The sun will set for you



(一)

 

「風間………醍醐様、ですね?」

 

黒塗りの高級車。

窓には当然のようにスモークが貼られていて中の様子を伺うことは出来ない。

ただ、これだけならば。近所にそういった筋系の屋敷も多いので、別段珍しくもなんともない。それは見慣れた光景のひとつに過ぎない。

だが。

その車が横付けされて、中から女が。

そしてその女がフルネームで自分の名前を呼ぶ、なんてことは。

これはもう、日常とは一線を隔した出来事と言えるだろう。

 

短いスカートに、際どい位置まで入ったスリット。

これもまた、水商売の女性が多く住むこの界隈ではそこまで珍しい格好ではないが。

どうにも、女の雰囲気がそう言った商売の人間ではない。

どちらかと言えば、大企業の秘書のような。そんな硬質的で事務的な雰囲気。

 

「風間、醍醐様ですね?」

 

こっちが応えないので、女はもう一度問いかけてきた。

さて。

ここで素直に頷くべきか、それともしらを切るべきか。

この場合はどっちだ?

 

数秒逡巡して、俺はとりあえず「そうだが」と頷いて見せた。

フルネームで知ってるような人間にしらを切ったところで効果はないだろう。

 

「少し、お時間を融通していただけません?」

 

女はにっこり、と。色味のない唇に弧を描いた。

そして促す様に、車のドアを開ける。

車内には、運転手を含めて三人の男がいるようだ。

 

「…残念だが…これからバイトでね。時間はないんだ」

 

コレは事実。

だが、女は弧を描いた表情を一切崩すことなく

 

「存じております。

 駅前の中安ビル三階の居酒屋ですわよね?連絡はしておきましたわ。

 勿論、お休みさせてしまう今日の分の賃金はお支払させていただきます」

 

流石に。

これは。

俺は全く澱みのない女の言葉に、怯んだ。

どこまで。どこまで調べつくしているのか。

 

空気が幾分か緊張を孕む。

 

通じなくとも、しらを切るべきだったか。

後悔の念が頭をよぎる。

 

そんな俺の躊躇を読み取って、女が一歩。近づいた。

耳元で。

 

 

 

「もし、お断りになられるようでしたら…バイト先がビル事吹っ飛びますわよ?」と。

 

 

 

それは。

脅しにしては何とも荒唐無稽な文句だったが。

女の眼光に一切の澱みはない。相変わらず、その表情からは何も読み取ることは出来ない。

 

「今の時間帯でしたら…仕事帰りでごったがえしてますわね。駅は…

 何人、巻き込まれちゃうかしら。

 あんな場所で、『ガス爆発』なんて…怖いですね」

 

yes』以外の返答など、存在しないのだろう。

読み取ることが出来ない女。だが、きっとこの女なら躊躇なく、今言ったことを実行するだろう。

 

 

俺は諦めた。

いったい、俺に何の用件があるか知らないが。

こんなテロリスト紛いの人間が俺になんの用があるのか見当もつかないが。

 

溜息。

 

 

 

 

高級車の後部座席で、俺は左右を屈強な男達に固められながら先行きの見えない不安をなんとか呑みこんだ。

 

 

§§§§§§§§§§§§§

 

 

「で、用件はなんなんだ?」

「ついたらお話しますわ」

 

助手席に座っている女は、こっちを見ることも無くそれだけ呟いて。

左右の男達も口を開く様子はなく。

 

仕方なしに俺は車窓から外を眺める。

こっちの目隠しをしなかったのは、吉凶なのだろうか?

何処に連れて行かれるか、見られても困らないということか?

 

暫く考えてみたが、結局思考を停止させた。

今それを何処まで考えたとこで詮無いことだ。

 

 

 

車はどんどん都心に向かって行き、最終的に誰でも名前くらいは知っている外資系の高級ホテルの前で止まった。

 

もっと。港の倉庫みたいな所に連れて行かれるものだと思っていたので(いや、これは刑事ドラマの見過ぎだろうか?)鼻白む。

 

「ついたみたいだな。話してくれるんだろう?」

「せっかちな方ですわね。

 まぁ、簡単な概要はエレベータの中ででもお話しますわ」

 

何処までも丁寧に。

だがいい加減、その慇懃さが癪に触るようになってきた。

 

「あら。短気な方でもあるんですね。ちょっと意外ですわ」

 

ほんの少しの空気の変化を敏感に読み取って、女は『楽しそう』に笑った。

今まで見せてきた、表情のない笑顔ではなく、そこには『愉悦』があった。

ただ、どっちにしろ。

気持ちの良いものではなかったが。

 

 

エレベータに鍵を差し入れて、パネルを開く。

普段は隠されているそのボタンを押すと、あのエレベータ特有の重力が体に不快にかかる。

確かペントハウスとかいうものだったか?

