階段は上へと続く。

トベルーラで外周を見て回りながら、そう判断すると。

「だけどこれ、このままトベルーラで上まで行っちまえばいいんじゃないっすか?」とポップが。

上空を見上げて、アバンはその考えを一掃する。

「いえ、この音からして何かの機械が作動していると考えた方がいいでしょう。

 塔の上を見て下さい。何かアンテナの様な物が生えてます。その周囲にかかってる、靄の様なものはおそらく何らかのバリアでしょう。

しかし、それを解除するようなものは一切見ることが出来ない。塔の内部に、それがあると考えるのが自然ですね」

「じゃあやっぱり階段登るんですかぁ??」

げんなり、と言った声を出すポップに。「疲れたら担いでやるぜ」とヒムが声をかける。

「それはいいですね。私も疲れたらお願いするとしましょうか」

軽口を叩いて。一番下の階段が途切れる場所に降り立つ。

 

塔の内部へと。ぽっかりと開いた入口。

覗きこめば、そこは真っ暗で。

遠くに小さな明かりが見える。きっとそれは向こう側の階段へと繋がる出入り口だろう。

 

「…真っ暗っすね…」

「まぁ…何が待ってるか解りませんけど。虎穴に入らずんば虎児を得ず、ですよ?ポップ。ここでじっとしてても仕方がないでしょう?」

「まぁそうゆうこった。何らかの罠が待ってたとしても、入らないって選択肢はねぇ」

ヒムが一歩、踏み出す。

「だがな。全員がいきなり飛びこむ必要はねぇだろ?

 俺なら大概の魔法も、打撃も効かねぇ。あんたらはちょっとの間、ここでじっと観察してな。

 まずは俺が…」

ぐっと。体重を前にかけて。

そして。

飛び出す。

 

 

「突っ込むぜ!」

 

 

 

 

 

「暗いね…」

入口を覗きこんで、ダイが呟く。

マアムが「松明でも持ってくるべきだったわね」と悔やむのを横目に。

「まぁ…何らかの罠が待ってると考えるのが妥当だな」とヒュンケルが肩を竦める。

そして、魔剣を地面に突き刺した。

「何が待ってるか解らない中にわざわざ飛び込んでやる気はない。

 一気に此処からグランドクロスをぶっ放す。その直後にダイとマアムは向こう側まで走れ。

 多少、余波があるかもしれんが。マアムも一緒に竜闘気で守れるか?ダイ」

「…多分大丈夫だと思う」

「でも、その後に何かあったらヒュンケルはどうするの?」

抗議するように声をあげるマアムに。ヒュンケルは懐から数本のフェザーを取り出して見せる。

「行く時にアバンから手渡された。『貴方は絶対に無茶をするから、別個に渡しておきます』ってな…

 信用されてるんだか、されてないんだか全く解らんが、これのお陰で体力回復は可能だ。有難く使わせてもらうさ。

 だから、余程のことがない限り。俺は大丈夫だよ」

フェザーの中に入っているのはベホマ級の回復魔法だろう。

「ダイ、マアム。お前達も万が一の為に持っておけ」

そう言って、フェザーを均等に分けて。ヒュンケルはにやりと笑う。

「暴れ放題だな」

此処最近。騎士団長として国に仕え。立場的に現場よりかは指揮の方に重点を置く生活を強いられている。

それは、戦士として生きてきたヒュンケルには少々、窮屈な生活で。

そして戦場に高揚するのは、これは男としての本能で。

マアムは溜息をつく。

「そんな嬉しそうな顔をしないで。ヒムみたいよ?」

「ああ、済まない…だが所詮、同じ穴の狢さ」

肩を竦めて。そして一瞬だけ、心配そうに彼女を、見る。

しかし此処は戦場で。彼女はこの場に於いて、戦友で。ここで『女』扱いをして気を使うのは、戦士として失礼に当たる。

だからそれをぐっと押し殺して。

「気をつけて」

「ヒュンケルも」

「すぐに後を追うさ」

「来た時には上も片付いてるかもしれないわ」

「そうだよ。俺とマアムだもん。ぱっぱと片付いちゃうよ」

「ああ…頼もしいな」

三人は空中で手を合わせ。円陣を組んで、それぞれの顔をじっと見つめて。

 

