(二)

  

竜の騎士を生み出すマザーは、竜の騎士同様、竜と魔と人の祝福を受けている。

だから生まれた子供は最初、人の形をしていて、徐々に魔族の容貌へと変化を遂げ、最後に竜の身体になる。

そうやって全ての要素を身体に投影して、竜の騎士を生み出せる身体へと成長するのだ。

 

小さな、人の赤子の姿をした自分の娘。

この小さな生き物が、そのうち自分と同じほどの大きさになるのが信じられず。

その余りに小さな生き物を壊さないように、そっと、そっと鼻先で撫でる。

 

竜の騎士は人の元に預けられ育つので、二桁以上の赤子を産んだとはいえ、子育ては全くの初体験だ。

他の生き物の赤子と同じように、泣き、ぐずり、暴れ、目を離すことが出来ない小さな娘は、老いた身体には堪えたが、それでもその分愛しさも増した。

 

名前は自分の、そして先代、先々代の名前を引き継いで。

『マリア』と名付けた。

 

 

この子が母になるなど、想像も出来ないが。

きっとそれは、私の母もそうだったのだろう。

 

その小さな命が成長する様を見ているのは心が和んだ。

世界の危機は相変わらず不快な感覚を降り注いでいたけれど。

それでも、そんなもの気にならない程に。

 

子供と言うモノは、こうも気を安らげてくれるものか、と感心した。

 

人に預けず、竜の騎士である我が子も、自分の手で育ててみたかった。

それは母として当然の願いだけれど、決して叶うことのない願い。

 

 

彼女は、人間界にいる筈の我が子、バランに意識を飛ばす。

老いた身体で、何処にいるのか解らない我が子の感覚を掴むのは骨だったが。

それでもなんとかその鼓動を感知して、彼女は幼子を見る時と同じような安らぎを得る。

 

彼女がバランと次に直接会うのは、彼がその命を潰えた時。

生きている今、彼女にはその鼓動を感知することしか出来ないけれど。

 

望むならば、このまま世界の危機が寿命を全うするまで訪れなければ良い。

そうすれば、あの子は先の戦い以上の戦いを味合わずに済む。

稀に、戦いで生き残り、寿命を全う出来る竜の騎士が現れるが。彼もそうなって欲しい、と。

 

彼女は心から願って止まなかった。

 

 

§§§§§§§§§§§§§

 

 

そう願って止まなかった我が子が、目の前に姿を現した。

マリアは丁度、五つになっていて好奇心が溢れる程で。

片時も目が離せないが、聖地である竜の山から動くことも出来ず、尻尾であやすのにも限界がある。

微笑ましいながらも、本当に疲れていた時だったので、最初目の前に立っている男が我が子であることも解らなかった。

 

竜の聖地でありながら、実態は精霊界に近く、その為魔族などは近寄れない。

竜でも一部の、精霊に近い原種の竜が訪れることが叶うくらいで、他の生き物は近づくことすら叶わない場所。

そんな場所にひょっこりと現れた生き物に、警戒しないわけがなかったが。

その身体から聞こえる鼓動のリズムが、何度となく意識をやった鼓動と一緒だということに気がついて。

 

生まれ落ちて直ぐの、赤子の時以来の我が子を私はまじまじと見つめた。

我が子、バランはと言うと、私よりも私の尻尾にじゃれ付いている子供の方を見ている。

 

こんな所で幼女と出会うなど、想像していなかったのだろう。

 

「母よ、これは?」

 

マリアの方を向いたままで、バランは怪訝な顔を。

 

「その子はマリア、次のマザードラゴンになる私の娘です」

 

私の説明に、バランは私の方を向き直り、そして全て悟ったのか小さく息を吐いた。

聡い子だ、と私は嬉しくなる。

そして、バランの後ろに立って、同じようにマリアを見ていた少年を見る。

 

この場所に魔族はこれない筈なのに。

魔族である少年は普通に、バランの背後に立っている。

 

「我が子よ、その子は?」

 

今度の質問は私から。

バランは背後の気配に視線を動かして存在を確認すると「私の子供です」と予想だにしなかった事実を零した。

 

その後、バランは子供を拾った経緯を掻い摘んで話した。

戦いの中でしか生きられないと思っていた命が、違う環境で生きている。

戦い以外での存在理由を手に入れようとしている。

それは母としてとても嬉しいことで、私は話を聞きながら何度となく込み上げてくるモノを必死で呑みこまなければならなかった。

 

