弄ばないで
ダイ君達が住んでるのは、パプ二カの国有地にある森林の管理小屋で。
管理小屋といっても、国王の休憩所も兼ねているのでそれは小屋というには立派なモノで。
人里からある程度離れていて、知らない人間が立ち寄ることのない環境ということで、その点では申し分のない家だった。
私はその森を一人、歩きながら。
それでもなんでも、不便極まりないわ、と一人ごちる。
確かにルーラさえ使えてしまえば交通の便や立地なんてなんでも良いのかもしれないけど。
きちんと手入れされた森は、明かりが充分に木立の間から差し込むのでとても気持ちがいい。
森林浴、たまのハイキング、そう思えば楽しめるのかもしれないけど。
普段、街中で生活している私はそれでもどうしても。
歩きやすい靴を選んだつもりだったけど、甘かったわ。
『動きやすい』と『可愛い』を天秤にかけて、『可愛い』を取ったのは間違いだったのね。
誰に拾われることのない溜息をひとつ。
大げさな程に大きくついて。
後どれくらいで着くのだったかしら?と、大昔。それこそ、先代の王について両親と一緒に招待された幼年期の記憶を探り出すけれど。
あの時は馬だったし。
途中で眠ってしまったのだわ。
覚えてるのは暖炉の明かりと、三歳になったばかりの姫が階段から落ちそうになったことだけ(あんなに小さいころから、ちっとも変わらないんだから)
役に立たない記憶は、それでも当時の懐かしくも楽しい想い出を引き連れて。
ほんの少しでも、気を紛らわすことに成功した。
週末。
ダイ君がデルムリン島に里帰りする、と言いだして。
随分と帰ってなかったから、きっとブラス様もお喜びになるだろう、と。
そんな中、腐れ魔族はたまの親子水入らずを邪魔しないように(それか、自分自身の久々の休暇の為?)留守番を申し出た。
だから、今あいつは家でひとり。
ダイ君がいれば、その分ちゃんとするんだけど。
自分ひとりになったら、途端にいい加減になるのは解ってたから。
きっと、絶対ご飯もまともに食べてないはず。
全く、なんて世話が焼けるのかしら。
おかげで折角の週末が台無しよ。
殆ど、唯一と言っていいくらいのレパートリーしかない私のレシピ。
だけどその分、自信はあるから。
ハンバーグの材料一式買い付けて、こんな森の奥まで。
何やってるんだろう…
思いはするけど。
きっと吃驚するでしょうね。
貴方の驚いた顔を想像すると楽しくなってくるから。
とうとう小屋が見えた時。
正直、ちょっと感動しちゃったわ。
だけどその感動は長く続かなかった。
チャイムを鳴らして、出てきたのは。
私の全く知らない女の人だったから。
長く伸ばされた爪には金色のマニキュア。
黒い髪には、真っ赤なメッシュが一筋。
猫を連想させるアーモンド形の瞳は、赤い。
肌の色は肌色だけども、明らかに人と違う耳の形。
美人、だけど。
どことなく下品な感じのする女。
それが彼女の第一印象。
あの馬鹿。上司の留守中に女連れ込んでる!!!
信じられない!!!
「ラーのオトモダチ?」
赤い唇が弧を描いて、余裕たっぷりに妖艶な笑顔を作る。
負けじと笑い返したいけれど、私にはその余裕はない。
こんなところまで来てあげたのに!(頼まれてないことは解ってるわよ!)
「あれ、お前何しに来たん?」
その彼女の背後から。
腐れ魔族が顔を出して。
さも自然に彼女の腰に腕を回すから。
いい加減。
「ダイ君が留守だからって何考えてんのよ!馬鹿じゃないの!!!」
私はキレて。
手に持ってたハンバーグの材料を、腐れ魔族に投げつけて。
宙を舞う玉ねぎ。
人参。
そしてべちゃり、と生々しい音を立てて挽肉が。
信じられない。
信じられない。
こうゆう面があるのは百も承知だったけど(それこそ、ヒュンケルにも言われてたし)それでも。
実際に見るのとは話が違う。
私は今来た道を足早に戻りながら。
滅茶苦茶になった週末が恨めしくて。
そして実際は怒る権利もない自分の立場を自覚して。
これはただの焼もち。
ただの嫉妬。
思い返す彼女は美人で、余裕があって。確かにあの男と並んでる姿は絵になった。
それがとても悔しくて。
私はなんであいつが好きなんだろう?と。
何度となく考えた、結局いつだって答えの出ない問いをまた再び。
大きな溜息。
「溜息つきたいのはこっちだ。馬鹿女」
背後から聞こえた声に驚いて振り返ると。
タオルで髪を拭きながら、こっちを睨む腐れ魔族。
その髪には、私が投げつけた挽肉がまだ何箇所かくっついてる。
「…何よ?」
「何よ、じゃないだろう?何か用事があったから来たんだろう?