「後で合流だ」

 

ヒュンケルの声と同時に。爆発的に高まる闘気。

それから身を護る様に、同じく噴き出す竜闘気。

 

 

「グランドクルスッ!!!!」

 

 

閃光が世界を染め上げる。

 

 

 

 

 

 

「焼き尽くせ」

目の前にぽっかりと開いた塔内部に続く暗闇に向かって。バランが一言。

ラーハルトは応えるように、懐から魔法の筒を取り出して、それを開いている背後のスペースへと向ける。

筒から召喚されたのは三匹のドラゴン。

そして、ラーハルトの合図とともに三匹の竜が穴に向かって炎を吐き出す。

「…なんとも豪快だな…」

呆れたような声を出すクロコダインにバランは失笑しながら「時間をかける理由があるか?とっとと片付けてディーノと合流する」と吐き捨てる。

そこでやっと、クロコダインは。ラーハルトだけでなくバランも当然、ダイと一緒に共闘したかったであろう事実に気が付く。

親なのだ。子供の安否が気になって当然だろう。

守れるのならば、その身を費やしてでも護るだろう。

それは先の大戦で実証済みだというのに。

「…俺はまだまだお前を理解していないようだ。これが終わったらじっくり酒でも酌み交わさせてくれ。バラン」

「理解をする必要はない。だが酒は付き合おう」

跳ね返る熱風で煽られる風がマントをはためかす。

バランはそれを受け止めながら、微かに笑った。

 

だが、その笑みが瞬間。険しいものになる。

同時に気が付いたラーハルトが、竜を下げる。が、間に合わなかった一匹の首が、突風によって切断された。

風に血が舞って、一瞬世界が赤く染まる。

 

首を切断された竜の遺体を見て、ラーハルトが舌打ちをする。

そして同時に生き残った二匹を筒に再び収監すると、バランに向き合う。

「俺が行きます」

「ダメだ」

きっぱりと言い捨てられて。ラーは鼻白む。

「お前は先の大戦で一度死んでるんだ。そんなお前を再び戦場に出すと思うか?」

「はぁ?」

「何を言ってるんだ?」

流石にクロコダインも口を挟む。

「じゃあなんで俺を連れて来たんですか?」

「決まっている。私の側が一番安全だからだ」

「先の大戦で死んだからって…そんなんあんたもじゃねぇか」

あまりのことに。つい口調が荒くなる。それを一瞥して「ラー、口のきき方に気をつけなさい」と注意して。

「私とお前は違う」と。『余所は余所、家は家』を遥かに超える不条理をつきつける。

 

「私が総て叩き潰すさ」

 

そう言って、ラーハルトを手で制して。

にやり、と笑う。

 

「叩き潰す?面白いわ。面白い」

その声は暗闇の中から響く。

高い、女の声。

そして暗闇が、一気に明るくなった。

 

フロアの真ん中に、中に浮いて佇んでいる女は。

身体と髪が不自然に歪んで見えた。

よく見れば、激しく回転する空気の渦が髪とドレスを形成しているようだ。

 

