春の夜は暖かく



「アレ?珍しい」

 

飲みに行く約束を一方的に言い渡されたラーハルトは律義にそれを果たそうと来店して、そこに普段は見ない顔を見付けてつい、声にしていた。

振り返ったのは、強制的に約束を押しつけた張本人の戦士と。

そしてその弟分で、自分の主の親友でもある魔法使いの少年。

 

いや、彼ももう今年で18になる。

もう少年と呼ぶのは躊躇われる年齢なのかもしれない。

 

そう考えはしたけれど。それでも。

目の前にいる少年は知り合った時に比べれば多少は体格も良くはなっているが、まだまだ少年と呼んでも詮無い外見をしていた。

 

少年はもう既に飲み始めているのか、顔が赤い。

空いている隣に腰をおろして、横を通り過ぎる店員に適当に注文を伝えるとしっかりと向き直る。

 

誘った張本人、ヒュンケルはなんとも微妙な顔をしていた。

 

この二人は仲が悪いわけではない。

ヒュンケルは弟のことを買っているし、認めているのだけれど。

少年はどうにもヒュンケルの兄ぶっている所というか、立ち振る舞いが気に入らないらしい。

何かにつけて、突っかかっては憎まれ口を叩いている。

 

ダイくらい年齢が離れていれば気にならないのかもしれないが、この中途半端な年齢差は難しいのかもしれない。

 

ラーハルトは分析して、丁度運ばれてきた酒に口を付ける。

 

ヒュンケルがどう褒めても、普通に接しても、少年にとっては癪に障るらしい。

なら無視すれば良い、構わなければ良い、と思うけれどそれも出来ないようで。

 

変なの。

 

素直に。ラーハルトはそう思う。

 

「…ポップ、あんまり飲み過ぎるなよ?」

 

ヒュンケルの心配そうな声音。

それにすら過敏に反応を返す少年は「子供扱いすんなよな!」と。子供しか吐かない、否、子供しか吐けない台詞を吐いて不貞腐れるように酒を煽った。

これが女ならば、ラーハルトも口を挟むが。男が酔い潰れようと、倒れようと、気にしないので口は挟まない。

それに少年が酔い潰れたとしたら、ヒュンケルが面倒を見ることは解っているのでますますどうでも良かった。

 

どちらかと言えば、少年がいる分、ヒュンケルが保護者モードなので自分の負担が少なくて済む。

それは正直、有難かった。

 

いつもなら『弟』モードのヒュンケルに構われるのだ。それが少々、いやかなり面倒くさい。

 

そもそもヒュンケルはずっと一人っ子として育ってきている。

アバンにしろ、バーンにしろ、ミストにしろ。

確かに厳しい環境も多々あったとは思うが、それでも『お気に入り』と称される程に甘やかされて生きてきている。

好き勝手に、我儘に。自分だけの為に剣を振るって。

そんな男がいきなり三人も四人も下の面倒を押しつけられて、慣れない『長兄』を演じるというのは、正直、ストレスだろう。

 

クロコダインは対等な存在で。

その隣は居心地は良いだろうけれど、彼は決して甘やかさない。

そして『対等』である分、ヒュンケルもクロコダインには甘えない。

 

親代わりのアバンに関しては避けている。

出来る限り会わないように生きている。

最初は色々あった罪悪感故かとも思っていたが、(勿論それもあるだろうけれど)純粋に苦手なのだろう。

確かにあの男に甘えれば、甘やかしてはくれるだろうが、その分見返りが発生しそうだ。

それも倍以上の。

少なくとも、弱みに近い何かを握られるような気がするのだろう。

パプ二カ王女も呆れるほどにあからさまに避けている様子は笑いを誘うが、それは何処までも徹底している。

逆にここまで避けられるほど、一体何をしたんだ?と勘繰りたくなる程に。

 

そして自分である。

 

……はぁ…。

 

多分今現在唯一なのだとは思う。

この馬鹿が、こんな風に我儘放題出来るのは。

 