勿論、実物を目にすることは初めてだが。

ワンフロアぶち抜いたスイートルーム。そんなものだった気がする。

 

「今から御逢いいただくのは、私共の姫君です」

 

噴きかけた。

高級車、ペントハウス、スイートルーム。そんな庶民の俺からしたら完全に非日常の連続で。

今度は『姫』ときた。

もう、ここまできたら。笑うしかない。

 

「それで?そのやんごとなきお方が俺なんかに一体なんの用だ?」

「なに。些細なことです。

 些細な、本当に些細なこと。ですからそんなに構えないでくださいな」

 

女は無理難題をつきつけて。

この状況で構えるな、など。出来るはずがない。

 

「ある問題がありまして。その解決の為にお力を貸していただきたい、という。ただそれだけですわ」

 

こんな人種に貸さなければならない力など。俺に備わっているとは思えない。

自慢出来ることなど、体の丈夫さくらいだが。それだって、今尚俺の左右両側をがっちりと固めている男達がいれば困らないだろう。

 

一体俺に何をさせようとしているのか。

疑問を口にしようとすると、エレベータが着階を知らせた。そして音もなく、扉は開く。

 

「その質問は、姫にどうぞ」

 

何も口にしていないが。

全て。

全て、掌の上らしい。

 

 

ここまで絵を描かれれば、逆に何をしても無駄な気がしてくる。

どうあっても逃れることも、ミスを誘うことも、こっちの思い通りになることはないのだろう。

 

毛足の長い絨毯が、足音も、気配すら吸収していく。

俺にはそれが、まるで泥濘の中を歩いているような。

そんな不快さと鈍重を伴って感じられた。

 

 

 §§§§§§§§§§§§§

 

 

高級ホテルのペントハウス。

そんな所に足を踏み入れたことはない。

だから、扉を開いた先の景色など想像も出来ない。

 

扉の向こうは、東京が一望出来る夜景のパノラマ。

奥にはバーカウンター。

正面には上品な色合いのソファが。

フェイクの暖炉が穏やかな光を放っている。

クリスタルのシャンデリアがキラキラと光りを反射して目に痛い程だ。

見ただけで高そうな花が部屋の中央に鎮座している。

スタイリッシュな硝子のテーブルの上には、食べきれない程の果物と、シャンパン。

ぱっと見るだけではわからないが、スピーカーが埋め込まれているのだろう。

クラシックが素人でも解るほどの心地よい音響で流れている。

 

そのソファに。

彼女は坐っていた。

 

 

多分、彼女なのだろう。

女が言っていた『姫君』というのは。

それを裏付ける様に、その部屋に配置されている護衛のような男達は、全て彼女を中心としている。

だが、それでも。

尚、それに疑問を抱いてしまうのは。

 

 

そこにいた少女が、あまりにも普通過ぎるからだろう。

 

 

この場所に俺と同じくらい馴染んでいない。

それは彼女がどう見ても、学校の制服にしか見えない格好をしている所為か。

その彼女の手に握られてる携帯電話のストラップが大きなミッキーマウスのぬいぐるみの様なモノだからか。

普通の女子高生らしく、化粧っけのない顔はまだまだあどけなく、自分の妹、あきらと同い年くらいに見える。

 

少女は俺と目が合うと、携帯電話を机の上に置いて立ちあがった。

 

「ごめんなさい。お呼び立てしてしまって」

 

そして、ぺこり、とお辞儀をする。

どんな胡散臭いのが出てくるのか、と警戒していた分。それは一気に毒気をぬかれるような。

だが逆に、余計に気を引き締めなければならない。

 

「瑠璃菊、ありがとう。失礼はなかった?」

「ええ。とても快く、御同行していただけましたわ」

 

少女の言葉に、女が。

よくもまぁ、ぬけぬけと。

呆れてしまう。

 

「あの…座ってください」

 

そう言って、彼女はちょっと座っている位置をずれる。

隣に座れ、ということだろうか?普通、こうゆう場合は向かいに座らせないだろうか?

警備的にも。

疑問を感じて、口にするより先に、女が向かいのソファを指示した。

 

「そちらに」

 

うん。だろうな。

それならば納得がいく。

 

少女を見れば、「あ、そうか」などと口にして。ちょっと恥ずかしそうな表情を浮かべていた。

 

全く。

全く以て。

何処までも普通の少女だ。

 

 

俺が座ると、仕切り直す様に彼女は一度、咳払いをして。

机の上に置いた携帯のミッキーマウスを、触っていると落ち着くのか暫く撫でて。

 

そして、俺の目を。

じっと見詰めた。

 

 

 

「私の名前は鷹之宮 鬱。

 鷹之宮家の次代頭首です」

 

