(一) ヒュンケル
案の定、と言うか予想通り、というか。
気配はしていたので、ドアベルが鳴っても顔を上げるのすら面倒くさかった。
糞ゾンビは、当たり前のように勧めてもいないのにカウンターまでやってきて、そして当たり前のように俺の目の前に座る。
関わりたくなかったので、神経質な程に磨き上げてみたグラスを再び精神病なくらい磨いてみる。
暫くはそんな空気を呼んで黙っていたゾンビだったが、流石に10分程放置すると居心地が悪くなってきたのか、おずおずと声をかけてきた。
「えっと…俺、客なんだけど…」
「色っぽい姉ちゃんになって出直してこい。そしたら相手をしてやるのも考えてやる」
「そこまでいっても考えるだけなのか……」
賢くない頭を抱えるようにして項垂れる。
そんな姿を見ると、ほんの少し愉快な気分になった。
まぁなんにせよ。
金さえ払ってくれるなら、相手をするのも吝かではない。
臨時、とは言え雇われてる身だ。
身入りは多い方が、旅に出たマスターも喜ぶだろう。
そこまで思考を切り替えて、ゾンビの相手をしてやることにした。
まぁ、案の定。
俺のこの『優しさ』は程ない後悔にすぐに取って代わることになるわけだが………
§§§§§§§§§§§§§
「なぁ、恋愛って結局、常に片想いなんじゃないか?て思うんだ」
ウィスキーグラスを揺らしながら、琥珀色の液体をじっと見つめ、多少酔いでも回ったのか、ゾンビはそんなわけのわからないことを口走った。
まぁこいつが意味不明なことを口走るのは、いつものこと、とも言えるのだけど。
歯の浮くような台詞を口走ることも。
芝居がかった台詞を吐くことも、まぁいつものことだ。
だからとりあえず、俺は続きの言葉を一切期待しないまま。
どちらかと言えば、無視に近い形で待った。
「両想いになったとしても、決して二人の想いあってる気持ちの重量は均等じゃないだろう?
どちらかの方が、相手のことをより多く想ってる。
気持ちの全量が10だとして、5:5になることはない。
3:7や、1:9だってあるだろう。
この場合、7の方が3想ってる方より、4の分、片想いなんだ。で、9のほうが8片想いなんだ」
そこまで独白のように(いや、多分そうなんだろう)呟いて、ヒュンは酒を一口飲んで喉を潤す。
「本来なら、3想われてることに感謝するべきなんだろうな。
1でも想いに報いてくれてることに感謝するべきなんだろう。
これを切ないと思うのは、お門違いだし、我儘で贅沢だ」
相変わらず面倒臭ぇ。
完全に自分に酔ってるようなヒュンは、俺の方を見向きもしない。
それでいて、自分の言葉を無視されてるなんて微塵も想ってないのだろう。
変な所で自信がない癖に、根本的には糞ナルシストなところは健在だ。
「で?
俺はピンクに永遠の片想いなんだー、てハナシか?」
聞いているのが面倒くさくて、話のオチを振ったら心底吃驚したような顔をして
「やっぱりそう見えるか?」と。
見当違いというか、斜め上な返答を返してくる。
どっちがどっちをより想ってるか、なんて興味がないし
別にこの腐れ男が永遠の片想い気取ってることに対しても、鬱陶しいけれど、まぁ勝手にすれば良い、と思うのだが。
そもそも、どっちがどっちのことをより多く想っているか?なんて解らないじゃないか。
実際、目に見えるものでもないし、見えない、態度に表さないからと言って相手を想ってないわけではないだろう。
『私の方が貴方のことを想ってる!』
『いや、俺の方がおまえのことをより多く想ってるさ!』なんてのは、思春期まっさかりの青臭いガキなら様になるかもしれないが、いい歳をした男がやっても気色悪いだけだ。
そこまで考えて、この男が永遠の思春期真っ盛りであることを思い出した。
というよりも、遅れてきた思春期、と言うべきだろうか?