近況と、ほんの少しの邂逅。

それだけ語って、バランは私を真っ直ぐに見上げる。

 

過去のどの竜の騎士よりも強い。

その視線が真っ直ぐに私を見据える。

 

 

「母よ、話があります」

 

 

そう、告げられた瞬間。

何故か、来るべきものが来た、という感覚に襲われた。

我が子が何を言うつもりか、予想など付きようもない。

それでも。

 

私は内心で。

何故か頷いていた。

 

「良いでしょう。では、奥へ」

 

神殿奥には居住区として使っているスペースがある。

私だけならば、この場所で蹲り世界を見ているだけで過ごすことが可能だが、幼い娘にはそれは不可能なので設えたのだ。

 

移動する際に娘を見遣れば、他人と接する機会のない環境で育った彼女は好奇心いっぱいに二人を眺めていた。

母である私とずっと一緒にいて、たまに竜が訪ねてくることがあるが、自分と同じ人型の生き物に会うのはコレが初めてだった。

色々と刺激を受けているのだろう。

 

「少年、娘を頼んでもよろしいですか?」

 

話かけると、ずっと娘の方をみていた少年は吃驚したように振り返り。

そして一度だけ、バランの方を見てから「畏まりました」と。

少年にしては随分と固い口調で応じた。

 

しかし、固いのは口調だけで、娘に向けられた視線はとても穏やかだったから。

私は頷いて、奥へと下がった。

 

 

§§§§§§§§§§§§§

 

 

我が子の話は。

それは竜の騎士としてあるまじき言葉で。

しかし、その上で。

 

私は嬉しくもあった。

そして、悲しくもあった。

 

我が子の語る半生は、竜の騎士として戦い。

そして、人のように誰かを愛し。

そして、竜の騎士であったが故にそれらを失い。

その結果、出された答えで。

 

『人ではないから』

『自分とは違うから』

 

それは、他のどの種族とも違いながら、それでも世界を救い続けてきた竜の騎士にとって理解出来ないことだろう。

自分と違う生物しかいない中、それでもその世界を守り通してきた生き物にとって、その言葉は理解の範疇を超えている。

 

そして結果、そんな理由で追われ、奪われたのであれば。

 

その絶望は、如何程のものか。

 

そして私は再び思う。

 

竜の騎士とは。

誰に知られる訳でもなく。

誰に褒められる訳でもなく。

誰に認められる訳でもなく。

自分と同じ生き物がいる訳でもない。

全くの他人の為に、己の身体を極限まで犠牲にする。

 

そうゆう運命を担っている生き物なのだ、と。

 

しかしその中で、違う運命を見付けることが出来たのならば?

竜の騎士としてあるまじき、と批判されようが、その運命の殻を破って生きようとしたのであれば。

 

それは母として、なんと誇り高いことか。

 

だが、その誇りは。

刃となって突き刺さる。

 

我が子は私に宣言した。

 

 

この世界が、壊れるようなことになろうが。

バランスが崩れ、夥しい数の生き物が死のうが。

それこそ天地がひっくり返ろうが。

自分の知ることではないと。

 

この腕は世界を救う為にはもう動かず。

剣は世界の為に血を流さず。

私は世界の為に傷つかない。

 

 

それは竜の騎士の決別の言葉で。

私の中に溶けていった多くの竜の騎士達の、それこそ血の流れるような叫びだった。

 

 

『もし、私が再び闘うとすれば。それは世界の敵として』

 

 

マザードラゴンとして。

本当ならば、私はここで我が子に牙を向けなければならないのかもしれないが。

 

私は、その声をただ。

ただ、受諾した。

 

この子が苦しみ抜いて選んだ道を、その苦しみを与えた張本人が『運命だから』で抑えつけることは出来まい。

いや、本来、間違った道に入る我が子を止めるのは親の責任なのかもしれないが。

我が子が選んだ道が果たして間違いなのかも定かではない。

 

世界に危機が訪れても、どうすることも出来ずに傍観するしかない他の生物のように。

世界に危機が訪れていることを知りもせずに、生きている他の生物のように。

 

そんな風に、生きて行くのが間違いだ、と。

私は我が子には言えなかった。

 

それが間違いだったとすれば、それは私達が長年。

それこそ多くの子供を犠牲にして守ってきた『世界』の大半の生き物が間違っていることになる。

この子にばかり、全てを押しつけて。

そして奪ってきた私には、それを止めることは出来ない。

 

 

