悔恨

 

  ジャスティス学園炎上。

 その報告が届き、それ以降の連絡が一切途絶えてから一週間になる。
 その間に数人の怪我人と、行方不明者が出ている旨は新聞から得た。

 だが、肝心の報はそんな一般メディアからは回収できない。

 

 全く・・・・何をしているんだか・・・・

 

 月明かりに生える日本庭園を眺めながら、忌野霧幻は苛立だし気に猪口に注いだ酒を呷った。
 今回の裏社会の襲撃は計算外なことだった。
 可能性として示唆していなかったわけではないが、それでも『まさか』だった。それが実行されたとなると、これは裏社会だけでなく、忌野自体が関与しているのだろう。

 内部分裂。

 自分が家を取り仕切っていたときから燻っていた火種を数え、歯噛みする。 
 後悔するわけではないが、鬱陶しいことこの上ない。 

 自分が復権した暁には、全部滅してしまおう。
 それを思えば、今回の事件はそう悪いものではない。
 反逆者の焙り出しに成功したと考えれば、上々だろう。

 ただ、気がかりなのは、事件後一切連絡が取れない燦斬のことだった。それは即ち、雹の動向が知れないということだ。
 裏社会からの刺客に狙われてる以上、派手な行動は取れないため何処かに一時潜伏しているのだろうが、詳細な報告でなくとも、何かしら伝える事は出来るだろう。

 自然、奥歯に力が入る。
 ぎり、という耳障りな音にますます眉間に皺を刻む。
 こうゆう事態でも的確且つ要望通りに動けるからこそ燦斬を付けているのだ。それが、この一週間全く何の音もない。

  

 全く・・・・何やってんだか・・・・

 

 何度目かの台詞を独りごちて、空になった猪口に酒を注ごうと手を伸ばす。が、猪口は真っ二つに割れてそこにあった。

 そう、真っ二つに。

 合わせればくっつきそうなほど、見事な切り口で。

 

 瞬間。

 首筋に酷く冷たい感触が通り過ぎる。
 そして直後、その冷たさは灼熱の熱さに変わる。

  斬られた、と認識するより早く体は動き、意識した時には既に抜き身の刀を構えて、その男を凝視していた。

 

  男は月明かりの下、庭石の上に、まるで最初からそこに存在していたかのように立っていた。

 疾風迅雷。

 それが男に与えられた、否、自分が与えた名称。

 

 「・・・・俺の首は落ちてねぇぞ?腕が落ちたか。燦斬」

 後半歩、踏み込んでいれば斬られていただろう頸動脈。そしてあの隙ならば首を胴体から落とすことも可能だったはずだ。
 俺の知っている、燦斬ならば。

 「貴方を殺すことは、あの子が望まないので」
 「はっ。彼奴はどいつを殺すのも望まねぇだろうが。 
  で?なんだ。 今回みたいな目に遭いながら、家の謀反者達にも未だに寛大な措置をしようと駄々こねてんのか?あの馬鹿は」

 俺と同等のカリスマ性、忌野歴代最高の潜在能力と肉体能力を兼ね揃えながらも、何処までも非情にはなれない、洗脳してでしか使いものにならない馬鹿息子。
 脆弱で、酷薄で、不安定な、俺に一切似ることの無かった子供。

 「で?刺客と裏社会の動き、雹の状態は?」

 ぴくり、と燦斬の肩が動いた。

 俺から目を反らすことなく、燦斬は少し唇を歪めた。
 そして、何度か呼吸をした後、燦斬は事実を報告した。

 

 

      「雹さんは・・・・御子息は・・・・

              ----------------------お隠れ遊ばされました・・・・・・・・・」                                 

 

 

 周りの温度がその瞬間、一気に下がったように感じた。

 

 『お隠れ遊ばされました』

 『お隠れ遊ばされました』

 『お隠れ遊ばされました』

 『お隠れ遊ばされました』

 

 言葉がぐるぐる頭を回る。
 俺の第一声は、息とも問いともつかない「はぁ・・・・?」という音だった。
 言葉の意味は理解できた。
 ただそれに、思考がついていかない。

 しかし燦斬はそれだけ言うと、黙り込んでしまった。
 ただ、視線だけは俺から一切離さないで。

 

 「・・・・死んだ、のか?」

 

