『森には魔が潜む』
それは真実。
『魔』は森に確かに。
私は森に通うようになった。
男はそこが気に入っているのか、大体いつも同じ樹の枝の上で寝転んでいる。
話しかけても応えてくれないことも、しばしば。
それでも私は構わなかった。
家のことや、友達のこと、飼っている犬のことや、教会のこと、そんな取り留めのないことをただ一人、喋っていた。
彼の寝転ぶ枝の下に。ぺたりと座り込んで。
目を合わせるわけでもなく。何か返事を期待するわけでもなく。
時々頭上で笑い声がする。
見上げると、猫のよう。目の細め方も、瞳の色も。
「樹の上で笑う猫なんて、チェシャ猫のようね」
私は見とれていたことを悟られないように視線を反らして、また つまらない話を始める。
いつまでこうやって、一人で話し続けるのだろう?
だけどソレは心地よくて。
私は今まで存在しなかった、私の居場所を手に入れたような。
そんな気持ちになっていたの。
§§§§
馬鹿な娘が一人、森に入り浸っていることなんて。
そんなこと、すぐに噂になるに決まってる。
当然、私は叱られて。
窮屈な自室に監禁状態。
窓から見える森は相変わらず禍々しいほどに黒く繁っている。
あの中に貴方がいる。
私はガラスに額を押しつけながら、溜め息を落とした。
歩けば30分もかからない距離なのに。
今の私には遠くて仕方がない。
私達を遮っているものは何?
産まれ育ったこの家は、私の居場所ではないの。
私の居場所は、ここではないの。
だからといって、貴方の側が私の居場所だなんて。独りよがりも甚だしいのだけど。
息で白く、ガラスが曇る。
森の姿が、白く煙る。
ああ、きっと違うんだわ。
楽園を追放されるのではなくて。
楽園が窮屈で嫌になるのね。
戻れないのではなくて。
戻らない。
私は、聖書に隠されている『裏側』を知った。
§§§§
監禁は一月を越えた。
近所の男の子と逢引したとしても、こんなに閉じ込められることなんて、きっとない。
それだけ森は危険なのだ。
そう、今までの楽園を変容させてしまうが程に。
変容した楽園は、楽園ではいられない。
本来なら有り得ないことだって。
私の踏み出した、新しい世界では。
起こり得る話に変容する。
深夜のノック。
ノックされた場所は窓。
窓の下には何もない。
プランターを置くだけの、狭いスペースがあるだけ。
窓をノックなんて。
起こり得るはずがない。
だけど私は驚かなかった。
そこに貴方が浮かんでいても。
まるで約束でもしていたように。
それが当然だと言うように。
「遅いわ」
私の第一声に、木の下から見上げてしか見たことのなかった貴方の笑顔。
そして貴方は何も言わずに、手を私に差しのべる。
私達は手を繋いで。
窓の外へ、ふわり。
けど、おかしいわ。私ったら。
まだ、貴方の名前すら知らないの。
なのに解っていたのよ。
貴方が私にとって禁断の果実であるように、私は貴方の禁断の果実だ、と。
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