ツァラトゥストラはかく語りき




(一)

  

ある感覚に、彼女は目を覚ました。

天が揺らぐような、地が沈むような、上下が逆様になるような。

今まで築き上げた『摂理』が灰燼に返してしまうような。

 

それは、『世界の危機』が迫っている感覚だった。

 

彼女は天を見上げる。

 

世界の危機が迫っているのならば、彼女は天に行かなければならない。

そして精霊に会い、神に会わなければ。

 

彼女はその重い体を起こし、誰よりも美しい翼を広げる。

 

 

彼女はマザードラゴン。

竜達の守り神にして、母。

 

そして、世界の危機を回避する為のシステム。

『竜の騎士』を生み出せる

 

 

唯一の生き物。

 

 

§§§§§§§§§§§§§

 

 

今まで、竜の騎士をこの世界に何度となく産み落としてきた。

竜の騎士は、精霊から受け取る『種』と、

竜の騎士が死んだあと、回収し、自分の中で保存してある魂とを融合させることで生まれる。

魂の持っている感情や記憶はこの瞬間ほぼ失われるが、戦闘によって得た経験値や知識はそのまま受け継がれる。

即ち、一代目より二代目が。二代目よりも三代目の方が強い生物になる。

それだけ強い生物を生み出す為に、母体となるマザードラゴンの負担も大きくなる為に、竜の騎士を生む前に神に会い、出来る限り負担を減らせるように精霊達と共にエネルギーを分け与えて貰うのだが、それでも、限界がある。

 

彼女は、三代目マザードラゴンだった。

竜の騎士の力が強くなるのに従って、負担も増え、彼女たちの寿命も短くなっている。

とはいえ、彼女ももう既に二桁以上の竜の騎士を生み出したのだが。

 

しかし、今回精霊から受け取った『種』と、自分の身体に保存してある『先代の竜の騎士の魂』を融合させた時に感じた『強さ』は今までのモノより格段に強く

それはそれだけ迫っている『世界の危機』が強大だということを示唆しているのだが

それでも。

彼女は不安になった。

 

最近、自分の力が衰えているようにも感じる。

 

『今回、竜の騎士を産めば。私は終わるかもしれない』

 

長く。

それこそ、気が遠くなる程に長い年月を生きてきた。

だから、『死』や『終り』に対して恐怖はない。

しかし、それでも気掛かりではあった。

 

これだけ『強い』竜の騎士を生み出すほどの『危機』に世界は耐えられるのだろうか?

 

自分の下腹部に確かに存在する強い命。

それを意識しながら、それだけ大きな戦いに身を投じなければならない我が子。

 

それは鉄の塊を飲み込むような重さと息苦しさを伴って。

それでいて、回避出来ない運命を自覚して。

 

ただ。

ただ只管に想った。

 

 

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二人の小さな精霊と、マザードラゴンの祈り。

これはまるで子守唄のように注がれて、結界の中に鎮座する卵に惜しみなく与えられる。

竜の騎士が、戦うこと以外に与えられる唯一の安らぎ。

次に彼が安らぐ時は、死に絶え、魂となって母の身体に吸収され、次の代に融合されるまでのそのかくも儚い時間しかない。

闘うこと。

戦い続けること。

それだけを必要とされる『竜の騎士』としての存在。

 

それは例え、必要だと解っていても。

それでも母として、世界を見る者として居たたまれなくなる事実だった。

 

しかし感傷に負け、『竜の騎士』を産むことを拒否すれば。それだけ、多くの犠牲が払われることとなる。

下手をすれば、世界が終ってしまうのだ。

 

だからこそ。

犠牲を最小限にする為に、彼女達マザードラゴンは常に自分の子供を差し出してきた。


延々と。

延々と。

 

闘うことが、子供の存在理由なのならば

その子を生みだすことが彼女の存在理由。

 

それは切々と続いてきた、決して逃れられない運命。

 

 

彼女は自分の産み落とした、その卵を見遣る。

 

まだ安全な殻の中で、暖かな祈りに守られている世界の救世主。

その誕生の瞬間が少しでも遅ければよい。

それだけの時間、安穏と出来るのならば。

今だけでも。

 

そう、せめて今だけでも。

 

 

彼女は唄う。

祈りの歌を。

 

生まれ出る、我が子の為に。

 

 

