立ち止まっても、引き返すわけにはいかない

 


犠牲の数とか、形とか。
そんな物に興味などない。
犠牲など、最初から想定内。犠牲を伴わない革命なんて糞喰らえだ。
同じように、痛みを伴わない革命も存在しない。
そんなこと、机上の空論ばかり組み立てている馬鹿だろうが、就学前の糞餓鬼だろうが理解している。
ただ、その痛みが現実として想像実感出来るかは別の話で。
想像が出来ないから分からない、なんて当たり前のことをぬかすのなら、その足りない想像力を現実の痛みという想像も空想も必要のない形でじっくり提供してやるだけの話。

 

 

掌を床と縫い止める匕首の柄を踏んで、更に押し込む。
耳障りな呻き声は随分と弱々しいものへと変わってきていて。今では、荒い呼吸に取って代わられようとしていた。

 

「まだ殺してやんねぇよ」

 

こんな簡単に終わらせる気はない。

 

自分が留守の間に忌野で好き勝手してきた馬鹿は、最初の威勢をすっかり失って。
実力重視で取り立てる、忌野の本来の形の喪失を如実に物語っている。こんな非力な者が上に立っているから、だからあんなにも簡単に裏社会の他の家に取り込まれるのだ。
かつて、暗殺集団として頂点に立っていた家の現状は余りにも脆弱で吐き気すら込み上げる。

 

こんな馬鹿がのさばって、暗躍出来る状況だったから。

だから俺の糞餓鬼は。

 

あんなくだらないところで命を落とす破目になったのだ。

 

 

足首を使って、匕首を捩じれば。
畳にごぶごぶとどす黒い血液が流れ出す。

 

もしここでくたばらなかったとしても、以前のように動くことはないだろう。
腱も神経も、敢えてズタズタに傷つけたのだから。

念入りに、じっくり。
俺らしくも無いほど嬲りに嬲って。

神経質な程、その四肢全ての腱と神経を。

 

「霧幻様」

 

部下の呼びかけに振り返り、背後に見えた月の傾きで時間の経過を知った。

かなり集中して嬲っていたらしい。失笑する。

 

「生きてるようなら、新薬の実験にでも使え」

 

見降ろしてそれだけ言って。
俺は自分が愛して止まないこの家の庭に下りる。

 

雹を売って、存続再建を計画していた内部の馬鹿はほぼ一掃した。
人身御供一人差し出して再建が叶うような、そんな甘い考えが通用する世界など存在しない。
ただ、どこまでも無駄死にした糞餓鬼が無念で汚辱だ。
行方を眩ませた、もう一匹の糞餓鬼も同行がまだ掴めていない。

何処まで。

何処までこの家の力が落ちているのか。

 

自分が家を出たことは間違っていたのかもしれない。

俺はふ、と。今まで考えたこともないことをその脳裏に思い浮かべて。
俺が出ていかなければ、雷蔵失踪後ここまで崩れることもなかったはずと。
こんなにも、この家が弱体化するようなことにはならなかったはずだ、と。

 

 

「全部、『たられば』じゃねぇか」

 

それは誰に指摘されるまでもなく、分かり切ったことだ。

今更どう言ったところで、今の現状がこうなのだから仕方がない。

 

幸い、若い人材や現場に出てる者はまだまだ使える。根底にある忌野の力は衰えてはいない。
使い方の知らない屑が舵を取っていたから腐っただけで、舵とりさえうまく取ることが出来れば再建は可能。

雹だってそれは充分承知していたはずだ。

俺の為に、何処までも『使える』道具、駒として動いている筈だから。

 

今回のことで内部の膿は出た。
そして、主導者であるはずの裏社会5家が頂点、鷹之宮にも膨大な貸しを作った。

後はじっくりいたぶって、5家で唯一の戦闘暗殺集団に喧嘩を売ったことを心の底から後悔させてやるまでだ。

そう、じっくりと。

恐怖と絶望以外の感情を抱けなくなる程に極限まで追いつめてやる。
『忌野最凶』と謳われた俺の描き出す絶望絵巻をじっくりたっぷり延々と。堪能させてやるよ。

 

 

「昂護。幕を開けるぞ」

 

声に応えるように、今までなかった気配が背後に。

俺の頭首付きはどこまでも不遜に笑みを浮かべて。応える代わりに、血塗れの匕首をこっちに投げて寄越した。
屑から引き抜いてきたらしい。
手入れするのも面倒で。あそこまで執拗に嬲ったことも考えれば、刃が欠けていることもおかしくなく。
俺はそのまま地面にそれを突き立てた。

 

まだ乾かぬ赤いぬめりが、ぽたりぽたりと突き立てられた地面に落ちて。

その赤に月の青白い光が反射して、まるであの糞餓鬼の瞳のように。

 

 

 

引き返すわけにはいかない。

『たられば』に意味はない。

幕は上がった。

ここからは、俺お得意の地獄絵巻きを繰り広げるだけ。

そう、ただそれだけ。

その結果、生み出される莫大な犠牲とか。痛みとか。怨恨とか。そんなものは。
この世界に溢れている幾多のものの中で数少ない平等さと、溢れんばかりの不公平さを伴って降り注ぐだろう。

全てが無駄で。どうでもいい。

命の価値など絵空事で。夢物語。

それは糞餓鬼も例外ではない。

ただ火種になってくれたことだけが、救いといえば救いか。

 

 

落ちた血溜りの花を足で踏み躙って。

俺は一度、月を仰ぐ。

 

 

 

自分が何をしてきたか。

自分の罪は全てひとつ残らず認めてやるが、罰なんざ受けてる暇はない。

俺は自分の道を只管、絶望と悲鳴で埋め尽くして塗り潰していくだけ。

 

そう。

ただそれだけ。

 

 

「まぁ…見てるがいいさ」

 

 

そこで。

そうやって青白く輝きながら。

お前はそこで高みの見学をしてるがいい。

 

誰にとはなく嘯いて。

俺はただ前だけ向いて歩きだす。

 

月は何処までも凛と静謐な光を讃え、それはとても。

 



 

喪った、あの糞餓鬼に似ていた ────────────────