困ったことになった。
たった一人居間に座り風間醍醐は何度目かになる溜め息を落とした。
困ったことになった。
手には預金通帳。
自分と妹が慎ましく生活しながら貯めている金額は、必要な額の五分の一にも満たない。
事の起こりは3日前。
後輩が起こした喧嘩に始まった。
喧嘩の途中、ぶつかった車。
それがたまたま筋者の車で、傷を付けた修理代をしこたま請求された。
後輩はその後事務所まで連れていかれて、人相が解らなくなるほどに顔を腫らせ、昨日の晩、家に尋ねて来た。
このままでは、妹と彼女を風俗に沈めるしかない、と。
支払期限は十日。
あと丁度一週間。
一週間で一高校生に三百万。
・・・・困ったことになった。
風間醍醐は再び頭を抱える。
踏み倒せる相手ではない。
外道高校は土地柄的に筋者との交流も盛んだが(なんといっても、卒業生の就職率は筋者入りが一番多い)その分、こういったトラブルも多くある。
しかし、それでもなんとか解決出来る範囲のものだ。
何といっても、高校生相手だ。
取り立てる、落とし前を付ける、けじめを付ける。と言ったところでたかがしれているのだ。
最悪、自分が卒業後組入りすることを約束させられるくらいで片がつく。(今の御時世、組も構成員不足が深刻な問題らしい)
しかし今回は事情が違う。
今回騒動を起こした須藤組は、二年前から熱心に自分を勧誘している組だ。その度に丁重に断りを入れているのだが、諦める気配が無い。
特に次期頭と名高い、楠本は事ある事にわざわざ出向いては勧誘してくる始末だ。
人に好かれることは悪いことではないが、有り難迷惑とはこのことを言うのだろう。
そして案の定、今朝方携帯に楠本から伝言が入った。
『お前が卒業後うちの組に入るなら、修理代30万にまけておいてやる』
やられた、と思った。
まさかこんな手段で来るとは思ってもみなかった。
そして今や後輩の引き起こした三百万は、全く関係のない自分の肩にずっしりとのしかかっているのだ。
預かり知らないこと、全く関係の無いことと切り捨てられればいいのだが、そんなことは出来ない。
相手もそれがわかっているから、こんな無茶なことを吹っかけているのだろう。
それが解っているだけに、ますます悔しい。
そして、また。
困ったことになった。
風間醍醐は一人ごちる。
総番長の肩書を持ってして、全校生徒にカンパを要求するとする。
一人辺り一万強。
それでなんとか三百万は集まる。
しかし今日日の高校生に、顔見知り程度の後輩の為に一万出せと言って出すかどうかは疑問である。
勿論、力づくで出させるという手もあるが、それは自分の行動としてどうしても良と出来ない。
自分が良としない行動をとることは出来ない。
それも含めて、善意のカンパ。
集まったとして、精々五十万程だろう。
といっても、これも希望的額にすぎない。
実際集めてみたら、十万にも満たない可能性もある。
自分の預貯金と合わせて、うまくいって百万。下手をしたら五十万ちょい。要求額にはほど遠い。
そして、この預貯金を使うことは、あきらにも承諾を得なくてはならない。
いざというときの為、なんとかやりくりしながら貯めてくれている貯金をこんなことに使うのは忍びないが、それでもこれもまた『いざ』という状況だろう。
なんといっても自分が見捨てると、全く関係のない女性が二人、人生狂うハメになるのだから。
§§§§§§§§§§
更に三日。
貯金を使いたいと言うと、妹は何も聞かずソレを許可した。
カンパはなんだかんだ言って、皆俺の顔をたててくれて百万近く集まった。
しかしそれでも。
あと半分。
あと百五十万。全くの目処が立たない。
未成年では金融会社で借金することも出来ず、仕方なく自分にあるコネを片っ端からあたるしかなかった。
とはいっても、たかだか高校生のコネである。
中学校のときの友人や、バイト先の人間に連絡をとって、借金を頼みこむくらいしか出来ない。
携帯電話のメモリーとにらめっこしながら、何度となく指が彷徨うことがある。見て見ぬ振りをしている奴がいる。
五十音で登録されているので、その名前は最初の方にある。
しかし、どれだけ困っていようとも、どれだけ他のコネを使おうとも、その番号をプッシュすることは躊躇われた。
こんなことで彼奴に頼りたくはない。
見栄など張っている暇は無いのだが、それでもどうしても、どうしても・・・・。
『忌野 雹』
また今回も、その名前の上を指は素通りしていく。
そして他の友人への連絡に意識を向かわせた。
§§§§§§§§§§
携帯が受信を知らせる。
液晶に出た名前に、自然に眉間に皺が寄る。
忌野雹は滅多に鳴ることのないプライベート用の携帯電話を握ったまま、暫く出るか出まいか考えた。
このまま無視するか、応答するか。
そしてそんなことも馬鹿馬鹿しくなって、不機嫌な表情のまま電話を耳にあてた。
「何用だ?風間」
電話の対応第一声としては不適切な応対。
だが電話の向こうの相手は一向に気にする素振りはない。
「忌野・・・・悪いが今日、放課後、時間取れるか?」
「・・・・珍しいな。お前がわざわざ私の都合の確認を取るなんて」
不機嫌だった表情が和らぎ、気遣わしげな色が浮かぶ。
「・・・・ちょっとな・・・・」
理由を説明しようとしない受話器の向こうの様子に耳を澄ませながら、忌野雹は溜め息混じりに「わかった。都合をつける」と返していた。
手元に開かれた手帳には、放課後の予定が書かれている。それを忌野は見えないように真っ黒く塗り潰した。
|