(三)

 

 

眠れない夜。

周りを魔物に取り囲まれて、眠れない夜は幾度となく越えた。
殺気は周りの空気から身体に浸透して、そのうち染み付いて、馴染みの感覚になった。

 

これもいつかは馴染むのだろうか?

 

隣の部屋の気配に感覚を研ぎ澄まし、何度か寝がえりをうちながら。
一向に湧いてこない眠気と、夜が深まるにつれ冴えてくる思考回路に見切りをつけて。

このままでは、また何時ものようにずっと悶々と悩み続けてしまう。

 

上体を起こし、ベッドサイドに置いた着換え、マントを掴んで部屋を出る。

 

どんな日だろうと、『起きている』ことを疑わないで済む親友は、こうゆう時有難い。
それは不謹慎な感謝だと解って入るけれど、それでも。

 

こんな風に眠れない夜は。

誰か道連れにしなくてはやってられない。

 

 

§§§§§§§§§§§§§§

 

 

訪ねて行くと、ダイが眠ってしまって特に気を張る必要もなくなった親友は、その疲れを隠そうともしない不機嫌そのモノの形相で俺を見て。
盛大に溜息をついた。

 

「あのな、ヒュン。眠れなかったとしても、せめて身体を横たえさせるだけでも随分と違うんだぞ?
 お前には人を敬う、という気持ちが圧倒的に欠けている」

「どうせ横になったところで余計疲れるだろう?」

 

答えの出ない問題は精神を削り取っていく。
それが解らないではないから。

そして俺の言っている言葉が理解出来るから、ラーハルトはそのまま押し黙った。

 

俺からすれば、くだらないことで悩み囚われている男。

そして俺は、こいつから見たらくだらないことで悩み囚われているのだろう。

 

「酒、付き合えよ」

 

俺の言葉に、ラーハルトは無言で応えて。
立ち上がった。

 

「本当に手間のかかる奴だな。こないだの店でいいか? あと、奢りな」

「は?また??」

「当たり前だろう。付き合ってやってんだぞ?」

 

 

§§§§§§§§§§§§§§

 

 

『もし、夜中。ヒュンケルが出て行ったら』

ラーハルトはそう言って、目の前の店を指さした。

『ここにおいで』と。

 

『この店で俺達は飲んでるから、ちゃんと話をしたらいい』

 

私は視線の先のバーを眺めて、それから一回、頷いた。
一人でバーなど入ったことないけれど。

ヒュンケルとラーハルト、二人が揃っていればかなり目立つ。
姿はすぐに見付けられるだろう。

見付けられなければ、帰ればいい。

 

しかしちゃんと話あう。

 

それはトクン、と。

胸に不安の種を撒く。

 

もし、向かい合って。

今までの全てが壊れてしまったら?

 

私の不安を全て見透かすように。

ラーハルトは『お前にとって最悪は何?』と。

 

最悪。

最悪はヒュンケルを失ってしまうこと。

 

『そう。なら大丈夫だ』

 

笑うラーハルトが、何が言いたいのかよく解らないまま。

 

それでも『大丈夫』と言われたことを噛み締めて。

私はラーハルトの横にいるレオナに視線を送る。

レオナはちょっと心配そうな色を浮かべながら、それでも気丈に笑って。

 

『不安だったら、一緒に行ってあげましょうか?』と。

流石に一国の王に、付き合わせるわけにはいかない。

だけど、彼女のその言葉が決して社交辞令なんかじゃなくて本気なのも解っているから。

その言葉だけで、十分心強かった。

 

「大丈夫、ありがとう」

 

 

口にして。

大丈夫なんかじゃないけれど。

それでも。

 

目に見えない不安に押し潰されそうになりながら。

私は頷いた。

何にかは解らないけれど。

 

何度も。

何度も頷いた。

 

 

§§§§§§§§§§§§§§

 

 

「あのさぁ…またその話なワケ?」

 

不貞腐れるようにカウンターに突っ伏して、唇を尖らせる。
駄々をこねるように足をバタつかせる様を横目に、俺は内心突っ込む。

 

お前は幾つだ。

 

実際は俺よりひとつ年上の筈だが、それでも魔族の血を継ぐ男だから寿命は遥かに長い可能性が高い。
魔族にとって20そこそこなど、まだ子供と言っても過言ではないのかもしれない。

 