一人っ子は長兄であり末っ子。

ヒュンケルは間違いなく末っ子気質の一人っ子だ。

そして俺は間違いなく長兄タイプの一人っ子。

 

正直、たまに本気で殺したくなる程に鬱陶しい。

 

しかし今日のように弟がいれば、ヒュンケルは極度の『見栄っ張り』『カッコつけ』によって『兄モード』になる。

弱音を晒すことなく。愚痴を零すこともなく。

 

そんな様を観察するのは。

普段ぴぃぴぃ泣いてるガキの授業参観で妙に大人ぶってる子供を見るようで。

ちょっと笑える。

 

「イケメンってさ。いけ好かないメンズの略だと思う」

 

キッと音がしそうな勢いで振り向いて、少年は半眼で睨んでくる。

大分回っているようだ。

 

「…何?ソレ」

 

言っている意味が解らず。

酔っ払いからまともな返答が返ってくることなどないと解っていながら、聞き返す。

しかし返ってきたのは意外に理路整然と話す言葉で。

顔は赤くなっているが、思考はまだまだクリアらしい。

 

話を要約すれば。

少年は今日、パプ二カ王に頼まれてヒュンの仕事を手伝っていたらしい。

ヒュンが仕事終りに呑みに行こう!と強制的に約束を押しつけてきたことから、殺人的に忙しかったことは想像できる。

少年に手伝え、と要求するのも当然だろう。

猫の手だって借りたい。

 

そして少年はヒュンに頼まれた書類を、ある場所に運んだらしいのだけど。

そこには思ってもみない女子集団がいて。

 

彼女達は、書類をヒュンケルが届けに来ると思って待っていたらしい。

美形の、騎士団長様を間近で見られる機会を。きゃあきゃあと黄色い声を出しながら今か今かと。

 

そこに現れたのが、少年である。

親切心から手伝っている少年に向けられる、あからさまな落胆の声。

 

 

 

まぁ…そりゃあ…

こんな飲み方にもなるかもしれん。

 

 

 

ヒュンを見遣ると困った顔で。

「でもソレを俺にぶつけられてもな…」と言う。

 

まぁ確かにそれはそうだ。

ヒュンが何かしたわけではない。

 

しかしそんなヒュンの正論も「うるせぇ!」の一言で一喝。

素晴らしい。拍手してやろう。

 

「…まぁソレは…災難だったな…魔法使い」

「災難??って、お前も同罪だからな!だからイケメンは嫌いなんだよ!」

 

同意してやったのに、八つ当たられた。

 

「お前ら!顔で苦労したことねぇだろ!!」

「……」

 

ヒュン。ここで沈黙は嫌味だ。

後でちゃんと注意しておいてやろう。

この男は人間関係を築くような環境で育ってないから、こうゆう時にボロが出る。

良い人ぶっても性格腐ってんだから無理だって。

 

「…て、お前もないだろう?」

 

心の中でヒュンに毒づいてから、とりあえず突っ込む。

魔法使いは確かに美形ではないが、醜いわけでは決してない。

顔で苦労するって、結構結構な容姿のことを言うと思うのだが。

 

案の定、俺の言葉に魔法使いは「まぁ、ないけど」とハッキリ肯定。

しかしビシッ!と俺達を交互に指さして

「だけどお前らみたいに顔で得したこともねぇ!」と堂々と言い放った。

 

あんまり大声で宣言する内容じゃないけどな…ソレ。

 

ヒュンは困り顔のまま「俺だって容姿で得をしたことなんてないぞ?」と。

今さっきの魔法使いが受けた仕打ちからすれば嫌味以外の何ものでもない発言をする。

 

まぁここでヒュンを弁護するとすれば。別にその女達に興味のないヒュンにとって、そんな女達にきゃあきゃあ言われることが『得』なことではないから、この発言に反故はないのだけど。

容姿の美醜による損得など、異性に対するアピールでしか発揮されないものなのだから、そもそも魔法使いとの論点はずれている。

 