「…精霊か…?」

バランはその姿を怪訝そうに眺める。そう、女のそれは風の上級精霊の姿だ。

その声に、女は一瞬怪訝そうな顔をするけれど、発言主がバランであることを認識して。

「あらあらあらあら。強気な口を叩くと思ったら、竜の騎士なの?これは貴方が出てくるような戦いじゃないんじゃない?」

「相変わらずだな、糞精霊共。何時も傍観に徹しているお前たちが出てきたと思えばコレか?私がどんな戦いに興じようが、お前達に何の関係がある?」

一息にそこまで言ってから。肩を竦めて。「あと、これは戦いじゃない。ただの家族サービスだ」

「家族サービスなんですか…?」

「お前の我儘に付き合ってやってるだろう?」

「じゃあ、その付き合う我儘に俺の出兵許可も追加してくれないですかね?」

「それは無理だ」

「なんでですか!」

「文句があるなら一回でも死んだ自分の弱さに言え」

その発言に、傍観に徹していたクロコダインが堪え切れずに口を挟む。

「いや…それは少し言い過ぎじゃないか?」

「これは家族の問題だ、口を挟まないで貰おう」

「いや、流石にそんなことを言っている場合じゃないというか…」

 

瞬間。空気が震える。

最初に反応したのはラーハルトだった。

咄嗟に、バランとクロコダインの首元を掴んで、後ろに引き摺り倒す。

ビキッ、と。亀裂が走る音がして。

今まで立っていた床が大きく裂ける。

 

「あら。なかなか良い反応するじゃない。ちょっと目がいいのかしら?」

「俺の目の前でバラン様に攻撃をしかけるなんて、いい度胸だな」

「あぁら。御免遊ばせ。

 よく見たら貴方、混ざってるのね?魔族と人間?魔族と精霊?どっちでもいいわ。中途半端で出来そこないなのは変わらない」

 

殺気は。ラーハルトからではなく、バランから立ち上る。

ラーハルトはひらり、と目の前に出来た亀裂を飛び越えて。そして肩越しに振り返り、バランとクロコダインを見た。

「ラー、許可はしていない」

「バラン様。こいつは貴方に攻撃を仕掛けた。それを俺が許せるとでも?」

「その糞精霊は私の子供を馬鹿にした。私が血祭りに上げる」

「そんな価値、ないでしょう?」

そう言って、ラーハルトは両手を広げる。

そして持っていた槍から手を離す。槍は軽い音を立てながら、床に突き刺さった。

 

「バラン様。俺はなんですか?」

にやりと。妖艶な笑みを浮かべて。

その笑みを受け止めて、バランも口の端を釣り上げる。

「お前は私の自慢の息子だよ」

「なら、此処は俺に任せていただきましょう。

 この世に誕生したその事に呪詛を振りまかせ、醜く、夥しく、悲惨で凄惨で、誰もが目を背ける程に残忍な方法で切り裂いて。後悔と憐憫と懺悔の歌を歌わせながら、貴方の為に血の花を咲かせましょう。

 貴方の名を汚すことなく、完膚なきまでに、彩って見せましょう」

唄う様に。口上して。

突き刺さった槍を引き抜く。

「跪いて、命乞いをして、許しを請え。絶望と恐怖と悪夢と狂気に粛清されろ。それが竜の騎士への唯一の供物だ。生まれてきたことを只管に呪え」

 

やれやれと。バランは首を振りながら。ゆっくりと歩き出す。

そして擦れ違いざま。

 

「ラー。完膚無きまでに倒せ」

「仰せのとおりに」

「掠り傷も負うな」

「仰せのままに」

「私はどんな些細な傷でさえも、お前が傷付くのは気分が悪い」

「貴方がそれを願うなら」

「願うわけじゃない。これは命令だ」

「御意。総て、貴方の御心のままに」

 

一瞬だけ。視線が交錯する。

互い、戦鬼の顔で笑って。

そして通り過ぎる。

ゆっくりと。

優雅に。

 

「通させると思っているの?」

ヒステリーな女の声と同時に、激しく巻きおこる旋風がバランとクロコダインの方へと襲いかかる。しかしそれは、横から飛んできた風に掻き消される。

 

「何度言ったら解るよ?俺の目の前でバラン様に攻撃出来ると思ってんのか?学べよ。俺と違って、中途半端でも出来そこないでもないんだろう?」

「生意気なっ」

怒気と共に放たれる新たな疾風の合間をラーハルトは駆け抜ける。

 

