毒姫


(二) 雪薇
 

 私は雪薇。
 その名前は、親が付けてくれたわけじゃない。
 私には親の記憶はない。
 それまでは番号で呼ばれていた。
 だから、名前を与えられた事は嬉しかった。

 そう、それは・・・・私が周りから与えられた、唯一の苦痛以外のもの。

 そして、それは、私の誇り。

 

 毎日毎日、終わりの来ない苦痛と、身体の中を暴れまくる毒と、共存する方法だけを必死で模索していた。
 一人前の毒姫になれば・・・・・・・
 苦痛から逃れる方法はソレ以外にはない。
 そう、私に苦痛から逃れる術があったとすれば、それは一人前の毒姫になることだった。

 だから私は生き抜いた。
 生き抜いた先に、自由があることを信じて。

  それこそ文字通り、血反吐を吐きながら。

 

 死ぬものか。

 

  ただ、それだけを思っていた。
 毒を食み、毒を食み、毒に犯され、苦痛だけの日々をソレだけを思い生きてきた。
 そんな日々に埋没して、死ぬのなんて御免だった。
 毒を食らおうとも、身体を焼かれようとも、膿もうとも、その先があるのなら足掻いてやろうと思っていた。

 その意志だけが、私を支えるプライドだった。

 

 けれど、結局、私は失敗してしまった。
 結局、私は処分される。

 

  地下室の饐えた空気に混じって、死体から微かに腐敗臭がする。
 私は、死んでいる刺客を眺めながらぼんやりと、私の殺した何人目かの人間を眺めていた。
 苦痛しか与えられずに育った人間は、結局他の人間にも苦痛しか与えられないのだろうか?
 私達毒姫が、他人に何かを与えようなんて烏滸がましいけれど、それでも、何も与えることの出来ない人間など、誰が愛することが出来る?

 そう、こんな私を誰が愛することが出来る?

 私は処分されて当然の人間なのだろうか?
 私は答えを求めるように、硬くなってきている死体を触った。
 久々に触れる人間の身体は、これ以上ないほどに私を拒んでいて、冷たかった。

 

 毒姫は、涙ですら人を殺す。
 毒姫が許されていることは、ただ相手の命を奪うことだけ。
 身体の内側から、犯し、略奪し、腐敗させる。

 ただ、私に出来ることは破壊だけ。
 何一つ守ることが出来ない。
 女であることも、人間であることも、生き物であることすら出来ない。

 

 そう、私は兵器以外にはなれない・・・・

  

 私は雪薇。
 それでも、それでも最期まで。
 名の通り、雪の中に咲く薔薇の華の様に。

 決して、命乞いなんてしない。

 決して、負けたりしない。

 私はそれでも、最期まで足掻いてやろうと思っていた。

 

  最期まで、諦めたくなんかなかった・・・・

 

 けれど。

 

 あの日、扉は閉ざされ、水も食料も何一つ供給されなくなった。
 私は自分のあまりにみじめな最期に、泣く気力すらなかった。
 泣くことも、怒ることも出来ず、私はあまりにあまりな最期に、ほんの少しだけ・・・・笑った。 

  

         §§§§§§§§§§ 

 

      『私は雹。お前に時間を与えるもの』

 

         §§§§§§§§§§ 

 

 彼は私に憶することなく、触れた。
 悪意も、欲望も、同情も、その指には存在していない。
 彼は私に触れ、まるで普通の人間にするように、髪を指で梳いた。
 頭皮から出た油が、彼の指を焼いているというのに、そんなことは何一つ起こっていないかのように私を撫でた。
 私が落ち着くまで、まるで自分の子供にでもするかのようにずっと撫でていてくれた。
 まるで普通の人間にするように。
 兵器ではなく、生きている人間に対して行うように。
 数日間、絶食していた涙腺からは一切涙は出てこなかったけれど、私は触れることの叶わないと思っていた温かみに、泣きそうだった。

  それは、私がずっと求めてきたものだから。
 それは私が、諦めたものだったから・・・・

  

 そして私の残された時間が、音を立てて回り始めた。

 

 

 私に触れた指が爛れ、被れ、腫れて膿を溜めている。
 その、元は白く長く、美しかった指を忍んで私は悲しくなる。 

 「不快か?」  

 彼は私の視線に気がついて、殆ど表情の乗らない面に微かに嫌悪の色を乗せる。私はそれを否定するために、一生懸命言葉を探すけれど、結局何も言えないで、ただ首を横にする。

 触れて欲しい、とは言えない。
 それが、彼の身体に危害を与えることは痛いほど解っているから。

 けれどそれでも、触れるなとは言えない。
 それがドレだけ相手を傷つけるとしても、それだけをずっと願って止まなかった、その暖かい『手』を拒む言葉は紡げなかった。

 だから私は首を振る。

 彼の指が優しく頬に触れてくれるまで、首を横に振り続けた。  

  「私は常人より免疫が強い。だからそんなに気にしなくとも良い」 

 私を思い遣って紡がれる言葉。
 私が自分の身体を嫌悪すればするほど、慈しむように抱いてくれる腕。
 何度も何度も、囁かれる言葉。
 何度も何度も、私を絶望の縁に追いやった答えを否定してくれる言葉。