面倒くさいから弁護も指摘もしてやらんけど。

 

案の定、魔法使いは更にヒートアップして「お代り!」を宣言した後、先程より幾分か凶暴さを増した目でヒュンを睨みつけた。

 

「てめぇ、どの口でそれを言う?!」

 

そいつ、阿呆なんだ。心の中で呟いて。

自分の発言の何が更に発破をかけたのか解らず困惑するヒュンを眺める。

 

これはこれで良い酒の肴かもしれん。

 

しかしそんな俺を見て、ヒュンは「兄ちゃんも何か言ってやってくれよ」と。

ちっ。こいつ、巻き込みやがった…。

 

俺と一緒にいると、基本的に面倒くさいことをこの男は総て俺に押し付ける。

それは主探しの旅で、嫌という程痛感したことのひとつだ。

 

地獄に堕ちろ。

 

呪詛の言葉を心の中に吐き捨てて。

ヒュンの言葉の所為でこっちに焦点を移動させた魔法使いに肩を竦める。

 

「まぁ、俺は否定せんよ。容姿で得をしてるか、て言われれば得してるだろうしな。

 だけどその分、損もしてる。要らない妬みも買うし。実力で何か成し遂げても、それこそ色仕掛けとか言われるし。

 ヒュンもそうだと思うけど、『お気に入り』ってだけで完全に『御稚児さん』扱いだからな。

 それは正直、鬱陶しい」

 

変に『そんなことはない』と言えば嫌味になる。

そしてまた『そうだな』と肯定しても嫌味になる。

ここは肯定しつつ、『損』の部分の話してやればそこまで嫌味にはならない。

 

魔法使いの視線が少し緩くなった。

それは想像出来るのだろう。この魔法使いは、自分が今妬みで当たり散らしていることが自覚出来ない程馬鹿ではない。

 

「後、俺は自分の容姿に対してどうしようもなく否定的だったしな。15くらいまで」

 

言えば、二人ともきょとんとする。

説明をしてやる義理はないけれど。それなりに呑んでるアルコールの力もあって、俺はいつもよりか若干饒舌になっていた。

思えば、この二人は自分の過去を知っている二人だ。

それも饒舌になるきっかけになる。

 

 

「母からは『天使みたい』とか『可愛い』『可愛い』て言われて育った」

 

これは本当。

うちの母は本当に親馬鹿と言う名前を欲しいままに出来る程俺を溺愛していて。事あるごとに『可愛い、可愛い』を連発していた。

 

「だけど、実際家を一歩でも出れば『化け物』って言われて石を投げられる」

 

だから、俺は理解した。

親はどんな醜い子供だろうと可愛いのだろう、と。

実際の自分は醜いのだ、と。

 

狭い家の中の評価と、広い外の評価。どちらが正しいか、なんて。そんなこと一目瞭然だ。

 

だが、周りが自分を蔑むから。だからこそ母は意地になって『可愛い』『可愛い』と言っていたのではないか、と今なら思う。

ほんの少しでも。俺が自分のことを卑下しないように。

自分だけでも褒め称えようと。

あの人はそうゆう気質があったから。

 

「で、バラン様に拾っていただいて。

 バラン様も『綺麗な子だ』と褒めてくださったけど、俺が受けた仕打ちを知ってるし。何より『親』だしな」

 

あの人は『化け物』と蔑まれ石を投げつけられて育った子供に追い打ちをかけるような人ではなかったし。

事実、醜い子供だったとしても心根や、目に見えない部分を称して『綺麗な子』と評価することもあるだろう。

 

そして親は、どんな醜い子供だろうと可愛く見えるモノ。

身内の評価は世間の評価の値を大幅に軽々と飛び越えるモノだ。

 

そして母も、義父も。

例に漏れず『親馬鹿』だった。

 

思い返して、苦笑する。

親からの愛情にだけは不足しないで生きてきた。

根腐れしなかったのが不思議なくらい、愛情を注がれまくった自覚がある。

 