とか思ってしまう程に。
兄ちゃんは時々(しょっちゅう?)幼いのだが。

 

言葉を飾る必要もなく。

ただそうゆう性根なのだろう。

 

だから未だに親が恋しくて耐えられないのだ。

 

そう結論付けると、ほんの少し寛大な気持ちになれる。

 

「うわ。ムカつく顔」

 

何かを感じ取ったか。ラーハルトは顔を顰める。
そして一気に酒を煽った。

 

アルコールで全て有耶無耶に出来てしまえばいいのだけれど。

俺も、この男もアルコールに対する耐性は常人より強い。
溺れる程。文字通り溺れるほどに浴びるように飲まなければ、きっと誤魔化すことなんて出来ないのだ。

 

店の奥で、もう既にかなり出来あがっている男を眺めながら。
アレはアレで、羨ましいな、と思った。

 

「なぁ」

 

思考に耽っていると、話しかけられ。意識を戻す。

ラーハルトはこっちを見ないまま、空になったグラスを傾けて。水滴が落ちる様を観察している。

 

「ピンクが不安になってる」

 

俺とダイ以外、殆ど名前を呼ぼうとしない男だが。

それでもピンクはどうか、と思う。

昔、マアムの帰省に付き合ったおり、『ピンク村に行くのか』とか言われた時は正直殴ろうと思った。
ピンク村って…何処のいかがわしい店だ?!

 

 

しかし。

不安?

 

「浮気まで疑われてるぞ、お前」

 

ガン。

思った以上に力が籠ってしまったらしく、カウンターに叩きつけるようにして置かれたグラスは中の酒ごと激しく揺れて、零れる。

 

浮気?

俺が?

お前じゃあるまいし。

 

「俺、浮気はしねぇよ?そもそも本気で付き合わんし。
 浮気相手、間男、愛人にはなっても、俺自身は浮気はしない」

 

お前の正当性はズレてる。

頭を抱えたくなる衝動を抑えて、俺は零れてしまった酒を拭いた。

 

まぁ、しかし。

付き合ってそれなりの時間が経過しているのに、これからの未来を示すことを渋っていられたら。
そりゃあ、不安にもなるだろう。

 

「いや、誰もそんなこと言ってないし。お前本当に人の話聞かないね」

 

…………いや、そんなつもりはないのだけれど。

 

ただ、そんな浮気とか疑われるようなことした覚えがない。

 

「寝静まったの見計らって夜な夜な外出したり、真剣な話になることに怯えて日常会話さえ乏しくなるような状況でよく言うわ」

 

うぐ。

確かに、言われてみればそれは的を得た言葉なのだけど。

 

普段、妙に幼かったり、天然でボケ散らかしてたりする癖に。

なんでこうゆう時だけお前はまっとうなんだ。

 

「……喧嘩売ってるよな?お前。絶対に」

 

そんなつもりはないし、どちらかと言えば俺もかなり売られていると思うのだけど。

 

ラーハルトは俺の抗議は一切無視して、酒の代わりを注文した。

 

見れば、珍しく機嫌がいいのか耳がピコピコ動いている。

不機嫌な時はピンと張り詰めるし、落ち込んでる時はシュンと下を向く。

表情以上に感情豊かな耳なのだが。

 

はて。

 

俺と一緒の時にこれは珍しい。
(それはそれで不愉快だが…俺、嫌われてるのか?)

だが、口にすれば満面の笑みで肯定されそうだから、止めておこう。
それはちょっとショックだ。

 

「…兄ちゃん…良いことでもあったのか?」

 

聞くと。

振り返って、にんまりと笑われた。

 

「俺、嫌がらせって好き」

 

最悪だ。

生まれ変わってやり直せ。

 

聞く耳を持たないラーハルトは、運ばれてきた新しい酒に口を付けながら。

リズムでも刻むようにピコピコと耳を動かし続ける。

一度尋ねたことがあるが、全くの無意識らしい。

勿論意識して動かすことも出来るらしいけれど、基本的には意識していないようだ。

だから今も。

きっと耳がこんな風に動いていることを、本人は自覚していない。

 

自由に動く耳を、ダイが頻りに羨ましがっていたのを思い出して。
俺はつい、笑みを噛み殺す。

 

