Dance to your daddy
それはいつもの穏やかな昼さがり。
本日のおやつは紅茶のシフォンケーキ。
最近シフォンケーキ作りに嵌っているのだけれど、今日は特に上手く言った気がする。
ラーハルトは綺麗に食べ尽くされたお皿を満足げに眺めて、必ずと言っていい程晩酌にやってくるこの国の主である少女と、自分の幼い主を見つめる。
どう見てもからかわれているようにしか見えないのだけれど、主の表情は満更でもなく楽しそうなので。
微妙に納得はいかないまでも。愛情表現など人それぞれだと思うことにする。
知り合いの女などは、顔に大きな、どう見ても殴られた痣を作りながら「今、物凄い幸せなの」と言っていた。
そう、価値観は人それぞれ。
いや、それは例えに使うには極端すぎる例ではあるが。
それでもまあ。
他人の女の趣味に口を出す程暇ではない。
養父曰く、俺自身の女の趣味の大概らしいので。
口を慎んでおくのが賢明と言えよう。
「さて。ディーノ様。今日、何食べたいですか?」
シフォンケーキはどうしても1カットが大きくなるので、如何せん満腹になるのだが。
そしてそれを理解しながら聞くのも酷であることも承知しているのだけれど。
それでも今聴いておかないと、準備が間に合わない。これから買い物に行かねばならないのだから。
幼い主は少女とじゃれ合っている(というかどう見ても取っ組みあっているように見えるのだけれど…)ままこっちに視線を寄越して。
「そうだなぁ…魚がいいな」と。
青天の霹靂。
爆弾を落とした。
§§§§§§§§§§§§§§
確かに魚を食べないわけではないのだけれど。
俺の育った村は海からは遠く、川はあるけれど俺自身自由に動けるのは夜半だったのでなかなか魚を捕まえる機会はなかった。
食卓に並ぶことは、たまにあるけれどそれでも回数は多くなく。
そして養父もどちらかと言えば肉を好んで食べる方だったので、あまり魚調理のスキルは必要ではなかったのだが。
考えてみれば、ディーノ様は島育ち。
どちらかと言えば、肉よりも魚の方が馴染みのある生活を送ってこられたはずだ。
それは考えれば容易に想像出来ることで。
それを今まで考えなしに肉料理ばかり出していた。
一生の不覚。
「…ディーノ様、申し訳ありませんでした…」
気を抜いたら崩れ落ちてしまいそうだ。
それをなんとか気力でもたせて。
「…何が?」
「俺、あまり魚の調理法を知らないんですよ。
それこそ、焼くか、蒸すか、揚げるか、生か、くらいしか…」
くっ、と言葉を噛み殺して。
がっくりと項垂れる。
「他に調理法あるの?」
「十分だと思うけど…」
怪訝そうな二人を無視して、盛大に溜息を零す。
あげた四つの例は、確かに基本だけれどそれぞれに応用がある。
そして魚は熱を通すのがどうしても難しい食材だ。ぱさぱさになってしまったり、固くなってしまったり。
魚料理用のソース、となるとそれこそ片手で足りる程しかレパートリーがない。
こんなことでは、これからまだまだ成長を続ける幼い主を満足させることは出来ない。
「…ということで、少し暇をいただきたいと思います」
「なんで?」
「脈絡がないんだけど。にぃにぃ…」
「俺、ちょっと魚料理の修行に行って参ります」
「はぁ?」
昔。
口に合わなかったり、気に入らなかったら絶対に食べない(そして色どりや形にも文句をつける)とんでもなく我儘で傲慢な主に仕えていたので、肉料理に関しては自信はあるのだ。
だから、今回も当時のようにみっちり腕に仕込むことに決めた。
「まぁ、今日は簡単に蒸し魚にしますね…」
「それで充分だよ」
ぽかんとした表情の子供二人置いてけぼりにして、俺は買い物に出た。
§§§§§§§§§§§§§§
「と、いうことで。暫くディーノ様を頼む」
急にやってきた兄貴は深々と頭を下げて、ついっとこっちにダイを寄越した。
困惑顔の俺とマアムを余所に、ラーハルトはダイを眺めて。心底辛そうな顔をしながら別れを惜しんでいた。
「ディーノ様…ちゃんとご飯食べるんですよ?ヒュンを小間使いのように使って構わないので…
外から帰ったら、ちゃんと嗽手洗いしてくださいね?