「でも15くらいになって。外を歩くようになって。魔界だと魔族の外見で何か言われることもないしさ。

 みんな、ちやほやしてくれるワケよ。

 で、俺自身、人と関わるようになってきて。そうしたらなんとなく解ってくるじゃないか?」

 

今までは人と接してこなかった。

村人は自分を避ける。顔をちゃんと覚えているのなんて、神父くらいだ。

自分が綺麗な顔かどうか判断する材料があまりにも少ない。

 

そして、世界が開けた時。

 

「俺、意外とイケてるのかもって」

 

まさに世界が180度ひっくり返ったみたいな感覚。

 

親でもない、身内でもない者が、あの日の母のように『可愛い、可愛い』と褒めてくれる。

養父のように『綺麗な子』だと称賛してくれる。

 

まさに『醜いあひるの子』

 

「で、調子乗って、いちびって、遊びまくる10代後半…」

「…自慢?」

 

半眼の魔法使いの視線を、笑顔で受け止める。

 

「父さん、母さん。綺麗な顔に産んでくれてありがとう」

「ムカつく!!」

「落ちつけポップ!兄ちゃんはこうゆう奴だ!」

 

フォローする気もないらしい。

知ってたけど、本当にイヤな奴だよな。お前。

 

しかし思い返せば。本当にあの時期はいちびっていた。

多分、目の前にあの当時の自分がいれば、いたぶり嬲り苛めるだろう。

いやはや、若気の至りって怖いね!

 

「兄ちゃん、お前の母親は草葉の陰から泣いてると思う…」

 

それは若干耳が痛いが。

しかし母は昔俺に『天使ちゃんはきっと将来女の子を泣かせると思うわ。だけど悪い男じゃなくて良い男になるのよ!』と言っていた。ある程度予測していたものと思われる。

もしかすると父がそうゆう人だったのかしら…

それはそれで最低だけどな……

 

「お前ら、異性で困ったことねぇだろ?」

 

魔法使いは愚痴モードに入ったらしい。

 

「相手に不自由したことはないけれど、相手が痛い女で困ったことは何度かある」

 

素直に応える俺と違ってヒュン坊はノーコメント。

こういった話題になるとこの男は一切の過去を喋ろうとしない。

別に暴露したトコロでなにも変わらないと思うけれど、この男の『見栄っ張り』『カッコつけ』のボーダーでは完全にアウトらしい。

そこらへんもちょこっと知っている俺としては、頑なにシークレットを決め込む横から暴露してやりたい衝動に駆られてしまうけれど。

 

目があったので、にっこり微笑むだけに留めておいた。

途端、ヒュンの顔色が変わるけれど知ったことじゃない。

秘密にしておきたいなら墓場まで持って行け!馬鹿が。

 

「なんだよ?結局モテてモテて困るの〜!て話だろ?やってらんねぇ!」

 

勝手に聞き出しておいて、この言い草。

全く以て、この兄にしてこの弟有、だ。

ディーノ様の親友じゃなかったら、即殺してるところだ。

本当に。

 

俺の殺意を感じたのか、喚いていた口を一瞬閉じて。

ちらり、といヒュンケルと視線を合わせる。

ヒュンはヒュンで、出来る限り避けたい話題なので曖昧に視線を反らして誤魔化した。

 

「で、何?結局お前は何がしたいわけ?愚痴りたいの?」

 

男の愚痴程聞いててつまらないものはないと思うのだが。

(なんと言っても、奢られるくらいしか旨みがない)

それをここまで聞いてやっているのだから、その分の感謝はして欲しい。

しかしこれ以上、こんな八つ当たり半分な愚痴を聞かされるのは御免だし、これが続くのなら帰ろうとも思う。

 

とうの魔法使いは、こうゆう風に切り返されることを予想してなかったのかきょとんとして。

そして首をひねって考える。

「何がしたい、何がしたいねぇ?」と一人でぶつぶつ呟きながら。

まるでそれが儀式であるかのように、ほぼ一定のペースで目の前の酒を口に運ぶ。

 