決して慌てることなく、ゆっくりと歩いて。フロアの反対側まで辿りついたバランとクロコダインは一瞬だけ振り返って。

「…大丈夫だと思うか?」

クロコダインの質問に、バランは嘲笑を浮かべる。

「あの子をなんだと思ってるんだ?世界最強の生物兵器の自慢の長男だぞ?大丈夫じゃないことなど、あるはずがない」

煙草を一本取り出して、指先に集中した竜闘気の熱でそれに火を付ける。

深く吸って、そして紫煙を吐き出しながら。

興味を失った様に、視線をまだ続く上へと延びる階段に向けて。

 

「先を急ごうか」と。何事もなかったように、あっさりと提案した。

 

 

 

 

 

フロアの中腹まで駆けこんだヒムの目の前に巨大な火柱が出現した。

それと同時に、一気にフロア全体が明るくなる。

「なっ、なんでぇ?!」

火柱の火力に弾き飛ばされるようにフロアを転がったヒムは、突如出現したソレに目を凝らす。

よく見れば、その火柱の中に微かに人影が見える。

 

「そこかっ!」

 

火柱の温度を瞬時に見極めて、それが自分の身体になんのダメージも与えないことを読んだヒムはその揺らめく人影に向かって拳を突っ込む。

しかし拳は人影に当たる前に、うねる様な炎に呑まれて。まるで壁が存在するように弾き返した。

「へぇ…面白いじゃねぇか…」

にやり、とヒムがその感触を楽しんでいるうちに、徐々に火柱はその人影に吸収されるように姿を変化させる。

 

そしてその収束が納まった時、そこにいたのは真っ赤な炎の髪と炎で出来たドレスを纏った女だった。

 

「禁呪法で作られた呪われし生命体…汚らわしいわね…燃やし尽くしてあげるわ」

「言うじゃねぇか、姉ちゃん。燃やし尽くせるもんならやってみな!」

 

 

 

「な……なんなんですかね??先生、あのお姉さんは…」

ポップはフロアを覗きこみながら、突如現れた火柱、その中から現れた美女(ただし明らかに人間ではない)に目を白黒させている。

アバンも同じように現場を覗きこみながら。

「ふぅむ…アレはどうやら精霊のようですね…ああいった挿絵をみたことがあります」

宗教画などで描かれる精霊は、確かにあれと似たような姿をしている。

昔教会で見たそれらを思い出してポップは頷きながら「けどなんで精霊が?」と疑問を口にする。

「それは私にも解らないですよ。しかし精霊は天界の者です…」

神の眷族。魔法の元。世界の仕組み。それが精霊。

それが今、目の前で敵として立ちはだかっている。

 

これはもしかしたら、考えている以上に大変な事態かもしれない、とアバンは息を飲んだ。

 

そしてポップを見る。内心、かなり不味いと思っていた。

精霊は魔法の元なのである。魔法力を精霊に餌として渡して、魔法を発動させるのだ。

その精霊が敵に回れば、それは結果として。

魔法が使えない、という事態に辿りつく可能性が出てくる。そうなれば、一番大打撃なのは、目の前のポップだ。

 

「…ポップ…落ちついて、よく聞いてください」

 

最悪な事態。命にかかわる様な状況で、魔法が使えなくなるよりかは、今その可能性を知らしておく方が良いだろうと判断して。アバンはポップの二の腕をぎゅっと掴みながら、声を落とした。

「今度の敵が精霊ならば…もしかして…」

 

しかし、その言葉は衝撃で吹っ飛んだ。

間近で起こる火柱と、床にめり込みながらも平然と起き上がるヒム。

ヒムは背後にいるアバンとポップに気が付いて、「悪ぃな、お行儀が悪くてよ」と笑って見せた。

 

女はそれで、ヒムが一人ではないことに気が付いたようだ。

その綺麗な顔に、不快の表情を刻む。

「次から次へとネズミがっ」

怒気と同時に、炎の球が凄い勢いで発射される。

それを慌てて避けながら、ポップは左に、アバンは右に飛んで。

そしてアバンはしまった、と思った。合流しようにも、雨のように炎が降り注いでいる。

 

