総番長と生徒会長(2)
          

 支払期日が翌日に迫り、見栄を張っていることも出来なくなった。
 この数日で、集まった金額は微々たるもので結局まだ半分近く足りない状態に変化はない。
 忌野に電話をするときは気分が酷く落ち込んだ。
 他のどんな友人に頭を下げて借金を頼むよりも落ち込んだ。
 そして電話口でなど頼むことが出来なかった。
 余りにも情けないことだからこそ、直接会って頭を下げて頼みたかった。頼んだ所で、忌野も同じ高校生。百五十万もの大金なんとかしてくれといって、なんとかならないことも考えられる。

 しかしそれでも、ここが最後の砦だった。

 

 何度となく通った、生徒会室の奥にある生徒会長室。
 忌野は長い足を持て余すように組ながら、ただじっと俺を見ている。
 俺はこの部屋に通されて早十五分。
 最初の言葉を探し続けている。

 何と言って切り出すべきなのか。
 状況を説明すべきなのか。
 状況といったところで、忌野には全く関係のない話だ。話されたところで迷惑だろう。
 ではいきなり切り出すべきなのか。
 金を貸してくれ、と?
 しかし全く何もなくいきなり借金を用立てろと言うのは余りにも不躾ではないか?
 しかし当たり障りのない会話をしたとして、そこからどう言って借金の話に移れというのか。
 やはり事情を説明・・・・いやいや変なことに忌野の気を煩わすわけには・・・・しかしいきなり核心を話すのは余りにも・・・・

 そして思考は堂々巡りを繰り返し、最初の言葉がどうしても紡げない。一言でも口に出してしまえば、その後はなんとか繋げられそうなのに、その一言がでない。
 そして、それを悩んでいるうちに沈黙のまま十五分が経過したのだ。 

 時間を都合してくれと頼み、忙しい中時間を作らせたのにこの状況。
 それがますます口を枯渇させて言葉を無くさせる。

 

 二十分が過ぎる頃、今までぴくりとも動かず、ずっと凝視していた忌野が「・・・・で?」とだけ言葉を落とした。
 その問いかけに、硬直していた身体は自由を取り戻して、腰かけていた客用ソファから床へと倒れるように移行して、そのまま土下座の体勢で頭を下げた。

 

 「忌野、悪い。金を用立ててもらえないか」

  

 ゴチっ、と床に額がぶつかって鈍い音をたてた。
 強く瞑った瞳の奥で、昇った血がどくどくと脈動する。

 短い沈黙。

 恥辱と情けなさで、その短い沈黙に耐えられず、かといって顔をあげて忌野と顔を合わすことも出来ず、逃げ出したいような衝動を必死で押さえ込んだ。
  

 動く気配。
 近付いてくる。
 下げた頭の前で足は止まり、そして後頭部に人さし指がぷすりと指し込まれた。

 擽ったいような感覚に、慌てて顔を上げると、自分と目線を合わせるように蹲み込む忌野と目があった。
 頬杖をつきながら、忌野は笑うでもなく、呆れるでもなく、「風間醍醐がそんな下らないことで土下座などするな」と呟いた。  

 顔を上げ、二人床の上に蹲み込みながら見つめあう。
 軽蔑されてもおかしくないと思っていたのだが、忌野の顔にそういった嫌悪の色はない。
 自分が心配していた色々なものが、全て杞憂だったと思えた時に、やっと俺は笑うことが出来た。

 「・・・・軽蔑されるかと思った」

 「はぁ?なんで」

 忌野は俺の笑い顔を見てから立ち上がり、定位置である生地会長の椅子へと戻る。
 そして不思議そうに首を傾げて、「変なことを考える奴だな」とごちた。       

 俺が床からソファへと座り直したのを見計らって、忌野は「いくら必要なのだ?」と問いた。

 そうだった。
 これが問題なのだ。

 忌野は俺が金を用立てて欲しいと言って、いくらくらいを想像しているのだろう。数万の話だと思っているのなら、土下座など馬鹿馬鹿しいと思っても当然だろう。
 しかし、額が額だ。
 口に出せば、次こそ呆れられるかもしれない。
 だがそれでも言わない訳にはいかず、観念したように、溜め息と一緒に請求額を述べる。