そう名乗られても。

『鷹之宮』という名前に聞き覚えはない。

いや、俺が疎いだけで実は物凄い有名な家なのかもしれないが。それでも、俺は全く知らない。

だから、曖昧に。頷くしか出来ない。

 

「実は今、大変なことが起こってまして…

 このままだと…もっと大変なことになってしまうんです…」

 

………

…………………

全く。

要領を得ない説明をありがとう。

 

俺の視線に気がついて、少女は困った顔をした。

そんな顔をされても。困っているのはこっちだ。圧倒的に。

 

「えっと…えっとですね…

 私の家は今、『忌野』家と揉めているんです」

 

 

その名前が出た瞬間、無意識にソファから立ち上がろうとしていた。

だが、それを背後に移動していた女の手が止める。

 

忌野。

確かに、俺の周りで高級車やペントハウスや姫君なんかに関係ありそうなのはアイツだけだ。

考えてみれば、それは容易に想像できる筈だったのに。

 

ぎり、と奥歯が鳴った。

 

「あ…あの、あのっ…話を聞いてください」

 

少女が泣きそうな顔になる。

泣きたいのはこっちだ。

 

だが、出て行くにも、ソレを許してくれる雰囲気は皆無。

 

仕方なしに。

それでも明らかに侮蔑と威圧を込めて、俺はソファに深く座り直した。

 

「で?忌野との揉め事に俺がどう関係してくる?」

 

あの男は、俺に仕事の話はしない。

家のことも話さない。

だから揉めている、と言われたところでその内容は想像することも出来ない。

だが、もし万が一。その揉め事に対して、俺が人質なりなんなりでアイツの足を引っ張るようなことになれば。

それだけは願い下げだ。

 

「えっと…

 忌野頭首の忌野雹さんが刺客に襲われた事件、知ってますか?」

「…霧嶋君の事件か?」

「そうです」

 

全く無関係、というわけではない事件が出てきた。

それもつい、こないだの。

 

「公式見解では霧嶋家が独断で行ったもの、ということになってますが…

 霧島家くらいの大きさの家が忌野頭首を狙うなんて、リスクが高すぎます。裏に、他の大きな家がいることは明白なんですよね…」

 

「…誰かが関与しているのか?」

 

「私の家が」

 

………。

この急な自白にどう対応するのが正しいのだろう?

 

「だけどこれも暗黙の了解で誰も言い出さないだけで、明白なんです。

 忌野家と仲が悪くて、今、忌野を叩いて最も得をする、それでいて忌野を叩くリスクも負うことが出来るのなんて、『鷹之宮』くらいなんです。

 ただ、誰もそれを言い出さない。

 それだけの圧力をかけてきたんです。

 だから、今回も…霧嶋家を人身御供に、断罪して…終わるはずだったんですけど…」

 

少女はどんどん俯いていってしまう。

そりゃ俯きたくもなるだろう。

話してる内容も大概だが、彼女を見据える俺の視線もかなりきついものに変化していっている。

 

「忌野が…断罪されるはずの『霧嶋』の処分差し止め、保護を申し立てたんです」

 

忌野が保護を。

それは俺からすれば、納得出来る姿だった。

意外でもなんでもない。

 

「自分に向けられた刺客を保護するなんて、前代未聞です。誰に命じられたにしろ…実行犯なんですから…

 罪に問われることは当然でしょう?

 だけど…忌野はそれを全て不問にした…」

「アイツらしいな…」

 

つい零れた俺の言葉に少女は顔を上げて、不思議そうに「そうなんですか…?」と。

その少女の問いには応えない。

俺の沈黙に一瞬だけ、訝しげな表情を浮かべて見せて。しかし気を取り直したのか少女は言葉を続けた。

 

「…本来なら処分して全て終わる筈だったのに。

霧嶋が不問になって、忌野が霧嶋に尋問、なんてことになったら誰が命じたのか…漏れる可能性が出てくる。

 そんな中…入院中の霧嶋が…失踪しました…」

 

失踪?そんな話は聞いていない。

あきらからも。

あきらは霧嶋君のお姉さんと仲良くしているから、そう言った情報は入ってくるはずだが。

もしかすると姉弟揃って失踪か?