そして、丁度。グラスの中身が無くなったと同時に。

「そうだ」と。魔法使いは、あまり可愛らしいとは言えないような笑みを見せて。

 

「じゃあさ。折角だし。お姉さん、引っかけてきてくれよ。男だけで呑んでんのなんて辛気臭いじゃん」

「はぁ?!」

 

慌てたような、それでいて呆れたような声を出すヒュンと。

にやにや笑う魔法使い。

 

しかし確かにそれは真理だ。

 

「解った。どれが好みだ?」

「兄ちゃん??!」

「え?マジで?」

了解すると二人共に吃驚した顔で。

ヒュンが驚くのはまだしも、何でお前まで驚くのかね?魔法使い。

 

多分に。冗談だったのだろう。

実際、誰かを引っかけて来られるとなると途端に、魔法使いの視線は泳ぎ始める。

「えっと…そうだなぁ……」

明らかに。慌てている。動揺している。

それが可笑しいが、流石に笑うことも出来ずに。喉を潤して誤魔化す。

だが、そんな俺を横目に「本気か?兄ちゃん」と。こっちはこっちで、妙に焦っている男が。

 

確かに、ヒュンが女を引っかけている姿なんて想像つかないが。

男だけで呑むなんて味気ないし、辛気臭いというのは、まさに真理だ。

 

「じゃあ、適当に好みのタイプを言ってみろ」

「え?そうだなぁ…」

敷居を下げてやると、途端に嬉しそうに。

「やっぱこう、色っぽい感じでぇ。胸が大きくて、セクシーな感じの…」

想像している途中で何か思うことがあったのか、だんだんにやにや笑い始めて気持ちが悪い。

これくらいの年齢の子ってこんなんだったっけ??

自分のこの時代を思い出そうとしたけれど、上手くいかなかった。というよりも、女に不自由した覚えがないので、こんな妄想よりリアルに楽しんでいた。

 

ああ……俺、嫌なガキだったな………そりゃバラン様も頭抱えるわ…………

 

こうやって親の痛みとか苦労を知る様になるんだなぁ、と。しみじみ痛感して。

とりあえず魔法使いが今言った要望に合いそうな女が店内にいないか、確認する。

ふと自分の横を見ると、ヒュンが無言で酒を飲んでいた。

 

「オラ、引っかけに行くぞ?」

「………」

往生際悪く、こっちを睨んでくるが、一切合財無視をして。そのまま襟元を掴んで立たせる。

そもそもお前の責任だし。俺は付き合わされてるだけだし。

ぶっちゃけ、ヒュンだけに引っかけに行かせるのも面白い気もするが。まぁそこは俺も大人なので。

 

「こんなんガルと付き合ってた時以来かもしれん」

「こんなくだらないことしてたのか…」

「種族が違うと、美的感覚が違うから引っかけんの難しいんだぜ?」

「そんな知識いらんし」

ぶつぶつと横で、仏頂面で文句を垂れられるのは正直、面白くないが。

女との距離が近づいてくると、徐々にヒュンが挙動不審になっていくのが面白くて面白くて、もはや堪えているのが拷問に近くなってくる。

「あの女でいいか?」

とりあえず。笑いで震える声で、横に聞けば。

物凄く複雑怪奇な事象を見て困惑しているような、それでいて若干泣きそうになっているヒュンと目が合った。

「ぶはっ」

堪え切ることが出来なかった。

もうダメだ。無理。死ぬ。笑い死ぬ。殺す気か。

 

立っていられなくて、しゃがみ込んで笑う俺に。ヒュンは何処までも冷たい視線を向けるけれど、無理。

そんな顔されても無理。可笑しい物は可笑しいし、ダメだ。

周囲の視線が何事か?と集まるけれど。どうすることも出来ない。

とりあえず、ヒュンは俺を立たせるべく腕を掴むが。

「ああ、ダメだ。可笑しすぎる。笑い死ぬわ」

「勝手に死ね」

吐き捨てて。自分じゃ動けない状態の俺を連れて、自席に戻る。

 