私は、生まれて直ぐのこの子にしたように。

鼻先をそっと、押し付けた。

 

私の苦悩を見てとったのか、我が子は何も言わずに、その鼻先を撫でて。

微かに、その顔を歪ませる。

 

この子の身体に受け継がれた歴代の竜の騎士の魂は、この子を苛むだろう。

そしてこの子自身がその身に宿した竜の騎士の誇りは、諸刃の剣となって彼を貫くだろう。

 

それでも、この道を選ぶ。

 

この『強さ』こそ、歴代の竜の騎士の中でも最強の強さの所以か。

 

 

私は我が子の耳元で。

今まで、死んだ我が子にしか言えなかった言葉を紡ぐ。

 

 

『貴方は、私の誇りです』

 

 

我が子の顔が歪む。

しかし、涙は流さなかった。

噛み締めるように、頷いて。

 

そして、私に背中を向けた。

 

 

§§§§§§§§§§§§§

 

 

部屋に戻れば、そこには楽しそうな笑い声が満ちていて。

幼い娘は、教えてもらったのか、少年と簡単な手遊びをしていた。

 

陽気なリズムを唄いながら、空中でお互いの手を叩いて。

すっかり、仲良くなったらしい。

 

その姿は年の離れた兄妹のようで、とても微笑ましかった。

 

 

その姿に魅入っていたのは私だけではなく、我が子も同じだったようで。

暫く、その情景を穏やかに。

竜の騎士とは思えない程に穏やかな顔をして、眺めていたが。

少年がこっちに気がついたので、やっと声をかけた。

 

「ラー、話は終わった。帰るぞ?」

「ハイ」

 

しかし

返事を返して、立ち上がる少年の服を。

幼いマリアはしっかりと掴んでいた。

 

「ごめんね。俺、もう行かなくちゃ」

 

小さな手をそっと、服から外そうとするけれど。

マリアの手は頑なに、ぎゅう、と握り締めている。

 

子供の握力は存外に力強いもので。

しかし、それでいてあまりに小さいので、どう扱ってよいか解らなくなる。

こっちが力を込めれば、それこそ壊れてしまいそうに思えて躊躇してしまう。

 

「マリア、離してあげなさい。困っているでしょう?」

 

声をかけても。

マリアは一向に離そうとしなかった。

 

さっきまでアレだけ楽しそうだったのに、今ではその大きな瞳に涙まで浮かべて。

じっと。

じっと少年を見遣る。

 

その瞳に耐えきれなくなった少年は、私を見て、バランを見て。

そしてマリアをもう一度見て。

 

しゃがんでマリアと視線を同じにすると。

「また来るから」と。

 

瞬間、私の前にいたバランが一瞬だけ身体を固くしたが。

(我が子はこれで、私と決別する気だったのだから当然だろう)

 

その後、振り返った少年に「ね?バラン様」と問いかけられて。

そして、幼いマリアに「本当に?」と、真っ直ぐに涙をいっぱい溜めた瞳で言われて。

 

とうとう。

 

「…ああ…」と頷いた。

 

 

その時、私はこの子が、竜の騎士から父親になったことを知った。

きっと私と同じ、親の顔をしているのだろう。

 

だから。

 

私自身、先程の我が子の言葉で。

これが最後の邂逅となる覚悟をしていたのだけれど。

 

 

「本当に、またいらっしゃい。

 マリアはすっかりこの少年が気に入ったようだし。

 貴方がどんな道を歩もうとも、貴方が私の誇りの息子であることには変わらないのだから」

 

 

振り返った我が子は、複雑そうな、それでいてどっと疲れたような顔をしていたけれど。

 

それでも、漸く口の端を微かに歪ませて笑みのようなものを浮かべると。

 

「…ええ…そうします」と返した。

 

 

また来る、と言ったのにマリアは少年の服をなかなか離そうとせず。

少年は仕方なしに、マリアを抱き上げて。

 

「随分と甘えっ子な妹姫様ですね」とバランに。

 

 

 

瞬間、私もバランもぽかんとしたが。

 

確かに、同じ母親から生まれれば兄妹と呼ばれるのかもしれない。

しかし、竜の騎士に兄妹とは。

本来、ただ一個の生物として誕生して朽ちていく。それが常の竜の騎士。

『兄妹』という響きは、あまりにも不思議な色を持っていた。

 

先に堪え切れなくなったのは、バランの方で。

少年に手を伸ばし、その頭を大きな手で撫でながら笑う。

楽しそうに喉を鳴らして「くっく」と笑いながら。

そして少年の腕に抱かれたマリアを、ほんの少しだけ眺めて。

 

「子供だけでなく、兄妹とはな…全く本当に。私は規格からとことん外れる運命らしい」と。

 

マリアも少年も、言われた言葉の意味が解らず。

きょとん、とした顔をしていたけれど。

 

 

私には、そう言った我が子が。

竜の騎士として、ではなく一個の生物のように。

本当に幸せそうに見えて心がいっぱいになった。

 

 

竜の騎士のシステムは軌道を外れた。

それでは私のシステムは?

