火をつけないで
最初は何もなかった。
どちらともなく冗談を言い合って、からかいあって。
そのうちに売り言葉に買い言葉。
後ろでヒュンケルが肩を竦めたのがまた癪に触って。
それが言い争いに発展するのは時間の問題。
私は毎回、後悔する羽目になるのにまた可愛くない態度で。
ヒステリックに叫んで。
鬱陶しそうな、面倒くさそうな貴方の態度全て気に入らなくて。
「おい、いい加減にしろよ?」
ヒュンケルの制止の声は、ほんの少し遅かった。
一度、火のついてしまった私は
「あんたなんて────────────────よ!」と。
とても酷いことを言った。
瞬間訪れた沈黙は、沸騰していた温度を一気に氷点下に下げるだけの威力をもって。
目の前の魔族が無表情に変わるのを、ただ。
沈黙を破った第一声はヒュンケルだった。
「言い過ぎだ」と。一言だけ。
だけどその声がとても冷たくて。
当然だろう、親友に酷いことを言われたのだから。
私だって、他の誰かがそんな酷いことを言ったのならきっと腹を立てる。
「あのっ…」
「言えてるかもな」
私の謝罪の言葉は遮られて。
そこには、いつものように嫌味に笑おうとしている男の顔が。
まるで金縛りにあったように、動けない。
貴方がそのまま、部屋を出ていくのを目で追いかけるしか出来ない。
ヒュンケルが何か言ったけれど、何も聞こえない。
何も。
何も。
喧嘩をした後は必ず酷い自己嫌悪に陥る。
そしてそのまま息も出来ないくらいに私を追いつめて。
何度も何度も。
どこまでも惨めな気分を味あわせてくれる。
今日のこれは、本当に特に酷い。
あまりに苦すぎて。
呑みこむことすら出来なそうだわ。
その日一日は、何も手に付かず。
自業自得なんだけれど、どうしようもなくて。
あれからヒュンケルにも会ってない。
きっとあの後、彼を追いかけたのだろう。
「エーイーミー」
名前を呼ばれて振り返ると、姫が心配そうにこっちを見ていた。
「大丈夫??なんだか物凄い思いつめた顔してるわよ〜?」
「ちょっと…ラーハルトに酷いこと言っちゃって」
「あら。喧嘩?」
「喧嘩じゃないです。一方的にこっちが悪いんですもの」
姫は机に伏せて、顔だけこっちに向けて。
行儀悪く足をぶらぶらさせながら、軽く唇を尖らせて。
「そんな後悔する暇があったら、とっとと謝ってきなさいよ」と。
彼女特有のシンプルな思考回路に基づくアドバイスをくれる。
「…わかってますけど…」
言われなくても、謝った方がいいことくらいわかってるのだ。
だが。
会いたくないと思われていることもある。
今謝罪に行って、余計逆撫でることだってあるだろう。
あの一言で嫌われてしまったことだって十分に考えられるのだ。
もう二度と顔も見たくないと思われてたらどうしよう…
考えているうちにどんどんどんどん不安になってきて。
どんどんどんどん悪い方にばかり考えてしまって。
「…きっと許してくれない」
私は弱気を口にする。
姫は呆れたようにこっちを眺めて
「そんなの、謝ってみなきゃわかんないじゃないの!許してくれないだろうから謝らないなんて、そっちの方がおかしいわ。
悪いことをしたら謝るのよ。許す、許さないは相手の仕事。謝罪はこっちの仕事でしょ?
許してほしいから謝るじゃなくて、悪いことをしたから謝るんだわ」
この子はいつも通り。
どこまでも正論で。まっすぐで。本当に。
参ってしまう。
私だって。そんなことわかってる。
だけど、どうしても素直になれないの。
嫌われてしまうことが本当に怖くて。
ほんの少し前までは、恋なんて怖いモノじゃなかったのに。
それこそ、怖いもの知らずで何処までも突っ走れたのに。
私はすっかり。
臆病になってしまってる。
「大丈夫よ、にぃにぃは優しいから。きっと許してくれるわ」
姫は、ダイ君のお兄さんということで、あの男をにぃにぃと呼んでいるけれど。
なんとなくその響きがおかしくて。
私は彼女の力強い笑顔に後押しされるように、つられて笑った。
城の裏手の湖のほとりにある一本の大きな木の上に貴方がいるとヒュンケルが教えてくれた。
見上げれば、木漏れ日にきらきらと金髪が反射して。
貴方がそこに居ることを教えてくれる。
その幹まで辿り着いて、私はそれを見上げながら。
網膜が光を受け止めきれずに、残像を残して行く。
「ねぇ…さっきはごめんなさい」
自分でも笑ってしまうくらい。声はとてもか細くて震えている。
「あんなこと…言うつもりはなかったの」
本当に。
本当に。
貴方を傷つけたくなんてないのよ。
頭上の気配が動く。
眩しくて、見上げているのは結構苦痛なんだけど。
「ブスな顔」
降ってきた言葉は。
相も変わらず憎まれ口だったけど。
その声がとても穏やかだったから。
「悪かったわね。どうせブスよ」
憎まれ口を叩き返して。
貴方が笑う、その声に耳を済ませて。
瞬間、目の前に。
貴方が樹の上から着地して。
「気にすんな」
そう言って。
笑う貴方の顔は、残念だけど残光が網膜に焼き付いてはっきり見えなかったんだけど。
鼓膜を震わす、その声音がとても優しかったから。
時々貴方が見せてくれる、あの表情を浮かべているんだろうな、てわかったの。
私はそっと手を伸ばして。
自分のモノよりか幾分か低い体温の頬に触れる。
「本当にごめんなさい」
今度の声は、さっきよりかは随分とはっきりしたものになってた。
指を伝わる感触が動いて、貴方が笑みを浮かべたことを伝えてくれる。
「いいよ、気にすんな」
もう一度。
貴方は私を許してくれる言葉を発して。
なんの意味も持たずに、頬に寄せていた私の指にそっとキスをする。
本当に。
本当に。
貴方にとってこれはなんてことはないごく普通の行為で。
きっと同じような状況なら誰にだってするんだわ。
だけどそんな、貴方にとって何気ない仕種で。
私はこんなにもドキドキして。
こんなにも。
囚われる。
網膜に焼きついた残光が治まってきて。
はっきりと貴方の顔を捉えられるようになってきて。
案の定、そこにあったのは私がときめいて止まない、貴方の笑顔で。
嫌われなくて良かった、という安心感と。
それ以上に、燻ってた想いが勢いを増そうとしているのを感じながら。
私は精いっぱい。
笑ってみせた。
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