 『お前は有害な物などではない』と。

 真実は痛いほど解っている。
 彼自身の身体に目に見えて表れている私の有害性が、それを証明している。それでも、その毒に犯されている人間が何度も言うのだ。

 私は有害な物などではない、と。

 私がその言葉に酔えるまで、何度も何度も言うのだ。
 本当にそうなのかもしれない、と少しでも思えるまで何度でも彼は言う。

 そして、そう思えた瞬間、笑ってくれるのだ。

 唇の端を微かに上げるだけの控えめな笑みなのだけれど、その笑顔は本当に綺麗で、それだけでそんな風に笑ってもらえる自分が『有害な物などであるハズがない』と思えた。
 そう、私は『人間』なのだ、と思えたのだ。

 

 『人間』 なのだ、と。

    

          §§§§§§§§§§ 

   

 壊れた身体を投げ出して、膿を垂らした耳で 自分の喉から零れるヒューヒューという耳障りな音を聞いていた。
 脳の中では、まるで頭の中に心臓があるように鼓動がばくんばくんと鳴り響いて頭痛を引き起こしている。
 防護服を身に纏い、最大限に注意をしながら、まるで感染するかのようにそうっとそうっと様子を伺い、医師団は帰っていった。 

 完全防備でいったい何を恐れると言うの?

 悔しくて泣きそうになる。
 自分がそういった『存在』なのだ、と再び思い知って、泣きそうになる。

 誰もが自分を嫌悪している。
 自分も自分を嫌悪している。
 とうとう自分の身体の細胞までもが自分を嫌悪し始めた。

 そして、私は、『死ぬ』のだろう。    

  耳障りな呼吸の音に、更に耳障りな嗚咽の声が混じった。
 苦しくとも、悲しくとも、決して声を出して泣いたことなどなかったのに。あの時死んでいたのなら、あの全てを諦めたままで終わっていたらこんな風に声をあげて泣くことなどなかったのに。


 こんなにも悔しい。

 こんなにも悲しい。

 こんなにも口惜しい。

 こんなにも恨めしい。

 

 止めどなく溢れ出た負の感情を抑える術も体力も気力もなく、嗚咽は気がつけば悲鳴に代わり、そして獣のような咆哮へと変わった。

 

 医師団の手に噛み付いて、毒を流し込んでやれば良かった。
 防護服を破って、その中に息を吐いてやれば良かった。
 私の身体が生み出す、全ての不浄を撒き散らしてやれば良かった。
 一人でも多く、道連れにしてやれば良かった!!!!!

  

  渦巻く負の感情に押し流されて、何も感じなくなる。

 何も見えない。
 ただ、怒りや悲しみや恨みに身を委ねるだけ。
 身体は痙攣を起こし、叫んでいた喉から血が迸る。それでも身体は叫ぶことを止めないので、吐き出された血液が気管に入って激しく噎せた。噎せると更に血が吐き出され、それと一緒に吐瀉物も撒き散らされた。

 

 なんてみじめなんだろう。
 なんて、醜いのだろう。

 

 ぐったりと、血と吐瀉物に塗れた床に崩れ落ちながら、私は薄ぼんやりと、雹のことを思った。      

 

         §§§§§§§§§§ 

 

 次に意識を取り戻した時、微かに生きている嗅覚が感知したのは、吐瀉物と血の混じり合った強烈な悪臭だった。
 その悪臭が意識を覚醒させ、そして覚醒した意識は身体をさいなむ激痛をも知覚してしまう。
 身体がその痛みに仰反りそうになったとき、自分が血と吐瀉物に塗れた床に横たわっているのではない、と気がついた。 

 「気がついたか?」

 声に顔を上げて、彼を見た。
 彼の肩に頭を預けるような形で抱きしめられていると解ったとき、こんなにも近くにいれば、私の吐く息で彼が死ぬとパニックになった。
 必死で距離を取ろうと身体を動かそうとするが、それを先制するように「無駄な体力は使うな」と言われた。

そろそろと視線を動かして、自分の状況を把握する。

 彼はいつものように壁の隅に背中を預ける形で、抱きしめてくれている。
 全く何も変わっていないように。
 けれど、今日の彼は私を『有害ではない』とは言ってくれなかった。

