蝋の翼(2.5)



 『森には魔が潜む』

  

  知ってるわ。
 そして、その『魔』に拐かされた馬鹿な娘がいることも。
 そして、教えられてきた聖書に裏が存在することも。

    

 私は知っているの。



§§§§

  

 「裸足、て気持ちがいいのね」

  柔らかい苔がふかふかと沈んで。
 私は樹の根に気を付けながら。
 繋がれた手は、迷い込んだ蝶のようにひらひらと舞う。
 

 暗い森の中を。 


 「そういえば、私、貴方の名前も知らないわ」

 「必要か?」

 「困るじゃない。呼ぶときに」 


 前を歩いていた貴方が振り返り。
 金の瞳が、ほんの小さな光を反射して。

 キラキラ。

 キラキラ。

 この暗い森の中で、星を見ることが叶わなくなっても。ここに星は存在するのね。 

 そして星を讃えた貴方は、真言を。


  「二人しかいないのに?」 

 

  ああ、それもそうだわ。
 名前など、何の意味もないのね。
 二人しかいないのなら。
 私は返事の代わりに、繋いでいた手に力を込める。


 離さないように。 


 二人しかいない世界で。
 はぐれてしまわないように。

  

§§§§

  

 「私が来なくて寂しかったの?」

  森の奥へ。 奥へと歩きながら。
 彼は振り返りもせずに 「別に」 と言い捨てた。

  「じゃあなんで来たの?」

  自然と声が刺々しくなる。 出会ったときにも感じたのよ。無関心さを。
 私だけ捕らえられてる、ていう感覚を。
 しかし返ってきた答えは 「さあ?」 で。益々。
 
 無責任すぎやしないか?
 私は楽園を追放されたのに。いや、勝手に出て来たのだけど。それでも。


  それでも。 


 「なんでだか・・・・・わからん」

 貴方がぽつりと落とした答えに。
 私はつい、笑ってしまった。

    

  ああ、許してあげるわ。
 貴方が解らないと言うなら。
 私を迎えに来たことに理由などないと言うなら。

 ソレは私がこの森へと通い続けたのと、きっと同じことでしょう?


 理由など。
 ただのこじつけに過ぎないのだわ。

  

  繋いでいた腕を引っ張る。 

 貴方が驚いて振り返った。
 金色の瞳の中に、私が写った。

 

  そして私達は。
 初めてキスをした。

  


 そう。
 誓いは落とされたの。
 誓いは落とされたの。

 

 森は薄暗く、魔は禍々しく、愚かな娘は囚われて。
 だけど後悔なんて。

  

 --------------------------するはずがない。                                           

  
§§§§

 

 この後、大規模な捜索が行われたが、魔に囚われた娘は見付からなかった。

  魔王軍がホルキア大陸へと侵攻を始める、三年前のことである。

 

 

 

   





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