笑い転げ続ける俺と、憮然とした顔のヒュンと。

魔法使いはびっくりしたように二人を見比べて。

 

「えっと…どうしたん?」とおずおずと聞いてくるが。

 

ムスッとしたヒュンが答えるはずもなく、俺は笑って応えられず。

暫く魔法使い完全放置で。

 

 

そんな時、背後から声が。

「凄く、楽しそうですね」

振り返り、そこにいた女に。

「あ」と魔法使いが慌てた声を出す。

 

「よう、占い師。仕事か?」

「はい、向かいのバーで。だけど凄い笑い声が聞こえて、気になったので来ちゃいました」

そう言って。はにかんだ顔で笑みを見せるが、時間と場所が場所なだけに普段よりも少し、大人びて見える。

乳臭い子供には違いないのだが。

 

俺は大分収まってきた笑いを噛み殺して。

「いや、今魔法使いがな」と説明をしようと。

だがそれは、店中に響き渡る様な魔法使いの悲鳴で掻き消される。

「わあああああああああああああああっ!!」

「……なんだよ?」

「なんだよじゃねぇよ!」

「どうしたんですか?ポップさん…」

「なんでもない!なんでもないーーーー!!メルル何か呑むか?今日はヒュンケルの奢りなんだ。遠慮しないで呑んでくれよ!」「いや、まぁ…別に構わないが…」

ぽかんと。見守っていたヒュンケルは、座っていたスツールをひとつずれて。占い師に場所を譲ってやる。

そして暫く、ぼんやりと弟を眺めて。

そしてやっと。いつもの様に、笑みを浮かべる。

 

「………あんまり飲み過ぎるなよ」

一応、長兄らしく声をかけて。

そして俺に目配せをして、立ち上がる。

 

邪魔ものは消えよう、と言うことらしい。

俺はまだ笑いの余韻が残っていたけれど、ヒュンの指示に反発する気もなく。

促されるまま、立ちあがって。

 

「まぁ良い女、引っかけて来てやったということで」

 

にやりと笑って、背中越しに手を振って。

ヒュンと二人、店を後にする。

意味が解らずぽかん、とする占い師と。それを必死で誤魔化そうとする魔法使いを眺めながら。

顔馴染みのマスターに、二人の会計として多めに金を支払って。

 

店を出て、空を見上げる。

霞む空に星が瞬くのを、ぼんやりと。

地上が明るいから、それほどまでにハッキリとは見えないが。

それでも無数の星がそこにあるのは解る。

 

「で、兄ちゃんどうする?他の所で呑み直すか?」

「嫌だよ。てめぇと二人で呑んでもつまんねぇし」

 

俺の言葉に苦笑して。そして一度だけ、振り返って店の中に視線を注ぐ。

そこにはいつも以上に過剰なリアクションで何かを喋ってる魔法使いと、楽しそうな占い師がいる。

 

「あんな初々しいのはなかったねぇ」

俺の言葉に被せるように同意を「まぁな」と返して。

弟の痛い程に甘酸っぱい情景を、穏やかに眺める。

それは見てるこっちが恥ずかしくなるような。そんな情景で。

だから笑いながら目を反らして。

 

「ポップはいい男だよ」

「それは趣味によるわ。何を持っていい男とする?」

「中身」

「……中身で勝負!とか言う奴って大抵ヘボイぞ?」

「どーして兄ちゃんはそうゆうことを言うかなぁ…?」

「事実」

さらりと告げれば、堪え切れずに噴出し笑い。

いつもの様に憎まれ口を叩きあいながら。

 

夜とはいっても、気温は大分暖かくなってきた。

風が吹けば、肌寒い気もするが。それでも。

 

 

「春だねぇ」

「春だねぇ」

 

しみじみと二人ハモって。

馬鹿な子供の様に、笑った。

 

 

 

 

 

 

背景素材提供 Lame Tea 様