蝋の翼(6)

 
 
 
時代は目紛るしく動いて。 動いて。 動いて。


 動乱。


 世界から はみ出したはずの私達も例外では居られずに、巻き込まれる。
 逃げる場所なんて、何処にあると言うの?

 

 だけど駄目ね。

 逃げれば良かったのだわ。
 どこまでも。

 走り続けていれば。
 ほんの少しでもいいから。


 一秒でも長く。

 一緒に。
 三人、一緒にいられれば。

 

 それだけで良かったのに。


§§§§

  

 子供は肌の色以外は全く人間の子供と変わらなかった。
 脆弱でか弱く、親がいないと生きられない。

 なんて。
 なんて愛しい存在。

 

  ただ、それが私達を森に帰すことを延ばし延ばしにさせる。
 幼子を出来る限り安全で穏やかな場所で。それを願うのは、何も特別な感情ではないだろう。

 

 ホルキア大陸で魔王軍が侵攻を始めたという噂も聞こえてくる。
 不安がないと言えば嘘になる。

 背中がぞわぞわするような。

 時代が動いている大きな脈動を。

   
 

 ----------------------------感じるの。


§§§§


 じわりじわりと迫る来る情勢不安。
 私達はラーハルトが三つになる少し前に森に戻ることにした。

 決して孫の顔を見ようともしない親や、村の噂ももう沢山。
 親も私達を抱え続ける苦痛は限界を期してきていた。

 

 中庭以外に外に出るのは初めて。
 ラーハルトはどこか不安そうに、小さな手にヒヨコちゃんを ぎゅっと、大事そうに握っていた。

 出発に両親の見送りなんて、勿論なくて。
 古参のメイドだけが、こっそりと来てくれた。
 彼女は涙ぐみながら、私達全員を一人ずつ しっかりとハグしてくれた。

 

 夜明け前の薄暗い夜に紛れて。私達は誰にも見付からないように。
 足音すらも忍ばせて。 

 


 森に帰ったの。

  

§§§§

 

 森は何もかもを飲み込んで、その胎内に抱く。
 温かく、柔らかく、時に残酷に牙を剥き、そして時に慈愛に満ちる。

 ラーは心配していたのが馬鹿馬鹿しくなるほどに簡単に環境に馴染み、栗鼠や小鳥、虫や草花、そして樹々や風と仲良くなった。
 愛らしさは年を重ねるごとに増して、言いはしなかったけれど、彼は時々、本当に堪らないような、そんな蕩け切った顔を浮かべて見守っていた。

 気付かなかったでしょう?
 私がそんな貴方を、にやにや見てたなんて。
 でもきっと、私も同じような顔をしているんだわ。

 罪作りな天使ちゃんね。

 

 この森で、彼の昔からの友人であるキラーパンサーも すっかりラーの子守要員。
 今も背中に乗せてくれながら、落ちないように慎重に歩いている。

 
 楽しそうに、安心しきって戯れている我が子は。

 本当に何処までも何処までも。

 愛しかった。

  

 私達は幸せだった。
 森に抱かれて。

 幸せだったのよ。
 本当に。

 

 そう。

 

  

 --------------------------------あの日まで。                                           

 

§§§§ 

 

 世界は赤く染まった。
 赤く赤く、全てを飲み込んで。
 牙を剥き。
 全てを破壊し尽くして。
 森が悲鳴をあげる。

 

  私達は強大な力に為す術もなく。
 ただ、走った。
 


 手を繋いで。

  

§§§§

   

 私が見た森の最後は、赤く焼け落ちていくシルエット。
 情勢不安から、『魔』 が潜んでいる森が 村のすぐ裏手に存在することが耐えられなかったのだろう。


 森は多数の生き物達の命を飲み込んで、焼失した。

 

 彼が愛した樹も。
 私が愛した花も。
 ラーの友達も。 


 黒い煙をあげる森を。
 私達は呆然と見遣るしかなかった。
 動けなかった。

  

 動けなかったのよ。

 

 

 

 気が付いたときには。

 隣にいたはずの彼が目の前にいて。

 

 彼は笑っていたの。


 いつものように。 


 猫の瞳で。

 

 彼の手がどうして震えているのか。


 わからなかったの。


 私の頬を撫でる、彼の手が。


 どうして震えているのか。

 


 

                     『愛してる』

 

 


 唇が動いたの。


 確かにそう言ったのよね?


 今まで、一度だって言ったことなかったのに。


 確かに貴方は。



 あの時、そう言ったのよね?

 

 

 

 貴方の身体が。

 

 まるで糸の切れた人形のように崩れ落ちるのを。

 

 その瞬間を見ても。

 

 私には理解できなかったの。

 

 

 

 聞いたことのない声。

 それがラーハルトの泣き声だと気付いて。
 悲鳴のような。
 痛くて堪らない。

 そんな泣き声が。

 

 腕の中に抱いているラーハルトを あやすことも出来ずに。

 私はただ、抱きしめた。

 目は足元に崩れ落ちた彼から 離すことが出来ずに。

 

 崩れた彼の背中には。

 深々と刺さった、一本の矢が。



 そしてじわりじわりと、気持ちの悪い染みが広がっていく。

 

 それが血液だと。
 理解することは、脳が拒否をした。

 

 

  貴方がいなくなるなんて。

 そんなこと。

 

 

  誰が想像する、ていうのよ?

 

§§§§

  

 不安で焼き払った 『魔』 の潜む森。
 そこから焼き出された 『魔』 の者がいたら。

 そんなの、考えたらわかるハズなのにね。


 私達は楽園の中で。
 幸せ過ぎて。
 そんな当たり前のことすら、わからなくなっていたの。


 わからなかったのよ。
 

 貴方の血だまりの中で。

 私は顔をあげて。

 

 

  目があったの。

 

 

 

 彼を殺した。





 私と同じ 『人間』 と。

   

§§§§

 

  その瞬間、金縛りは解けた。
 一度だけ。足元の彼を見て。首を振る。


 振り切る。


 下ろして、と憤るラーハルトを抱き直して。私は走り出した。

 

 彼の血が。


 足元でピシャリ、と水音を。

 

 

 逃げなければ。
 逃げなければ。
 逃げなければ。

 


 『魔』を狙うのならば。

 ────────────────────  次は『この子』だ。

 

 

 失うわけにはいかない。


 こんなところで。


 絶対に。

 

 「父さんっ・・・・・・・・・」

  ラーハルトの声が。
 耳元で悲鳴のように。
 小さな手が。
 遠ざかる父親へと伸ばされる。 

  「母さんっ!父さんがっ」

 わかってる。
 わかってるわ。


 だけど。

 

 暴れる子供を抱きしめるしか出来なかった。
 この腕を ほどくわけにはいかない。
 重さで腕が痺れても。
 疲れて足が動かなくなろうとも。

 

 少しでも。

 少しでも安全な所へ。

 

 

 逃げなければ。

 

 この子だけは。

 この子だけは。

 

   

 

 --------------------------------くれてやるものか!                                   

  

 

 

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