立ち止まっても、引き返すわけにはいかない 犠牲の数とか、形とか。 掌を床と縫い止める匕首の柄を踏んで、更に押し込む。 「まだ殺してやんねぇよ」 こんな簡単に終わらせる気はない。 自分が留守の間に忌野で好き勝手してきた馬鹿は、最初の威勢をすっかり失って。 こんな馬鹿がのさばって、暗躍出来る状況だったから。 あんなくだらないところで命を落とす破目になったのだ。 足首を使って、匕首を捩じれば。 もしここでくたばらなかったとしても、以前のように動くことはないだろう。 念入りに、じっくり。 神経質な程、その四肢全ての腱と神経を。 「霧幻様」 部下の呼びかけに振り返り、背後に見えた月の傾きで時間の経過を知った。 「生きてるようなら、新薬の実験にでも使え」 見降ろしてそれだけ言って。 雹を売って、存続再建を計画していた内部の馬鹿はほぼ一掃した。 何処まで。 何処までこの家の力が落ちているのか。 自分が家を出たことは間違っていたのかもしれない。 俺はふ、と。今まで考えたこともないことをその脳裏に思い浮かべて。 「全部、『たられば』じゃねぇか」 それは誰に指摘されるまでもなく、分かり切ったことだ。 今更どう言ったところで、今の現状がこうなのだから仕方がない。 幸い、若い人材や現場に出てる者はまだまだ使える。根底にある忌野の力は衰えてはいない。 雹だってそれは充分承知していたはずだ。 俺の為に、何処までも『使える』道具、駒として動いている筈だから。 今回のことで内部の膿は出た。 後はじっくりいたぶって、5家で唯一の戦闘暗殺集団に喧嘩を売ったことを心の底から後悔させてやるまでだ。 そう、じっくりと。 恐怖と絶望以外の感情を抱けなくなる程に極限まで追いつめてやる。 「昂護。幕を開けるぞ」 声に応えるように、今までなかった気配が背後に。 俺の頭首付きはどこまでも不遜に笑みを浮かべて。応える代わりに、血塗れの匕首をこっちに投げて寄越した。 まだ乾かぬ赤いぬめりが、ぽたりぽたりと突き立てられた地面に落ちて。 引き返すわけにはいかない。 『たられば』に意味はない。 幕は上がった。 ここからは、俺お得意の地獄絵巻きを繰り広げるだけ。 そう、ただそれだけ。 その結果、生み出される莫大な犠牲とか。痛みとか。怨恨とか。そんなものは。 全てが無駄で。どうでもいい。 命の価値など絵空事で。夢物語。 それは糞餓鬼も例外ではない。 ただ火種になってくれたことだけが、救いといえば救いか。 落ちた血溜りの花を足で踏み躙って。 俺は一度、月を仰ぐ。 自分が何をしてきたか。 自分の罪は全てひとつ残らず認めてやるが、罰なんざ受けてる暇はない。 俺は自分の道を只管、絶望と悲鳴で埋め尽くして塗り潰していくだけ。 そう。 ただそれだけ。 「まぁ…見てるがいいさ」 そこで。 そうやって青白く輝きながら。 お前はそこで高みの見学をしてるがいい。 誰にとはなく嘯いて。 俺はただ前だけ向いて歩きだす。 月は何処までも凛と静謐な光を讃え、それはとても。 喪った、あの糞餓鬼に似ていた
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