猫と後輩

 

「なぁなぁなぁなぁ、可愛いだろう??」

 

急に現れた風間の後輩は、いつもと同じように慣れ慣れしく、そして図々しかった。

こうゆうところは学校の校風なのだろうか?

この学校の人間で、図々しくない人間など見たことがない。

 

忌野雹は、風間醍醐の後輩。エッジをちらりと見て、これみよがしに溜息をついた。

 

エッジの腕の中には、大事そうに抱えられた段ボール。

中からは、みゃーみゃーという中を見なくとも、中身を想像するに容易な自己主張する小さな鳴き声。

声からするに、子猫なのだろう。

 

これなら『シュレーディンガーの猫』も意味をなさないな、と一人ごちて。少しだけ、笑いを噛み殺す。

 

「雹ちゃん、猫嫌い?」

「誰が雹ちゃんだ!」

 

頭を抱えてしまう程に馴れ馴れしい。

これは誰に対しても物怖じしない、と、その座った肝を褒める個所か。それともただの馬鹿だと見離すべきか。

しかしそんなことこれっぽっちもお構いなしにエッジは箱の中身を見せようと、箱を傾ける。

 

「可愛いんだぜ?もう、手放したくないくらい」

「ならお前が飼えばよかろう」

「俺、もう二匹飼ってるもん」

 

そう。確か周五郎と風太郎。言わずと知れた、歴史小説家の二人の名前から拝借したのだろう。

意外に読書家か、と驚いたら、別に読んだことはないと返ってきて突っ伏しそうになった。

偶然、風間妹に付き添って図書館(!)に行ったら、本棚に横並びに並んでいて名前が印象に残っていた。ただそれだけらしい。

印象に残るくらいなら、読んでみれば良いのに。

伐だって、山田風太郎くらいは読んでいる。いや、忍法帖は読んでいる、と言った方が正しいか。

 

「それで、何故私のところに?」

「雹ちゃんなら金持ちだし。飼えるスペースありそうじゃん?」

「寮暮らしなのだが…?」

「弟は?」

「犬を飼っている…」

「ああ、じゃあ実家だな」

 

どうあっても、断らせる気はないらしい。

 

「風間は?」

「もう一匹飼ってる」

 

言われて、思い出した。

 

「あともう一匹いただろう?…石動か?」

「岩は無理!!あの家、兄弟多すぎ!あんなところに引き取られたら大変だぜ?」

 

酷い言いようだったが、確かにまだ幼い兄弟もいたような気がする。そんな環境で、小さな動物は確かに難しいかもしれない。

ふむ、と考えている間にも、みゃーみゃーと箱の中の声は、箱を抱く男と共に「飼え!!」と訴えていた。

 

別に動物は嫌いではない。

一般にペットと呼ばれるものよりか、野生で逞しく生きている動物の方が好みではあるが。それでも好きか嫌いか問われれば、好きだと答えるだろう。

それでも畜生だ、と割り切ることは出来る。

まるで自分の家族のように、動物を扱う者を見ると滑稽に思える。理解出来ないとも思う。

しかしそれでいて、確かに無条件にこっちを信頼し、慕ってくれる存在は愛しいと思えるものなのだろう。

 

「滑稽だな」

 

人間は進化を遂げて、言葉を覚え、コミュニケーションを学んだ。

結果、無条件な信頼や、ただ愛情を返すことなどなくなったのだ。

そして人は、他人にそれを与えること、与えられることを諦めて、自分よりも下位のただ恭順する生き物を求めるのだ。

これでは一体なんの進化なのか。

これを愚かしいと言わずになんと言おう?

 

きっと世の中の飼い主達は、飼っている動物の気持ちが理解出来ると言うのだろう。

だが、言葉を話さない生き物の気持ちが解って、言葉を喋る他人の気持ちが解らないなどと言うことがあるだろうか?

遥かに発展したコミュニケーションは、複雑になりすぎて答えを導き出すことを不可能にした、と?

