話しかけないで

 

仕事で嫌なことがあって。

呑みに行きたいけど、一人で行く気分じゃなくて。

姉妹で行く気分でもなくて。

周りを見渡して。

ヒュンケルを誘っても良かった。

きっと彼は付き合ってくれるだろう。

だけどそれは彼女に悪い。

彼女は彼のことを信頼しているだろうけど、それでも。

私が逆の立場だったら、やっぱりどうしてもいい気分にはならないから。

 

そして、偶然。

ヒュンケルの執務室から出てきた男を見付けた。

瞬間、今までとは違うリズムで鼓動が跳ねる。

 

「ねぇ」

 

後ろから声をかけると、耳がピクリと反応して動く。

 

肩越しにちらりとだけ振り返って、「なんか用か?」と相手にする気もないようなぶっきらぼうな返事。

だけど、それも何時ものことでもう慣れっこ。

 

「嫌なことがあって呑みに行きたいのよ。付き合ってくれない?」

 

顔の前で両手を合わせて、お願い、というと。眉間に微かに皺を寄せて面倒臭そうに。

だけど私は知っている。

存外、人のいい彼は結局お願いを聞いてくれる、て。

 

「じゃあ、仕事が終わったら。海辺のバーで」

 

相手の返事も待たずに、私はそれだけ早口で伝えて。

断る隙を与えずに。

 

イヤなことがあって、お酒が飲みたかったのに。

なんだかもうすっかり。呑んでもないのに。

 

就業時間の終了を、カウントダウンする。

 

 

 

なんだかんだ処理に時間がかかって、就業時間を一時間近くオーバー。

化粧直しの時間もそこそこに、仕事場を飛び出して私は目的地へと急ぐ。

 

髪が乱れるのを手で押さえながら小走りに。

目的の店が見えたくらいで、スピードを緩める。

呼吸を整えないと。

ただでさえ、顔が上気して赤くなりやすいっていうのに。

鼓動が速いのは、走った所為。

そう。走った所為よ。

あんたに早く会いたくて走ったんじゃなくて、こっちから誘ったのに待たせて悪いから走ったのよ。

頭の中に可愛くない言葉がつらつら浮かぶのを振り払って。

バーに入る前に、扉の硝子で身だしなみ最終確認。

 

 

 

「……あ……」

 

珍しい金髪は人目を引くから間違いようがない。

こんな風に街中などで付き合ってくれる場合には、その青い肌は私達と同じ肌色に隠されているけれど。

(アバン様が、モシャスを改良して身体の表面にだけ作用する魔法を作り上げたのだ。

作り出した過程は、オーバーワーク気味の奥方様に少しでも休息を、とのことで化粧代用として考えたみたいだなのだけど、ダイ君と生活しながら買い物一つするのも、魔族では変な噂が立ちかねない。

自分ではなく、それがダイ君の迷惑になることを恐れていたから今では随分と、その魔法はあいつにとって重宝しているみたい。

だけどそれでもやはり。私は青い肌の方が良いと思う。)

 

 

 

彼はカウンターに座りながら、他の女と楽しそうに話していた。

確かに待っている間、退屈だろう。

それは分かるけど…それでも。

 

彼特有の、猫のような笑み。

私の大好きな笑い方。

何か喋って、笑う。

 

 

 

 

 

ああ。

イヤな女になっていく。

 

 

 

 

 

バーの扉はとても重く感じた。

涼しげなドアベルの音も、イライラしそうになる。

 

カウンターに近づくと、彼より先に隣の女が気がついて。

それにもイライラする。

振り返った彼は笑いながら「遅い」と零した。

 

「一杯、お前の奢りだからな」

 

そう言って、彼女に見せていた顔と同じ笑顔で。

 

貴方は誰にだって同じように笑う。

貴方は誰にだって同じように喋りかける。

貴方は誰にだって同じように接する。

貴方は誰にだって。

 

「カンパリ」

 

