無意識意識



そっ、と指が唇をなぞる。その指があまりに優しくて。
耳元で名前を囁かれる。低く耳朶を打つその声は、いつもよりも甘い響きを伴って。

 鼓動が高鳴る。

息が届く距離に、碧の綺麗な翡翠の瞳。
緩やかに、穏やかに、猫のように細められて、その瞳が笑みを作る。

柔らかい、その笑顔はいつもの嫌味なモノじゃなくて、ただただ優しく甘く。

そして、またそっと唇に指が触れる。
慈しむように、優しく撫でる指に導かれるように。私は瞳を閉じた。

唇に、触れるか触れないかくらいの感触。子供のファーストキスのようにすぐ離れてしまう、その刹那の接触。

そしてすぐ、唇は瞼に。そして頬に。


二回目のキスはさっきより長く。それでも物足りない程に優しく。

つい、せがむように。 私は相手の唇を舐めた。

 


 

 「………なんて……夢…………」

がっくりとうなだれて、朝から押し寄せる疲れに私は頭を抱えた。

欲求不満なのかしら?
そうとしても、何故相手があの男?

いやに生々しい夢だった。まだ唇に感触が残っている。

 

思い出してしまって、いたたまれなくて、今まで眠っていた枕にダイブ。

 

 「…どんな顔して会えばいいのよ…」

 

 

 

久々に城に顔を出すと聞いたのが昨日。だから?意識したっていうの?
久々に会うのなんて何もあの男に限ったことじゃない。
それなら、久しぶりの顔が集まる同窓会の前日に見る夢など乱交パーティーになるわ。

 ありえない。

 ありえない。

 

 「エイミ…どーしたの?」

姫の声で我に返る。
かなり凄い顔でボーっ、としていたらしい。
机の上の鏡にも、頬にペンの跡のついた顔が写ってる。


 「…全部あいつの所為だわ」


一種、八つ当たりとも取れる溜息を大仰に一回。気分転換に珈琲を入れに行こう。

 

 

給湯室で珈琲を入れながら、その香に少しずつ落ち着いてきた。

意識しすぎなのよ。
夢なんて、なんの意味もないわ。
そうよ。
こんなの、ただの偶然。
所詮、ただの夢よ。


 

 「どんな夢?」

 背後からかけられた声。それは夢で見た、あの男の声で。慌てて振り返ると入れた珈琲が零れた。

 

 「…珈琲、零れてるぞ」

 「わかってるわよ…」

呆れたような視線。見兼ねたように伸ばされた手を制して「大丈夫よ」と。可愛いげのない返事。可愛いげのない態度。
わかってる。わかってるわよ。

 


 「機嫌悪いな…ストレスか?」

 あんたの夢の所為とは言えずに、曖昧に頷いてみせて珈琲を入れ直す。

 「あんたも飲む?」

 「自分で入れる」

 ばっさり、と断って。

ああ、こうゆうところが腹が立つ。
そして持ち前の器用さもあるのだろうけど、女子よりも家事全般が得意だったりするところも腹が立つ。


慣れた手つきで、珈琲を入れて。形の良い薄い唇に、カップが。

 

 「…なんだ?さっきからジロジロ見て」

 

 「っ……見てないわよ」

 

ああ、もう!意識するな、て言う方が無理よ。
意識してしまうわ。どうしても。

とりあえず目を反らせて、シンクにもたれながら珈琲を飲む。

時々盗むようにちらり、と見て。

 

長い指や、目に眩しい金髪や、新緑を連想させる鮮やかな碧の瞳や、魔族特有の青い肌を。
夢の中で見たソレと比べながら。

 

 「…おい。本当にさっきからなんなんだ?」

 

不機嫌な声音。
素直な男は顔にもはっきりと不機嫌の色を貼付けて。

 

 「別に…なんでもないわ」

 

なんでもない。なんでもないはず。

私はこの話はコレで終わりだ、と両手をあげて示す。

 

 「本当に疲れてるみたいだな。宮仕えも大変だな」

 

見当違いの答えに、内心満足しながら。
口の端だけ上げて笑う、いつもの嫌味な笑みを見て少し安心した。

 

 「ああ、そうだ」 

思い出したように。
相変わらず行動に一貫性のない男は、持っていた紙袋を私の前に差し出す。

 

 「何?」

 「カヌレ。お前、チョコレート好きだろう?
   ディーノ様の今日のおやつ、多めに作ったからくれてやる」

 

ほんのり、まだ温かい。覗くと甘くて幸せになる匂いが。

 

 「ま、疲れてんなら ちょうどいいだろ」

 

嫌味な笑みのまま。
だけどソコに優しい色を見つけてしまって。

 

ああ、意識しちゃダメ。ダメなのよ。ダメ。

 


けど紙袋から滲み出した温もりがほんのりと。甘い匂いが。

 

こんなに混乱させておいて、当の本人は用は済んだとばかりにくるり、と背を向けて。

 

 「じゃあな」

 

ひらひらと背中越しに手を振って。振り返りもしやしない。

 

私はその背中を見ながら、自分がどうしようもない場所に足を踏み入れていることに気付いて。
その背中から視線を外すことが出来ない私に気付いて。

 

 

 少し、泣きたくなった。






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