 何も言わずに抱きしめて、視線を伏せている。

 長い沈黙に私の身体は耐え切れず、私を支えてくれている彼の身体に吐いてしまった。血膿の混じった胃液は彼の服を焼き、その下の皮膚を焼いた。
        

 「雪薇・・・・お前には時間が残っていない」

 
 私がその肉の焼ける臭いに気を取られた瞬間に、ぽつり、と漏らされた言葉。
 彼は焼けた箇所を面倒くさそうに袖で拭いて、もう一度呟いた。その程度の処置でいいはずがないのに。もしその箇所に傷でもあれば、彼は絶命してしまうかもしれないのに。
 そんなことは些細なことだとでもいうように。

 

 「私は・・・・お前に、もう時間を与えることが出来ない・・・・」

 

 言われなくとも、そんなこと解っていた。 
 そんなこと分かりきっていたから、私にとっては彼の言葉こそ些細なことだった。

 

  「雪薇」

 

  名を呼ばれ、私は彼を見る。
 彼はなんだか泣きそうに見えた。



 私に時間を与えられないことが悲しいのだろうか?

 私が死ぬことが悲しいのだろうか?

 まさか。

 でも。

 

  「悲しんでくれるの?」

 「・・・・ああ」

 

  言葉を切って、彼は瞳を閉じた。

 

 「悲しくもある。腹立たしくもある。羨ましくもある。切なくもある・・・・・・・そして・・・・どうしようもなく寂しいよ、雪薇・・・・」

 

 私の死を純粋に『悲しい』という。
 私の死を純粋に『腹立だしい』という。 
 私の死を純粋に『羨ましい』と言う。
 私の死を純粋に『切ない』という。
 私の死を純粋に『寂しい』という。

 

 私はその言葉で、泣きだしてしまいそうだった。

 悲しんでくれる。慈しんでくれる。寂しがってくれる。怒ってくれる。
 それは、まるで私が普通の人間と同じだと言うように。
 私の存在が、そんな普通の人間達と同じだと言うように。

 こんなにもこんなにも、痛切なまでに思わせてくれる。

 

         §§§§§§§§§§ 

 

        「私は雹。お前の時間を奪うもの」

  

         §§§§§§§§§§ 

 

 最初、私の前に表れた時同様に、彼は唐突に言った。
 きょとんとする私に「といっても、お前が望むならば、だが」とつけ加えた。

 

 「雪薇、今度は選ぶが良い。
    このままいけば、お前は三日以内に死ぬだろう。
          その間、モルヒネはくれてやる。出来る限り苦しませないことは約束する。

           だから、その三日間を生きるか・・・・

                                 ------------------------今、私に斬られるか」                         

 

 その時初めて、私は彼が腰に刀を携えていることに気がついた。

  

       「私は斬った者は忘れない・・・・  
                     私は斬った者を背負って生きるから・・・・」

 

 もうそれしかしてやれないのだ、と彼は消え入りそうな声で言った。

 『それしか』

 それを『それしか』と言うのか。
 彼は自分がどれだけのことを提示してるのか、自覚がないのだろうか?

 彼が、時間を与えてくれたのだ。
 彼が与えてくれた時間が、私を『人間』なのだ、と思わせてくれたのだ。
 彼が与えてくれた時間があったから、私は怒りを産んだのだ。
 彼が与えてくれた時間があったから、私は諦めるだけでなく足掻こうとしたのだ。

 全て、彼がくれたもの。

 ならば、その彼に奪われた所で、いったい何の苦痛がある?
 それよりも、彼が最期を看取ってくれるというのならば、それ以上に今の私に何が望めるというのだろう?
 毒姫として、たった独りで生きて、たった独りで死んでいくしかないと思っていたのに・・・・・・・・

 

 私は初めて、自分から彼に触れた。
 指が頬に触れる。

 そっと口元まで指を動かして、決して唇に触れないように意識しながら少しだけ指で口角を押し上げた。

  

  「私は貴方に終わらせて貰いたい・・・・

                   けど、お願い。 

                終わらせる時は、何時も私に言い聞かせてくれた後みたいに・・・・」

 

                      §§§§§§§§§§§ 

 

                          『・・・・笑って・・・・』

  

                      §§§§§§§§§§§ 

 

 斬られる瞬間、彼が泣きそうな顔になる。
 けれどソレでも、彼は笑った。

 私が望んだ通り、その笑顔はとても綺麗で。
 私はただただ幸せになる。

 兵器ではなく、人間として死んでいけること。
 最後の最期に、こんなにも美しいものを見れたこと。

 誰かが自分の最後を看取ってくれること。
 誰かが私を覚えていてくれること。

 私の死を悲しんでくれること。
 私の願いを聞き入れてくれること。

 寂しいと、
 悲しいと、
 切ないと・・・・

 誰も愛することのかなわない『毒姫』の自分を、誰もが嫌悪すると諦めていた自分を、そう、こんな自分を『想って』くれること。
 そんな諸々の想いで、私は満たされる。


 幸せに、満たされる。


 毒以外のもので、身体が満たされる。

 

                            そして、私は・・・・・・・・『終わった』

 

 




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