天国の父へ
私は別にどうとも思ってなかったのだけど。
ヒュンケルはどうやらそうではなかったようで。
久々に、なんの用事も入っていない休み。何をしようか、とわくわくしながら計画を立てようとしていた矢先に。
「レイラさんに挨拶に行きたい」と。
「母さんに?何故?」
「何故じゃない。こんな風に、結婚前のお嬢さんと一緒に生活してるんだ。
今から行くのも、遅すぎるくらいだ。きちんと挨拶しておかないと」
真顔で。
思いつめたように、何処か一点を眺めているその横顔を見ながら。
彼の誠実さと、真面目さを痛感して。私はなんだか気恥ずかしいような、それでいて大事にされてる満足感を得て、ちょっと幸せな気分になった。
気が付いてみると、村に帰るのはいつ以来だろう?
復興の手伝いをして、教会で親を喪った子供たちの面倒を見て、こうやって彼と新しい生活を始めて。
なんだかんだ慌ただしく時間は過ぎて。
随分と長い時間、顔を出していなかったことに気がついた。
旅に出てすぐは、親元を離れたことがなかったので正直寂しいと思った夜もあったけど。
新しい出会いや、日々の繁忙さに忙殺されてすっかり。
そんな私を見越したのか、ヒュンケルは先ほどの固い声音から一変して、とても穏やかで優しい声で「お前も随分レイラさんに会ってないだろう?」と。
そんなこんなで翌日。
朝から緊張気味で顔色のよくないヒュンケルと一緒に、久々にネイル村にやってきていた。
久々のはずなのに、その風景は一切変わらず。
込み上げる懐かしさと、帰ってきたことの感慨で。
自然に、笑顔が零れた。
「ほら、帰ってきて良かっただろう?」
隣で、なんだかヒュンケルがさも偉そうに言うのが面白くて。
「そうね」と同意してあげながら、内心『そうゆうことにしておいてあげましょう』という気分で。
本当に。
出て行った日から何も変わってないように見える。
実際は、家に帰る途中で会った昔から知ってる子供の身長が、あの日から頭一個分以上も大きくなっていたり、目に見える変化も随分とあったのだけど。
それでも。
村全体の時間に関しては、殆ど。
何も変わっていない。
こんなに長い間出ていたのに。
まるでソレが昨日のことだったように、私を受け入れてくれる。
それは目の前に見えてきた、私が生まれ育った家も例外じゃなく。
本当に、時間経過なんて存在しなかったように。
まるで、ちょっと森に散歩して帰ってきたみたいな気分で。
「ただいま」と扉を開いた。
母さんはなんの連絡もなく、いきなり帰ってきたことに少しだけ小言を言って。
(ヒュンケルを連れてきたことに関しても、前もって言ってくれてたらもっと料理の材料だって用意しておいたのに!と残念そうに)
それでも何処か嬉しそうに見えるのは気のせいかしら?
そんなことを思っていたら、ヒュンケルが耳元で「随分と浮かれてるな」と囁いたから。
母さん以上に私ははしゃいで見えたらしい。
言われて、気付いた。
そしてソレに母が「本当に、まだまだ子供なんだから」と笑いながら応えるから。
ちょっとだけ、面白くなくて。
そこから更に「この子の小さい時はね…」と、昔話(絶対に恥ずかしいエピソードに決まってる!)をヒュンケルに話そうとするから。
「ヒュンケル、村を案内するわ」と。やや強引に腕を引っ張って外に出た。
本当に、この手の話は。アバン先生や、マトリフおじさんで懲りてる。
大人にとっては、子供の小さい頃の話は微笑ましくて聞かせたい話なのかもしれないけれど、当人にとっては顔から火が出る程に恥ずかしいものだったりする。
そこら辺。解らないのかしら?もう!
案内をすると言ったところで、そんな特別な何かがあるわけじゃない小さな村だから。
一時間もかからないうちに一周出来てしまうのだけど。
それでも、私の「あの木にはよく登ったわ」とか。
「あの家に住んでた子が腕白でね」とか。
そんな話を楽しそうに聞いてくれるのが嬉しくて、私は何の変哲もない景色をいちいち説明して回った。
そしてとうとう、足は村はずれに辿りつく。
村の人が定期的に手入れをしているだろう、簡素だけれど綺麗な墓地。
そこにはこの村で育って死んでいった人達が眠っている。
勿論、私のお父さんも此処に。
「お墓参り、してもいい?」
「ああ、俺も挨拶をしよう」
父のお墓は、なだらかな曲線を描く墓地の中腹に位置していて。
そこからは木立の向こうに、私達の家が臨める。
今では、昔と違って随分と木々が生い茂って家の屋根の一部しか見えないけれど。
昔は此処から、私達の家がちゃんと見えた。
小さい頃はずっと、此処で父さんが見守ってくれてると信じていた。
今も。
見守ってくれてるとは思うけれど。
それは、この『場所』に限定したことじゃなくて。
もっと身近に。私の中に息づいているのだ、と思うようになった。
今でも毎日、母はお墓の掃除と花を供えるのを欠かさない。
昔は一緒に行っていたけれど。
墓石に落ちた葉っぱを拾って、それを指でくるくる回しながら。
随分と此処に長い間来ていないことを自覚した。
それは、前よりも小さくなったように思える墓石の所為?
