(四)

 

 

あの後、ひとしきり今までの不安をぶちまけたからか。
散々叫んだあと、急にコテン、と大人しくなって。

更に寝息まで立て始めた彼女をおぶって店を出る。

 

「呼吸は落ち着いてるから大丈夫だと思うけど…」

 

負ぶわれてるマアムの顔色を確かめて、ラーハルトが「やれやれ」と声を零す。

 

そういえば彼女にアルコールを飲ませたのなんて、それこそ軽い食前酒や、シャンパン程度だ。
ラーハルトが頼んだのは結構な強さの酒だったし。

一気に煽ったのなら、そりゃあ回るだろう。

 

まだ肌寒い夜道。
それでも負ぶっている彼女の体温が暖かくて、寒さは感じなかった。

 

体温と重さが。
こんなにも心地よいと感じる。

 

きっとそれは彼女以外では考えられないことだ。

 

 

「なぁ」

 

声に振り向けば。

ラーハルトは雲に隠れて見えない月を見上げながら。

 

 

「その女が一番最悪だって思ってるのは『お前を失うこと』なんだってさ。

 お前の所為で不幸に巻き込まれることでもなく

 お前の贖罪に付き合うことじゃなく

 

お前を失うこと。

 

 お前が恐れてることと同じだよ」

 

 

俺が恐れていることと同じ。

 

背中越しに感じる鼓動が、俺の鼓動と合わさった気がした。

 

 

「それが一番、その女が不幸になることだ。
 お前を失うこと、それがそいつを一番不幸にする。

 

 ならさ。もう、答えは出ただろう?
 さっき覚悟も決めたんだろう?

 

 もう雁字搦めになってるフリ。止めろよ」

 

 

全て解った風に。
笑う顔は気に食わなかったけれど。

 

くそ

 

頷いてしまいそうになる。

 

 

そんな俺の心中を察してか、ラーハルトは楽しそうに笑ってから。
三歩程前に出て。

くるりと振り返り、俺と視線を合わせた。

 

 

「それじゃあ、太く短くお幸せに」

 

 

…不吉すぎるわ!!

 

 

鮮やかな笑みひとつ落として。

月夜に楽しげな笑いを響かせて。

ラーハルトは軽く敬礼するように手を挙げて。

 

夜空にルーラで舞い上がる。

 

 

 

まだ夜は長い。

あの男は残りの夜を一人で耐えるのだろう。

雁字搦めになってるフリは、俺もお前も同じこと。
きっと振り切ってしまえば、簡単に切れてしまうモノなのかもしれないのに。

それでもなかなか振り切れないのは。

 

お前にとって、ソレが自分自身よりも大事なもので。

俺にとって、この背中に背負ったモノが、自分自身なんかどうでも良くなる程大事なものだから。

 

 

眠れなくて、辛くて、頭がおかしくなりそうになる時。
あの男は俺を頼るだろうか?

 

頼る気もするし

頼らない気もする。

 

それはどうにも寂しいものだけれど。
そこは俺には立ち入れない。立ち入ってはならない場所だから。

 

溜息ひとつ。

それだけを親友の道連れにして。

 

 

俺は背中の熱に意識を集中した。

 

 

§§§§§§§§§§§§§§

 

 

目を覚ませば、そこは見慣れた自分の部屋だった。

 

………どうしたんだっけ?

 

ヒュンケル達を訪ねてお店に行って。

合流出来たけど、ヒュンケルが黙りこんでしまったから。

その沈黙に耐えきれないで。

その空気に耐えきれないで。

酷く喉が渇いて。

 

目の前にあった飲み物を一気に煽ったら、なんだか…

 

 

「ん?起きたみたいだな…」

 

声が思った以上に近くから聞こえて。
視線を動かせば、ベッドの足元に椅子を置いて、ヒュンケルが微笑んでいた。

 

「頭、痛くないか?」

 

言われてみたら、なんだか少しボウとするけれど。
それでも、心配されるほどの事じゃない。ちょっと重たく感じる程度。

 

ヒュンケルは「そうか」と優しく呟いて、水差しから水をグラスに移す。
その水を手渡してくれながら「あんな無茶な飲み方はもうしちゃいけないぞ」と窘めた。

覚えてはいないけれど…迷惑をかけたのだろう。

 

「ごめんなさい」と。

嫌われたら怖いと思っていたのに。
これでは、散々だ。

 

だがヒュンケルは笑顔を浮かべたまま。
こんな優しい顔、久しぶりに見た気がする。

 