そしてアバンが止める間もなく、ポップが反撃に出た。

相手が炎なら、と。空中に手を翳して。

声高に魔法が唱えられる。

 

「マヒャド!!」

 

「…」

「………」

「…………おいおい、兄ちゃん何の冗談だ?」

 

何も起こらない現象にヒムが。こんな時に何をふざけてるんだ?と声をかける。

ポップは混乱で、蒼白になっていた。

アバンがなんとかポップを抑えようと近寄ろうとするけれど、それを阻害するように火の玉が途切れることなく降り注ぐ。

 

「マ…マヒャド! ヒャド! ヒャダルコ!」

 

矢継ぎ早にポップは我武者羅に呪文を唱えまくるが、一向に発動する気配がない。

そしてそれに女が気付いて、その炎のように真っ赤な唇を笑みの形に歪めた。

 

「何をしてるの?此処は私のフロアよ。

 ここに氷の精霊は存在しないの。存在しないものを呼び出そうとしても無駄よ?

 ここにいるのは、私の従僕。炎のエレメンツだけ」

「じゃっ…じゃあ…これでも喰らえ!メラゾーマッ!!!」

 

瞬間的に切り替えて。

ポップは炎の魔法を唱えた。

 

が。瞬間。

通常の倍以上の炎が自分の手から膨れ上がる。

それはまるで、先の大戦のバーンが放つカイザーフェニックスのようだ。

 

一気に膨れ上がったソレを、たかが人間が制御出来るはずがなく。

「ポップッ!!!」

アバンの悲鳴。

暴発。

 

「おバカさん。此処は炎のエレメンツが充満してるのよ?そんなところに餌を撒いたら…」

 

 

 

「食いつくされるわよ?」

 

 

その言葉を実証するように、ポップの悲鳴が重なる。

「それに、炎のエレメンツは私の従僕。私の一部。そんなもので私を傷つけられるわけないでしょう?」

可笑しそうに笑いながら。

すっと、誘惑するように人差し指を動かした。

それを合図にポップの身体が発火する。

「魔法力が尽きるまで、食いつくされるといいわ」

「ポップッ!!!!」

 

体内から発火するように、一瞬でポップは炎に包まれる。

駆け寄ろうとするアバンの行く手を防ぐように、炎の壁が出現した。

怯む間も、火だるまになったポップは声にならない悲鳴を上げながら床を転がる。

そんなポップの元にヒムが駆けこむ。追うように炎が迫るが、拳で一蹴。掻き消す。

そしてその勢いのまま、ポップを掴んで、フロアの外に放り出した。

 

その瞬間、ポップについていた炎が徐々に弱まって消える。

 

「トベルーラで近づいたんだ。このフロアから出れば他の魔法は使える。勿論制御も出来る。だろ?」

にやり、と笑うヒムに。苦々しい顔を浮かべる女。

「ただの呪われた人形じゃあないみたいね…?」

「こっちは兵士(ポーン)だぜ?戦闘のプロだ。なめて貰っちゃ困るね。それにあんた」

ヒムは、ポップの無事を確認してほっとしているアバンを見る。

「あんたが大将だぜ?慌ててんじゃねぇよ。しっかりしな」

言われ。アバンは苦笑する。

「手厳しいですね…だけどその通りです。お恥ずかしいところをお見せしました。ちょっと可愛い教え子がピンチだったんで天パッちゃいました」

そのアバンの声に。くぐもりながらも思った以上にしっかりした口調でポップの声が。

「…そりゃないですよ、先生…俺は全然ピンチなんかじゃなかったですよ…」

そしてふらり、と立ち上がる。

「おやおや、それだけ大口叩く元気があるなら大丈夫ですね」

「みたいだねぇ」

ヒムは笑いながら。

自分の拳を、自分の手のひらに打ちつける。

金属がぶつかる甲高い音が、空気を震わせる。

 