それとも、石に彫られた名前が薄くなったように思うから?
母はまるで、そこに父が存在するように。いつも墓石を撫でるから。
愛しそうに、優しそうに撫でるから。
石に彫られた名前が薄くなるほどに。
削れる程に。
それだけの時間、母はこの石を撫でている。
それは想像するしか出来ない、長い長い時間。
子供心にそんな母をずっと眺めて育った。
昔はそんな母の気持ちは、なんとなくしか解らなかったけれど。
今はもっと深くまで解る気がする。
亡くなっても尚、こうやって石が擦り減るまで撫でて、語りかけて、愛し続けている。
そんな感覚が。
少しずつ、解るようになってきた気がする。
そう、ヒュンケルと出会って。
『ずっと来れなくてゴメンね。けど父さん…ずっと側で見守ってくれてたでしょう?』
心の中で呟けば、想い出の父が笑ったような気がした。
その力強い笑みは、ずっと変わらず。それでいて、何処か誇らしげだった。
それが嬉しくて。
そして父にヒュンケルを紹介しようと。
ヒュンケルは私に気を使って、一歩後ろに立っていたのだけれど。
振り返ると、嫌に真剣な顔で黙祷をしていた。
まるで決戦前のような思いつめた表情で、黙祷し続ける姿は何処か危機迫っていて話しがけ辛い。
…一体…何をそんなに怖い顔してるのかしら…??…
暫く観察していたけれど、一向にヒュンケルが目を開けようとしないので諦めて。
一度肩を竦めてから墓石に向き直った。
『父さん、これが私の選んだ人。父さんと同じ戦士なの。凄く強い人なのよ』
報告をして。
もし、父が生きていたらドレ程喜んでくれたかを夢想する。
父は『戦士』に誇りを持っていたから、きっと私が連れて来る人が『戦士』以外だったら怒ったと思う。
私が『戦士』である彼に惹かれたのは、誇り高い『戦士』の父の背中を見て育ったからかもしれない。
彼と同じように、父も仲間の為に前線に立ち闘った。
そう。父も。仲間を守るために。世界を守るために。愛する女性を守るために。
その姿はきっと、彼が見せてくれた雄姿と重なる部分も多いだろう。
戦いの後遺症で父を失った私としては、その雄姿は諸刃の剣。
不安と希望の表裏一体ではあるけれど。
それでも。
何処までも頼もしくある。
それは事実。
出来る限りの祈りを込めて、私は記憶に残る父に話しかける。
そして、それに応えるように。
風が頬を撫でていった。
目を開けて振り返れば、まるで一戦交えた後のように汗だくのヒュンケルが。
疲れ切った顔をして立っていたのだけど…
「…どうしたの?ヒュンケル…」
「…いや…なんでもない…」
なんでもない、の風貌ではなかったけれど。
ヒュンケルは語ってくれない時は、何をどうしたって教えてくれないから。
しかしそれでも、微かにヒュンケルが見せた笑顔はとても優しいものだったから。
悪いことじゃないのだろう。
そう思うことにして、私も笑い返した。
木々の隙間から見える屋根から立ち上る煙が、母の食事の準備の進行具合を教えてくれる。
小さい頃もこうやって遠くから、煙突から立ち上る煙でご飯時期を見ていた。
「じゃあ、帰りましょうか」
ゆっくり歩けばきっと丁度いい時間になるはず。
歩き出せば、そのうちに二人の歩く速度は同じになって。
まるで二人三脚のように、足が揃う。
そんな影を眺めながら。
長く延びる影が、これからの二人を象徴しているようにも思えて、私はつい笑ってしまう。
こうやってずっと。
一歩一歩、二人で。
歩幅を合わせて、同じスピードで。
何処までも、行けたらいい。
『ねぇ、父さん。私、父さんと母さんみたいな家庭を築きたいわ』
肩越しに、墓地を振り返り。私は父に話しかける。
それは理想の形。
だって、私はこんなにも幸せに育ったのだから。
そして、きっと。
これからも、幸せだろう。
私は視線を横に動かして、ヒュンケルの横顔を眺める。
ヒュンケルは先程の私のように、影を眺めて。そしてやはり幸せそうに、微笑んでいた。
瞬間、堪らなくなって手を伸ばして。
その大きな掌を捉える。
ヒュンケルは吃驚したようにこっちを見て、それからまた優しげな顔に戻って手を握り返してくれた。
伸びる影も、手を繋ぐ。
「「ずっと一緒に」」
言葉は。
私からか。
ヒュンケルからか。
全く同時に放たれて、空中で溶けあった。
だけど、それすら当たり前に思えるような、そんな空気が流れてて。
私達は自然に湧きあがる笑みを堪えることなく浮かべて。
ただただ、何処までも幸せな空気の中をのんびりと歩き続けた。
『ずっと一緒に』
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