変化は砂の流れの様に

 

 

「こんにちは、シキさん」

 

ドアを開けると、涼しいドアベルが迎えてくれる。

店の中は、それらしい店で馴染みの喧騒。

入口付近の客が、入ってきた小さな人影に吃驚した顔をする。

 

「あら。ラー。いらっしゃい。今日はパパは?」

 

すっぽりと、フードマントを被って。

その隙間から、キラキラした碧の瞳が覗いている。

よじ登るように、カウンターに設置してあるスツールに登って。そしてちょこんと座り終ると、再び店のドアが開く。

子供が開けた時よりやや乱暴に。

それに抗議するように、ドアベルの音はやや耳にキツく響く。

 

「噂をすれば、ね」

「何がだ?」

 

不機嫌そうに。子供の横に座って。

そして子供と同じように、頭から被っていたマントを下げる。と、辺りにもうもうと埃が舞う。

「ちょっと、何よ?これ。あんた何処に行ってたの?」

「砂漠だ。砂漠。

 本で見たサンドドラゴンをラーが見たいと言ったから、行ってきた。だがもう二度と行かん」

げんなりと。疲れた顔を見せて。

砂漠ならば、今舞ったのは埃ではなく粒子の細かい砂だろう。

「濡れタオル」

最強の生物で、子供への家族サービスの為にわざわざ砂漠まで行ってやった男は憮然と。まるでそれが正規の注文であるように言い放つ。

この店を切り盛りするシキは、苦笑をひとつ浮かべながら。

肩を竦めて。そして手近にある清潔なタオルを濡らして、軽く絞って男にカウンター越しに手渡した。

バランは受け取ったそれで、隣の子供をわしゃわしゃと拭う。

痛いのか、くすぐったいのか、子供はなんとも言えない声を出して、身を捩った。

「じっとしてろ。砂塗れだ」

「バラン様もですー」

「誰の所為でこんな目に遭ったと思ってるんだ?」

「あんな所から急にドラゴンが出てくるなんて思いませんよ、誰も。だから誰の所為でもないです」

「減らず口を叩く!」

 

「ちょっとあんた達。此処はバーなのよ?公園じゃないの。そんなアットホームなホームビデオみたいなやり取りする場所じゃないのよ?」

シキは笑いながら、それでも新しい濡れタオルをバランに手渡して。

「ラー、そんなんじゃ追いつかないでしょ?良かったら奥のシャワー使いなさいな」と。

それを賛同するように、バランは子供を抱えてスツールから下ろしてやる。

「行っといで」

「はい。置いて帰っちゃやぁですよ?」

「帰らんよ」

笑いながら、背中を押して。

そして子供はカウンターをくぐって、中に入ると勝手知ったる場所。奥に向かって見えなくなる。

その背中を見送りながら、バランは渡されたタオルで軽く顔を清めて、苦笑を浮かべる。

 

 

「ちゃんと注意は守ってるみたいね」

「無駄な揉め事は必要ないからな」

注文される前に、いつも頼む酒を作って前に置くと。

カウンターに頬杖をつきながら、シキはにやにやと。おかしそうに。それでいて感心したような声を出す。

 

この男が初めて子供をここに連れて来た時。

久々に会ったと思ったら、小児性愛に目覚めたのかと愕然としたが。そうではなかった。

しかし、この界隈。いや魔界全土でそうだろうが。本来存在しない魔族の金髪。しかし、歓楽街や風俗産業では溢れる金髪は、まさに『そうゆう』職業の証のようなもので。

金髪にすれば客が付く。

実際はそんな簡単なものではないが、派手な露出、タイトなドレス、矢鱈と艶めく唇、そして金髪はほぼひとセット。

老若男女問わず。

それはなんともオーソドックスでクラシカルな、お決まりの形。

 

すなわち金髪の子供がいれば。

それはそうゆう商売をしている子供だと受け取られる。

それを望もうが、望むまいが。それを目当てとした大人が寄ってくる。

 

だから、最初。ラーハルトを見た時に目を疑った。

あの竜の騎士が幼い娼婦と一緒にいるとは。

しかし、聞けばそれは拾った子供だと言う。

だからシキはその時にバランを怒鳴りつけた。

拾った子供の髪をこんな色に染めるなんて何を考えている?と。

世に溢れる変態達に捧げたいのか。そうゆう仕事をさせたいのか?

拾った当時からこんな頭だったのなら、そうゆう職業に従事していたということだ。

それを続けさせようと思ってないのなら、とっとと染め直してやれと。

 

一瞬、剣幕に押され。ぽかんとしたバランだったが。

頭に血が登ったシキを宥めたのは、誰でもない。子供本人。

子供はバランが何か怒られていると思って、そしてその原因が自分にあると思って、必死で間に割って入った。

 

その後、それが地毛であること。

子供は魔族と人間のハーフであることを知った。

そしてバランとラーハルトも、この時初めて。魔族に金髪がいないことを知った。

バランは、言われて見れば、と言葉を濁す。

魔界では当たり前過ぎて、誰も説明などしないこと。

それは知ってて当然な、常識に近いものだが。

本来、誰とも関わらず、殆どドラゴン領から出てくることもない竜の騎士が知らなくてもおかしなことではなかった。

 