 

「さぁ…仕切り直しといきますか?」

 

 

 

 

 

グランドクルスの閃光はフロアを満たして、そこをダイとマアムが駆け抜ける。

が、それは横から。何処から出現したのか解らない威力で押し寄せた。

「水っ?」

まるで津波のように迫りくるそれに、マアムが悲鳴を上げる。

 

その瞬間、ダイとマアムは体が宙に浮いたような錯覚を覚えた。

それが背後に続いて駆けたヒュンケルが二人の身体を掴んだ結果だと言うことは、ヒュンケルが思い切り二人を放り投げてやっと理解した。

回る視界の向こうに、大量の水に呑まれるヒュンケルの姿が。

二人は出口付近までヒュンケルによって投げられたのだ。

「ヒュンケルッ!!」

マアムの悲鳴を切り裂くように、押し寄せる水が真っ二つに切れた。

「海破斬だ!」

ダイが嬉しそうに叫ぶ。

割れた波の中心に、しっかりと立ちながらヒュンケルは。じっと、水が発生した辺りを睨み据える。

 

「姿を現したらどうだ?」

その声に応える様に、飛び散った水がその場所に無数の水滴となって集まりだす。

そして大きな水の球体を作り出すと、その中に女が一人。

微笑みながら、たゆたっている。

髪はそのまま溶けるように水と一体化し、身に纏っているドレスは川の流れの様に絶えず動いて視界を歪めていた。

 

「あらいやだ。二人取り逃しちゃったみたい」

「…女…か」

やりにくそうに。ヒュンケルが顔を歪める。

「女とか、男とか、そうゆう二極化でモノを判断するのはいかがなものかしら。そんなことじゃあモノの本質は見えないわ」

「戦場での本質はたった二つさ。勝つか、負けるかのな」

「野蛮ね」

「悪いな。俺は戦士なんだ」

応えるように、にやりと笑って。

そしてヒュンケルはダイとマアムを見た。

視線を受けて、ダイは頷く。

「行こう!マアム!」

「でも、ヒュンケルは女の人とは戦えないわっ…」

「大丈夫だよ。ヒュンケルの目を見たでしょ?」

言われて。もう一度、マアムはヒュンケルを見る。

その瞳は真っ直ぐに澱みなく、二人に「先に行け」と言っていた。

 

マアムは数秒逡巡して。そしてダイと一緒に駆けだす。

「後で必ず合流して!」

叫ぶように、それだけ言って。

その姿はすぐに見えなくなる。

 

ヒュンケルはそれを見届けて、口の中で誰にも聞こえない程度の声で「ああ、必ず」と唱えた。

 

そして再び、目の前の女に向き直る。

女と戦いたくない、というのが、自分のエゴだということは自覚している。

それでも自分はそうゆう風に育ったし、それは直そうとして直るモノじゃない。嫌悪を抱かないでいれるものじゃない。

「…全く…厄介だな」

それでも。打ち倒す以外に道はないのだろう。

 

親友は言った。戦場に於いて、目の前に立って武器を向けてくる存在は『女』か『男』かではなく、『敵』か『味方』か、だと。

女だからと言って、命をくれてやるのは馬鹿だと。

そして相手が自分と同じ戦士であった場合、そんなことで戦を避けるのは。それこそ闘う以上に非道なことを課しているのだ、と。

 

親友の言葉を頭の中で反芻して。

それでも湧き起こることをやめようとしない嫌悪感に辟易して。

ヒュンケルは瞳を閉じた。

 

瞬間。手にしている魔剣が微かに震えた。

その震えは共鳴のようなもので、この魔剣の双子のような存在の魔槍が発動したことを物語っている。

此処ではない何処かで。

かの親友も戦場に就いた。

訴えるように、魔剣も。『自分も闘いたい』と謳う。

兄弟に続きたい、と。

その戦慄くような振動にヒュンケルは瞳を開く。そして戦闘開始の合図として、その封印を解除する呪文を口にする。

 