魔王軍で育った所為で、これっぽっちも社会の世知に触れて来なかった困ったちゃんは、困ったちゃんの自覚をもたないまま、痛い男になっている。
困ったゾンビは俺の返事も何も待たずに、ひとりで話し続けている。
「まぁ確かに、どう取り繕うが、これは俺の永遠の片想いに過ぎないんだろうな…
確かに彼女は俺を想ってくれている。
それは解ってるんだ。
俺には勿体ないくらいの話だし、感謝してもしきれないくらいだ。
たまに幸せすぎて、怖くなる時もある。
夢なんじゃないか?と思うことだってある。
だけど時々、もっと想って欲しい、と願ってしまいそうになるんだ。
俺と同じだけ、というのは無理な話だが…それでも、少しでも……
2:8が、せめて3:7になるくらいに…
3:7が4:6になるくらいに……」
乙女か!
ツッコミは喉の奥に引っかかって、なんとか止まった。
いや、実際はちょっとくらい漏れたかもしれないが、ヒュンの耳には届かなかったみたいだ。
いや、届いてるのかもしれないけれど、自分に酔い中のヒュンは無視したのかもしれない。
しかし、本当に何処から何処までも痛い乙女思考。
これが思春期(以下略)。
外見二十代の、何処からどう見ても筋肉隆々な大人の男の発言、だと思えば痛さは五割増し。いや八割増し。
砂でも吐きそうな気分になる。
「より、想われたいなら想ってくれる奴と付き合えよ」
おあつらえ向きの相手は存在している。
いや、まだ想っているかは謎だけど。
しかし諦めの悪い女であるから、まぁ言い寄っていけば落ちる気もする。
そこまで考えて、一応友人付き合いをしている女の顔を思い浮かべて、その不憫さに少しだけクラクラした。
そうゆう女っているよな…
それが他人だったら笑い話になるのだけれど、多少なりとも親しい場合は笑えない。
憐れむのとも違う。
どっちにしろ、目の前の男も、その女も痛いことには変わらない。
ゾンビは俺の言葉に小さく首を振り(その反応も、まぁ予想通りであったが)俺の提案を却下する。
その仕種はどう見ても自分に酔ってるソレで、指さして笑ってやりたい衝動をなんとか抑え込んで自分用に作った酒で唇を濡らす。
「じゃあ、お前は今以上にピンクに想って欲しい、て言ってるわけだな?」
「いや、今でも充分想って貰ってるさ」
どっちやねん。
今度のツッコミははっきりきっぱり口から出ていた。
ついでに手も出ていて、あんまり中身の入っていない戦士の頭を小気味よいほどにスパーンッと叩き倒した。
勢いよく叩きつけられた頭はカウンターにぶつかる前に、その強靭な首の筋肉によって防がれて、ほんの少し酒がこぼれたくらいの被害で済んだ。
よかったよかった。
カウンターに傷でも付いたら、バーの主人が帰ってきた時に怒られるところだった。
ゾンビは結構痛かったのか、涙の滲んだ目でじっと俺を睨んでいたが、無視をしてこぼれた酒を拭いていたら諦めたのか、小さな溜息だけ落として、厭味ったらしく叩かれた頭を何度か撫でた。
オリハルコンに殴られても大丈夫な頭なんか、これくらいで大したことになんねぇよ。
それに筋肉しか詰まってねぇだろうに。
しかし、何時までも自分に酔い続けてカウンターを占領されてるのも面白くないので、俺はゾンビを現実世界に連れ戻すことにした。
「それじゃあ充分想って貰ってるのに、時々、もっと想って欲しい!!て願っちまう、てことか?
