蝋の翼(5)


 窓の外で。
 赤ちゃんの声がする。

 

  幻聴?

 

  私はふらふらと窓辺に吸い寄せられて、窓の外を覗き込む。

   

  ああ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   

 忘れてたわ。
 貴方は窓から来るのだったわね。



 貴方の腕の中には、貴方と同じ美しい青い肌をした小さな小さな私達の宝物がしっかりと。

 

  「・・・・ハレルヤ」

 

  神を讃えよう。

 私達が愛しあったことが、例え罪悪だとしても。
 それでも。

  

  貴方と子供がいれば。
 私の世界はそれだけで充分。

 

 楽園など。


                     そんなもの、自分で作るわ。

  

§§§§


 カーテンの閉じられた部屋で。
 部屋の隅に置かれた椅子には彼が。じっと見ている。
 私は彼の視線を受け止めながら、まるで昔のように。一方的に一人で話をしている。

 
 彼は返事を返すわけでも、相槌を打つわけでもなく、ただ私と私の腕の中の子供を見守っている。
 時に子供を抱きながら、私にも見せたことのない顔をして笑う。
 私もきっと、貴方に見せたことのない顔をして笑ったりしているのだろう。

  この部屋には両親は近寄らない。
 私の乳母でもある 一番古参の信頼できる口の堅いメイドが、毎日の食事や、世話をしに訪れる日々。 

 

 「帰りたいわ」

  

 窮屈で息がつまるの。 
 彼は私を宥めるように額にキスを 

  「この子にも」

  彼は私が愛して止まない笑みを浮かべながら、私達2人にキスを繰り返す。 


 頬に、額に、唇に、頭に、目元に、鼻に。
 至るところに。
 それこそ、子供がむずがって泣くまで。

 

  キスの雨と、たっぷりの愛情の養分を。
 惜しみなく貴方に与えるから。

 ソレを一身に受けて。

 貴方は大きくなるの。

 

 貴方は私達の。

 

 楽園の『鍵』

 

§§§§

  

 「ラーハルト」

 

 貴方は天使を腕に抱きながら。
 幾十もの愛を込めて、名前を唱えた。  

  「素敵な音」 

  何度も呟いて、その音を確認する。
 耳心地の良い優しい音。
 貴方の声で、その音をもっと聞きたい。
 私ももっと。
 もっと呼びたい。

 

 ラーハルト。

 これが貴方の名前。
 私の天使ちゃん。
 私達の天使ちゃん。 

 抱きしめるとミルクの匂い。私はその匂いを胸いっぱいに吸い込んで。

 ただ只管に幸せな。
 幸せ以外存在しない楽園で。

 私は微笑んでいた。

   

§§§§


 彼は天使を膝に乗せて、最近お気に入りの玩具であやしている。
 小さな手で、ぎゅっと ヒヨコの縫いぐるみを握って。

 幸せな。
 幸せ以外は入り込む余地などない。

 

  そんな情景なのに。

 

 何故、こんなにも。
 何故、こんなにも。

 

 いえ、だからこそ。

 

 私にはこんなにも。

 

 尊く見えるのね。 

 

 頬にキスをすると、擽ったいのか笑顔を見せる。
 そのあまりの可愛らしさに、つい叫んでしまいそうになる。

 彼が何故、 普通に、 冷静に この天使ちゃんと向き合ってられるのかが理解できなくて、目はちゃんと見えているのか?頭は正常か?と問いただすと、彼は呆れたような笑顔を浮かべながら、天使を腕の中に抱き上げて
 「そんなことをしてたら、この子は自分が笑ったら周りが悲鳴をあげて大興奮するのが普通だ、と思って育つだろう?」と言った。

 確かに。
 確かにそうなのだけど。

 それは至極まっとうな意見ではあるのだけれど。

 だけど。


 抑えられないのだ。
 抑えられるものではない。 

 沸き上がる、と言うか打ち震えてしまうような、そんな愛らしさなのだ。

 抱き癖がつくから あまりだっこはするな、と注意をした本人が一番だっこしている事実には目を瞑ってあげるけど、この愛らしさからは目を瞑れない。
 赤ちゃん特有の、殆ど瞬きをしない潤んだドロップみたいな鮮やかな翠の瞳を、父親譲りの猫の形に細めて、笑う。


 興奮し過ぎて貧血を起こしてしまいそう。

 くらくらしちゃうわ。

 父親の腕の中で上機嫌な天使は、殺人級の笑顔を大奮発。
 なんて罪作りなのかしら。 


  「パパが好きなのね?

        私と一緒だわ」


  頬をぷにぷにと突く。
 何が詰まっているのかしら?この ぷにぷにの中には。

 私達の愛?

 彼は我が子を片手抱きに持ち替えて、空いた手で私を抱き寄せる。
 ひとつの腕の中。

 世界で一番安心できる、私の居場所。

 

 この両の手を広げて収まるほどの。
 たったそれだけの世界。

 それだけの楽園。

 私達の作り上げた楽園。

 

 楽園は確かに存在したの。
 楽園は確かにそこに。

 そこは掛け替えがなく、本当に美しくて。
 ただ、ただ尊い。

 

 私は彼の腕の中で。
 その小さな世界がいつまでも続くように。

 

 祈った。



§§§§


 貴方が笑っていられるなら。
 その笑顔を守るためなら。
 パパもママも。  


 なんだってしてみせるわ。 

 





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