そして、金髪は高値で取引されること。

それこそ、それが地毛だと解れば、誰もが眼の色を変えて狙ってくる可能性があることを重々言い聞かせて。

外では極力、金髪を隠すことを約束させた。

それを外で出した所で、百害あって一利なし。妙な揉め事や面倒を抱え込むだけだ、と。

変態の餌食になるか、人身売買で売り飛ばされるか。

どっちにしろ、子供が負う危険にしてはリスクが高すぎる。

 

「折角の可愛い顔を隠しちゃうのは勿体ないけどね」

次に会った時、フード付きのマントをプレゼントした。

子供は少し大きなそれを被りながら。はにかんだ顔をして笑った。

 

それから月に一度程。親子で。時に子供だけで店にやってくるようになった。

親が暫く家を空けなければならない時などは、その間預かることもある。

 

竜の騎士との付き合いは瞑竜との戦いの少し前からだったが、こんな風に『父親』になるなんて思ってなかった。

「…何を笑っている?」

「いいえ。相変わらずいい男だな、と思って」

はっ、と。乾いた笑みを吐いて。

瞑竜との戦いの前は、もっと真面目で純朴な青年だったけれど。あれから数年。すっかりやさぐれて、世界を斜めに見るようになった。

そして今、当時の青年は父親の顔になっている。

「いいえ、言い直すわ。昔よりいい男ね」

「当然だ」

はっきりと言いきって。出された酒で喉を潤す。

謙虚さの欠片もない自信が嫌味に写らない稀有な男を、シキは楽しそうに眺めながら。

自分用に作った同じ酒を、軽く掲げてから、同じように喉を潤す。

「言われる前に言っておくわ。私は昔も今もいい女よ」

「ほざけ」

くっく、と喉で笑って。

それと同時に他の客から声がかかる。

合図を受けたように、バランはしっしと手を振って。シキはひと睨みしてから、他の客の元へと向かった。

 

 

 

暫くすると。奥からすっきりしたラーが戻ってきた。

シャワーで濡れた髪をタオルでターバンのように巻いて隠し、身体には子供用のエプロンを付けて。

「シキさん、何かお手伝いすることありますか?」

「こら。別にそんなことする必要はないだろう?」

「あら、ラー。本当にいい子ね。じゃあ、トム・コリンズ作って貰える?」

「はい」

「おい、お前…私がいない間に子供に何を教えてる?」

「私が教えたわけじゃないの。勝手に覚えたのよ。賢い子ね。そしてとても器用だわ」

言い合う大人を横目に、ラーはとっとと台に乗ってジンを棚から取り出して、レモンを絞り始める。

その手際は確かに良い。

「ラー。生活に困ったらうちで雇ってあげるわ。貴方は将来絶対いい男になるしね」

笑って言えば。

カウンター越しから飛んでくる父親の苦情を聞き流して、ラーはさっさとソーダを入れて軽くステアして、それをシキに渡す。

 

「バラン様も何か呑まれますか?だけど呑み過ぎないでくださいね」

 

相反する言葉を同時に言われて。

しかも済んだ子供の瞳に真っ直ぐ射竦められて。

言葉に詰まる。

 

「ラーがカウンターにいたら、変な酔っ払いとか、しつこく言い寄ってくる男とかがいないのよ。凄い大助かりなのよね。

 小さなボディガードだわ」

 

言われれば、小さな身体は少し誇らしげに。

渋い顔をして眺めていたバランも、子供のそんな姿を見れば自然と頬が緩む。

そして出されていた酒を飲みきると、ラーに「じゃあ同じ物をもう一杯」と追加オーダーする。

ラーは笑顔で頷いて、新しい酒を作り始めた。

 

「にやけてるわよ」

指摘を受けて、バランは口元を手で覆う。

そして気まずげに視線を反らせる。

「本当に。まさかこんないい『パパ』になるとは予想しなかったわ」

「煩い、黙れ」

自分でも思ってなかったのだろう。まさかこんな風に子供と接することになるなんて。

しかし反らせた視線は、知らないうちに再び子供を追うようになる。

これは親の無意識な行動なのだろう。

シキはそんなバランを可笑しそうに眺め、そして子供の手には大きいシェーカーを器用に振って見せる子供へと注がれる。

 

こんな商売をしてて。

こんな街に住んでたら。

こんな幸せな家族の光景なんて、珍しい。

こんな風に無邪気な子供を見ることも、この街じゃ珍しい。

 

普通の親、普通の子供、普通の愛情。

どれも此処じゃあ、滅多にお目にかかれない。

そんなものは夢物語で、御伽噺の中にしか存在しないんじゃないか?と思える時だってある。

だけど実際目の当たりにすれば。

 

「ねぇ。今度冒険に行く時は私も誘ってよ。店を閉めて一緒に行くわ」

 

露骨なまでに嫌そうに、溜息を吐きだす父親と。

笑顔で了解する子供。

そして便乗しようと手を挙げる、周囲の客達。

 

 

こんな笑いは悪くない。

誰も傷つけず、誰も悲しまない。楽しいお酒。

 

「じゃあお弁当作らなきゃ」ラーの無邪気な提案に。

「あら、じゃあ私も手伝うわ」軽く手をあげて、賛同して見せる。

「…勘弁してくれ」と、父親の苦情。

 

溜息と、笑いが重なる。

私はラーの頭をタオルごと、わしゃわしゃと撫でて。そして満面の。

接客用じゃない笑みを、パパに返した。

 

 

 

 

 

 

 

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