醒めない夢と
空を切る腕
ひと月ぶりに顔を合わして、息をのんだ。
一緒に旅をしている間は毎日顔を合わしていたのでそこまで思わなかったが。
「…やつれたな…」
魔族だから、顔色の良し悪しはぱっと見では分からないが。それでも。
親友の不眠症が治っていないことは一目瞭然だった。
ダイが見つかったので少しは改善されるかと期待していたのだが。希望的観測だったらしい。
「肌が青いから、余計そう見えんじゃねぇの?大して変わってないぜ」
嘯いて、いつものように笑う。
その笑みにも、病んだ疲れが滲んでいて。
俺は自分の無力感を噛み締めながら、相手に悟られない程度に溜息を零す。
バランが死んで、この男は眠ることをしなくなった。
その自然に反した行動が、何の影響も与えないなんてことはなく、まるで薄皮を一枚一枚剥ぐように。鋭利な刃物で少しずつ削り取るように。
徐々に心身をすり減らしていく。
それはまるで、緩慢な自殺のようだ。
「少しでもいいから…横になるだけでもいいから休めよ」
「言われなくても休んでるって。心配すんな」
笑う。
その笑顔ですら。
手を伸ばして。その腕を掴む。
そして、その細さに痛感する。
自害は出来ないのだろう。
何故なら、バランが生き返らせたのだから。
生き返ることが、バランの意思なのだから。
だから、自害は出来ない。
だが、生きることも出来ない。
バランがいないのだから。
だからこうやって、緩慢に緩慢に。真綿で首を絞めるように、少しずつ少しずつ。
こいつは自らを追い込んでいく。
そうするしか出来ないのだろう。
そうすることでしか、世界と折り合いがつけれないのだ。
死ぬことも、生きることも出来ず。
ただ、終わりが来ることを祈って。
ただ、主の元に行けることを願って。
だが、その当の主が自分の元から追いやったのだ。
その主が。自分の元ではなく、生きろと。
そして、こいつはそれを上手く嚥下出来ない。
享受出来ない。
容認することが出来ない。
「…恨んでもいいんじゃないか?」
「恨む?」
確かにあの時。この男が生き返ってきてくれなかったら、自分もヒムも死んでいただろう。
それには感謝をしているが、だからといって。
自分が助かったことと引き換えに、親友が苦しんでいることを容認は出来ない。
あの一瞬の為に、これからの、この男の長い長い苦しみは見ていられない。
あの遺言はとても残酷で。
自分の痛みを理解していると、何処までも信頼していたこいつにとって裏切り以外の何物でもないもので。
助かったのは事実だが、それでも。
納得など。出来ようはずがない。
「恨んでどうなる?
そもそも生き返らせてもらって恨むなんざ、筋違いだろうよ」
生き返りたかったのならば。
それを喜んでいるのならば。
生き返ったこの世界が、お前にとって生きやすいのならば。
それならば筋も違ってくる話なのかもしれないが。
生き返らせて尚、再び死地に送り込むような行いが。
少なくとも『父』と名乗る者のする行為として許すことなど出来ない。
今回は運よく、お互い生き残ったけれど。
あの戦いでは誰が死んでもおかしくなかった。
生き返った戦いで、再び命を落とすことだって。想定内の未来だったはずだ。
少なくともどんな戦いでも、戦場に於いて絶対は存在しない。
どんなに余裕と捉えられようが、想定外の反撃にあい命を落とすことはある。
それは例外でも、珍例でもなく、ありきたりのよくある出来事なのだ。
そう。
だからバランの行ったことは、わざわざ生き返らせた息子を、再び殺そうとしているのと同義で。
それは何処までも。
俺を道具と言い切った男と、大差ないのだ。
それを踏んだ上で。
『息子』と。
『親』として呼び掛けるのは。
あまりにも残酷で。惨い仕打ちだろう。
それが俺には許せなかった。
どうしても、許すことなど出来ようもない。
言葉を弄して、謀って、都合よく使っているようにしか思えない。
親だと名乗るならば、親として行動しなければならない。
少なくとも、息子と呼びかけるのであれば。
それを裏切ることは許されない。
その行動に筋が通っていると言うのか。
自分が道具として使われることに感謝をして、恨むことを筋違いだと。
責めるにも、相手はくたばって。
しかももう一人の息子を庇ってくたばって。
その命をかけて守った息子の為に、再び死ねと言い切った。
そんな男を恨むのは筋違いだと?
何よりも居たたまれないのは。
そんな男に見切りをつけて切り捨ててしまえばいいのに、囚われたまま動けないこの馬鹿のどうしようのなさで。
それでも未だ尚、痛ましいまでの忠誠を誓い続けるこの馬鹿の、本当にどうしようもないまでの盲目さで。
俺は深く溜息をつく。
他に何かあったのなら。
バランを切り捨てて、生きていけるのだろう。
だけどこいつにはバランしかいなかったから。
それだけが世界の全てだったから。
だからこんな風に、恨むことも出来ず、死ぬことも出来ず、ただ危うい淵でふらふらと諦観しながら『終わり』を待ち続けるしか出来ないのだ。
「筋違いだろうが…
恨めば…生きることが出来るよ」
それは、俺の経験談だ。
恨めば、それを気力に生きることが出来る。
それだけを糧に、世界にしがみつける。
怒りはそれだけの力を生みだすことが出来るから。
だが。
ラーハルトは口角をほんの少しだけ上げて。微かな笑いを浮かべる。
いつもの嫌味な笑みじゃなく、何処か泣きそうな酷薄な笑みを。
「恨まなくとも、生きてんじゃねぇか。今」
これから先、こいつに何か与えることが出来るだろうか?
こいつに世界を与えてやることが出来るだろうか?
ほんの少しでもいい。
生き返ったことを、ほんの少しでも感謝出来れば。
このまま、やつれ朽ちていったとしても。一瞬でも、生き返ったこの世界で楽しいと思えるような何かを。
俺は親友として、何か与えてやりたい。
「んな顔すんなよ」
ラーハルトは笑いながら。
俺は情けなくなる程の無力を噛み締めながら。
掴んでいた腕は、俺の体温が移って。
まるで同化したかのような錯覚を覚える。
俺たちの魂はとてもよく似ていて。
時々、その似ている部分に感化されて俺はこいつとの境界線を見誤る。
そして、痛感するのだ。
この似て否なる魂を。
ドラゴンよ。
お前がこいつに遺したのは終わりの見えない煉獄に他ならない。
そして俺の腕は、あまりに遠くて届かないのだ。
未だ尚、自分を突き落としたその腕だけを求め、仰いでるこの男には。
お前以外の救いなど、無価値に等しいのだ。
無力を噛み締める以外に何が出来る?
俺はこの男の横で、ただ苦しんでるこいつを傍観する以外に何が出来る?
掴んだ腕に力を込めて。
「なぁ…お前はそう言うが
俺は恨めしいよ…」と
俺はぽつりと本音を落とす。
恨めしいのは無力な自分か、今は亡きあの男か。
もしくはその両方か。
何を言ったところで届かないのは承知の上で。
俺は掴んでいた腕を放した。
瞬間割り込む冷えた空気は、今まで繫がっていたモノを総て払拭するように。
痛々しいまでに凛と。
俺とお前を隔てていた。
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