(三) 遺ったもの
忌野療養棟。
療養を余儀なくされ、半ば強制的に入院させられた。
しかし、仕方がないとは思う。
彼女の吐く息を間近で吸い、吐瀉物を浴び、挙げ句の果て返り血まで浴びた。
普段他人を斬る時は、返り血を浴びないように斬るのに。
発見時には私自身殆ど意識がなく、まぁ本当によく生きていたものだ、と自分の悪運の強さに感心する。
その後の処置については思い出したくもない。
内蔵の隅々まで洗浄されるような、あんな体験をもう一度するくらいなら、私は彼女の血でも飲んでそのまま一緒に心中してやる。
「馬鹿な考えはおよしなさい」
考えを読んだのだろう。燦斬は枕元に座りながら、半眼で私を睨み付けると抑揚無く言った。その淡々とした口調が、本当に怒っていることを私に思い知らせる。
心配をかけたこと、仕事が当分出来ないこと、その負担が全部燦斬にかかるだろうこと、謝罪したいことはいっぱいあった。しかし口を開いて、出る言葉は微かな息の音だけ。
完全に声帯を痛めてしまっているのだ。
「喋らなくて宜しい」
冷たい声に、私は頷いてみせるしか出来ない。
いたたまれなくなって、私は瞳を閉じて眠るふりをすることにした。
燦斬にはばればれなのだろうが、それでも視線を合わし続けるよりかは気が楽だ。
しかしそれを燦斬は許してはくれなかった。
「雹さん、この刀、どうしますか?」
瞼を持ち上げて燦斬の掲げた刀を認識する。
燦斬は鞘の中から刀を半分ほど出して、その有り様を呆れるように見た。
雪薇の血を吸った刀は、まるで何人も斬った後なんの手入れもしないで十数年放置したかのように腐食していた。
「ここまでなってしまうと、打ち直しても元に戻るかどうか解りませんよ。処分しますか?」
私は黙って首を横に振る。
それが彼女が生きていた証となる唯一のものだから。
燦斬は何も言わずに刀を元に戻すと、それを音を立てないようにそっと布団の横に置いた。
燦斬は駆けつけてこの方、何があったのかを聞こうとはしない。
聞かれても、私も上手く説明することは出来ないだろう。
私は、私を助ける事が出来なかった、とは・・・・やはりどう頑張っても説明出来そうもない。
そう、懺悔の言葉など聞きたくもない。
それは悔いを許して貰うための行為だから。
私は私を許さない。
知らず唇を噛み締めて、漏れた血の苦い味で我に返る。
後悔をしないで生きていくことが出来るのならば。振り返ることが怖くないならば。
それは理想の人生に思えた。
「雹さん」
名を呼ばれ、頭を撫でられる。
唯一私を甘やかせる手は、私の噛み締めた奥歯から力が抜けるまで、頭を撫で続けた。
手が止まったのを確認して、私は燦斬に、声が出ないため唇だけ動かして意志を伝える。
『燦斬、私は・・・・あの時上手く笑えていただろうか?』
何も知るはずのない燦斬には、答え様もない質問だろう。
だがそれでも、問わずにいられなかったのは、それが彼女が見ることの叶った最期のものだったからだ。
最期の最期で、私は彼女の望むものが与えられたのだろうか?
意味のない時間。
奪うしか出来なかった最期。
私が彼女に出来た行動は、どれも酷く無力だった。
だからこそ、最期のコレくらいは上手く出来ていればいいのに、と願わずにはいられない。
「運び出された彼女の死に顔は、とても綺麗な表情をしてましたよ。
可笑しな言い方ですが、まるで満ち足りているかのような」
ああ。
そうであればいい。
そうであればいい。
私は泣きそうになるのを我慢して、笑顔を作った。
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