蝋の翼(7)

  

 森に帰らなければ良かったのかしら?あのまま。
 何処とも決めずに彷徨っていれば。
 私達の行く手を遮るものなんて、何もなかったのだから。

 何処へだって行けたはずなのに。

 

 ねぇ?

 私達は間違っていたのかしら? 

 

§§§§


 「お嬢様っ!こちらに・・・・・・・・・・っ!」

 

  急に腕を引かれて、パニックになる。が、瞬間、ひっぱたかれて。
 それが古参のメイドだと気付いた。
 私の足は気付かないうちに 馴れた道を辿り、家に向かっていたらしい。

 

  「屋敷裏の水車小屋にいてください。あそこなら誰もきやしませんから。
  絶対に。
  誰もこさせませんから」



  彼女の言葉に、一瞬で頭の中に地図を描いて。
 私は何度も何度も頷いて、彼女に背中を押されるままにまた走り出す。 

  月の光を反射して。
 翠のラーハルトの瞳が。
 まるで彼の瞳のように。

 

 金色に輝いていた。

  

§§§§

   

 辿り着いた水車小屋で。
 出来る限り奥に身を潜ませて。

 私はやっと、痺れて硬直してしまった腕からラーを解放した。 

 ラーは建て付けの悪い戸口と私の顔を交互に見遣ってから

   

 「怖いの?」

   

 小さな頭を、ほんの少し傾けて。なんて愛らしい仕種。
 私はその愛らしい様につい、微笑んでしまうけれど。
 だけど同時に。

 どうしようもない程に、とめどなく涙が溢れてしまって。 

  そっと、小さな手が。
 私の濡れた頬を撫でて。

 

         「大丈夫だよ。
              母さんは 僕が守るから。
                   父さんと約束したんだもん」

 

 ああ、なんて。

 なんてことを言うの?

 

 私は腕の中に、天使を抱きしめて。
 そして誓った。 

 この子を、どんなことがあっても守り抜くと。
 この子の前では、もう涙を見せないと。

 

 強くならなければならない。
 何ものにも負けないように。

 

   

       「頼もしいわね。
               ・・・・・・・・・・私の天使ちゃん」

   

 私はちゃんと。
 ちゃんと、笑えていたかしら。

 

                         ねぇ?



§§§§


 壁の隙から差し込む陽の光で目が醒めた。
 膝の上にはすやすやと穏やかな寝息を立てる、愛らしい天使。
 その天使の寝顔につい、笑みが零れる。
 柔らかな髪を撫でると、何と
も言えない幸せな気分に。

 そして、ふ、と。

  

 私は自分の足元へと。

 そこには。
 黒く染みついた。


 彼の血が。

 

  あの悪夢が現実のことだったのだ、と。
 穏やかな気分は一瞬で悪夢の延長線上にある現実へと繋がっていく。

 

 ああ、罰が。
 罰が下されたのね。 

 だけど罪も罰も、この子には関係ない。
 それは私達が受けるものだわ。

   

§§§§

   

 外に行きたいと駄々をこねる困った天使を宥めながら時間を過ごしていると、古参のメイドの声が戸口で。 

 「お嬢様、ラー様、ご無事ですか?」

 聞き慣れた声に、ラーハルトがはしゃいで飛び出す。
 けれど建て付けの悪い扉は子供の力では開けることが叶わなくて。暫く悪戦苦闘。
 ガタガタと派手な音だけ立てて、結局開けることは叶わず、その愛らしい頬をぷぅと膨らませた。

 扉の隙からもその様子が見てとれたのだろう。彼女の笑い声と、私の笑い声が重なる。 

 「ご無事そうですね」

 よ、と掛け声をかけて。
 コツがあるのだろう。扉は殆ど音を立てずにすっと開いた。

 彼女の視線はラーハルトに優しく注がれて、その後私にも同じように注いでくれる。 

 「抱かせていただいても?」
 「勿論、構わないわ。抱いてあげて」 

  彼女はラーに手を伸ばして。ラーも嬉しそうにそれに答える。
 その姿は祖母と孫の様。私も嬉しくなってしまう。

  