そんな俺を怪訝そうな顔で見て、それから興味をなくしたようにつまみに手を伸ばす。

こうして見ると、不眠症で苦しんでいるようには見えないのに。

内面を蝕んでいる現実を思い返せば、ほんの少し、心が痛んだ。

 

 

 

だが、俺のそんな繊細な。

親友に対しての心配りを総べて撃ち砕くような暴挙が。

 

「ん?来たな」

 

ラーハルトの視線を追って、振り返れば。

 

 

そこにはいるはずのない彼女が、心細そうにきょろきょろと店内を見渡して。

 

あんな無防備な状態で。
たちの悪い酔っ払いも大勢いるだろう店内に踏み込んでくるなんてどうゆうつもりか。

 

そして、言葉尻を捉えるならば。

この男は彼女が来ることを知っていたようだ。

 

それが上機嫌、嫌がらせの中身か!

 

唾棄してしまいそうになりながらも、それでも好奇の視線に晒され、入口辺りで心細そうにしている彼女を放っておくわけにもいかず。

一刻も早く助けなければと立ち上がり、俺は一度だけ。

ラーハルトを盛大に睨みつけてから、歩き出した。

 

 

腹の底から湧き出るような苛立ちは。

彼女が俺を見付けて浮かべた、ふんわりとした笑顔に一瞬で昇華されてしまう。

 

「良かった」

「良かったじゃない。こんな所に来て。危ないだろう?」

「危ない所なの?そんな所でいつもお酒を飲んでるの?」

「そうじゃなくて…」

 

入口付近でやり合えば。
傍目には痴話喧嘩のように写るらしく、好奇な視線は避けようもない。

俺はマアムには聞かれない程度に舌打ちして、彼女の手を引いてラーハルトの待つカウンターに戻った。

 

 

「よう、ピンク。こんばんは」

「こんばんは、ラーハルト」

 

兄ちゃん、お前。絶対に後で殺す。

 

俺の視線を受け止めて、ラーハルトは好戦的な光を瞳に宿しながら、日常で見せるものより遥かに妖艶にも見える笑みをにぃ、と浮かべる。

『殺せるもんなら』と。真正面から受けて立つその視線に、知らず戦士としての心が跳ねる。

 

だが、そんな心を見透かしたように。

 

「お前がちゃんと向きあわねぇから変に不安にするんだろうよ。
 向き合えるチャンスをくれてやったんだ。感謝しろや」と。

 

現実をきっぱり、はっきり。
突き付けた。

 

言われなくても、どうゆうつもりでこの席を設けたのかは解る。

いつまでも逃げてられないことも自覚している。

しかしそれにしてもいきなり過ぎて、俺にはまだなんの覚悟も出来ていない。

 

今日、この場で彼女を失うかもしれない。

いや、『失わなければならない』のだ。

 

だが、それは。

考えるだけで全身が震えてしまいそうな事象だった。

 

彼女を失うと思えば。

この身を切り裂くかのような痛みを覚える。

彼女が自分ではなく、別の男と一緒に生きて行くと思えば。

切り裂かれた傷を深く抉られたような痛みが走る。

彼女が自分の隣にいない未来を思えば。

抉られた傷を更に焼かれる苦痛に襲われる。

 

そしてその半面。

 

彼女が俺の所為で罵声を浴びせられることを思えば。

無数の針に刺し貫かれるような痛みを覚え

彼女が俺の所為で石を投げられることを思えば。

焼けた鉄板の上を歩かされるほどの苦痛を覚え

彼女が俺の所為で泣くことを思えば。

両の目を抉り出されるような漆黒の絶望に襲われる。

 

どうすればいいと言うのか。

 

この状態で、まだ。

覚悟も決められず、逃げ道を探そうと俺は闇雲に思考を走らせる。

 

 

「あのさぁ、ヒュン」

 

いつもなら、好ましく感じる声音も。

この瞬間は煩わしい雑音に過ぎない。

それでも、意識をラーハルトに向けたのは、こんな状況に陥れた元凶に対して文句のひとつも言いたかったからで。

 

だがしかし。

そこにあった、思ってもみない程穏やかな顔に。



鼻白んだ。

 

 

 

「向かいあえる相手がいるならちゃんと向かいあえよ。

 伝えられる言葉があるなら、ちゃんと伝えろよ。

 対話ってのはさ。相手がいないと出来ないんだぞ?