私の第一声はかなり刺々しくて。

私と顔馴染みのマスターも一瞬怪訝そうな顔を。

貴方も驚いた顔をしたけれど、横の女が「お連れさん、機嫌悪そうね」とか言うから。

 

余計。

余計。

 

それに貴方が「仕事で嫌なことがあったみたいでな」と、まるで他人事のように返すから。

 

 

まるで、私が部外者みたいじゃない。

 

出されたカンパリは何時も以上に苦い味がした。

 

 

 

 

女と貴方の会話を聞きながら、私は必要以上に速いピッチで酒を空けていく。

 

「お前さ…呑みすぎ」

 

呆れたような声も何処か遠くに聞こえる。

頭はグラグラ。

 

だけど

 

「大丈夫」

 

呂律だけはしっかりしている。

男は溜息をひとつ。

 

その後、どれだけ空けたのか自分ではわからない。

隣で会話している内容も、もうなんだか分からない。

時々こっちを心配そうに見てくれる貴方が、何を言ってるのかもよく分からない。

だけどとりあえず、馬鹿の一つ覚えみたいに大丈夫と繰り返して。

 

 

グラグラ。

イライラ。

フラフラ。

ふわふわ。

 

 

§§§§§§§§§§§§§

 

 

「…あーあ…」

 

俺のぼやきをマスターが苦笑しながら。

 

「潰れたな…」

 

隣では、カウンターに突っ伏した状態の女。

連れがいたら送って帰ってくれると信じているのだろうか?全く。

心配してくれていた女もとうに帰って。閉店時間まで、もう間もない。

 

流石に置いて帰るわけにもいかず、俺は大仰に溜息をひとつ。

 

結局、支払い俺持ちかよ、クソ。

 

「おい、起きろよ」

 

何度か声をかけて、揺すってみるけれどびくともせずに。

眉間にはしっかりといかめしい皺を刻んで。

何をこんなに思いつめることがあるんだか。馬鹿馬鹿しい。

 

ああ、もう仕方ねぇなあ。

 

 

勘定を済ませて、女をおぶって店を出る。

顔色は悪くないから大丈夫だとは思うがそれでも明日は覚悟しておいた方がいいだろう。

 

流石にこの時間になったら人通りもぐっと減る夜道。

空には細い三日月が。

ソレをぼんやり眺めながら、全く何をしているのだろうと一人ごちる。

とにかく、こいつの意識が戻ったらきちんと言わなければならない。

今回は俺が一緒だからいいものの、女が一人で酔い潰れるほど呑むなんて馬鹿もいいところだ、と。

また、連れを宛てにして酔い潰れるのなら今度から違う奴を誘え、とも言っておかなければ。

 

 

「…ん…うう…ん」

 

耳元でこっちの気持ちも知らない馬鹿女の微かな寝言。

気持ち良く寝こきやがって。あーあー、本当に。

苦笑する。

怒る気力もなくなるよ。

 

 

 

 

 

この角を曲がれば、もう女の家はすぐそこで。

流石に人ひとりおぶって歩くのは、正直疲れた。

 

「おい、そろそろ家だぞ?」

 

背後に話しかけると、返事とも寝言ともとれないあやふやな言葉にならない声が返ってくる。

 

「こら、鍵。起きねぇと鞄、勝手に探るぞ?」

 

返事は再び同じようなもので。

 

 

「こら」

 

再度。おぶった女を揺すると。

 

 

 

「…ねぇ」

 

幾分か覚醒した声が返ってきた。

 

 

「ああ?」

 

「………私以外の女に話しかけないで」

 

 

 

…………………

 

足が自然に止まる。

背後の気配に意識をすますけれど、どうやら覚醒したわけではなく寝言だったようで。

再び、むにゃむにゃと、言葉にならない音を女は発し続ける。

 

 

 

暫く立ち止まっていたけれど、再び歩き出して。

今の言葉は聞かなかったことにする。

 

 

空に浮かぶ細い三日月は、青白い光を放って。

俺はそれを見上げながら、アパートの階段を上った。

 

 





 



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