 言葉の意味を問いかける。

 それ以外あるはずなどないのに。
 そして当然なことに燦斬は一切答えない。
 もう事実は伝えてしまっているのだから。同じ報告を何度も繰り返すような愚鈍な行動を取る男ではない。

 そしてその沈黙が、何よりもそれが真実だと告げていた。

 

  瞬きを忘れていた眼球が乾いて痛みを覚えた。

 呼吸を忘れていた肺が、息苦しさを訴えた。

 構えていたはずの刀が、いつの間にか床に落ちていた。

 とうとう耐えられなくなって、俺は燦斬から目を反らした。

 

  「・・・・遺体は?」

 「火傷の損傷が著しく、周囲に見せられる状態ではなかったので私が判断して埋葬しました。
 
 あのような体を…
 今回の首謀者たる身内連中にあの子を晒したく無かったので勝手をいたしました」

 瞬間、自分が記憶に留めている最後のあの子の姿が浮かぶ。
 その姿から、周囲に見せられない程の損傷を負った姿が連想できずに知らず奥歯を噛み締めた。

 

 「・・・・燦斬・・・・」

 「貴方を殺せるのならば殺してますよ。
 
 しかしそれをあの子は絶対に望まないから。

       それに、貴方をあの子の元に送るようなこともしたくない」

 

 何の感情も籠らない、冷ややかな声。

 いや、何の感情も籠っていないわけではない。
 ただ一つの、純粋な純粋な雹に対しての感情が燦斬の中に燻っている。

 俺がしてやれなかった、『保護者』としての顔を全て補ってくれた男は、俺が感じる以上に喪失感に打ちのめされているのだろう。

 

 「・・・・そうか・・・・」

 

  俺が答えてやれるのは、返事を返すことくらいだ。
 当の昔に親と言う立場を放棄してしまった俺がここでいくら言葉を落としたところで、偽善のように思えた。
 燦斬も俺が悔やみの言葉や懺悔の言葉を零すのを、聞きたいわけではないだろう。

 

 ぐらりと揺れる視界を、瞼を閉じることで封じ込めて俺は現実の直視を束の間だけ逃れる。
 そして感情を出さぬよう気を配りながら燦斬に最後の命令を告げる。

 

  「今までご苦労。愚息が世話をかけた。
   
 後はお前の好きなように生きるがいい。今後の処理は全て私がする」

 

  語尾が微かに震えた。
 喉が酷く乾いていることを意識する。

 

 瞳を閉じたままの瞼の向こうで、燦斬の気配が消えた。
 それを確かめて瞼を開くと、そこに燦斬の姿はなかった。
 多分にもう二度と会うことはないだろう。
 あの男が本気で姿をくらませれば、探し出すことは不可能だ。
 あれは俺が見出して、育て上げた自慢の優秀な『息子』なのだから。

 

   

 月に淡く照らされた日本庭園を眺める。
 つい先刻まで、心穏やかに美しいと思っていた庭が今では酷く寂しく心無さげに見えた。
 ぽっかりと、そうぽっかりと所存無さげに佇む自分に空しくなる。

 喪ってしまった。

 失ってしまった。

 もう取り戻すことの出来ない、喪失感。
 悔やんでも遅すぎる現実。

 そう、何をしても、もう遅いのだ。

 もう、何もかも終わってしまっている。

 

 自分がしてきたことに後悔はない。
 正しかったとか、間違っていたとか、そんな判断は必要ではない。
 正しいからこの道を進むのでも、間違っているからこの道は止めるのではなく、必要だと思った道を歩む。

 この生き方を止めるつもりはない。
 そう、俺はきっと何も変わらないだろう。

 後悔しても、悔やんでも、憎まれても、嘆かれても、喪っても。

 俺は変わらない。

 俺は、変われない。

 

 「・・・・雹・・・・」

 

  ぽつり、と名前が口から零れた。

 

  

 

 

  「雹・・・・雹・・・・雹・・・・雹・・・・雹・・・・」

 

 一度口に出してしまうと止まらなくなる。

 もう決して、その名前に返事を返す人間が存在しないことを、必死で否定するように。

 ただ、ひたすら誰もいない虚空に名前を呼び続ける。

 呼び続け、呼び続け、仕舞にやっと返ってこない沈黙を飲み込んだ。

 応える者のない現実を飲み込んだ。 

 

 その瞬間、意識せぬうちに、音もなく涙が頬を伝った。



 声を殺して、喪った息子のために最初で最後の悔恨の涙を俺は流した。 

 

 

 





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