 「・・・・・・・・・・・百五十万・・・・・・・・」

 「実際は?」

 「は?」

 問いかけの意味が解らずに、問いに問いで返す。

 「お前のことだ。必要額の全額、要求しているわけではないのだろう?」

 「いや、足りないのは後百五十万なんだ。それが必要額だ」

 「最初の必要額は?」

 「・・・・・・・・・・三百万・・・・・・・・」

 忌野の眉間の皺が、問いかけの度に深くなる。
 俺はだんだん後ろめたくなって、視線を反らした。
 一塊の高校生が、いったい三百万もの大金どうするんだ、といわん視線。そして百五十万用意したということに関しても、なんだか後ろめたかった。
 それは、なんだかんだ言ってソレだけ借金をこさえたということを露呈しているようなものだ。
 あまり誇らしい話ではない。

 

 「承諾した」

 「は?」

 「だから、三百万。私が用立ててやる」

 必要なのは百五十万だ。
 そして同じ高校生である忌野に、そんな大金簡単に用意できるものなのか。色々な疑問に、ソファから腰を浮かせて詰め寄った。
 忌野はそんな俺を手で制して、机の上に放置していた携帯電話を操作し始める。

 言おうとした言葉は、忌野が電話を耳に持っていったので遮られた。
 忌野は俺と視線を合わせたまま、電話口の相手に挨拶も何もなく「三百万用意してくれ」と告げて、切った。

 電話が切れたことを確認して、俺は憮然と「百五十万だ」と訂正した。
 忌野は肩を竦めて「借りる場所は一カ所の方が返済は楽だぞ」と至極まっとうなことを呟く。

 そして立ち上がり、いきなり俺の胸ぐらを掴むと、今度こそ酷く不機嫌に「たかが三百万くらいのはした金で、土下座なんかするな」と怒気の荒い声で呟いた。

 

                               §§§§§§§§§§

  

 一時間後には、俺の目の前に百万の束がぽんと三つ、置かれていた。

 「えっと・・・・いや、有り難う・・・・助かる」

 「別に構わん」

 忌野は不機嫌だ。

 「絶対に・・・・時間はかかるが返すから」

 「別に構わん」

 「いや、そういうわけにはいかないだろう!」

 「たかだか三百万、いらんよ」

 たかだかではない。大金である。

 「絶対に返すから」

 「・・・・月千円ずつくらい恭介に支払ってくれ」

 何年かかるんだ、ソレは。

 「・・・・出来る限りの額、毎月支払わせてもらう」

 「いらんって。お前の土下座代だと思えよ」

 そんな高いものなのか?土下座って。
 不機嫌且つなんだか拗ね気味の忌野は、自分の椅子の上で三角座り状態だ。

 「忌野?」

 「なんだ?」

 膨れ気味の頬。刻まれた眉間の皺。
 三百万はたかだかと言うのに、この態度はなんなのだろう?
 無理な金額を出させたのなら、不機嫌になるのも頷ける。
 この態度も理解できる。
 しかし、金額は痛くないと言い張る。 
 なんだろう?こっちに罪悪感を抱かせないために無理をしてくれているのだろうか。

 「忌野、やっぱり百五十万だけで・・・・」

 「諄いわ!」

 言い捨てる。

 「・・・・すまない」

 何に対して、いや謝るべきものはいっぱいあるのだが、それでも何に対して謝っていいのかわらないまま謝罪を口にして、俺は目の前に置かれた三百万を眺めた。

 沈黙。

 苛々している忌野の気配が、黙っているのにひしひしと伝わってくる。いや、黙っているからこそ余計に伝わってくる。

 「・・・・あの・・・・忌野?」

 キッ、と音が出そうな程の勢いで睨み返される。

 「えっと・・・・何にそんなに腹をたてているんだ?」

 忌野は瞬間目を見開いて、その後再び強く睨んでから視線を反らした。そして唇を噛んだまま、折った膝の上に額を落とす。
 こっちからは忌野の頭頂部しか見えない。

 「・・・・忌野?」

 「・・・・・・・・・別に」

 別にの態度ではない。

 「忌野?」

 もう一度名前を呼ぶと、膝を抱いたままの体勢で器用に肩を竦めてみせる。
 俺は仕方なく、待つことにした。
 何か言ってくれるまで、待つことにした。

      