お笑いだ。

 

「どうしたよ?」

「いや、なんでもない。人間とは愚かしい生き物だと痛感したまでだ」

 

私の答えに、風間の後輩は怪訝な顔をしたが、別に何か追求することなく話を続ける。

私の前には箱の中身が晒され、三匹の子猫がその大きな潤んだ瞳でこっちを見上げていた。

 

……………。

 

確かに無条件で愛らしいと思える。

そもそも哺乳類は、他の哺乳類の赤ん坊を可愛いと思うように進化しているのだ。可愛いと思うのは、一種の本能だ。

(他の動物が、他の動物の赤ん坊を育てているニュースが時々あるが、それはこの理由故だ。だから爬虫類、魚類、両生類にはこの手のニュースはあり得ない)

可愛いということは進化した防衛手段なのだ。

 

「なぁ、どの子がいい?」

 

飼うことは決定したらしい。

 

しかし猫。

猫は『寝子』に通じて、昔は遊女の持ち物だった。

その気まぐれさや、すり寄るところも女性らしいさとされて、猫はずっと女性のものだったと言える。

エジプトに於いても、猫は女神であるし、この認識はある意味世界共通なのだろう。

欧州の魔女の使いも猫だ。

 

そして猫は光によって変わる瞳孔の形が月を連想させて、夜にも通じる。

夜が遊女に繋がり、寝子になる。

総てが回る。破綻なく。

 

そう。そして夜は闇に通じ、闇は私達に通じる。

 

「…悪くない…か…」

 

再びひとりごちて、私は箱の中に視線を戻した。

 

 

「そうだな。この三毛にしよう」

 

どうせなら。何処までも日本的で有る方が面白い。

私は、まだ手のひらにすっぽりと収まってしまう程の体躯しかない三毛猫を抱き上げて、鼻梁を指先で撫でた。

 

「ああ、雹ちゃんらしいわ。名前、どうする?」

 

名前。

聞かれて、背中の模様が梅に似ていることに気付いた。

 

「では、『梅若』と名付けよう」

「ますます雹ちゃんらしいねぇ」

 

名を呼ぶと、応えるように「みゃあ」と鳴く。

寮で飼うことは実質的には不可能で、勿論恭介に押し付けることも出来ない。

この男が言う通り、実家で飼うしかないだろう。

あの歴史深い日本建築の母屋と、この三毛猫は似合うだろう。

 

梅の花と、三毛猫を肴に縁側で酒を飲むのも楽しいかもしれない。

 

 

結局、すっかりこの男のペースで。

飼うことになった新しい命を片手に、私は決して不快ではない気持ちで笑みを零した。

 

「とりあえず、雹ちゃんは止めろ」

 

それだけ、指を突き付けて注意すると。

にへら、と。何時ものように飄々と笑って見せて。

「梅若、大事にしてやって」と話を反らして、背を向ける。

この図々しさも馴れ馴れしさも、そしてこの距離感も。

なんだかんだいって、この男の魅力でもあるのだろう。

物怖じせずに、ずかずかと。

 

風間とは違った方向で、大物になりそうだな、と思いながら。

それでも「雹ちゃん」は御免被るので、次風間に会った時にでもきつく言っておこうと心に決めて。

とりあえず、次実家に帰れるまでは恭介に預けるしかない猫を片手に。

 

「これもまた良し」

 

呟きに、応えるように。

梅若が「みゃあ」と鳴いて寄越した。

 

 

 

 

 

 

 

注 『シュレーディンガーの猫』物理学者、エルヴィン・シュレーディンガーの説。

蓋のある箱の中に猫を入れ、そこに放射性物質であるラジウムとガイガーカウンター、青酸ガスの発生装置を入れる。もし箱の中のラジウムがアルファ粒子を出すと、ガイガーカウンターがこれを感知して、その先の青酸ガス発生装置が作動。結果、猫は死ぬ。

しかしラジウムからアルファ粒子がでなければ、青酸ガスが発生することもないので猫は死なない。

一時間後、果たして猫は死んでいるか生きているか、可能性は50パーセント。

従って、生きてる可能性と死んでいる可能性が1:1になっている状態。猫は生きていて、死んでいるという状態。

現実に於いて、このような状態が重なりあっていることを認識することは出来ない。

 

というようなこと。

 

 

注2 管理人は動物ラブーーのペット家族派ですww。雹ちゃんの思考として表現してますので、あしからずご了承くださいませ

 

 

 

 

背景素材提供 青の朝陽と黄の柘榴 様