死刑宣告
「バラン様、お帰りな───────────」
返事もそこそこに。
入ってきた勢いのまま歩み寄ってきて。
主である養父は、俺を抱きしめた。
「っ…バラン様?」
いきなりの行動に、吃驚して。俺はただなすがまま。
「…た」
耳元で。
掠れる低い声。
聞き返そうと、身体をよじると更に強く抱きしめられて。
何だかわからないけれど、俺はとりあえず曖昧に頷いて。
零れ落ちる、その微かな声音に耳を澄ませた。
「ついに…見付けた」
「…何をです?」
聞き取れた言葉だったが、それでも意味は解らずに結局聞き返す。
そして。
その言葉はついに落ちた。
「ディーノを見付けた」
その言葉は全くの予想外で。
息を飲む。
そう。
それは。
大昔に覚悟を決めていたこと。
そして、あまりに昔過ぎて忘れかけていたこと。
それはまさに。
俺にとっての死刑宣告に他ならない。
あの日。
一向に進展しない息子の捜索に落胆するバラン様に向かって言った。
『ディーノ様が見つかるその時まで、俺が代わりにお傍にいますから』と。
そう。
俺はあの時、ディーノ様の代わりに息子になる契約をこの人としたのだ。
側で支える権利を。
いない息子の代役として。
その契約が。
今、終焉を迎えようとしている。
「…バラ…」
「生きていた……生きていた!」
俺の言葉を遮るように言葉を重ねて。
こんなにも。
こんなにも嬉しそうな養父を見るのは、初めて。
だから。
俺は。
笑うしか出来ない。
「おめでとうございます」
そう。
これは目出度いこと。
生き別れになっていた親子が奇跡の再開を果たそうとしている、美しい物語。
それを邪魔するのはあまりに無粋というものだろう。
その権利は、きっと神にすらない。
俺にはそれを祝福するしかない。
どうせ、借りモノの立場だったのだ。
『本当』の息子が帰ってくるのであれば、返さなければならない。
俺は所詮。
代理に過ぎないのだから。
「バラン様…おめでとうございます」
気付かれないように、笑って。
笑って。
笑って。
笑って。
自分自身にも嘘をつくくらいの気持ちで。
いつか終わりがくることは、覚悟していたハズ。
それがいつの間にか、もう見つからないモノとして勝手に思い込んでいただけのハナシ。
借り物の場所が、いつの間にか本当の自分の場所だと勘違いしてしまった馬鹿な俺の愚行。
俺には。
この人をこんな風に喜ばせることなんて出来やしない。
その姿を眺めながら、俺は自分の脆い立ち位置を自覚して。
崩れ落ちそうになっている自尊心を総動員して。
これで最後だ、と自分に言い聞かせながら。
そっと、養父の。
もう『養父』と呼ぶことすら出来なくなる人の身体を、応えるように抱き寄せた。
いつもの、染み付いた煙草の匂いがする。
この匂いで穏やかな気分になる自分がいる。
こんなにも、この人を慕っている自分がいる。
しかし、それは全て砂上の楼閣に過ぎない。
「明日…ディーノを取り戻しに行く」
耳元で告げられたのは、最期通達のタイムリミット。
俺は頷きながら、この暖かさを喪う覚悟を。
あったこともない子供を恨んでしまいそうになる。
勝手に代わりを務めていたというのに、それは随分と勝手な物言いである自覚もあるが。
それでも。
何故、今更になって。
何故、こんな時に。
そして、俺は自分の浅ましさを思い知る。
養父にはずっと「絶対に生きておられるはず」と言い続けていた自分の、浅ましさを思い知る。
言っていた時は本心だった。
本心だったはず。
流石にそこまでは、あざとくはない。そこまでは浅ましくはないと思いたい。
しかしその思いは、生きていないと何処かで思っていた俺の自己満足に過ぎなかったのだろうか?
幼い子供に、『サンタクロースはいる』と言った類の。
いないことを承知の上で吐いた、優しい嘘と同類だったのだろうか。
わからない。
わからない。
今、会ったこともない子供に、死んでいれば良かったのに、と思わずにいられない自分に。
自分から、今。取り上げられようとしている居場所に縋りつこうとしているこのどうしようもない浅ましさを。
ただただ、痛感する。
だが。
手放さなければならない。
これは、ずっと昔から。
それこそ出会った時から決まっていた運命なのだから。
父親は、子供の元に返さなければ。
これまでの期間、育てていただいたこの時間を感謝こそすれ、もっとと強請るのは筋違い。
長い夢を見せていただいた、と礼を述べる場面だろう。
人の親を。
この期間ずっと独り占めしてきたのだから。
「バラン様…」
名を呼んで。
後僅かな時間ではあるけれど。
まだ、今この時は『父』と思っても許される、この遺された短い時間を。
俺は本当に嬉しそうに微笑んでいる、この養父の顔を眺めながら。
覚えておこう、と思った。
この人は、本当に嬉しい時にはこんな風に笑うのだ、ということを。
俺では決して、こんな風に笑わせることが出来なかった事実も含めて。
自分の限界を。
偽りの関係の限界を。
それでも、何物にも代えがたいほど。
自分にとっては意味のある、大事な場所だったことを。
覚えておこうと思った。
覚えておこうと思った。
養父に抱きすくめられながら、その鼓動に耳を澄ませて。
俺は悟られないように。
気を抜いたら折れてしまいそうな膝や、心根に力を込める。
最期の最後に残された、俺の矮小なプライドは母の最期の時のように。
笑みを浮かべ続かせた。
『子供』という場所は返上しなければならない。
しかし、ソレでも俺にはまだ。この人の『部下』という立場が残っている。
それこそ、この命尽きるその時まで。
この人の為だけに鼓動を刻もう。
それだけが。
遺された俺の、唯一のものだから。
その慣れ親しんだ肩口に額を押しつけて、表情を隠して。
俺はこびり付いた笑顔を消して、迫るタイムリミットをカウントした。
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