まぁ別に生活に困ってるわけじゃねぇのに、もっと金が欲しい、て思うのと一緒だな」
「そんな身も蓋もないことを言うな。それとこれとは全く違うだろう?」
「いいや、一緒だね。
違う、て思うのは当人だからで、他人から見たらそんな普通で在り来たりで、身も蓋もない話で、しかも誰でも思うことだ。
そんなくだらねぇことで、グダグダ管巻いてんじゃねぇよ」
誰もが今の現状に満足出来ない。
もっと、もっとと願ってしまう。
浅ましいことだ、と思う反面、それが向上心の原動力であることも認めないわけには行かない。
満足してしまったら、そこで終わってしまう。
しかし、また足りることを知ることも大事なわけで。
「欲は身を滅ぼすぜ。
現状に満足出来ないのなら、その努力をしろ。
その努力もしないで『もっと、もっと』と思うなら、今ある分も失いかねねぇぞ」
昔からある諺にも、似たような言葉がある。
それだけ人は同じことを繰り返してきたのだろう。
「現状に不満があるわけじゃないさ……」
ヒュンは苦痛そうに顔を歪ませながら自己弁護をする。
「だけど時々、もっと、て思うんだろ?
まぁ人間なんだから、そうゆうもんなんだ、て思うぜ?
で、普段、お前がピンクに対して感謝してないわけでもない。
多分にお前のことだからピンクを失わない為に努力はしてるんだろうよ。
じゃあ聞くが、今以上に想って貰えるように努力はしてるか?
現状維持の努力はしてるだろうが、より想われる努力は?
俺なんか彼女に勿体ない、とか思ってる限り『もっと想われる努力』なんて
してねぇように思えるがね。
それをしないで、『もっと』って言うのはお門違いだ」
俺の言葉に、ヒュンは持っていたグラスをカウンターに置く。
そして暫く、考えるように、俺の言葉を飲み込むように何度か頷いて。
それから俺の方を見た。
「なんか……解った気がする」
「お前がアホでどうしようもないゾンビで、脳みそ筋肉のゾンビ馬鹿だってことがか?」
俺の質問に、力なく笑って見せて。
「確かに、俺は努力が足りないんだろうな。
想われる努力なんて、考えたことがなかった。
どうして俺のことなんて想ってくれてるんだろう?と思うことはあっても、想われよう、て努力はしたことがなかった。
嫌われないための努力、というか、彼女が嫌なことや辛いことはしない、程度しかしていなかった。
それじゃあダメだよな……」
「もしかしたら、ピンクだって『もっと想って欲しい』て思うかもしれない。
もっと『応えて欲しい』って願うかもしれないんだぜ?
自分だけが不満を持ってると思うな。
こんな所で管巻いてないで、とっとと帰って二人で話せ。糞ゾンビ」
多分、自分に酔ってる具合は大して変わらないのだろうけど、ヒュンは来た時よりは多少マシな顔になって、やっとカウンターから立ち上がった。
マシな顔、といっても、腹ただしい顔には変わらないのだけれども。
しかしこんな所で、グダグダ言ってても、なんの生産性もない。
解決にもならない。
不安ならそれを排除する。
排除出来ないなら、付き合う方法を考えるだけ。
そしてそれは、一人では出来ない。
一人で悩んで、一人でなんとかしようとしたところで、一人相撲になる。
二人のことは二人でなんとかするしかないのだ。
考えて、なんだか晴れやかな笑みを浮かべる気持ちの悪いゾンビを眺めて、俺はなんでこんな奴の為にこんなくだらないどうでもいいことを考えてやってんだ、と気付いた。
途端に腹が立ってくる。
「さぁ、さっさと金払って帰れよ。言っておくが、チップ弾めよ、糞ゾンビ」
俺の声に肩を竦めて、ゾンビは笑いながら金をカウンターに置いていく。
「また来るわ」
「もう来んな」
俺の返答はドアチャイムの音に紛れて、外の喧騒に掻き消された。
残った酒を一気に煽って、こんなことが続くようなら、安請け合いで引き受けなけりゃ良かったなぁ…と。
何度目かの後悔の溜息を落とした。
そしてその溜息は、日を追って増えて行くことになる。
背景素材提供 clef 様