鎧化(アムド)!!!」

 

声に反応して。生き物のように、魔剣は鎧へと姿を変えてヒュンケルの身体を覆っていく。

「久々の戦場だからな…そう逸るな」

喜びに噎ぶような切っ先に呟いて、その切っ先を女にあわす。

「済まないが、俺も通して貰うぞ?」

「あら。貴方は一人で光も射さない深淵の海底で一人孤独に過ごすのよ」

「光の射さない深淵か…それは馴染み深い場所だな」

切っ先が微かに動いたと同時に、すっぱりと女を覆っている球体が裂ける。

その裂け目からとめどなく水が溢れて流れ出していく。

女はそれを不快そうに眺めて、そして人差し指をつい、と動かした。瞬時に、裂けた球体が修正される。

「手品みたいだな…いや、大道芸か?」

「人間風情が…っ」

瞬間。女を覆っている球体の一部がポコンと外れて、別個の小さな球体を作る。

そしてそれが凄いスピードで襲いかかる。

咄嗟にそれを切り裂くが、水である球体は斬られてもすぐに元の形に戻り。そしてヒュンケルの顔に張り付いた。

 

顔だけ、水で出来た球体の中に押し込められて。呼吸が出来ずにもがくが、水で出来ているそれを外そうにも、指が引っかかる部分も何もない。

触ればその手はずぶり、と水に嵌るだけ。

 

女はせせら笑いながら、苦しむヒュンケルに近づいて。

そして球体越しに、その様を観察する。

 

「人間って本当に不便。水中で呼吸ひとつ出来ないなんて」

 

女の美しい顔に、酷薄な笑みが浮かぶ。

 

「私は精霊よ?人間と違って、そんな不便に出来てないの。男とか女とか、そんなくだらない条理に縛られたりもしてないわ」

 

ヒュンケルは水の中で、閉じていた瞳を開く。

そしてうっすらと、笑みを浮かべた。

 

パァンッ!とヒュンケルの顔を覆っていた球体が弾け飛んだ。

 

「…それはいいことを聞いた。何をどう言われようとも女と戦うのは気が引けるからな」

「っな!」

慌てて距離を取る女。それを追って、ヒュンケルは。今度は女を取り巻く球体の側面ではなく、女がいる中心を一気に切り裂く。

顔を覆っていた小さな球体とは違う、かなり大きな球体が弾ける音が鼓膜を震わせて、耳鳴りがする。

女は自分を覆っていた球体を失って、床に強かに身体を打ちつけた。

 

だがダメージは大したことがないように、直ぐに起き上がると。その綺麗な顔を憤怒の表情に染め上げる。

「このっ!」

再び空中に出現した小さな水の球体がヒュンケルに襲いかかる。

「もうさっき充分顔は洗った」

水球はヒュンケルの剣に当たった瞬間に姿を消してしまう。

「?!」

驚く女に。ヒュンケルは肩を竦めて。

 

「どうってことない。闘気の応用だよ。

 ダイの竜闘気が熱を発してるからな。突き詰めれば同じようなモノである筈の竜闘気が出来て、闘気が出来ない筈がないのさ」

即ち。闘気で剣をコーティングして、且つそこに過度の熱を与えている、ということである。

水は触れた瞬間に蒸発して、霧散する。

「こうゆう応用の方法もあるけどな」

女が新しく空中に出現させた球が、今度はさっきのヒュンケルの顔を覆っていた水球のように激しく破裂した。

「これも闘気を小さく爆発させてるだけだよ。そこに熱を加えれば、蒸発して、霧散する」

簡単だろう?と言って。

此処最近、デスクワークが多くてね。こうゆう小手先を鍛えるくらいしか出来ないのさと嘯いて。

 

そして切っ先をしっかりと女の喉元へと突き付ける。

 

 

「それじゃあ、先を急ぐんだ」

にっこりと。



絶対強者の笑みを讃えた。

 

 

 

 

 

To be continued ……

 




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