No answer is necessary

 

(恭介)

 

その日、何故僕がそんな質問をしたのか。

その質問をした本人にさえもよく解らなかった。

ただ、なんとなく。

口にしていた。

 

しかしそれは聞いてはならない質問で。

聞かずとも、解っていた質問で。

それこそ口に出すのも馬鹿馬鹿しいような、そんな質問で。

 

望む答えは、失笑することだったのかもしれない。

それか「何を言っているのか?」とはぐらかしてしまうことか。

 

しかし質問を投げかけられた本人は、息を飲んで固まって。

僕をまじまじと。その猫のような金色の瞳で見詰めてから。

 

聞きたくない答えを。

躊躇いがちに。

それでも。はっきりと言った。

 

 

 

どうしてこの人は、嘘をつくことが下手なのだろう?

確かにそこで嘘をついたところで、それが嘘だと言うことは僕には簡単に解ってしまうけれど。

それでも真実を話すことが常に美徳なわけじゃない。

たまには僕の望む答えや、優しい嘘をついてくれたって良いのに。

それでも。

そうは思っても、それはきっと僕の知っているこの人じゃないから。

僕はその答えをただ、苦くて飲み込むのが困難な上に、ぐつぐつと煮立っているようなその答えを。

飲みこんでしまえば苦しむのは解っているのに。

 

彼から目を離すことなく、ぐっと飲み込んだ。

 

 

案の定、僕の心は見るも無残に傷付いて。

爛れて血を流し、膿を吐き出す。

それでも彼と違って嘘をつくのが上手な僕は、変わらない笑顔を浮かべて。

自分の発言が僕をどれだけ傷つけたか悟らせないように、ただ。いつものように。

彼が心を許す笑顔を浮かべ続ける。

 

ここで盛大に傷付いてみせて恨み事を散々喚いたところで何が変わるわけでもない。

それならば、僕は何時だって笑っていよう。

それが彼が望んでいることだから。

 

二人が一緒にいられる少ない時間、少しでも彼を癒すことが出来るように。

僕は常に笑顔を絶やさないでおこう。

 

「知ってたよ」

 

それでも。

ほんの少しの痛みくらいは吐き出さないと、僕が壊れてしまうから。

だからこれくらいは。

 

僕は兄から告げられた真実に、笑顔のまま。血の混じった言葉を返す。

兄は再び息を飲んで、僕を眺め。そして耐えきれなくなって目を反らした。

 

そうやってずっと、目を反らしていられたら。貴方はもっと楽だっただろうに。

僕は常にそう思う。

どんなことも、目を反らして生きていければ、兄程優秀な人なら苦労することはないはずだ。

それでも不器用で、何処までも自分を甘やかさない高潔な意思は兄を追いつめて追いつめて、そしていつかきっと兄を壊してしまうだろう。

それはきっと、あまり遠くない未来だ。

 

そんな。

悲観に満ちた予感を抱いて。

そして何処までも酷薄な兄を見て。

僕はその肩をそっと抱いた。

 

たったひとりの、僕と同じ人間を抱いた。

 

「知ってたよ。けど、僕は何も変わらないよ。今までだってそうでしょう?」

 

肩を抱く僕の手の上に、兄の手が重ねられる。

深くなる眉間の皺。

上がる眼圧によって、金色の瞳の色が徐々に赤みを帯びていくのを、僕は眺めながら。

 

全く以て、不器用で不甲斐ない自分達を想う。

生き物として脆弱で、偏執している自分たちを想う。

 

僕たちは互いを必要としていて。

どちらかがいなくなることに耐えられやしないだろう。

どっちもがどっちもに依存していて、喪えばそれこそ精神の均衡も保てない程に執着している。

そんな関係は歪でおかしい。

それは重々承知していて、改善することが望ましいことも解っているけれどそれでも。

僕たちは一向に改善する気配がない。

 

この世界で、己達だけが敵ではないと。

同じ腹から取り出された、同じ遺伝子をもつ同じ顔の互いだけがこの世界で唯一の存在だと解っているから。

だから僕達は。

ずっとダラダラとこの依存しあう関係を続けている。

それがどれだけ建設的でなかろうと、それがどれだけ歪んでいようと。

それを甘んじて享受して余りある程に。

『周りの世界』は僕達にとって魅力はなかったし、そして双子という同じ遺伝子を持つ他人の存在はそれほどまでに甘美だった。

 

新しく出来た友人も、勿論大事で。

新しい世界はそれはそれで惹かれるものがあったけれど。

ソレでも根本的な部分では変化なく、僕は兄の側にいるし、兄だって僕がいなければ生きていけない。

 

それは紛れもない事実。そう、それは紛れもない。

揺るがない真実。

 

しかしそんな依存もまた、砂上の楼閣のように酷く脆く崩れやすいもので。

僕たちはそんな危ういものの上に、愚かしい程に大胆に胡坐をかいているようなもので。

安定しない地面を、さも何があっても崩れないと信じている馬鹿のように。

 

いや。

信じてなどいないのだ。

僕も兄も解っているのだ。

それでいて、解らないふりをしているのだ。

 

しかしそれでも。

さっきのようにふとした瞬間に、クレバスが顔を覗かせる。

知らないふりを、気付かないふりを続ける僕等を嘲笑うように、ふとした瞬間に。

それは血の滴るような残酷な顎を開けて現れる。

 

僕はこの不安定な現状に満足しながらも、何処か渇望しているのかもしれない。

互いが正常に、依存しあうことなく支え合って生きていけることを。

どちらかが、どちらかのお荷物ではなく、それこそ補いあうように。

だからつい、クレバスを覗きこむような愚行を犯してしまうのかもしれない。

だからつい、答えを聞けば、傷付くのが解っている質問を投げかけてしまうのかもしれない。

改善を。

改革を。

実は願っているのかもしれない。

 

目を閉じて自問する。

しかし結局答えは出なかった。

出たところで、今すぐに僕が兄から離れることもなければ、決別を口にすることもない。

結局、このままの状態が出来る限り長く続くことを夢想するだけ。

終りが来ることは解っているから尚のこと。そう、願って止まないだけ。

 

「ねぇ兄さん」

 

僕は耳元で囁きかける。

兄は微動だにすることなく、僕の声に「なんだ?」と聞き返す。

 

僕はそんな兄に向かって。

願って詮無い、そんな些細な願いを。

それでいて。

決して叶わないことも知っている願いを口にする。

 

 

 

「                    」

 

 

 

兄が何か言おうとするのを塞き止めて。

その唇をそっと指で塞いで。

 

僕は、僕のモノに比べると色素のない瞳を覗きこんで笑った。

 

 



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