Open up scars

  

(一)

  

「ラー、出かけようか」

 

提案すれば、与えた教材から顔を上げてきょとんとした顔をして見せる。

その、無防備極まりない表情につい笑みが零れる。

こんな風に無防備な顔をするようになったのは、ここ最近。

ついこないだまでは、やはり互いにぎこちなく、何処か緊張していたような気がする。

 

「…何処に、ですか?」

「地上に」

 

地上で母親と同じく火炙りになりそうになっていたところを救出してから、魔界に引っ込んだ。

それから一度だけ。

母親をちゃんと埋葬してやりたいと願ったこの子を連れて地上に行った事があったが、ソレ以降はずっと魔界のこの家と、家の周囲に張り巡らした結界の中からこの子は外出していない。

外敵が侵入してきて、この子を傷つけないように、と配した処置ではあったが。

それでもこの子の自由を奪っていることには変わらない。

周囲8キロ。

それは幼い子供にとっては充分な広さだが、ラーくらいの子供になれば少々物足りない広さかもしれない。

 

出かける、と言えばきっと喜ぶと思ったのだが。

返ってきたのは、重い沈黙だった。

 

「出かけたくないか?」

「……」

 

ラーは俯いたまま黙っている。

 

「地上は嫌か?」

 

それは聞かずとも解っていること。

この子は地上に。人間に恐怖心を抱いている。

出来ることなら関わり合いになりたくないと思っている。

それもいたしかたない。

狭い村。その村にいる大人たちが、この子に牙を剥いた。

大人が敵意を向ければ子供とて真似をして牙を剥く。

そしてその害意は簡単に人を凶暴に狩りたてて、残酷な結果を生み出すのだ。

その中で。その悪意を一身に浴びて生きてきて。それがこの子の心になんの影響も与えていない筈はない。

だがそれでも。

 

「私が一緒にいる」

 

柔らかい金に髪を撫でれば、上目遣いにこっちを見て。

その瞳に宿る怯えの色が、少しだけ。揺らぐ。

 

「食料も調達しなければならんしな。お前の甘いモノも」

 

魔界でも食糧調達は出来るけれど。

どの材料も、やはり地上のモノの方が味が良かった。

野菜に至ってはその味は顕著な程で、一度地上の野菜を食べれば魔界のものなど食べれたものじゃない。

物によっては毒性もきつく、魔界に生まれ育った者には平気でも、慣れないラーにとってはその毒性が強すぎることもある。

そして甘いモノ。

これも魔界では貴族の嗜好品の色が濃い。

勿論庶民の口に入るような菓子もあるけれど、それは正直。子供に与えたいと思うようなものじゃなかった。

なのでいつも、食材を買いに出るついでに少量ではあるが買って帰るようにしている。

 

『お前の甘いモノ』という言葉にラーはついに顔を上げて。

少しだけ考える様に小首を傾げてから、渋々と言う風に頷いて見せた。

 

 

§§§§§§§§§§§§§§§

 

 

突っ張るような感覚に振り返れば。マントの裾をしっかりとラーが握っていたのでつい、笑ってしまった。

フードを目深に被り、肌の一切を隠して。

それでも傍目からでも解る程に固く緊張して強張った身体。

つい笑ってしまった私にも気付かず、ただ自分の足元だけを見ている姿は痛ましい程だったけれど。

 

「ラー」

 

呼べば、びくりと肩が震えて。おずおずと顔を上げる。

フードがずり落ちないように、手で押さえて。

 

「手を繋ごうか」

 

言って、手を差し出せば。

ラーはマントを白くなる程の力で掴んでいる自分の手と、私の手を交互に眺めて。

意を決したように、マントから手を離して。

 

小さな手が。すっぽりと私の手に収まる。

子供特有の高い体温。

そして子供らしくない程に強く握り返すその手をいたわる様に、そっと握り返して。

空いてる方の手で必死でフードを押さえる子供を横目に足をマーケットの方に進める。

 

人のざわめきが大きくなる程に、ラーの身体が強張っていく。

これは一種のトラウマだろう。

きっと、ずっと背負っていく類の。

この子はきっと、これからずっと。どれだけ大きくなろうとも人間のことを恐れるのだろう。

どれだけ強くなろうとも。

この恐怖を克服するのはきっと難しい。

 

未来を想えば、少し心が痛むが。

瞬間、ラーが足を止めた。

 

つられて足を止めて、視線の先を見れば。

そこにはラーと同じくらいの年の子供が、モンスターに扮して、弟だろうか?これまたモンスターの格好をした子供に何かを言っている。

 

「……ハロウィン……」

「ああ。だから今日はお前も目立たないと思ってな」

 

ああ、とラーは小さく頷いて。

少しだけ。

身体から力を抜いた。

 

逡巡にしては長い時間をかけて、ラーは意を決したように。そっと。

フードをずらして、顔を覗かせた。

 

 

§§§§§§§§§§§§§§§

 

 

いつもの店で食糧を調達すると、店主がラーに菓子を渡す。

 

「魔族かい?上手く化けたねぇ」

 

にこにこと笑顔を向けて。

フードの上から、やや乱暴な程にごしごしと頭を撫でる。

親以外の大人に慣れないラーは可哀想な程身体を強張らせたけれど。

それでもちゃんと渡された菓子は受け取っていた。

 

目が合えば、困った様に、ぎこちなく笑顔を見せる。

そして店主に消え入りそうな声で「ありがとうございます」と礼を述べた。

 

 

その後、適当に市場をぶらぶら歩くことにした。

途中、呼びとめられてラーに菓子を渡してくれたりする店主も何人かいた。

すれ違う子供も皆それぞれ仮装をしていて、可愛らしかった。

 

「おや、可愛い魔族の坊や」

「おお怖い、怖い。お菓子をあげよう」

 

かけられる言葉に敵意はない。

向けられる笑顔に害意はない。

 

少しずつ。

少しずつ。

ラーの身体から力が抜けてくるのが、繋いだ手から伝わってくる。

リラックスしてきたラーは物珍しそうにキョロキョロと市場を眺め始めて、時に足を止めるようになった。

 

ラーの育った村に比べて、港町であるこの市場は酷く栄えている。

勿論観光客も多い為、余所者に対して寛容さがある。

見たことがないモノも、食べたことがないモノも多いだろう。

 

魚屋の前で、大きな魚に驚いて私の後ろに隠れたり。

見たことのない果物を試食させて貰ったり。

すれ違った子供が持っていた玩具を見付けて、足を止めたり。

 

それこそ、何処にでもいる普通の。

ごく普通の子供のように。

 

 

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帰る頃には、繋いでいた手は外されて。

その両手には、買い与えた玩具や貰った菓子でいっぱいだった。

持とうか、と提案したがそれは拒否された。自分で持ちたいらしい。

その子供らしい意固地さが、また笑いを誘う。

 

「じゃあ帰ろうか」と提案すれば、少し残念そうな顔をして市場を振り返り。

数秒そのままで佇んでから、にっこりと笑った。

 

 




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