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バランが小さな手でその殻を破った時、母は少し驚いた。

その外見は人間の赤子そのものだったから。

竜の騎士は、竜、魔族、人間、それぞれの祝福を受けた生き物。

だから、その外見も様々な生物に影響される。

生まれ落ちる前、あれだけ強力な力を持っていたのだから、子供は竜の外見を持って生まれてくるのだろう、と思っていた。

 

 

生まれ落ちた竜の騎士が、母親と過ごす時間は驚く程短い。

母は子供に自分の鼻先を押しあてる。

赤子は、その小さな手でその鼻先に無遠慮な程の力で触れた。

 

その力強さに、母は笑う。

 

竜の騎士は人に預けられ、成長すれば精霊の元で戦い方を覚え、そして世界の危機に立ち向かう。

 

次、この子に会う時は、この子が死んだ時。

自分の鼻先に触れたまま、あどけなく、そして好奇心いっぱいの黒い瞳。

触れれば壊れてしまうような、そんな小さな体躯。

 

『貴方は竜の子』

 

生前に与えられる最後の祝福。

まだ、髪には先程破ったばかりの卵の殻の破片がついたままの。

生まれて直ぐの我が子に与えられる、最後の。

最期の祝福。

 

それは胸を刺す程の痛みを覚える。

 

 

赤子は精霊によって、竜の揺り籠に乗せられて、人の元へと運ばれていく。

母はその後ろ姿を、見えなくなるまで眺めながら。

 

少しでも、我が子が不安にならないように。

 

祈りの歌を、歌い続けた。

 

 

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世界の危機が具現化し、それは愚かしくも自分と種を同じくする瞑竜の反乱だったのだが。

彼女の子供がソレを打倒した時、彼女は彼を諦めてもいた。

瞑竜はソレ程までに強力だった。

 

しかし彼は生き延びた。

 

世界の危機は回避され、バランスと秩序は維持された。

今回の戦いで傷付き、朽ちて行ったモノは数知れない。

竜族の被害も大きい。

しかしそれでも、世界は維持された。

 

世界が維持されたのならば、世界は自己修復能力によって回復するだろう。

生命は再び育まれ、新しい息吹は傷を癒すだろう。

 

彼女はほっと息を撫で下ろした。

 

世界が守られたこと。

そして、我が子を失わずに済んだこと。

 

 

だがしかし。

その安堵も一瞬だった。

 

彼女の感知できる、世界の危機を表すざわめきは瞑竜を滅しても消えなかった。

ざわざわとした感覚が、胸を撫でる。

 

その感覚は、瞑竜の時と勝るとも劣らないものだった。

 

これほどまでに大きな脈動。

世界の危機にこんな短時間で二回も参戦しなければならないことになる我が子。

次は生き残れるだろうか?

そして、次の戦いの時、彼は闘えるだろうか?

 

 

竜の騎士というシステムは諸刃の剣で。

 

もし、竜の騎士が反乱したとしても、挽回できるように。竜の騎士の寿命は、人間よりもほんの少し長い程度だ。

 

それは神の仕掛けた安全装置であり、またそれはどうにも座りの悪いエゴでもあった。

 

彼女からすれば、すぐそこに感じる危機だが、人間の寿命で考えればそれは数十年先の話かもしれず。

そうなれば、竜の騎士と言えど肉体的なピークは過ぎてしまっている。

 

ならば新しい竜の騎士を産まなければならない。

 

しかし、彼女が新しく次の竜の騎士を生み出すとすれば。

それは今、やっと瞑竜との戦いを終えて生き永らえることの出来た命を彼女は自らの手で奪わなければならないということ。

次の竜の騎士を産むには、今の竜の騎士の魂が必要不可欠なのだ。

 

文字通り、命をかけて闘って。

次の戦いで、使い物にならない可能性があるから処分する、など。

 

それは彼女には出来なかった。

 

 

彼女は生き残った我が子の鼓動に意識を飛ばす。

身体は酷く傷つき、見るも無残な姿になりながら。

それでも我が子は生きていた。

 

誰に褒められる訳でもなく。

誰に認められる訳でもなく。

自分と同じ生き物がいる訳でもない。

全くの他人の為に、己の身体を極限まで犠牲にする。

 

それが竜の騎士なのだ。

他の生き方を選ぶことなど許されない。

 

本来ならば、彼女は次の竜の騎士を産むことを躊躇してはいけないのだろう。

 

しかし、それでも躊躇するのは。

 

 

彼女が母親だからだ。

 

