声を聞かせないで

 

この男は名前を呼ばない。

 

 

名前を呼ぶのは、ダイ君とヒュンケルくらいで、後の人物は…

例えばポップ君は『魔法使い』だし、姫は『小娘』。メルルは『占い師』で、アバン様は『カール王』。
ヒムは『オリハルコン』だし、クロコダインは『ワニ』だ。
マアムに至っては『ピンク』と、職業、種族でさえない。

 

私の場合はマシな時で『賢者妹』。最悪な時で『ストーカー女』

 

本当に。

むかつく。

 

 

だから私は基本的にこの男のことは『腐れ魔族』と呼ぶようにしている。
人をストーカー呼ばわりするんだから、その程度がお似合いでしょう?

 

腐れ魔族、性悪男、憎らしい皮肉屋。
表す言葉には困らない。悪口にも。

 

だって本当にイヤな奴なんですもの!

 

下手をすると名前なんて覚えてないのかもしれない。

覚える気すらないのかもしれない。

最初から呼ぶ気がないのなら、覚えもしないだろうから。

 

 

けど、親しくなったら名前で呼ぶようになるのかもしれない。
それはとても普通なことだから。
それをヒュンケルに言ったら「俺の場合は最初から名前で呼んでたけどな」と返ってきて、全く役に立たない。
その後、あの男の前の主(ダイ君のお父さん)と同僚だったからかもしれない、とヒュンケルは付け加えたけれど。
それだったらクロコダインだって、きちんと名前で呼ばれてるわよ。

 

私は知らず溜息。

 

別に名前を呼ばれたいわけじゃない。
だけど、もう少しマシな呼び名があるんじゃない?

私達、少なくとも半年以上一緒に旅をしてたのよ??

 

 

「おい、賢者妹」

 

ああ。また。

後ろからかけられる声に。
私はつい、イライラしてしまう。

 

「あんたねぇ。ここはパプ二カよ?賢者の国なの。

 その呼び方だと対象者が多すぎるわ。いい加減名前くらい覚えたらどうなのよ?」

 

「呼ばれた当人が自分のことだと認識してるんならいいじゃねぇか」

 

憮然と言い放たれた言葉は、私のイライラを一層引き立たせて。

 

「名前を呼ぶのは最低限の礼儀でしょう?」

 

「俺が礼儀を尽くすのは主だけだ。最低限にしろ、最大限にしろ」

 

全く会話は平行線。

噛み合うどころか悪化の一途。

 

「ああ、そうですか。そうですか。

じゃあ、あんたも自分に礼儀が尽くされないことに腹は立てないでよね!

あんたが周りに失礼なことをしたら、それが主に返ってくるってわかるでしょう?ソレくらい。

あんたが馬鹿だと迷惑すんのはあんたじゃなくてダイ君なのよ

 

 全く。どれだけ死んでたか知らないけど。

 死んでる間に脳が腐ったんじゃないの?だから名前ひとつ覚えられないのよ」

 

まくしたてる私を、男はさめざめと眺め
(これもいつもの感じ。本当にいやな奴。自分が苛立たせてるのに、まるで他人事のように。
 女のヒステリーには付き合いきれない、て顔で。 まあ、実際そうなんでしょうけど。
 こっちがヒスを起こす原因はあんたにあるのよ!それをイヤだと思うなら自分の態度を改めなさい!)壁に背中を預けながら。


じっと。


 

この男のこうゆうトコロが嫌いなの。

この猫みたいな。

何があるでもないのに、ふいにじっと一点を見るこの仕種が。

落ち着かなくさせるのよ。

 

 

そんな気分を誤魔化そうと、口を開きかけたその瞬間。

 

 

 

 

 

「エイミ」

 

 

 

 

 

男がぽつん、と私の名前を。

 

呼ばれた瞬間、鼓動が一回。

 

 

 

 

跳ね上がる。

 

 

 

 

「……………な…」

 

「覚えてる。そこまで馬鹿じゃない」

 

 

にっと笑われて。

見慣れた嫌味ないつもの笑顔のはずなのに。

いつもの、いつもの笑顔なのに。

 

思考が働かない。

碧の瞳に射竦められたように。

 

 

「はい。コレ、ヒュン坊からの書類」

 

 

差し出された書類を機械的に受け取って。

去って行く背中をただ眺める。

 

 

耳の奥にはさっきの『エイミ』が残ってて。

ずっと残ってて。

 

 

たった一言。

ソレだけなのに。

 

呼ばれ慣れた私の名前が。

貴方に呼ばれた瞬間、まるで違う音みたいに聞こえた。

 

 

その声はズルイわ。

 

 

私は手渡された書類を眺めるふりをしながら。

暫く耳に残ったその音に耳を澄ませた。

 

 

 




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