(雹)
「兄さんは僕と父さん、どっちが大事なの?
ううん。違うや。どっちを必要としてるの?」
急に投げかけられた弟からの問いに、一瞬言葉が詰まった。
どっちが大事か?と聞かれれば弟と応えた質問。
だがしかし、どちらが必要か、と聞かれればそれは。
「…父上だ…」
この子に嘘は通用しないから。
その何もかも見透かすような瞳に射竦められながら、私は渋々ながら認める。
そもそも、私の存在理由は父の役に立つためなのだ。それ以外でも、それ以上でもない。
父の道具としてこの世に誕生し、父の道具としてのみ存在価値がある。
父が行おうとしていることに対して、全くの異議がないわけではなかったがそれでも。
口を挟む問題ではないし、私はそれを享受するしか出来ない。
恭介は一瞬、何か言いたそうに唇を戦慄かせたけれど。
言葉は呑み込んで、代わりに何時ものようににっこりと笑って見せる。
そして「知ってたよ」と。
笑顔のまま、言葉を紡ぐ。
笑顔とは裏腹に、傷付いている内面が煤けて見えて、私はどうしても居たたまれなくなる。
自分より、自分達を不幸にした父親に依存している私を。恭介は半ば呆れているだろう。
私だとて、自分自身。呆れている部分もある。
だがしかし、それでも。
父は私にとってアイデンティティそのもので。
失った今も、指針であることに変わりはないのだ。
その指し示された先が、どれだけ自分が納得出来ないものだろうとも。そんなこと関係ない。
私にとって、父は全てで。存在理由。
私が忌野雹である理由。
総て自覚していて。
それでも尚、恭介にも側にいて欲しいと願うのは単なる我儘か。
ただの横暴か。
私は目を反らせて、瞳を瞑る。
きっと何がったところで、この子は私を許すのだ。
私が何があったところで、この子を許してしまうように。
だからと言って甘えていい理由にはならず、それこそけじめをつけてキチンと対処すべきことなのだけど。
それでもダラダラと。
この子の笑顔に流されて、許されて、癒されて、しがみ付いてしまうのだ。
ふ、と肩に暖かい腕がかかる。
そしてそっと抱かれた。
「知ってたよ。けど、僕は何も変わらないよ。今までだってそうでしょう?」
瞳を開いて、恭介を見れば。
私と同じ筈なのに、幾分も柔らかい印象を与える恭介の顔がそこにあった。
瞳の奥に揺れる、その不安気な色に胸中がさんざめく。
知っていて尚、それでも何一つ変わらないと口にする。その切なさに。
私は視界が歪むのを感じる。
肩に乗せられたままの恭介の手の上に、自分の物を重ねて。
自分のモノより幾分か高い体温を感じて。
確かにそこに生きている、自分と同じ顔の、もう一人の自分を感じて。
私は自分の罪深さを痛感する。
恭介は私を必要としてくれる。
必要とされることはとても甘美で。
此処にいても良いのだ、と。その免罪符を与えられているようなもので。
世界にとって、どんなに不要なものとなっても、恭介だけは。
決して自分を不要だと言わないから。
恭介だけは常に自分を必要としてくれるから。
しかし、私はどうなのだろう?
確かに恭介を必要としているが、事、父が関わってこれば。
私はきっと恭介を置いて行くのだ。
それは簡単に予想の出来る未来。事実。
もし、目の前に父がいて、手を差し出せば私は迷うことなく父の手を取るだろう。
恭介を置いて。
かといって、恭介がいないことにも耐えられず。
一人で生きることも耐えられない。
それを告げてもきっと恭介は「知っていた」と言うのだろう。
この子は一度、父に棄てられた子供だから。
あの日、父は私だけ連れて。
恭介を忌野に置いて去った。
それは恭介にとって良かった点もあるだろうし、勿論悪かった点もあるだろう。
決して子供心に一緒にいて休まる、と言った父ではなかったが(それどころか虐待にも近い処遇だったので、実家に恭介が残されたことに関しては感謝すらした)それでも。
父親が兄弟の片方だけ連れて、自分は置いて行かれたという現実は。
きっと恭介の心になんらかの傷を遺している筈で。
それは考えるまでもなく、想像に容易なことで。
それでも。
それを知って尚、それでも私は。
恭介と父、両天秤にかければ間違いなく父を取るのだ。
例えるなら、恭介は住居。父は世界。
住居を失って生きて行くのは困難だが、世界が滅びれば生きていけない。
そうゆう違い。
私は自分の浅ましさと罪深さの嫌悪感に吐きそうになる。
時々恭介がこんな風に、自暴自棄のような質問をするのは。
だから、そんな私に対しての戒めのようなものだ。
そんな時、微かに見せる恭介の表情は。
何処か危うく、傷付きやすそうでありながら。
それでいて、何処か父と同じ鋭さを感じさせる。
同じ顔でありながら、性質は全く違う私達は。
私は母の。恭介は父の魂の色を受け継いでいるように思えた。
だからこそ、余計に私は恭介に依存するのだろう。
今はいない父の面影を、私の中には存在しない父の気配を恭介の中に見付けてしまうから。
考え至って。
私は思考を手放した。
コレ以上考えても、今以上に自分を嫌いになることなんて出来やしないから。
「ねぇ兄さん」
思考を手放して、ただぼんやりとしていた私の耳元で恭介が名前を呼ぶ。
麻痺していた思考にそれはすんなりと染みいるように入ってきて、私は弟の声にどうしようもなく癒される自分を知る。
この子を護るためならなんだってしよう。
この子が幸せになるのなら、なんだってする。
それは置いて行くことになろうとも、棄てることになろうとも決して変わらない私の願い。
一見自己矛盾しているようにも見える、私の。
揺らぐことのない、切実な願い。
決意を秘めて、そしてそれを悟らせないように平静を装いながら「なんだ?」と聞き返せば。
恭介は微かに言い淀んでから。
一度だけ、視線を反らせて。
再びしっかりと私の目を見据えながら。
「僕を、置いて行ったりしないよねぇ?」と。
呼吸が止まる。
視界が揺れる。
答えは明確で。
しかしその答えを口にすることは余りにも残酷で。
私は何か言おうと、何か言って誤魔化そうと口を開くが。
ふ、と唇に。
恭介の指がかかる。
塞き止めるように。
私の物と違って、剣ダコもない長くてしなやかな指は。
なんの力も込めていないのに、それだけで私の言葉を総て奪って。
そして恭介は。
私の瞳を覗きこむようにして。
にっこりと。
父と同じ目をして、笑った。
水月ちゃん、リクエスト、ありがとうございました★
間違えてごめんなさい…(死)
強奪777ですが、実はキリ番4444です(笑)
thank's ☆ with love ☆ xxx
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