 「村の様子はどうなの?」

 「・・・・それが・・・・
  森から焼き出されたモンスターが村に降りてきまして、暫く暴れておりました。
  村人の中にもかなり死傷者が出たようで・・・・・」

 

 当たり前だ。
 自分の家をおとなしく焼き払われる生き物など、いるはずがない。
 浅はか過ぎる思慮に溜め息が落ちた。


 焼かれた森も。

 暴れたモンスターも。

 死んでしまった村人も。

 全て回避出来たことばかりだ。

 

 「お嬢様達のことは旦那様に報告してあります。
  この場所なら誰の視線にあうこともありませんし。
  この水車小屋を改築してお嬢様達の住居に、とのことですよ。

  良かったですね」 


 良かった。
 良かった?

 確かに屋敷の裏手のこの場所なら 他人が入ってくることはまずない。
 それは今、喉から手が出るほどに渇望する『安全』だ。


 だが。


 納得も出来ない。
 父が私達を。

 いや、ラーを許すはずがないのだ。

 血脈にこだわるあの人が。

 きっと近い将来、私は父の宛がった誰かと婚姻を結ばされるだろう。
 そして、家の為に子を成せと強要されるだろう。


 それでも。


 ラーハルトが幸せになるのならば。
 この子が安全に生きて行けるのならば、甘んじて受ける境遇ではあるが。

 しかし、あの人が。

 この家が。

 この子を愛することは。



 ・・・・・・・・・・・・・・・きっとない。

 

 この水車小屋はとても魅力的だ。
 だけれども。
 純粋に甘んじることは。


 私には出来ない。

 

 私の葛藤を打ち破ったのは天使の言葉。

    

  「けど、ここにいたら父さん、僕たちのこと見つけられなくない?」

  

 瞬間、青褪めたメイドの顔から 私は一抹の希望も叶わない現実を思い知った。

 

 彼はもう、死んでいるのね?

 

 彼はもう、いないのね?

  

 この子を守るのは。
 もう、私しかいないのね?

 

 「ラー・・・・・・・・・
             貴方を愛しているわ」

 

 彼女の腕の中でラーハルトはきょとんと。

 

 私が守る。 
 私が守る。 
 私が守る。 

  

 いつまでも。
 そんな無防備でいられるように。


 貴方は何の心配もいらないわ。

 

 大丈夫よ。
 私が守ってみせるから。

 

§§§§ 

 

 私達は家を出て、村外れの小屋へ移り住んだ。
 貯蔵庫に使われていた小屋は、快適とは言えないけれど頑丈で。
 古参のメイドが必要なものを揃えてくれたお陰でとても助かった。
 その後、彼女は簡単な仕事も斡旋してくれた。

 生きていくために必要なことを、全て。彼女は私達のために揃えてくれた。
 彼女への感謝は、してもしても、し足りるものではない。 

 

 

 私達は此処で生きていく。

   

 大丈夫。
 今より酷くなることなんて。
 彼を失ったことよりも酷いことなんて。

 そんなこと。


 あるはずがない。

 

 

 けどそれは、とてもとても浅はかな。

 どこまでも希望的な考えだったのね。

 

§§§§


 

 ソレカラ『三年』


 魔王軍ガ戦禍ヲ拡大。


 ツイニ、コノ大陸ニモ爪痕ヲ付ケル。


 情勢不安ハ悪化ノ一途ヲ辿ル。

 

  シカシ、ソノ年。


 カール王国、勇者アバン ニ ヨッテ魔王討伐。


 情勢不安ノ 箍ハ外レ

 

 恐レルモノ カラ 恐レナクトモ良イモノヘ。

 

 人ハ 何処マデモ

 



 残酷 ニ ナル-------------------------------                                        

 

 

 







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