それとも何か?人に食べ物ぶつけるためだけに来たのか?」
不機嫌。
けど不機嫌さでは私だって負けてない。
「あんたが…ひとりだったらまたご飯も食べてないと思ったからきてあげたのよ」
「…お前の食事の与え方は、投げつけるのか…?」
「投げつけられるようなことをしてるあんたが悪いんでしょう?」
言いながら。
私が悪いことは十分解ってるから。
だんだん、語尾が小さくなっていく。
そしてとうとう。
沈黙。
気まずい沈黙は、暫く続いて。
私はいつものように。謝るタイミングを逃してしまう。
「…そこ。まだ付いてるわよ」
だから腹立ち紛れに。誤魔化すように。
いつもと同じ可愛くない態度で。
それに慣れてしまってる男は何も言わずに、私が指さしたらへんをタオルで拭う。
「…彼女、放っておいていいの?」
「お前が投げつけたもんの後始末してくれてる」
さらり、と言われた言葉に、うぐ、と詰まる。
本当に。
私ってば、なんでこんなにどうしようもないんだろう。
居たたまれない心情のまま、男を見遣る。
等の本人は、なんら変わることなくいつも通り。
そう、いつも通りすぎて。
物を投げつけられたのに。一言も謝らず、憎まれ口を叩いてるのに。
「あんたって…短気なくせに怒らないわよね?」
「…そんなことねぇと思うけど…」
怪訝そうな顔。
確かにすぐに不機嫌になるし、憎まれ口を叩くし、それこそいつだって嫌味なんだけど。
「だって、怒ってないじゃない」
「…とりあえず、あんな泣きそうな顔されたら怒るに怒れん」
ぽかん、と。
それは予想外の答えで。
だけど言った本人は飄々としているから。私はどんな顔をしていいのか分からなくなる。
「貴方って、優しいのか意地悪なのか…良く分からないわ」
男はいつもの。
猫の笑みでにっこりと一回。
「で?帰るのか?」
言われて気づく。
作るはずだった料理の材料は全部派手に撒いてしまったから。
ここにいてももう何もすることはない。
例え用事があったとしても、彼女と一緒にいるところなんて見たくない。
好きな人が違う女と一緒にいて幸せそうな様子なんて。そんなのヒュンケルの時に充分過ぎるくらい経験したわ。
そんなのは、もう、要らない。
だけど。
ここで帰ってしまうと。
私がここまで来てやったことはこいつに野菜や肉を投げつけることのみになってしまう。
それはそれで。
ちょっとイヤだ。
言い淀んで。
考えて。
だけど答えは出ない。
「そこまで送る」
答えを出せない私に業を煮やして、貴方が答えを。
「ありがとう」
森の出口まで。
どれだけあったかしら?
行きはとても長く感じたけど。
きっと、二人で一緒に歩いてたらとても短く感じるんだわ。
二人の間の微妙な距離感。
近くも遠くもない。
だけど決して触れあわない。
この微妙な間合い。
私達は並んで歩きながら。
他愛のない会話をして。
本質的なことには一切触れないまま。
そして私は。もう一度。
どうしてこの男なのかを考える。
答えなんて出ないことはわかっているけれど。
きっと私はこれからも。何度となく考えるのだと思う。
きっと。
時には本当に顔も見たくないと思うほど嫌いになって。
だけどその翌日には会いたくて堪らなくなって。
貴方はまるで動じないから、一人で空回りくるくる繰り返して。
翻弄されて。
意地を張って。
素直になれないまま。
可愛くなれないまま。
こんなにも切ないのに。
今度こそ、幸せになろう、て決めたのに。
どうしてこの男なんだろう?
どうしてなんだろう?
「あんた、て イヤな奴よね」
「中途半端にいい奴だ、て よく言われるけどな」
中途半端にいい奴。
考えて。それがとても言い得ている言葉だと思った。
嫌な奴にはなりきらない。
きっぱりと、もう絶対に会いたくないとは本気で思わせてくれない。
微かに覗く優しさや、仕種がどうしても。
「言えてるわ」
私は同意をして。
見えてきた森の出口から意識を反らせた。
こんな風にきっとずっと。
私は振り回されてしまうのだろう。
それは簡単に予想できる安易な未来。
だってこんなにも、囚われてしまってる。
見送りを振りきって。
私は一人で歩きだす。
もうここまででいいわ、と手だけで合図して。
何をしているんだろう?
何をしているんだろう?
別れて、時間を空けて振り返り。
貴方の背中がとうに見えなくなってることに失望して。
「貴方が好きだわ」と。
誰にも聞かれないように口の中で。
自分にすら聞こえないくらいの声で。
とうとう私は告白した。
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