02 一振りの

 

久しぶりに一緒に過ごせると言ってやってきた兄は、結局仕事の為に部屋に籠ってパソコンとにらめっこしている。

僕は手持無沙汰に、珈琲を淹れてみたりして時間を潰す。

いつもは一人だから。別に一人が嫌だ、とかはないのだけど。

折角側にいるのに一人で何かしてなければならないのは、正直あまり楽しくはない。

しかし僕の生活費、学費、このマンションの家賃も総て兄が面倒を見てくれているのも事実で、それが今兄が行っている仕事故だ、と思えばそこに口を挟むのも良くない気がして。

結局、面白くもないテレビをつける。

仕事の邪魔はしたくないから、出来るだけボリュームを絞って。

 

いつものようにソファに腰掛ければ、固い感触が。

振り返って、確かめればそこには兄の刀が。

 

…珍しい。

 

こんな風に刀を放り出すなんて、天変地異でも起こるのではないか、と心配にもなるが。

あの人は忍者なハズで侍ではないのに、どうして此処まで刀に対して敬意を払うのか。全く理解出来ないけれど。

とりあえず、邪魔にならないように立て懸けて。

そして、ふと。

刀を見遣る。

 

こんな風に、この刀をじっくり見る機会はなかった。

兄は若干コレクター魂入ってるんじゃないか?と思う程に実は日本刀を所有していたりするけれど。

持ち歩いているのは、常にこの一本だ。

 

兄が好む日本刀とは違う気がする。

新しく購入する刀と比べて、これはなんとも。

禍々しい気がするのだ。

 

持ち上げれば、同じくらいの長さの刀に比べて幾分か重い気がする。

多くの人間を屠る戦場で、三人も斬れば刃物の斬れ味など、人の血や脂によって鈍器と呼べる程に落ちる。

そこをカバーするのは、速さと重さ。

重さを使って振りおろせば、斬れ味の落ちた刃物の弱点をカバーすることは出来る。

実用的で、合理的。

その点は兄の好みでもあるのだけれど。それでも。

 

繊細さがないのだ。

そして、何処かデコラティブなのだ。

派手で、品がない。

これは、兄の好みと言うよりかはまるで…

 

 

そこまで考えて、納得した。

これは兄の刀ではなく、父の刀だ。

この、ただ殺戮の為に特化したような合理的で暴力的な作りといい、重さといい、そしてこの派手さといい。

 

それではこれは父の形見か。

 

兄が肌身離さずに、常に持ち歩くはずだ。

 

鞘に施された装飾は確かに見事だけれど、それでもそこに品性を感じることはない。

これは鬼神と呼ばれた、忌野最『凶』忌野霧幻の愛した刀。

 

柄を握る手に力を込めて、引き抜くと。

重い音と、金属の擦れる涼しい音を立ててその白銀に輝く刀身が電灯の下に出てきた。

 

 

瞬間。

ぞくり、と。

言いようのない悪寒が走った。

 

心臓を握り潰されそうな、そんな本能的な恐怖。

 

そしてそれから逃れるように、僕は慌てて刀身を鞘に納めた。

収め終わった瞬間、嫌な汗が体中から噴き出す。

全身には、鳥肌が立っていた。

 

手入れの行き届いた、美しい刀身。

父が愛しただけのことはある。

焼き入れした跡もあったから、きっと長い間愛用していたのだろう。

あの人が愛用していたということは、それだけ血を吸ったということ。

それだけ、誰かの念が籠っているということ。

 

誰かを屠ったことのある刀は、その分何かを背負う。

それが何かは説明出来ない。刀身を曇らす血跡によるプラシーボかとも言えなくはないが、それでも。

人を殺したことのある人間と、そうでない人間に差があるように。

殺したことのある道具はそれだけ、何かを持つ。

 

だが、この刀は。

確かに大量の血を吸っているだろう。その分の念も入っているだろう。

だけど、それ以上に。

 

 

何か…

 

 

「恭介」

 

名前を呼ばれて、飛び上がるほどに驚いた。

慌てて振り返れば、兄が困ったような顔でこっちを見ている。

視線先には、僕の手に握られたままの刀が。

 

「玩具じゃないぞ?」

「…わかってるよ…」

 

刃物で遊ぶ趣味はないよ、と。

差し出された手に応えるように、刀を。

 

だが渡す瞬間、一瞬。

このまま渡して良いのだろうか?と不安がよぎった。

 

 

「ねぇ…兄さん。これは父さんの刀だよね?」

「…ああ、父上の形見だが…それがどうかしたか?」

 

「僕がこの刀欲しいって言ったら…

 僕には父さんの想い出が殆どないから、これを頂戴って言ったら兄さん、どうする?」

 

空中で。

兄が差し出した手の上に、僕が握ったままの刀。

兄は刀を眺めて、そして僕を見た。

 

そして短い沈黙の後。

 

 

「欲しいのなら譲ってやるが…」と。

 

 

 

 

「…ううん…要らない」

 

手放せるなら大丈夫。

僕はそう思って、差し出された兄の手に刀を返す。

 

最後の瞬間まで、この刀を兄に手渡すことの不安は完全には拭えなかったけれど。

それでも。

それでも、この刀を早く手放したくて堪らなかった。

 

完全に手から離れた瞬間、身体から力が抜けるのが解る。

 

「…その刀。悪趣味じゃない?」

 

誤魔化す様に憎まれ口を叩くと、兄は少しだけ笑った。

 

「だが使いやすい」

「人を殺しやすい、て言いなよ」

 

兄が瞬間、揺らぐのを眺めて、僕は息を詰める。

それが仕事なのだ。

それが家業なのだ。

その仕事で稼いだ金で僕は生きている。そこに文句を言える立場ではない。

 

だがそれでも。

そう告げて、まだ揺らぐのなら兄は大丈夫だ、と。

意地の悪い確信を胸に抱いて、僕は兄に手を伸ばす。

 

「要らなくなったら、棄ててね。それ」

「…意地が悪いな」

 

応えるように兄が僕を抱きしめる。

一卵性の僕達は、鼓動の音さえも同じで。

こうしていると、まるで一人になったような気がする。

 

目を閉じて。

視界から余計なもの総てを取っ払って。

聞こえる鼓動の音だけに集中して。

 

 

それでもさっき見た、刀身の禍々しさがどうしても脳裏から離れずに。

震えそうになる心根を宥める様に、ただただ祈った。

 

 

「…いつか絶対、要らなくなるよ…」

 

 

 

 

そしてあの時。

兄から取り上げてしまわなかったことを、本当に後悔する時がやってくる。

 

 



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