お風呂からあがったら、髪はちゃんと乾かして。湯ざめしないうちに着替えて下さいね。
お腹を出して寝ないようにしてください。風邪をひかれると大変なので…
他に…」
「大丈夫だよぉ」
「ああ、御労しい…」
ほろりと。
涙も何も出ていない、目元を拭って。
とりあえず、話の内容が一切見えない俺とマアムは。絶対こっちに聞いた方が早いダイに視線を向ける。
ダイは一生懸命ラーハルトを慰めて(まさか本気で兄ちゃんが泣いてるとでも思ってるのか…??)
まるでいくつの子供だと思っているのか、という約束事をひとつひとつ承諾していた。
「ああ、ディーノ様」
とうとう、膝を折って。
さめざめと(しかし涙は一切出ていない)。
何処まで本気か判断のつかないパフォーマンスを繰り返していた兄が。ふ、と。時間に気が付いて。
その瞬間、何事もなかったようにすくっと立ちあがると。
「じゃあ、船が出るから」と。
訳の解らないことを言って、「じゃっ」と手をあげて。
さっきまでのは何だったんだ?と思う程に鮮やかにくるりと背中を向けて。こっちを一度も振り返ることなく去っていった。
その背中を呆然と見送っていたが、我に返って。
「…ダイ…悪いが説明してくれないか?」
「ラーハルトは魚の修行に行ったんだ」
前言撤回。
ダイに聞いても、意味が不明だった…
§§§§§§§§§§§§§§
マアムの根気強い聞きとりによって、得られた情報を纏めると。
(悪いが俺には無理だった…)
ラーハルトはダイの為に魚料理のレパートリーを増やすべく修行に行った、と。
そしてその為に暫く暇を願い出て、その間ダイを俺に預けることにした(これってちゃんと俺に言うべきことじゃないか?迷惑でもなんでもないから全然構わないが…)
「で、兄ちゃんは?」
「今日は漁に付き合うって言ってたよ」
漁……
頭の中をそよぐのは大量の大漁旗。
船の舳先に足をかけ、鳥山に目を凝らす兄の姿が脳裏に浮かぶ。
ぐらりと、視界が揺れる気がした。
魚料理の修行じゃねぇし………
アホなのかもしれない…
いや、知ってたんだが…
「漁師飯でも習ってくるのかしら?」
何処までも、真っ直ぐに受け止めるマアムの純粋さに感動を覚えながらも。
俺はこの家からは臨むことが出来ない海の方向を、ただじっと眺めた。
次に兄ちゃんが現れたのは、それから四日後。
ノックもなく入ってきたと思ったら、ダイをぎゅう、と羽交い絞めにして。
怪我や体調の変化がないかを矢継ぎ早に投げかけて、そしてやっと満足したのか、こっちを向いた。
「ディーノ様に不便させてねぇだろうな?糞餓鬼」
預かって貰ってる相手に言う言葉ではない。
だが、微妙な何かを(忠誠を疑うわけではないが、時に兄のダイに対する態度はからかい半分な時があるように思えてならない…)感じつつも、それでも心配をしていたのだろうから(……戦時中でもあるまいし、何を心配するのかは解らないが)口を挟むのはやめることにする。
「別に何か不便をかけてはいないと思うが」
「はっ、どうだか」
鼻で笑う仕種に。
静かに、殺意を覚える。
だが俺の殺意が具現化する前に、ダイがのんびりとした声で。
「ラーハルトも元気そうだね」と。嬉しそうに言うから。
たった四日だ。
ダイも兄ちゃんにつられ過ぎだ!