 沈黙は俺が最初の言葉を探した時間と同じほど、そう、二十分ほど続いた。忌野はほんの少しだけ顔をあげて、目だけで俺を捕らえるとくぐもって聞こえにくい声で心情を零した。

 「私は最後だったのだろう?」

 「・・・・は?」

 「だから・・・・何かお前にとって大変なことがあって、金が必要になって・・・・
 お前は色々な人間に頭を下げて頼み込んで・・・・
 それでもどうにも足りなくて・・・・
 それで最後に仕方なく私を頼ったのだろう・・・・?」

 「・・・・ああ」

 「最初にっ・・・・」

 瞬間忌野が顔をあげる。
 そして俺は忌野の不機嫌な理由が解った。

 「・・・・っ、最初に言えばいいだろう・・・・」 

 俺はどうしようもなく笑いがこみあげてきて、とうとう吹き出して笑った。
 途方も無く、忌野が今まで見た中で一番不機嫌な顔になっても、それでも俺は笑い続けた。

  

                            §§§§§§§§§§

   

 俺の笑いが治まっても、忌野の不機嫌は治まらない。
 弟が見せるものと同じように拗ねて膨れた顔のまま、俺を見ようともしない。
 何度説明しても、機嫌は治まりそうもない。

 これはもう、時間に任せるしかないのだろう。

 俺は再び沸き上がってきた笑いの発作を噛み殺して、いい加減長居し過ぎたと立ち上がった。

 「本当、助かった」

 無造作に置かれたままの札束を、多分に一生もう触ることはないであろう札束を俺は自分の鞄に仕舞込む。
 忌野は膨れっ面のままこっちに視線を寄越す。 

 「じゃあな」

 「・・・・用途を説明する気はないのだな」

 「・・・・うちの後輩が筋者と揉めてな。その落とし前の肩代わりだ」

 「筋者?」

 ぴくり、と眉が動く。

 「ああ。総番長、てのも結構大変でな」

 「・・・・ふぅん・・・・」

 忌野は少し考えるように視線を動かして、そして少しだけ笑った。
 その笑顔は忌野特有の、氷が突き刺さるかのような冷たい笑みで、さっきまで拗ねていた子供とは思えない。
 しかしすぐに、不機嫌な顔に戻ると、見送りのためにか立ち上がってドアの方に歩み寄る。
 そして振り返り様に「風間、お前私が用立てなかったらどうするつもりだったんだ?」と問いた。 

 「ああ・・・・まぁ、臓器でも売ろうか、と」

 瞬間、不機嫌だった忌野の顔が、ぽかんとしたものになり、泣きそうな顔に歪んだと思ったら、苦虫を噛み潰したような顔に移り変わって「馬鹿阿呆がっ!」といつもの台詞を叫んだ。     

 そして俺は、笑いの発作に再び完敗して、その場で笑い崩れた。

 

                               §§§§§§§§§§

  

 翌日、支払いに行った事務所で、俺は札束を突っ返されて、意味がわからなくて途方に暮れた。
 嫌がらせだったとしてはたちが悪過ぎではないか?
 問い詰めても、言葉を濁して目を反らす。
 何が何だか解らないまま、俺と後輩は放り出されるように事務所を後にした。
 お互い顔を見合わせて、首を傾げるしかない。

 瞬間、俺の携帯が鳴った。

 液晶の名前は『忌野雹』。

 「もしもし」と応えようとした矢先に、こっちの声を遮るように忌野の声。 


 『話はつけておいた』

   

  そして電話はこっちが何一つ発言することを許さず、ぷつりと切れる。
 俺は呆然と佇みながら、再び沸き上がる笑いの発作に身を任せた。

 いったい何をどう話をつけたのか。
 お前は何処まで出来るんだ。

 そう言ったこと全て引っくるめて。
 笑いが治まり、顔を上げる。

 空は青く澄んで眩しい。

 横で不思議そうに見ている後輩に「友人が話をつけてくれたらしい」と、事実なんだが嘘みたいな説明(?)をして、軽く肩を叩いた。

  

  さぁ、忌野に金を返しに行こう。
  必要なくなった札束を俺は抱え直して、どれくらいの借りを作ってしまったのか考えた。 

 まぁいいさ。
 返せるまで付き合おう。
 どれだけ長くかかろうとも。
 

  そして俺は、楽しくなって、笑う

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