 

そして、今新しい竜の騎士を生み出したとしても。

次の危機にまだ成熟していない可能性がある。

 

未熟な竜の騎士に当たらせるか、老いたとはいえ今回の危機を乗り越えた者に任せるか。

それはある種究極の選択で。

 

そして今、彼女の子供はとても誇らしいまでに戦い抜いた。

そこに至って、彼女はほんの少し。

優しい気持ちになった。

本来なら死して魂を回収する時にならないと、この腕に抱くことを許されない我が子を。

抱きしめたくなった。

 

 

飛ばしていた意識を戻して、彼女は今度は自分の身体に集中する。

忌々しい『世界の危機』の気配が、重く、鈍く思考に幕を張るように圧し掛かってくるのを跳ねのけて。

彼女は自分自身の身体の変化に集中する。

 

瞑竜が世界に残した大きな爪痕の所為か、それとも新しい危機の余波か。

彼女の力はここ数年で、衰いの足を速めていた。

 

今の彼女には、新しく竜の騎士を産むことは。

『バラン』規模の竜の騎士を産むことは不可能に思えた。

 

 

『私も終りなのかもしれない』

 

自分が最後に生み出した竜の騎士がバランで良かった、と彼女は思う。

それは歴代最強と謳っても奢りのない強さだった。

 

彼ならば。

それは母として、身を切られそうに辛いことではあるが。

再び、世界の危機を乗り越えることが出来る気がする。

 

また、今度と同じようにその身体を無数の傷で覆い。

多量の血を流し、それこそ命の果てるまで。

彼は戦い続けるだろう。

 

 

だが、次のことを考えなければならない。

私は終わる。

しかし竜の騎士というシステムを終わらせるわけにはいかない。

 

 

そして彼女はゆっくりと翼を広げた。

竜の騎士が生まれ落ちる時、そして死する時以外動かない筈の竜の聖地から。

彼女はその何よりも美しい翼を広げて、魔界の空に舞い上がった。

 

 

我が子の守った世界はこんなにも美しい。

 

 

彼女はそれを噛み締めながら。

時代を紡ぐ為に天界にある『世界樹』の元へと飛び立った。

 

 

§§§§§§§§§§§§§

 

 

そして。

彼女は今、新しい卵を温めている。

 

竜の騎士の卵と違って、祈りを捧げることはない。

精霊が手伝うこともない。

 

これは、マザードラゴンが一度だけ産み落とす、マザーの卵だ。

 

自分が衰え、次の竜の騎士が産めなくなってしまった時の為に産む、次のマザー。

竜の騎士の卵に比べて、一回り程小振りな卵は淡く乳白色に輝いている。

耳を澄ませば、中で動く気配も感じられるようになってきた。

 

次代のマザーは、彼女達マザードラゴンが、唯一世界の危機や神の意志と関係なく生み出せる『子供』だ。

それは子供であり、また自分の分身でもある。

 

『この子もまた、自分の子供が戦いに身を投じる運命を嘆くのかしら?』

 

彼女はそんな不毛なことを抱いたりする。

 

それが運命の自分と、竜の騎士。

死してやっと安らぎが得られる魂だ。

そしてまた次の戦いに安らぎが破壊され、魂は疲弊する。

それでも。

 

逃げ出しようもない運命。

 

『もし、違う運命があったとしたら貴方はどうしたい?』

 

まだ、厚い殻の中の娘に彼女は問いかける。

 

もし、他の生き物のように。

他者を愛し、つがいを作り、その命を身体に宿す。

そんな運命があったとしたら。

 

彼女も竜の騎士も、同族は存在しない。

世界でただ一人の、生物で。

生物学でいけば、それは不可能な話なのだけれど。

 

ソレでいえば、母親だけで産み落とされる生物も。

それでいて、受け継がれていく魂も。

生物学からは遠く隔てられた存在と言える。

 

だから。

 

そんな他愛のないことを、彼女は夢想したりする。

そんな奇跡を彼女は夢想したりする。

 

それは、もうすぐ終わろうとする命の、些細な幻想。

 

しかし、その幻想の中で。

彼女の子供は、闘い続ける運命になど縛られておらず。

自由に、道を選んで行くことが出来た。

 

 

その心地よい夢に浸りながら、彼女は自分の胸の中の卵を意識する。

彼女の心地よい夢に同調するように、殻の中で小さな命が動いた。

 

 




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