 伝えようと思った時には、相手がいなくなってることだってあるんだから。

 ちゃんと今。

 ここにこうして、相手が存在してるんだから。

 お前は対峙して、ちゃんと伝えて、受け止めなきゃならん」

 



 

 

その言葉は。


 

狡い。

 

 


 

一生、その機会を失ってしまったこの男にそんな風に言われたら。

覚悟を決めざるを得なくなる。

 

逃げ道は完全に塞がれた。

 

 

 

「さて」

 

ラーハルトは穏やかな笑みを浮かべたまま。

 

「じゃあ、俺は帰りましょうかね」と。立ち上がる。

 

 

それを、俺とマアムが同時に腕を掴んで。

 

 

『帰るな』『帰らないで』と。

ハモった。

 

浮かせた身体を無理矢理スツールに座らせると。

引きつった顔で「面倒くさいカップルだな…」とぼやかれた。

 

面倒くさいも何も。
お前も噛んでるんだから、逃がすわけないだろう。

 

俺の焦燥を気付かぬふりで、ラーハルトは溜息を零した。

 

 

§§§§§§§§§§§§§§

 

  

いざ。覚悟が決まったと言っても。
最初の一言が出てこない。

 

決して短くない沈黙。
辺りが騒がしい分、この沈黙はより静かに感じられた。

 

どの言葉から伝えればいい?

ずっと一緒にいたいと。

けれどそれは叶わないのだと。

それでもお前を手放す勇気を持てないことを。

この雁字搦めな今を。

どうやって伝えればいい?

 

マアムは慣れない場所の為か、それとも俺の様子を読んでか落ち着かない素振りで。

ちらり、と俺を盗み見ては視線を反らす。

彷徨う視線は、雑然とする店内やカウンターの上、そして自分の手や俺の手に注がれて。
一向に定まる気配がない。

その定まらない視線を追えば、自分も焦燥に駆られるので。

俺は瞳を閉じた。

 

そして周りの雑音を遮断する。

 

彼女に伝えなければならない言葉にだけ意識を集中して。

出来る限り、今想っていることそのままに。

そして彼女が傷つかないように。

そんな魔法のような言葉を探して。

 

暫しの時間。

 

……

………………

 

 

 

だが。

思考はつんざくような、悲鳴に近い声で遮られた。

 

 

 

「───────────────っ、ヒュンケルはっ!」

 

 

 

店内中に響き渡るほどの音量で紡がれた自分の名前に驚いて、瞳を開くと。
見開かれるように、真摯な視線を真っ直ぐにぶつけてくる彼女の瞳があった。

その瞳は感情が高ぶってる所為か、酷く潤んで。今にも涙が零れ落ちそうになっている。

 

「わ……っ…私のことが嫌いになったのっ………?」

 

叫ぶように彼女の言い放つ、見当違いの言葉にぽかん、となりながら。

それでも、その今にも零れ落ちそうな涙が堪らず。

彼女の声に負けないように。

 

「そんなわけ、ないだろう!」と。

それはまるで怒鳴り声のようになってしまったが。

 

「じゃあ…じゃあなんで…避けるの…?」

 

こんなに近距離で会話しているのに。
まるで川の対岸から対岸で喧嘩をしているような有様で。

店内の視線が「何事か?」と集まる。
耳を澄まさなくても、会話の内容はこの音量で叫べば店中に筒抜けだ。

 

何故、こんなことになったのか俺は理解出来ず。
とりあえず彼女を落ち着かせようと手を伸ばすが、パシリ、と軽い音を立てて拒まれた。

 

「避けてなんていないっ」と叫び、次の言葉を続けようとした所に。

「ヒュン、ヒュン…」

 

後ろから服を引っ張るラーハルト。

今、お前に構ってる暇はないんだが。

 

ラーハルトの指が。

カウンターの上にあった、先程ラーハルトが頼んで一口二口飲んだだけの酒のグラス。

今はすっかり空になってしまっている物を指示していて。

 

 

「…飲んだな」

 

 

ああ…

ああああああああ……

 

そうゆうことか!!!

 

やっと覚悟を決めたと思ったら。

これはないだろう?

 

 

流石にこれにはラーハルトも唖然としたようで。

 

「お前に惚れる女ってさ。賢者妹然り、ピンク然り。酒癖悪すぎじゃねぇ?」

 

 

 

五月蠅いわ!

 

 

俺は半ば自棄糞気味に叫んで、頭を抱えた。










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