気が抜けそうになる。
ラーハルトは入ってきたと同時に放り投げた荷物の中から、ダイに渡す土産を漁って(なら投げるな、と思うが)それを手渡しながら、俺の方にも適当に放って寄越す。
それを受け止めて、見るが。その得体のしれない物に、つい怪訝な顔になる。
俺の表情を受け止めて、ラーハルトが指を指しながら。簡素な説明を。
「なんか珍味なんだってさ」
「珍味……で、何?これ」
「知らん」
瓶詰された何かの内臓らしきものの答えを望むが、そんなこと何で俺が知っている?という視線を返された。
お前が持ってきたものだろうが…
「食べてみたら解るんじゃない?」という能天気なダイの発言に、ラーは「まずはヒュンに食べさせて様子を見るんですよ!」と注意をして。
突っ込みどころが満載すぎて、何処から突っ込んでいいのか解らないが。
少し、瓶を開けてみて。その独特な臭気に、即蓋を閉め直して。
今、教会に行っているマアムが帰ってきたら、これが何か尋ねようと思う。
もし彼女が知らないようならアバンのところにでも聞きに行こう…
結果、食べないと思えばアバンのところにこっそり置いて帰ってこよう。そうしよう。
決めて、俺はそっと机の上にその瓶を置いた。
「修行はどう?捗ってる?」
何処までも純粋に。ダイは兄ちゃんに付き合ってやってるようだ。
ラーハルトは几帳面な文字のびっしり書き込まれたメモを眺めながら、「まぁぼちぼちですね」と溜息を。
覗きこめば、レシピのようだったが。専門用語や記号が飛び交うそのメモはまるで一種の暗号のようだった。
多分、書いた本人や、料理人には解るのだろう。
だが、俺には正直ちんぷんかんぷんだ。
それはダイも同じだったらしく、頭の上に大量のクエスチョンマークを浮かべながら、その暗号を解こうとでもするように熱心に覗きこんでいる。
「しかし兄ちゃん、途中なのに抜け出してきたのか?」
この男のことだから、自分が納得するまではやる気がするのだが。
ぼちぼちと評価する程度でこんな風に一時帰宅するとは思えない。
俺の疑問にラーは肩を竦めて。
「今、道具の発注中。それを受け取りに行く途中に寄れそうだったから顔を出したんだ。心配だったしな」
何をどう心配することがあるのか、甚だ疑問だが。
それよりも何よりも。
「…道具…?」
「刺身包丁とか。新しい牛刀も欲しかったし。鱧切りも絶対欲しいし。
あとは鱗引きと、ささらと、骨抜きも。一応あるにはあるが、やはりきちんと揃えた方が後々楽だしな」
その言葉に、ラーハルトのキッチンを思い出す。
確かに肉用の調理器具だけで、かなりの量があった。
俺の家にあるのなんて、包丁とナイフくらいのものだ。それで不便もしていないが。
俺の呆れた顔を見て、「なんだよ?」と機嫌の悪い声をあげる。
なんだよも糞もない。
「…で、どれくらいかかりそうなんだ?その『魚料理の修行』は…」
「さぁ?けど肉の時も大体一月くらいだったし。今回もそれくらいを目安に考えてるんだけど」
「あ、そう…」
もう戦士辞めて、料理人でいいじゃねぇか。と本気で思うが。
あくまでも、料理は主の為に身につけるスキルの一つなのだろう。
主従関係ってみんなこんなん??
俺の記憶にある、一番従順な主従関係と言えば、バーンとミストだが。流石にミストもこんなアホなことはしてなかった。
というか、バーンはこんなことをミストに望んではいなかったのだろう…
となると、問題はバランなのだが…
これはきっと…
自主的なんだろうな……
即ち、問題は兄ちゃんだ。
「じゃあ、ラーハルト、頑張ってね!」
「ええ。ディーノ様が健やかにのびのびと成長される為の礎として、尽力を尽くしましょう」
ドコかずれた竜の兄弟は、健やかな笑顔を浮かべながら。
そして来た時同様に慌ただしく兄ちゃんは去っていく。
その背中を見送りながら。
俺はどっと。
身体全体に襲いかかる疲労感に、眩暈がしそうだった。
§§§§§§§§§§§§§§
そして宣言通り、大体一月程経過したくらいに兄ちゃんは帰ってきて。
ダイと大袈裟な再開を果たした後、絶対にわざとで嫌がらせだろう?という謎の珍味詰め合わせを俺に押し付けて帰って行った。
「ラーハルト……料理人になればいいのに……」
「ダメだ、マアム。言うな」
ぽつりと落とされた、誰もが思う本音を俺は敢えて拾わずにそのままにして。
多分に、かなり本格的な(それこそ店が開けるレベルで)魚料理スキルを習得したのだろう。
帰るときに見た親友の笑顔は何処までも晴れやかだった。
まぁ、納得いく成果を得られたのなら良いのだろう。
きっと。
きっと。
はぁ……
…。
……。
………。
「…疲れた…」
俺は空を仰いで。
心の底から、そう、呟いていた。
背景素材提供 FULLHOUSE☆JAMJAMORANGE 様