 

 

目の前には、次代の子供達。

それを想って、私は初めて。

この世に誕生して初めて、自分というシステムに疑問を抱いた。

 

それは、マザードラゴンとしてではなく。

子を持つ母親として未来を想う、その為の疑問だった。

 

 

§§§§§§§§§§§§§

 

 

それから娘は「今日は来るかな?」が口癖になり

そしてバランは約束を守って、少年を連れて顔を見せに来るようになった。

 

世界の話ではなく、ごく普通の。他愛のない話をして、穏やかに子供の成長を見守る。

それは自分でも驚くほど楽しい時間で。

日々、重くなる世界の危機の気配ですら吹き飛ばすような時間だった。

 

マリアはラーハルトにとても懐いて。

そしてバランにもすっかり懐いて。

それこそ疲れ果てて眠ってしまう程にはしゃいでは、子供特有の天真爛漫さで振り回しては怒られ、拗ねて、駄々をこね、それでいて誰もが愛さずにはいられない愛くるしさを持って、また楽しそうに遊ぶ。

 

今はバランが持ってきた絵本をラーハルトに読んでもらいながら、次が我慢出来ずにページを捲ろうとしている。

 

そんな幼い我が子を眺めながら。

ごく普通の、家族の情景に。

マザードラゴンが本来得られるはずのない、『家族』の姿に。

鈍い痛みのような、鼻の奥が痛くなるような、息苦しいような、そんな充足感を得る。

 

これは生きとし生けるものが、その生命の連鎖の中に築き上げるとても尊いもの。

そして、この尊いものを守る為に私は自分の子を、そして我が子はその命を投げ出してきた。

 

今、自分達が得ることが出来なかった尊いものを。

こうやって手に入れて。

 

私は自分の存在を考える。

この尊いものは、守ってやらなければならない。

しかし、他人の尊いものを守ってやることで自分の尊い子供を失うことになるかもしれない。

 

私の尊いものは一体誰が守ってくれると言うのだろう?

 

神は守ってくれない。

精霊も守ってくれない。

私達を守る『システム』は存在しない。

 

そう。

そんな『システム』は。

 

存在しないのだ。

 

 

§§§§§§§§§§§§§

 

 

時が流れ。

幼女は少女になり。

少年は青年になった。

 

そして私は気がついた。

 

 

マリアは、ラーに幼い『初恋』をしている、と。

 

 

他の生物と違って、つがいを作り、子を成すことのない『マザードラゴン』だが。それでも女の気持ちは解るらしい。

経験をしたことはないが、幼い娘が見せるその表情の変化は確かに『恋』と呼ばれるものだろう。

 

よく遊んでくれるお兄さん、というのは幼い少女が憧れを抱く相手としては無難といえよう。

ラーハルト自身は気が付いていないようだが、マリアはラーが来ると小さいながらに身だしなみを気にするようになった。

 

それはとても微笑ましい姿で。

神やシステムからすれば『マザードラゴン』として相応しくないと言われるかもしれないけれど、それでも。

生き物として、誰かを愛せるのならば。

それは素晴らしいと思った。

 

マザードラゴンが誰かに恋をする、なんて聞いたこともないけれど。

それでも生物学的には『女』なのだ。

本能として、誰かを愛し、愛したものの子を産み、育てることが『女』としての幸せだ、と解っているのかもしれない。

 

これこそまさに生命の神秘と言えよう。

 

私は幼い娘の見せる『女』の顔に、ほんの少し憧憬を感じながら。

もし、マザーがマザーとしての職務を放棄し、誰か好きな異性と子を成すことが出来れば。

その子供は闘う運命を負わないで済むのだろうか、と。

世界の為に我が子を生贄に差し出すようなことをしなくても良いのだろうか、と。

 

決して許されないだろう未来を。

 

想像した。

 

 





背景素材提供 戦場に猫 様