 

「忌野は勿論、霧嶋を始点として鷹之宮を告発、叩こうとしていたのですが…その矢先に。

 それには、鷹之宮の分家、匂之宮の関与が濃厚とされてます」

 

「…されている?関与、しているのか?」

 

「…分家とはいえ…他家のことですから…私にはわかりません」

 

彼女の態度から、それが嘘であることは明白だったが。

 

「それで…忌野は…匂之宮をなんとかして暴こうとして…

 結局、分家である匂之宮の問題を、鷹之宮が本家預かりとして関与することになったんです」

 

関与することになった。

この言葉は間違っているだろう。きっと『鷹之宮』はずっと関与し続けているのだ。

ただ、表に出てこなかっただけで。

 

「鷹之宮と忌野、頭首同士での会合の席が設けられました。

 現頭首である私の御爺様と忌野頭首との会合。忌野もここ暫くのゴタゴタで、満身創痍といっても過言でない状態ですし、私達も探れば埃が出る身。

 出来る限り穏便に…歩みより収拾をつける筈だったんです…」

 

彼女はぎゅっと、膝の上で拳を握りしめた。

 

 

「…ですが…その席で…同席していた当時、次期頭首と任命されていた私の兄…鷹之宮躁が…忌野頭首に毒を盛りました…」

 

 

今度は女が抑え込むより前に体が動いていた。

バン、と互いの間にあるガラステーブルを叩き、少女に詰め寄る。

 

だが、詰め寄ろうとした体は、ガラステーブルに叩きつけられた。

 

硝子の冷たい感触も、俺を冷静にさせることは出来なかった。

叩きつけられた痛みすら、頭に血が登っている今の状態では感じられない。

 

『毒を盛った』?

『毒を盛った』??

 

なんとか、顔だけ上げて少女を見る。

少女は今にも泣き出しそうに。というよりも、瞳には流れ落ちないだけで、もう涙が溢れそうなほど溜まっていた。

消え入りそうな声で「ごめんなさい」と何度も呟いて。

 

俺を押さえこんでいるのは、屈強な男ではなくあの女のようだ。

女は「冷静におなりなさい。忌野雹は生きてますわ」と。ガラスよりも冷たい声音で俺の耳元に囁く。

 

生きている…

生きているから良い、というわけではないが。ソレでも幾分かは落ち着いた。

それを見越して(だが拘束を解くことはなく)押さえつけたまま、女は彼女に「御続けくださいませ」と促した。

 

少女は俺を見て、もう一度謝罪の言葉を口にしてから続きを話し始める。

 

 

「その結果、兄は次期頭首権を剥奪されました。というよりも、それで事を収めようとしました。

 だけど…当然ですが…忌野側がそれで納得するはずもなく…膠着状態に縺れこんでしまいました」

 

少女が握りしめた拳は、力の込めすぎで白くなっている。

 

「この膠着状態を打破する為に、兄の頭首権剥奪に加えて祖父が現役を引退する声明を出して…事態は収拾しそうになったんですけど…

 頭首権を剥奪された兄が不服として…分家の匂之宮を忌野に嗾けたんです。

 匂之宮は忌野に次ぐ戦闘を主体とした家で…結果…死傷者が出る事態になってしまいました」

 

とうとう。その瞳から、涙が零れ落ちた。

 

「このままでは…本当に全面戦争なんです…

 忌野と鷹之宮。この国を裏から支配する五家のうちの二家が争えば…表社会も無傷では済まないです…

 匂之宮と忌野がぶつかれば、夥しい数の人が死ぬことも確実です…」

 

その全ての重責が、今。彼女と忌野の肩に圧し掛かっている、というわけか。

 

全く、あの男は。

少しくらい話をしてくれてもいいのに。

 

「私は…忌野に頭首会談を持ちかけました…

 ですが前回、兄が毒を盛ったことと…ここまで事態が荒れてしまっている事を考慮してあまりに危険である、と…立ち消えてしまいました…

 だけど……このままじゃ…」

 

拘束が、解けた。

俺は上体を起こして、見えてきた話の筋を描いて

 

「で。俺にどうしろって言うんだ?」

 

 

§§§§§§§§§§§§§

 

 

「私は…忌野頭首との会談を希望しています。

 元はと言えば、こっちが悪いんですから…出来る限り、向こう側の条件を受け入れるつもりです。

 ですが大っぴらに会談を開くことは出来ません。

 だから…秘密裏に…極秘に逢いたいんです…

 だけど当然なんですが…私達鷹之宮の人間が忌野頭首と接触することは出来ません。

 ですから…

 お力を貸していただきたいのです…

 

 …忌野頭首を…呼びだしていただけませんか?」

 

 

これは。

どっちだ?

罠か、真実か。

 

俺は部屋にいる人間を順に眺める。

だが、そんな風に眺めればどいつもこいつも、胡散臭そうに見えてくる。

 

だが、彼女だけは。

その瞳に虚偽を見出すことは出来ない。

 

胡散臭さ第一筆頭の女が、俺の思考を読んだように「忌野雹の身の安全は保障しますわ」と言いだしたので、余計更に怪しくはなったが。

 

「それだけは、絶対に保障します」と彼女があまりに真摯に言うので。

 

「解った…だが。

 『鷹之宮』からの呼び出しだ、ということは伏せないぞ。それが譲歩だ」

 

 

俺は。

自分の携帯のメモリを。

 

呼び出した。

 

 









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