この顔は、私にしか見せないヒュンケルの顔。

他の誰にもこんな風に笑いかけたりしないから。

きっと私だけが知っているヒュンケルのはず。

 

久々に見れた表情に、私は嬉しくなって。

同時になんだか、鼻の奥が痛くなって。

嬉しいし。
ほっとした筈なのに。

なんだか涙が止まらなくなった。

 

ヒュンケルは何も言わず、ただ頭を撫でてくれる。

大きな手。

男の人の手。

大好きな手。

何時も、私や仲間たちを守ってくれる手。

そしてその度に傷ついて、壊れてしまう。大事な、大事な手。

 

そっと。

撫でてくれる手に、自分の手を重ねた。

 

「マアム…
 すまない。不安にさせた」

 

その声は何処までも穏やかで。
これからヒュンケルが何を言うかは解らなかったけれど。

それでも、そこに不安に思わなければならないことなど微塵もないのだ、と前もって知らされるような。
そんな安心感があった。

 

「お前も知っての通り、俺は多くの罪を犯した。
 その罪は、きっと一生消えないだろう。そして俺は、償いの為に一生を捧げるつもりだ」

 

重ねた手を、ヒュンケルは包み込むように握り返して。
そっと、指先にキスを落とした。

 

「だが、お前をその償いに巻き込むわけにはいかない、と。
 俺と一緒にいることで、お前まで俺の罪の業火に焼かれるようなことはあってはならないと。

 その為には…
 お前を失わなければならない、と。

 そう、思っていた」

 

馬鹿なことを言わないで!と叫びそうになったが。

握られた手に伝わるヒュンケルの熱が、やんわりと私の心を抑え込んで。

 

「だが、また…その結果お前を失ってしまうことに怯えていたんだ」

 

そんな。

そんなこと。

 

私はフルフルと首を振る。

 

「お前には幸せになって欲しい。
 だが、俺と一緒になればきっとお前を不幸にしてしまう」

 

私はもっと強く、首を振る。

 

「だが、お前が他の男と幸せになることもまた、受け入れられなくて…」

 

なんでそんな馬鹿なことを考えるの?

何故?

 

言葉が溢れそうになるけれど、私は何も言えなくて。

ただ首を振る。

 

貴方と一緒にいられれば。

それだけで良いのに。

 

貴方が贖罪に人生を費やすと言うのならば、私はそれを支えることを厭うはずがないのに。

石を投げられるなら、共に受ける。

罵声を浴びせられるのなら共に耐える。

どんな苦しみも。

 

貴方と一緒にいられれば、そんなこと。

 

 

 

「一緒に生きてくれるか?」

 

 

 

その言葉は。

ポトン、と急に目の前に落とされた。

 

目の前には、ヒュンケルの青い瞳が。

その瞳には、涙でぐしゃぐしゃになった顔の私が写っている。

 

 

「俺は、お前を失うことに耐えられない」

 

 

はっきりと告げられた言葉は。

『好き』とか『愛してる』という言葉よりももっと。

もっと。

直接的で、重さを纏っているように。

 

ヒュンケルの青い瞳が微かに揺らぐ。
そこには、言いようのない不安がある。

 

そして、私は理解した。

 

私が貴方を失うのが怖いように。

貴方も私を、こんなにも必要としてくれているのね。

 

 

それは今まで感じたことのない程の充足感で。

心の奥から、暖かく手心地よいものが溢れだしてくるようだった。

 

初めて、ちゃんと繋がった。

大事にしてくれている、その想いが。

ちゃんと『愛』を基盤にしているのだ、と実感出来た。

 

 

私は空いてる方の手で涙を拭いて。

溢れる幸せそのままに。

 

 

「貴方と一緒に生きて行きたい」

 

 

込められる想い、全てを込めて。

返事を返した。

 

 

折角拭いたのに、涙は次から次に溢れ出て。

折角、こんな場面なのに私の顔は涙でぐちゃぐちゃのまま。

どうせだったら綺麗な笑顔でいたいけれど、涙腺は壊れてしまったみたい。

 

そう告げると、ヒュンケルは今まで見せたこともない程優しく笑って。

 

「十分、綺麗だよ」と。

 

 

こんなこと言う人だった???

吃驚して、その瞬間だけ涙が止まった。

 

けどその効果も長くもたないらしく、結局また。

何時までも泣きやむことの出来ない私を見守りながら。

ヒュンケルはその日、私が寝付くまでずっと側にいてくれた。

 


 




それからど〜した!




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