背負うものの重さ    




緊張感は果てしなく。

絶望感は緩慢なまでに。
閉塞感は慢性的な麻痺を伴って。
耳の奥で、鼓動と同じリズムで歯車がぎしぎしと回り続けているのを。

ただ、それだけを意識して。

 

足元を見てはならない。
きっと押し潰されてしまうから。

けれど、そんな繊細さなど実は当の昔に捨て去ってしまったのやもしれぬ。
実際、自分の足元に広がる奈落を見ても。微塵も心が揺れないのなら。
自分がしてきたことを振り返った時に、そのことに一切の乱れを抱かないのならば。


それこそが、最も嫌悪すべき事象だろう。

 

 

「忌野」

 

声に顔を上げる。

また勝手に入ってきたらしい、風間醍醐は怪訝そうに私の顔を見ていた。
すっかり他の生徒会役員とも顔馴染みになってしまったようで、最近では顔パスだ。

 

「…何かついてるか?」

「いや…そうではないが…お前がここまでぼう、としているのも珍しいと思ってな」

 

言われて、確かにこの男が入ってきたことに気が付いていなかった事実を。

それは命のやり取りをしている己にとって、致命傷に為りかねない事態だ。瞬間、青ざめる。
いくら、この学園内のセキュリティが徹底しているとはいえそれでも油断が許される立場でも、状況でもないことは重々承知しているはずなのに。

 

「…疲れてるのか?」

「…それが死ぬ言い訳になるか?」

 

自分が倒れれば、忌野家は勿論。何よりも次期頭首として弟たちが担ぎあげられるのだ。

やっと普通の生活をさせてやれるだけの余裕が出てきたのに。

 

「…随分と大仰だな…」

「一瞬の気の緩みでくたばりかねんからな。僅かな隙だろうと大仰にもなる」

 

確かに、ここ連日忙しくしてはいたが。
私の溜息に、風間も溜息を重ねる。

 

「返事はわかっているが…敢えて問おう。大丈夫か?」

「返事はわかっているのだろう?なら聞くな」

 

どちらともなく、少しだけ笑って。
「大丈夫」以外に返答出来る答えなど、お互い持ち合わせていないのに。

 

規模は違うとしても。それぞれに背負うものがあって。
私たちはその為に決して負けられない闘いを、自らに課している。負けたとしても、倒れることが許されない戦いを、自らに。

この男には、学校と家族が。私には家と家族が。
その為に、私はこの身を罪悪に沈めて生き恥を晒しながら生きているわけだが。この男は違う。

 

「立場の規模は違えど、背負うものの質は変わらぬはずなのに。どうしてお前はそうであり続けられるのだろうな?」

 

そう、の内容は敢えて口にしなかった。
そこに言葉を弄せば、自らを辱める結果になることは明白で。
保身に走るつもりなど今更ないがそれでも。私はまだ、他人にほんの少しでもマシな自分だと思われたいのかもしれない。


それはどこまでも失笑ものだ。一体どこまで私は醜悪なのだろう?

 

「質は変わらんかもしれんが、規模が変われば責任も増す。

 俺がこうであり続けられるのは、何も特別なわけじゃない。

 俺からしてみれば、お前の方が驚嘆に値するよ。

 どこまで自分に厳しくしていれば、そこまで行けるのか。俺はお前の隣で、ほんの少しでもいいからお前と同じ景色が見えているのか。

 俺らしくもないが、時に不安になる」

 

そういって笑う風間の顔に、不安の影など微塵も存在しなくて。私はそこに安らぎを見出しながら、風間と私の違いに思いを馳せた。

 

背負っているものを捨て去りたいとは思わない。
解放されたいと願ったことはある。だが、捨て去りたいと思ったことはない。

どれだけソレが重いものだろうとしても。
その結果、地面に這いつくばり泥水を啜るようなことになっても。

こんな物を、あの子たちに背負わすくらいなら、私が一人背負って生きていけばいいだけのこと。
従事してくれる部下もいる。慕ってくれる部下も。信頼できる部下も。そうでない部下も、『忌野』に居る限りは私の大事な者達だ。

それらすべて、背負わなければならない。

 

「重いな…」

「ああ、だがだからこそ背負うんだろう?お前は」

 

言われ、何度目かの苦笑を。

 

そうなのかもしれない。

そうなのかもしれない。

 

だが。

 

「そうだとしたら、私は本当の馬鹿阿呆だと思うよ、風間」

 

お互い笑いながら。

肩に食い込むその重さを。

 

悠久の絶望と、刹那の希望に抱かれながら。



痛切に自覚した。

 





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